餅搗き
なかなか本業が忙しく、アップできませんでしたので、今回は少し長めのお話です。
12月28日の桔梗学園の食堂は、なんとなくどんよりとした空気が漂っていた。
前日に、真子と美子の葬儀があったせいもある。地震の後の施設点検で疲れているのもある。そしてなにより、K国に向かったドローン部隊が、疲れ果てて帰ってきたのもその理由であるだろう。
そんな空気が漂う桔梗学園の食堂は、いつも以上に人が溢れていた。それは、桔梗村の住民が、桔梗学園の食堂で食事をすることになったからだ。
「最近食堂が混雑しているよな」
疲れ果てた顔の琉が、のっぺ汁の小さな里芋を苦労して摘まんでいた。
「まあね。関東北部地震のせいで、食器がかなり割れたり破損したりしたから、浜昼顔地区の食堂が今、使えないからね。本当に、なし崩しに、桔梗村の住民が桔梗学園の敷地にも出入りするようになったな」
柊は、いくらの醤油漬けを白米が見えないほど盛って、かき込んでいた。
「気になるか?」
琉が突っ込んだ。
「いや、琉の家族や涼の両親が桔梗学園に入ってくることに不満があるわけではないよ。ただ、『なし崩し』って言うのが気になるだけ」
同じテーブルで食べていた舞子にも意見があるようだ。
「まあ、どこで食べるかを前もって申請することで、残飯が少なくなるし、誰がどこで食べるかは把握できているけれどね。それより、今までは真子学園長達のシナリオを遂行するために、多くの秘密があったから人の出入りを制限していたけれど、これからの秘密って、どんなものがあるのかな?秘密がもうないのなら、人の出入りをもっとオープンにしてもいいと思うんだけれど」
「舞子、僕が気にしているのは、『秘密』より『安全』だよ。世界の平和を左右するバリアをK国に張っているKKGは、今、とても危険な状態にあると思わないか?」
琉もそれに同意した。
「俺たち、K国にバリアを設置しに行ったけれど、円さんのドローンは、地上から銃弾を撃ち込まれたって言っていた。まあ、すぐA国軍が応戦してくれたので、無事だったみたいだけれど」
随分物騒な話が飛び出した。
「琉、自分の彼女が危険な目に遭ったって聞いて平気なのか?」
「ああ、俺たちK国に行ったって言ったけれど、R国とM国、C国に一端拠点を置いて、3箇所から無人ドローンを飛ばしたんだ。だから、攻撃されたのは、無人ドローンの方なんだ」
「『拠点』を置いた3カ国からは、情報が盗まれなかったか?」
柊はそちらの心配をした。
「さあ、無人ドローンは前もってプログラムされた箇所に、バリア用のカプセルを撃ち込んだだけだからね。カプセルに指令を出すのは、直接KKGからじゃないし」
「えー?KKGからだと思っていた」
「ブロックチェーンと同じように、バリアを作動させるのは、複数の箇所からの指令が必要だから、1箇所でも攻撃されたら、バリアは消滅するよ」
「琉。それは食堂でペラペラ話す内容じゃないだろう?高度の機密事項だ」
「柊は心配性だな。KKGや各分校からは指令は出さないから、安心して」
「じゃあ、どこから?」
「それは、高度な機密だな」
そう言いながらも、琉は人差し指を空に向けた。
柊はその仕草のヒントだけで、機密の内容を理解した。宇宙に飛ばしてある衛星など、いくつかの拠点がバリアに関与していると言うことだ。
ただし、柊は知らなくて良いことだが、その拠点は日本には一つもなく、いくつかの国の上空にあるのだ。
拠点が日本にないことは、情報として世界に流してある。世界中からバリア解除に関係する拠点を探すことは、「まるで干し草の中で縫い針を捜すようなもの」だ。
そんな難しい話をしているテーブルに、晴崇がのんびりとやってきた。
「みんなお揃いで助かった」
柊がすごく嫌な顔をした。
「なんか嫌な予感がするぞ、何をさせようと言うんだ?」
「話が早い。子供達のために『餅搗き』をしてくれないか?柊が餅を搗つけなくても、大町さんなんかが搗けるんじゃないか?」
「失礼な。餅ぐらいつけるぞ。返し手も得意だ」
「へー、シティーボーイだからそんな古風なことはしないと思った。実は、桔梗高校や桔梗小学校の備品に臼と杵があったんだ。明日28日は厳しいと思うが、30日なら有志を募って、餅搗きできるだろう?」
「何臼搗つくんだよ」
「ひと臼1.5升くらいだろう?15臼くらい?餅米は九十九農園がいくらでも出してくれるそうだ」
「伸し板もあるんだろう?流石に喪中に鏡餅は駄目だろうから、切り餅にして保存食にしておいてもいいな」
涼が柊の知識にびっくりしていた。
「お前、詳しいな。俺たちみたいに、柔道教室で毎年搗いていたって、伸し餅は母親達の仕事だからそこまで分からないぞ」
「中学校の生徒会で、文化祭の生徒会の出し物で毎年餅搗きをしていたんだ。親父達は、やったこともないのに餅搗きに参加したがって、臼に杵をぶつけて、木っ端まじりの餅を搗きやがって、毎年木くずを除くのに苦労したよ」
いや、木くずが混じった時点で、食べられないだろう?
舞子がニコニコして言った。
「わっかるー。下手な人は、臼の縁に杵をぶつけて、杵が壊れるんだよね」
晴崇は掌をだして話を止めた。
「大丈夫。小学校の備品に、『うさぎ杵』もあったから、子供が搗いても大丈夫」
「『うさぎ杵』って、月で兎が搗いている縦長の杵のこと?」
「そうそう、子供に搗かせると、冷えて餅が固くなるから、子供用の餅搗きは食べる餅とは別にしないとな」
柊は、各種の失敗を経験しているようだった。
「冷えた餅はお湯に入れて、最後にもう一度搗けばいいよ。じゃあ、私、餅搗きスタッフ募集のポスター作るね。涼は保育施設と小学部に連絡。そうそう、お父さん達と高木先生を呼んできて、臼と杵、蒸籠やのし棒、下に敷く藁などの手配を頼んで」
舞子が俄然張り切りだした。「鍋奉行」ならぬ「餅奉行」爆誕である。
柊はこれ幸いと、舞子に全権委任をすることにした。
「舞子様、私めは何をしたら良いのでしょうか」
「柊は、まず、大町さんと琉と協力して、搗き手と返し手の募集を掛けて。白萩地区のお祖母ちゃん達にも頼まなければならないわね。東城寺と西願神社にも臼があったんだけれど、どうする?琉君、ドローンで運んで貰える?」
「柊、それから、ちぎったり、きなこやあんこに絡めたりする部隊もいるからね。餅はそこでちぎって食べるから美味しいのよ。」
晴崇が小さく手を挙げた。
「すいません。絡み餅と納豆餅も入れて貰えると嬉しいな」
柊が、小さい声で「納豆はやめた方がいいんじゃないか?」と言ったが、全員にスルーされた。
話は瞬く間に広がった。大人は世界の情勢が分かっているので、明るい企画で、気分を変えたいと思っていた。そこで、今回は多くの研究員の女性が、参加することになった。
12月30日 餅搗き当日はすぐやってきた。
美規は、多くの人がいるので尻込みしていたが、晴崇に無理矢理連れてこられた。京も、安全管理は遠隔でするシステムにして、屋内運動場の隅に座っていた。
柊と涼は、初めての餅搗きをしたいという研究員のお姉様方に、杵の扱いについて講義中だった。
杵は本物だが、映像で作られた臼は、いくら杵をぶつけても大丈夫だった。
「じゃあ、皆さん。柊が見本に搗いてみますから見てください」
「えー?上半身は脱ぐんじゃないの?」
「止めてください。お笑いじゃあないんですから・・・」
涼は、手の怪我の後、無理をしないようにしていたので、今回は柊が餅を搗き、解説は涼がすることになった。
柊は、上半身は脱がなかったが、手ぬぐいを額にして、汗が餅に落ちないようにした。
久し振りの餅搗きだったが、身体はしっかり覚えていた。杵は持ち上げれば、後は落下運動させるだけなので、前後に開いた足に交互に重心を掛けて、リズミカルに動かすだけだった。
返し手は舞子の母、勝子が行うので、彼女のかけ声で気持ちよく搗くだけだった。勿論、練習では餅がないので、手を杵の下に差し込むだけだが・・・。
「はっ、はっ、もういっちょ、はっ、はっ、そこまで」
どこまでも搗けそうだったが、実際に搗いているのは、体育館のマットを丸めたものだったので、少し、勝手が違った。
「はい。では、今度はスローで説明します」
親が小学校の先生だけ会って、涼は説明が上手だった。
「柊は右利きなので、右足が前、左足が後ろで構えます。右手が上、左手が下で杵を握って、力が入るように間を少し空けます。杵はまっすぐ振り上げたら、杵の重さを利用して落下させます」
琉と付き合っている円が、手を挙げた。
「なんかやりにくいです」
「じゃあ、円さんは雑巾を絞る時どうしますか?」
円は空中で雑巾絞りの真似をして見せた。
「ああ、左が上で絞りますね。円さんは『左組』なんだ」
「『左組』って?」
「すいません。柔道では相手の襟を掴む手が、左だと『左組』というのですが、そういう人は、隠れ左利きというか、左利きの人のようにした方が力が入ります」
円は杵を左手が上に持ち替えてみたが、まだ首を捻っている。
「円さん、手と連動して、足も左足を前にしてください」
円は、今度は楽に杵が振り回せたようで、満足した。研究員は疑問に思ったことをそのままに出来ない性質なのだ。
円の妹の周は、まだ満足していなかった。研究員らしいこだわりである。
「どうして左手が上だと、左足が前のほうがいいんですか?」
「武道はみんなそうですね。剣道も柔道も。多分、ナンバ歩きの動きから来ているんでしょうね。それに逆足が前に出ていると、身体にひねりが出て、脇腹が痛くないですか?身体を捻っていると、内臓にも負担を掛けます」
「『ナンバ』ね。そう言えば、飛脚って、ナンバ走りをしていたから、長距離を走っても疲れないって言いますよね」
涼がいつまでもでも説明をしているので、柊がしびれを切らした。
「涼、次に行くぞ。返し手との連動だ」
「えー。やめたほうがいいよ。5回くらい搗いたら、返して貰って、搗き手が代わったらいいのに」
「いや、皆さんかなり力があるから、2回くらい搗いたら餅に穴が空いて、杵が臼の底に着くぞ」
それは事実だが、この言葉は研究員の皆さんの心証を悪くした。そこで、勝子が割って入った。
「では、皆さん。返し手の作業を見て貰います。実際の餅がないと、これは出来ないので、本物の臼に移動します」
柊は涼に軽く頭を叩かれた。
「本当のことなのに」
「それでも、言葉を選ぶことが大切!」
「お前が舞子と結婚できたわけが分かったよ」
会場では既に、餅搗きがそこここで始まっていた。
各場所から集められた臼と杵は、綺麗に水洗いされ、前日から水を張って湿らせてあった。
餅米だけでなく、臼の下に敷く藁も、九十九農園から持ってきてあり、蒸かし上がる度、食堂からエレベーターで、体育館のグランドに運び込まれた。
エレベーターから「空飛ぶキャスター」が餅を臼まで運んだ。人工芝ではキャスターが上手く転がせないので、重いものや数が多いものは、蓮実水脈が開発した「空飛ぶキャスター」が活躍している。
小中学生は、圭の祖母板垣啓子、涼の祖母戎井松子が仕切るコーナーに来ていた。
「はい順番だよ。餅搗きが終わった子は、餅をちぎる手伝いをするんだよ」
餅をちぎっているのは、若槻ひなた達、元桔梗村の高齢者達だ。ひなたは足腰が弱くなって、「空飛ぶ車椅子」を水脈から作って貰ったが、あまりの暴走行為に、時速4kmに車椅子の制限速度を抑えられてしまった。それでも、普段歩くよりずっと早い上に、階段昇降も楽々なので、最近ご機嫌である。
「こら、風太、琳。何度も餅搗きの列に並ぶんじゃないよ」
前田風太と大神琳は、ひなたの車椅子の左右に便乗して、移動するのが最近のブームで、ひなたに甘え癖がついていた。
「ひーちゃんが、丸めてくれた餅がうまいんだよな、風太」
「そうそう、次は緑のきなこ餅を作ってね」
「しょうがないね」
甘えられるのが満更嫌でもないひなたであった。
野球部コーナーは、高速で餅を生産していた。ただし、こちらは伸し餅になる予定であった。一臼搗き終わると、伸し板に広げられる。伸し棒で広げるだけでは、長方形に広げることは出来ない。その指導は三津が行っていた。
「京ちゃん、そのまま引っ張っちゃ駄目。こうやって、四隅を揉むようにして、少しずつ伸ばさないと、餅に穴があくよ。あー、美規さん、もう穴あけちゃった。ゆっくりゆっくり」
京も美規も、身体を動かすことで、自然と笑みが浮かんできた。
「兄ちゃん、そんなに京さんをニタニタ見ていると、穴があくよ」
その場でに食べることに専念したい者は、西願神社ファミリーや東城寺ファミリーコーナーに居座って、ひたすら餅を消化していた。
西願神社は、悠山の妹悠子が嫁いだ先で、宮司の夢継、息子の英嗣、武嗣まで参戦していた。英嗣は元甲子園球児の消防士、武嗣は独身で神社の跡継ぎと言うことで、研究員から熱い視線を浴びていた。
東城寺は、悠山が返し手、悠太郎が搗き手の親子タッグで、息の合った掛け声を響かせていた。
東城寺コーナーに勝子が、餅搗き講習の受講生を連れてきた。二臼目の餅を、悠太郎が十分潰して、後は搗くだけになっていた。実は、餅米の粒の形がなくなるまで力を入れてぐりぐり潰すのが、地味に大変なのだが、多くの女性に囲まれて、悠太郎は気合いが入っていた。
「はい、みなさん。息子の悠太郎が搗くので、その場で返す手を見てください」
勝子は、何気に独身女性に悠太郎をアピールする。
「みなさん。餅は返すというより、端を引っ張って、搗いている杵の下に押し込む感じです。いい加減になると、杵を止めて貰って、一気にひっくり返します。手水は、自分の手が餅に着かないようにしますが、餅が冷えないように、かなり熱いので、火傷には気をつけてください。それと余り水をつけると、餅がびしゃびしゃになりますので、気をつけてください」
研究員はもう搗きたくて、うずうずしている。
「では、みなさん。1番にやりたい人は?」
誰よりも早く、円が手を挙げた。
「では、悠太郎さんが、返し手をしますので、杵の軌跡はまっすぐにを心掛けて頑張ってください」
悠太郎はやっと休めると思ったら、悠山がわざとらしく腰をさすって、トイレに向かう背中が見えた。
「義兄さん。頑張ってくださいね。2番目に並んでいる人は、周さんと言って、独身で相手がまだいないみたいです」
そう悠太郎の耳元で囁くと、ニヤニヤしながら、涼は舞子と冬月が待っている場所に、向かって行った。
柊は勿論、女性陣に暴言を吐いたので、餅搗き練習コーナーから、直接、食事コーナーに向かっていた。
重量級の悠太郎は、大汗と冷や汗をかきながら、10人近い女性の相手をした。
勝子はこっそり周に声を掛けて、「3食研究三昧の嫁」になれると猛アピールをしていた。
次回は、会場に意外な人が招待される話です。