柊の生い立ち
先日テレビを見ていたら、国土地理院のHPに「自然災害伝承碑」を地図で見ることが出来ると知りました。ただ、古いものは表面が削れて見えないものもあります。その中で、「大地震両川口津浪記」という大阪の安政南海地震後の津波の被害を記した碑は、毎年、その文字に墨入れをする旨書いてあるそうです。薄れていく記憶を、後世に伝える努力も必要なのだと思いました。
結局、万里と明日華は森川洋子の部屋に、悠太郎は森川弘晃の部屋に泊まることになり、それぞれ連れ立って、食堂に夕飯を食べに行った。
柊は、富山分校の「春暁庵」で剛太の母、那由の作った料理をご馳走になって、そこに泊まることになった。
本校の「薫風庵」に当たる「春暁庵」は、竹林ではなく果樹園に囲まれていた。バリアのお陰で、烏や動物が入ることのない果樹園は、母子の憩いの場所で、梨や林檎など、もいでお八つに食べても良いことになっている。ただし、柿だけは渋柿なので、干すか「さわす」かしなければ食べられない。春暁庵には季節になると那由が干した柿の暖簾が下がるようになる。
「那由さん、突然押しかけてすいません。夕飯までご馳走になって、申し訳ありません。なんか、母親の作るご飯って、俺ほとんど食べたことがないんで、美味しかったです」
柊は、那由の作った夕飯を、剛太とオユンと一緒に満喫していた。
「椿ちゃんて、料理そんなに下手じゃなかったと思うんだけれど」
「お義母さんは、柊のお母さんを知っているんですカ?」
「柊君のお母さん星椿ちゃんは、桔梗学園の1回生だもん。柊君だってファーストチルドレンだわ」
「そうなんですカ?知りませんデシタ」
「そうね。椿ちゃんは、出産後は桔梗学園を出て、狼谷の家で子育てしながら、大学に通ったから」
柊が、煮付けの魚を綺麗に食べて、手を合せた。
「この魚はなんですか?」
「幻魚。もっと前に言ってくれれば、牡蠣や鰤なんかを用意できたんだけれど」
「いいえ。干した幻魚を炙ったものしか食べたことがないので、煮付けにするとこんなに美味しいんですね」
剛太が、湯飲みに入ったお茶を柊に勧めた。
「炙った幻魚なんて、飲み屋で食べたのか?」
「いや、お手伝いさんが、帰省した時土産に持ってきてくれたのを食べたのかな?よく覚えていないけれど・・・」
「おい、『お手伝いさん』がいたのかよ。金持ちだよな。やっぱりお祖父ちゃんが島津の流れを組むお公家さんの家だよな」
「勘弁してくれよ。だから、家の母さんは産んだ子供の子育てできなかったんじゃないか。祖母ちゃん、公家のお嬢様だから、子育ては妻の仕事ではありませんって・・・」
「お義母さん、子育てしないなら『妻』は何をするんですカ?」
那由は言葉を選びながら、モンゴルから来た嫁に答えた。
「日本で血筋を大切にする人達は、『妻』は跡取りの男の子を産んで、『家』を取り仕切ることが仕事だと考えていたのよ。だから、産んだ子供を育てるのは、それを専門に仕事をする人がいたの『乳母』とか、・・・」
「『乳母』って、何ですカ?」
「おっぱいをあげて育てる人のこと」
「おっぱいは妊娠しないと出ませんよネ」
「そう、だから自分の子と一緒に主人の子を育てるの」
柊は早くその話を切り上げたかった。
「だから、家の母親は、妊娠中は桔梗学園で勉強をして、大学に入っている間4年間は、我慢して狼谷の家に俺を預けたけれど、外務省に入った後は、俺を連れて、海外勤務したんだ」
剛太はふと違和感を持った。
「あれ?お前の2歳下に弟いなかったっけ?」
「あれは腹違い」
「お父さん、お母さんが海外勤務中に浮気したのか?」
「祖母ちゃん公認で、お手伝いさんとの間に子供を作ったらしい。『もしかあんにゃ』さ」
「剛太さん、『もしかあんにゃ』って、どういう意味ですカ」
「えー。多分、もしかして、長男がいなくなったら、代わりになるとか、いう意味か?」
「そう、スペアということだ。昔は新潟では次男を『もしかあんにゃ』って言ったらしい」
「柊君、浮気を知った椿はどうしたの?」
「さあ、母は10年も海外勤務していましたからね。義祖父母の葬式の時に、一時帰国したんですが、帰った時にはもう、そのお手伝いさんもいなかったし、父親が8歳の弟を一人で世話していたらしいですよ」
「柊君達はその後どうしたの?」
「母さんの実家、星の家が桔梗村にあったんで、俺と弟が預けられたんですよ。
父と母は狼谷の屋敷を処分して、都内にマンションを買って、そこから勤務に出かけていました」
「星の家には、お祖父さんとお祖母さんがご健在だったの?」
「いいえ、寝たきりの祖父の世話を祖母がしていたので、結局は俺が家事と弟の世話をしていたって感じかな?祖父と祖母は俺が高校に上がる時には亡くなって、その後父親が、出向で新潟市に来たので、桔梗学園に来る前は、父親と弟と俺で桔梗村に住んでいました」
剛太とオユンは、高校生の柊が、家事一切と家族の世話に明け暮れる姿を想像した。
「椿は、その上3人目の子供を作って、柊君に預けたの?」
「まあ、そうなりますね。ただ、その前に母は、桔梗学園に俺が入学できるように手回しはしていましたが・・・」
「で、今みんなはどこに住んでいるの?」
「父親と弟は、震災後の造幣局移転に伴って秋田に行ったな。母親は今、海外勤務中。
都内のマンションも売ったし、桔梗村の星の実家も津波で流されたよ」
「妹の梢ちゃんは、ずっと柊が育てるのか?」
剛太は柊の境遇を考えると、聞かずにいられなかった。
「首都直下地震前は、都内のマンションで、母親と梢と俺の3人で住んでいたんだ。
その時は、大学生活を謳歌できていたんだよね。だから、僕はT大学を辞めて海外の大学に行くのもありかなと思っている。その時は梢は母親のところに戻すかな?」
剛太が小さな声で言った。
「梢ちゃんは、なんか盥回しだな」
「なあ、剛太は梢を見て何か感じないか?」
「え?何を?」
「あいつの目って、少し色が薄いよな。髪も薄茶色だし・・」
「それって」
「母親に聞いたわけじゃないんだけれど、梢には外国人の血が入っているんじゃないかと思っている」
「母親が浮気した?ってこと」
「さあ、結局母親は、自分の親の葬式ぐらいしか、桔梗村に帰ってこなかったんだよ。都内のマンションに住んでいた時も、俺と母親の都合がつかない時に、誰かが梢の面倒を見ていた」
「え?ナニーが派遣されていたんじゃないの?」
「俺はそう思っていたけれど、よく考えてみると、海外出張している母親の写真に、母親の服じゃない物が写っていることもあるし・・・」
「梢ちゃんは、その人との子供?」
「さあ、ただ、もう僕は一生分の子守と介護をしたので、そろそろ解放されたいと思っている」
剛太はしみじみと、柊を見つめた。
「なんか、お前ってそんな不幸を感じさせないよな」
「俺は自分を『不幸』だとは思っていない。
ただ、弟は俺のような境遇だったら、耐えられなかっただろうな。
あいつはいつも『兄貴みたいに何でも出来るようなやつに、俺の気持ちは分からない』と、家事も子守も一切しなかった」
こんないい男を放っておくなんて、世間の女性は目がない。