五稜郭
小説に出てくる人物に、特定のモデルはおりません。
珊瑚美子達を乗せたドローンは、北海道を南下し、五稜郭を目指して飛んでいる。
「五稜郭って、星形の敷地のところでしょ?桜が綺麗な公園なんだよね。公園の中に何があるの?」
「昔の箱館奉行所の復元したものや、兵糧庫があるんじゃないかな?国の特別史跡で、文化庁所管の国有財産らしいね」
「そこに仮皇居を作っていいの?」
舞子と柊の会話が行き詰まったので、美子が助け船を出した。
「五稜郭は、震災前は文化庁から函館市に無償貸与されていたんだけれど、今回、本来の文化庁の所轄に戻されて、復元した奉行所や兵糧庫はそのままに、空いているところに、皇居の上物を立てたらしい」
「あれ?地下はどうしたんですか?」
「地下には、本来の遺構があるので、それを避けて地下深くに、皇族の住居などの造ったらしい」
「震災が落ち着いたら、上物は撤去して、下の部分だけ、道民が避難できるシェルターとして生かすと言うことになっている」
「北海道の人は知っているのですか?」
「皇族がいなくなったら教えるんだろう?今は秘密保持のためにどのような構造かは一般人には教えられないよ」
「美子さん、それで僕たちは、誰に会って、何の話をするんですか?」
「話す内容は、私も100%分かっているわけじゃないけれど、会うのは天皇皇后両陛下です」
眼下に五稜郭公園が見えてきた。美子は五稜郭タワーの真下にある半月堡にドローンを降ろすように指示した。ドローンを降りた一行は、二の橋を渡り、現在は一般人が立ち入り出来ない五稜郭の敷地内に入った。春は桜で有名な公園内であるが、現在は紅葉した桜とツツジに彩られている。一行は右手に回って新しく設置されたコンテナ式の建物に入っていた。
コンテナとはいえ、外観は箱館奉行所と違和感がないように、上質の杉材で覆われ、防弾三重窓は、外光を優しく取り入れている。軒も深く張り出していて、奥の造りは迎賓館の和風別館を思わせる。主和室は掘りごたつ式で、庭には池や竹林がないけれど、池からの反射がもたらすゆらぎの代わりに、窓からの光が障子を通して入り、落ち着いた空間にしている。
50畳近い空間に、今日は7人だけが座っている。
7人?
舞子達の前には、天皇皇后両陛下と内親王輝宮恋子様が座っている。
柊は心の中で、「もう一人増えているんですけれど」とつぶやいた。
「今日は、お忙しい中わざわざ北海道までお運びいただき、ありがとう」
天皇陛下の言葉から会談は始まった。続いて、加須総理代行が答える。
「いいえ、天皇陛下には皇居を離れ、このような場所にお住まいいただき、大変申し訳なく思っております。それから、東日本知事会の時はビデオ出演をいただき、本当にありがとうございました。お陰で国民の避難がスムーズに行えました。
本日は現状報告と、これからの見通しについてご説明させていただきたく、このような席を設けていただきました」
(向こうが聞きたいって言ってきたんじゃないのかよ)
「最初に、こちらに並ぶ3人の紹介をさせていただきます。
まず、私の横におりますのは、珊瑚美子で、前桔梗村村長で、現在は桔梗学園村副村長であります。そして、珊瑚氏の姉、五十嵐真子と一緒に、現在は九十九カンパニーの運営を行っています」
「初めまして、今回の災害における避難計画において、娘美規と一緒に、政府に物資の支援等をさせていただいております」
(避難計画自体は、政府が行っているという体なんだな)
天皇は柔らかな笑顔をたたえて、挨拶に答えた。
「住宅や重機の製造、避難民への救援に使うドローンなど、物的支援だけでなく人的支援にも尽力して貰っていると聞いた。本当に感謝しています」
「続いて、ここにいる若い2人について紹介させてください。まず、東城寺舞子さん。この春の全日本女子柔道選手権で2連覇を果たした柔道選手ですが、この度、桔梗学園の代表として就任しました。桔梗学園は、次世代の九十九カンパニーを支える人材を養成する学校です」
「初めまして、東城寺舞子です。祖父が桔梗学園村の村長をしております関係で、このような重責を仰せつかることになりました」
「私も皇后も、恋子もあの試合をすべて拝見しました。恋子は相撲観戦に行ったことはあるのですが、柔道は初めてなので、非常に楽しみにしています」
きょとんとする柊に、舞子が説明する。
「来年の4月に開催する予定の全日本女子柔道選手権に、内親王恋子様のご臨席が検討されているの。そして、優勝者に『皇后盃』を授与してくださるのよ」
柊はやっと話の内容が理解できた。舞子は震災後、開催する「女子柔道大会」に内親王の参加を取り付け、今回は、その御礼に伺ったわけだ。
「最後に、狼谷柊を紹介します。彼は東城寺舞子と桔梗学園の同期で、今年東京のT大学に入学しました。現在は大学を休学し、桔梗村に避難する大学との窓口や、桔梗学園村の村長代理として、対外との折衝を一手に引き受けています。狼谷の母は旧姓星椿と申して、皇后と同じT大学を卒業して、外務省で現在勤務しています」
(俺は鞠斗の後釜という設定で、成った覚えはないが桔梗学園村の村長代理らしいな)
皇后がにこやかに話題に加わった。
「まあ、外務省に。狼谷さんはお母様と一緒に海外に行かれたことはおありなの?」
「はい、イタリアと台湾に行ったことはあります。今は母、外務省の移転先におりますので、私は、妹と一緒に桔梗学園におります」
「まあ、狼谷さんが、妹さんの面倒を見ていらっしゃるの?」
「妹はまだ1歳なので、他の子供達と一緒に、桔梗学園の保育施設に日中は預かって貰っています。また、今回のような出張の時もそこに預けております」
そう言って、柊は舞子の顔を見た。
(この受け答えで、正解か?)
舞子は、大丈夫というように、ニッと笑った。
挨拶も終わったところで、加須総理代行が、現在の日本の状況について説明を始めた。
舞子が視線を寄越して、それを下げたので、足元を見ると、盗聴器らしきものが見えた。
柊は、「会話に気をつけろという」メッセージを理解した。
「・・・富士山の噴火は現在鎮火し、噴煙は12月までには一段落する見込みです。ただ、年内は、首都直下地震の余震が続きますし、K国からミサイルが撃ち込まれるという噂も出ています。皇居にお戻りになるのはいかがかと思います」
(どうも、両陛下は皇居に戻りたいらしい。関東圏内の交通インフラも復旧していないし、国際飛行場もまだどこも運行していないのに・・・)
「加須総理代行、石頭総理の病状はどうなっているのでしょうか」
「さあ、私のところに何の連絡も入っておりません。都内の病院から、地元に戻って静養されているという風の噂は聞きました。ただ、私も代行ですので、国会が開催されれば、代行の任を解かれるかも知れませんね」
「そうですね。国会議事堂も首都直下地震で、かなり崩れた箇所があったと聞いています。加須総理代行は国民の避難が終わった後、この国をどうしようとしているのでしょうか。忌憚のない話を聞かせていただきたい」
「私はあくまで代行なので・・・」
「申し訳ない。では、個別に話を聞かせていただきたい。最初に、首都機能はどうするつもりなのですか」
「今の通り、分散したままで良いと思っていますが」
「では、東京の再開発はどうするのですか」
「官公庁が無くても、戻りたい人は戻るでしょう。ただ、津波被害があった地域や地震があった地域は、一気にかさ上げをし、道路を広く取り、耐震基準に達した建物のみを建築できるようにすることは検討しています。皇居がそこに戻るかどうかは、宮内庁からのご意見もあることでしょうから、代行としては何の考えもございません」
皇后も質問に加わった。
「現在、鎖国状態のような形になっていますが、いつまでこの形を取るおつもりですか」
「反対に、皇后は『鎖国』状態にしている目的は何だとお思いになりますか」
「『鎖国』状態には目的があるのですか」
突然、美子が柊を指名した。
「狼谷さんは『鎖国』状態のメリットは、何だと考える?」
「そうですね。災害が続いている状態は、海外から見れば、国力が落ちている状態ですよね。その正確な姿や情報を海外に知らせないことは、経済的なメリットがあります。
また、国内が疲弊している状態は、防衛上にも問題があります。現在、警察も自衛隊も現在十分に機能しているわけではありません。
最後に、海外から来ていた労働者や移民を一旦外に出すことで、産業構造を変えるチャンスが生まれます。低賃金の労働を外国人に行わせるのではなく、日本人の給与体系や働き方を根本的に見直し、国内人材でエッセンシャツワーカーを充足させるチャンスになります」
恋子様も話し合いに参加してきた。
「あの、狼谷さんは、どのように見直せばいいと思っていますか」
「そうですね。現在行っているように、人口を分散して地方にまとまって住むと、地産地消が進み、遠距離を人が移動しなくなります。それぞれの都市のインフラだけ保守管理して住めば、無駄なコストも減ります。また、今のような分業をせず、一人の人が自分の地域で必要な仕事を複数分担して行えば良いのだと思います。そうですよね。東城寺さん」
舞子は柊が、面倒くさくなって渡してきたバトンをスムーズに受け取った。
「はい。桔梗学園では、子守はみんなが分担して行いますし、医者も医療だけでなく、教師役をしたり猟師をしたり、複数の仕事を臨機応変にします」
「狼谷さんは、どんな仕事を桔梗学園でなさっているのですか」
舞子は、柊に興味を持つ恋子を見て、何か考えることがあるようだ。
「僕、いや私は、桔梗学園の広報活動や珊瑚や東城寺の仕事の補佐をする傍ら、日曜日は自分の妹を含め、子供達の世話を1日行っています子。他にも今回のようにドローンの操縦もします。高校生や中学生の授業をすることもあります」
美子は柊が「野生動物の駆除」を意図的に仕事から外したと思った。
舞子は、折角柊に興味を持った恋子様にもっと情報を差し上げようと、柊の情報を提供始めた。
「恋子様、狼谷さんは、数学やプログラミングを教えるのが上手いんですよ、英語もイタリア語も台湾語も話せるし、プレゼンの資料をまとめて素敵な映像にもするし、俳優業・・・」
「舞子!」
柊は低い声で舞子を制した。
「あー。私も見ました。『防災の日スペシャル もしも電気が使えなくなったら』。NHKの塩澤アナウンサーと夫婦役をなさったのですよね」
(くー。黒歴史。だからNHKの番組なんかに出るのは嫌だったんだ)
加須総理代行は、柊の苦虫をかみつぶしたような顔を見て、助けに入った。
「恋子様、狼谷は私が無理にお願いして、あの番組に出てくれたのです。本当に日がなくて、急遽お願いしたので、ぶっつけ本番だったのです」
(そんなに下手だったのかーーー)
柊はますます落ち込んだ。
「いいえ、本当の俳優さんだと思っていたんです。上品で落ち着いていて、素敵でした」
(上品?)
皇后がそっと恋子様の膝に手をやった。恋子様ははっと気がついた。
「失礼いたしました。大事なお話中に・・・」
天皇が話を元のレールに戻した。
「加須総理代行、先ほどの話に戻しますが、大きな災害は今後も続き、復興は一時中断すべきなのでしょうか」
「いいえ、四国の瓦礫はもうすべて撤去が終わっているので、現在国際空港の建設を行っています。本州とつなぐ橋が現在すべて使えないので、四国と本州をつなぐ方法はドローンのみにしています」
「関西の復興はどうなっていますか?」
「津波の被害がなかった場所には人が住み、埋め立て地には、野球場や水族館、e-スポーツゲーム場など、娯楽施設を造ろうと思っています」
皇后が質問をぶつける。
「水害のあった地域に娯楽施設を造るのは何故ですか」
「『晴れと褻』の住み分けをしたいのです。娯楽施設は『晴れ』です。人は楽しみがないと生きていけませんから、それに大型娯楽施設ならば、防水、耐震機能をつけて、遊びに来ていた人々を一時退避させることが出来ます。そして100年、200年に一度の災害でもし壊れても、新しい技術で建て直せば良いと考えています。
『褻』は住居や企業や、田畑や農場など1次産業を指します。勿論、学校などもここに含まれます。
ここが破壊されれば人的被害が出ますので、安全対策は十分に練ります。ただ、『褻』のゾーンの敷地面積が広いと、インフラを造るのも大変ですので、人口減も考慮に入れて、コンパクトシティを分散して造ったほうがいいと考えています」
「そこは災害で壊れないようにするのですね」
「はい。九十九カンパニーのバリア技術を使って、地震にも噴火にもミサイル攻撃にも耐えられるようにします」
ここで美子が口を挟んだ。
「ただし、カジノが含まれた時点で、九十九カンパニーはバリア技術、ドローン他一切の技術提供はしないことになっています」
天皇はゆったりとした笑顔を美子に向けた。
「どうしてですか?」
「九十九カンパニーは、母体が教育、保育産業から始まりましたので、子供や母体に悪影響を与える事業には協力できません」
我慢できずに、恋子様が声を上げた。
「だから、上野動物園の動物の避難にも助力なさったのですね」
柊は眉をひそめた。
(ああ、たった一つの例外が、色々なところに被害を及ぼす)
美子は涼しい顔で、やんわりと否定した。
「いいえ、あれは我が社の大型ドローンの試運転に、上野動物園の大型動物を使っただけで、上野動物園さんも、『万が一、試運転が失敗して動物に被害が出てもいいから移送して欲しい』とおっしゃるもので、急遽決まったことです。ですから、夜間、山間部の上空を選んで飛行しました。後から、誤解なさった他の動物園さんから、『うちも動物を移送して欲しかった』と苦情をいただき困りました。また、ドローンに異常はありませんでしたが、何頭かの動物はストレスで死んだそうです」
皇后はぽつりと言った。
「動物でなくても、文化財の移送でも良かったのに」
美子はそれを聞き逃さなかった。
「そうですね。その後、桔梗村に移転した大学さんの大型機械などを移送しました。しかし、我が社は運送業者ではありませんので、文化財のようにデリケートなものを運搬するのは専門業者にお願いします」
加須総理代行が少し意地悪な表情をした。
「珊瑚さん、バリアはどの部門が作成しているのですか?」
「『KKG』という桔梗研究学園が作成しています。KKGは、桔梗学園卒業生が所属する理系大学院のようなところで、好きな物を好きな人が造るという場所です」
「バリアもそこで開発されているのですね」
「最初は桔梗学園の生徒が、防犯対策に造ったのですが、そのうちに、野生動物の侵入を防ぐ機能や夏の高温対策機能などが、次々に付与されたのですね。今バリアはその生徒の手を離れ、KKG内のチームで開発しているようです」
天皇はすっと右手を挙げて、2人の話を制止した。そして美子に話しかけた。
「今は地震、噴火そしてミサイル攻撃にも対応できるバリア機能があるということですね」
加須総理代行は美子と目配せをした。美子が代わりに答えた。
「9月15日のミサイル攻撃には機能しました」
恋子様は口を押さえた。
「あの時は、東日本の電力すべてを使って、バリアを強化したのですか」
柊は、天皇がどこまで知っているのか不安になった。皇后は下を向いているので、表情が分からない。恋子様は何も知らなそうだが、何故この席にいて最高機密に触れているのだろう?柊は恋子の存在にも、言い知れない不安を感じた。
美子は天皇の質問にあっさり答えた。
「次回は、狼谷がTVに出なくても大丈夫です」
「東日本全体の電力に相当する電力が確保できたと言うことですか?」
「企業秘密です」
天皇は深いため息をついて、両手で顔を覆った。
「牛島防衛大臣は知っているのですか?」
そこは加須総理代行が答えた。
「勿論、その日は、敦賀でK国の上陸部隊確保に多忙でしたが・・・」
「その数日前に、宗谷岬に潜水艦が現れた事件も、K国の侵略と関係するのですか?」
「わかりません。代行なのでそこまでの情報は入ってこないところが、残念です」
加須総理代行はスパッと言い放った。
(怖いな。政治家は顔色一つ変えずに言い放つ)
「関東も『褻』の場所にするのですか」
「首都直下地震はまだ終わっていないと考えているので、そこでの破壊状況によって、計画は変ります。何にするにしても、まずは雨で固まった火山灰と瓦礫を撤去し、道路と鉄道を再建しないとなりません」
柊は町を造るゲームを思い出した。
(確か、道路を敷設して、広場を造り、電気を通すのだったな)
「そして、ライフライン。電線は火山灰の影響が出ないように、地下に埋める計画です。それから、発電所不足のために、東京湾埋めたて地に小型原子力発電所を造る計画です」
「そんな誰も東京に住めないじゃないですか」
皇后が厳しい言葉を珍しく発した。加須総理代行は涼しい顔をして答えた。
「皇后は雪国出身でいらっしゃいます。冬季に原発の事故で避難するなんて不可能だと分かりますよね。
そんな柏崎の原子力発電所を稼働しようとしているんです。都内の電気のために。
また、山手線の電気は、新潟県の小千谷水力発電所から送っています。そんな遠いところから取らないで、エネルギーも地産地消すれば良いのです。
現在、日本の原子力発電所はすべて九十九カンパニーのバリアに守られています。地震や水害に襲われたら、バリア内にすべて放射能を閉じ込めることも出来ます。発電所は、ロボット乃至外部からの遠隔操作で動かせば良いと考えています」
「原子力で動く無人未来都市」
柊がぼそっと言った。
「狼谷さん、無人じゃないわ。安全な原子力発電なんでしょ?皆さん積極的に住みたい町になるはずよ」
美子さんはニコニコ顔だ。
「東京の地下には、巨大な地下鉄網が走っているでしょ?そこにも新たな、都市を造る計画もあるの」
「そこにはどんな都市を造るのですか?」
「インバウンドを迎える観光都市もいいですね。大学も都内に戻るでしょうから、その子達が飲食したり買い物したりする都市でもいいでしょ?『都市地下』よ。『デパ地下』みたいに華やかな場所になりそう」
「私は、T大を退学して留学しますから、そこで飲食する機会はないでしょうがね・・・」
「狼谷さんは、留学なさるのですか?」
天皇からのお声がけに、柊はビビった。
「えー、はい。外務省が普通に機能して、母がまた妹を引き取ってくれればですが、あー、すいません。個人的な話をしてしまいました」
皇后からも声が掛かった。
「狼谷さんのお母様は、外務省にお勤めと言うことは、海外に出かけることも多くなるのではないですか?」
「九十九カンパニーから、ナニーを派遣して貰えれば、海外でも普通に働けますから大丈夫です」
「海外に着いてくるナニーなのですか」
「はい。九十九カンパニーは、子守だけでなく、家事もスケジュール管理も出来る優秀なナニーを育成しています」
「逆に、狼谷さんが、ナニーを派遣して貰って、大学生活を送ることも出来るのでは?」
「ナニーの支払いは、学生に払える金額ではありません。10日で30万円は払わないとなりませんから」
「奥様を貰ったらいいではありませんか」
恋子の言葉に、そこにいる全員が凍り付いた。柊の膝を押さえて、舞子が代わりに答えた。
「奥様なら、ただ働きだからですか?」
皇后が助け船を出した。
「申し訳ありません。世間知らずで、私の教育が悪いせいで、失礼なことを申し上げました」
舞子は止まらなかった。
「娘の教育が悪いと、母親が叱られるのですか?失礼ですが、成人を過ぎたお子様の行動に、親が謝るのはおかしくありませんか?」
加須総理代行が、天皇に水を向けた。
「話を折ってすいませんが、予定の時間が過ぎたと思います。天皇からのご質問はもうないのでしょうか」
「そうですね。お時間ですので、あと2つご意見を伺いたい。
オーストラリアにいる皇嗣の帰国はいつが良いとお考えですか?
2つ目の質問は、我々が、皇居に戻るのはいつが良いとお考えですか」
加須総理代行は美子に掌を向け、話のバトンを渡した。
「それは石頭総理と宮内庁で、『新年を迎えてから』相談なさったらいかがですか?」
天皇はゆっくりとこわばった顔を笑顔に戻した。
「今日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
一行は天皇とそれぞれ握手を交わし、皇后と恋子様とは軽い会釈を交わした。
柊が最後に皇后と会釈を交わそうとすると、突然皇后は一歩前に進み、柊に手を広げた。海外流の挨拶、ハグをしようというのだ。柊も突然の行動に咄嗟にハグに答えてしまった。
皇后は、柊の耳元に口を寄せ、イタリア語で「お母様のことを悪く思わないで、外務省の仕事は大変多忙なの」と囁いた。柊もイタリア語で「分かっています。でも私にも学ぶ権利はあります」と答えた。
皇后の寂しげな顔を見て、柊は反対の耳元に「でも、僕は母を愛していますよ」とイタリア語で付け加えた。
柊は、恋子が握手したそうに手を差し出したのを、見えなかった振りをしてスルーした。
帰りのドローンは舞子が操縦した。
柊はドローンに乗るや否や、ネクタイを緩めて、上着を脱いだ
「柊君、なんかその仕草が鞠斗に似てきたね。格好いい」
「やめてくださいよ。何ですか今日の会合、後半お見合いみたいになっていたじゃないですか」
「それに気づいていて、最後の握手を避けるなんざ、プレイボーイだね」
舞子は興味津々だった。
「何ですかその話、柊は内親王のお婿さん候補なんですか?」
「今回、皇嗣一家がオーストラリアに避難したのに、内親王は国内に残ったじゃない?そこで、『国民を見捨てなかった恋子様こそ次の天皇に』って言う女性天皇論が盛り上がってきたんだ。ただ、それにはしっかりしたお婿さんが必要じゃないか」
「あー、それで桔梗学園の後援も欲しいので、柊に白羽の矢が・・・。なるほど」
「なるほどじゃないよ。身分違いも甚だしい」
「柊君、君のお父さんの家系について知っている?」
「えー?島津家の流れを組む公家・・・?」
柊は剛太ですら知っていた情報をすっかり失念していた。
「年齢差があり過ぎます」
「マクロン元大統領は奥さんといくつ年が離れていた?」
「確か25歳ほど・・・」
「まあ、内親王のお婿さん候補に入っているってことよ。
一度、候補に入ると国家権力に取り込まれるからね。逃げたい場合は、誰かと結婚するか、早めに国外逃亡しないと危ないな。ははははは・・・」
柊は、何人かの女性の顔を想像したが、今すぐどうにかなりそうな女性は、どこにもいなかった。