八木山動物公園
今日2本目の話です。八木山動物公園の一般入園料はR5,3,6現在一般480円です。因みに上野動物園は一般600円。小学生と都内在住の中学生は無料です。採算が取れるのか、いつも心配になってしまいます。
「いやぁ、桔梗学園の皆様、よくおいで下さいました」
ゾウ駐車場に着陸した2機のドローンを迎えてくれたのは、八木山動物公園の門倉園長だった。雨も幸い止んで、蒸し暑い薄曇りの天気になった。
門倉園長は、いかにも公務員という感じの真面目な感じの男性だった。たった17人の修学旅行に園長の出迎えと思ったが、園長としては招待しても来て欲しかった一行なのだ。
一行の先頭に立って、門倉園長と握手をした珊瑚美子は笑顔だった。
「ご挨拶に来るのが遅くなってすいません。ここには本当に無理を言って、動物を受け入れて貰いました。移送した動物たちは新しい環境に慣れましたか?」
「一ヶ月も経っていませんから、すべてが順調とは言えませんが、桔梗学園さんには、敷地の購入費用、新しい動物舎の提供、上野動物園からの飼育員達の宿舎まで提供していただき、御礼の言葉も申し上げられません。
旭川動物園さんには申し訳ないのですが、特にパンダが来てくれたお陰で、来園者数も多くなり、昭和の動物園のような賑わいです。
でも、皆さんには、希望の動物は見られるように、特別パスを用意させていただきましたので、並ぶことなくご自由に見学できるよう配慮がなされています」
賀来人は美子を見て、無料で入園できることを理解した。
西門から無料で入園した高校生達は、ビジターセンターで賀来人から説明を受けた。
「これから、特別パスを渡すが、使い方には配慮をするように。
それと園内の地図と電子マネーが入ったスマホを渡す。これは各人の連絡にも使える。
昼食は各自で食べること。1時にドローンは出発する」
賀来人は篤に耳打ちした。
「藍深がスケッチで時間を忘れないように、一緒に行動してくれないか?」
篤は賀来人にOKマークを出して、藍深に近づいていった。
「藍深、どこに行きたい?」
「え?多分、ずっとアフリカ象を描いているよ」
「象が好きなんだ?」
「上野動物園から移された象もいるし、あの皮膚の質感がいいんだ。
それに、美規さんにお土産の絵を描いてあげてって、柊さんに頼まれたんだ」
「そっか・・・」
それでも篤は、半日日傘を差し掛けたり、食事を運んだり、かいがいしく藍深の世話を焼いた。
また、短いスカートの下に見える長くてほっそりした脚は、人目を引くようで、何人かの遠足の高校生が近寄ってきたが、篤が「彼氏」の振りをして凌いだ。
勿論、自分がスケッチしている間、篤がどんな演技をしているかは、藍深の目には入らなかったようだが。
藍深の世話を篤に頼んだ賀来人は、美子と一緒に、園長から上野動物園から運ばれた動物や新しい動物舎の説明を受けていた。
象舎では、飼育員が駆け寄ってきた。胸に上野動物園のマークがついたつなぎを着ている。
「初めまして、上野動物園の宗像です。桔梗学園の人ですよね。あの時は本当にありがとうございました」
飼育員に手をしっかり握って、半分涙目で話しかけられると、美子はあの時の選択は間違っていなかったと思えた。
「いえ、すべての動物を運べなくて、申し訳ないと思っているんですよ。うちの娘、もう30過ぎなんですが、『かわいそうな象』の絵本が好きで・・・」
「他の動物園さんには申し訳なかったですが、みんなで一生懸命手紙を書いたんです。読んで下さってありがたいと思っています。まだ、こっちの象さんとは一緒にはさせられなくて。でも、仙台市の人口が増えたので、リピーターのお客さんも増えて、本当に良かったです」
美子達が園長から説明を延々と受けている一方、獣医の飯酒盃医師は玲を連れて、「獣医師実習」という意外なコースに潜り込んでいた。対象は獣医師専攻の4年生以上の大学生だが、熊や狸、猪に猿という動物たちの生態をもう少し学びたいと思って、依頼を出していたのだ。
震災後、多くの野生動物が今までと違う行動を取っているので、1から学び直したいと考えていたのだ。玲も最近、罠猟には出動しているので、飯酒盃医師について行くことにしたのだ。
そして、動物園に来る前にノープランだったメンバーは、当然パンダ舎に向かって行った。
最初は『大型動物の避難だけ』と考えていたのだが、後から加須総理代行から「国際問題になるから」と言って、パンダの移送を追加で請け負っていたのだ。
動物園の係員に特別パスを見せると、連絡が来ていたようで、長い行列とは全く別の場所に連れて行かれた。
「すいません。これからご覧に入れるのは、まだ公開できないパンダ舎なんです」
「どうして公開できないんですか?」
万里が聞いた。
「実は妊娠の可能性があって、移送してから、日も少ないので安静にするために、公開してないんです」
妊娠しているパンダは、2年前に中国からやってきた雌のパンダで、中国との関係が良好になりつつある証拠だった。加須総理代行が必死に移送を頼んだのも分かる。
まだ若いパンダは、静かにのんびり竹を食べていた。
笑万が小さく鼻をすすったので、万里が小声で尋ねた。
「笑万、どうしたの?」
「うん。みんな必死で小さい命を守っているんだね」
「最近、学園に妊婦さんがいないじゃない?でも、災害があっても、こうやって次の命を産み育てるんだって思って」
動きのないパンダに退屈して、次に行こうとしていた男子学生は万里の姿を見て、言い出せなくなってしまった。
パンダは国際問題など関係ないように、コロンと座ったまま、竹を無心に食べていた。子供のパンダのように、動き回ることもないが、万里や笑万からすれば、先輩達が深夜、必死に動物を移送していたことを知っているので、感慨深かった。
飼育員は、もぞもぞしている男子に気がついて、気を利かせてくれた。
「ありがとうございます。私達も必死にパンダを育てています。赤ちゃんが生まれたら、また見に来て下さいね。他の動物も是非見に行って下さい」
パンダ舎を出た一行は、次の行き先で2班に分かれた。万里と笑万が雄太と颯太を引きずって猛獣舎に行き、残った女子と猪熊と大町がアフリカ園の売店に向かった。
「俺たちも腹減ったんだけれど」
颯太が恨めしそうに言うと、万里が肩をすくめた。
「私達は柊さんに頼まれたミッションがあるの。付き合ってくれない?」
何の目的もなくぐずぐずするのが嫌いな2人は、ミッションと言われると、なんか興奮してついて行くことにした。
猛獣舎についた万里と笑万は、黙って特別パスを、ライオンの飼育員に見せた。
間もなく、2人の若い男女の飼育員が出てきた。
「こんにちは。よくおいで下さいました。あのたてがみが立派なのが上野から来た子です」
颯太が小さい声で「禿げてる」とつぶやいた。
飼育員はそれを聞きつけて答えた。
「そうなんですよ。急な移送でストレスが掛かったんですよね。特に雄が弱かったです」
笑万が上野動物園のつなぎを着ている女性飼育員に聞いた。
「確か、子供のライオンもいたって聞いているんですが・・・」
「残念ながら、檻が分けられなくて、興奮した雄ライオンに踏み潰されちゃって」
「すいません。移送が上手くいかなくて・・・」
「いいえ、お願いしたのはうちなんで、準備が出来なかった責任はうちにあります」
笑万の背を、万里が優しく叩いた。
「すべて上手くはいかないよ。出来ることをするだけ」
八木山動物公園の男性飼育員が、4人に尋ねた。
「皆さんは、動物園の4つの役割って知っていますか?」
颯太が最初に「子供に動物の生態を知ってもらうこと」と返事した。
「そうですね。それは『教育・環境教育』と『レクリエーション』の2つの役割を示していますね」
雄太が「種の保存」と答える。
「それもあります。特に絶滅危惧種の繁殖には力を入れています」
「最後は『調査・研究』ですか?でも、最近はワシントン条約などの関係で、日本に外来種の輸入がなかなかできませんよね」
万里の答えに雄太は、(こいつらも桔梗学園で教育を受けたんだっけ)と思った。
笑万もそれに付け加えた。
「動物園の方には失礼かも知れませんが、最近は日本の里山にいる動物に目を向けるべきかという意見もありますよね」
若い男性飼育員は意外な質問に、返事が出来なかった。
すると、餌やりを終えた中年の飼育員がやってきて、それに答えた。
「確かに、昔、象などは権力者が自分の権威を誇示しようとして輸入していたね」
雄太は必死に話に食らいつこうとした。
「でも、僕は世界の動物が生で見られることにも価値があると思います」
「ありがとう。そう言ってくれると苦労して動物を飼って、生態を見て貰っている自分たちとしても嬉しい」
若い飼育員も嬉しそうだった。
「そうですね。こちらは教育のプログラムも充実していますものね。うちの獣医も今、勉強させて貰っています」
「獣医さんも連れてきたんですね」
女性飼育員が尋ねた。
「はい。震災の影響で、本校の周辺でも野生動物の被害が増えています。私達も、駆除に駆り出されるのですが、うちの獣医はもう少し生態について学んで、共存できないか模索しているようです」
若い男性飼育員は、不思議そうに聞いた。
「君たち高校生だよね。野生動物の駆除もするの?」
「はい、鹿や猪が主ですが、たまに熊も出ます。18歳になって猟銃免許が持てると、希望者は駆除のスタッフになります。17歳までは檻の罠や、駆除した動物解体をして、準備学習をします」
颯太がびっくりした。
「笑万ちゃん達、熊も撃てるの?」
「いやぁ、熊はまだだね。なるべく出会いたくないからね。でも、今桔梗村には猟友会がないでしょ?
昔は美子村長自ら、猟銃もって山に入っていたんだよ」
ワイルドな高校生を前に、若い飼育員は黙ってしまった。
「ありがとうございました。勉強になりました」
万里と笑万は笑顔で挨拶をして、猛獣舎を後にした。
「ありがとう。ミッションが終わったから、なんか食べに行こう」
高校生が帰った後、若い飼育員は不満そうに言った。
「なんか、すごい女の子達でしたね。でも、動物園で『駆除』とか言われると・・・」
先輩飼育員は、若手に向かって言った。
「いや、地に足がついた考えを持っているんだよ。熊を駆除してSNSで非難されたり、撃つ方向が悪くて猟銃免許が取り上げられたりする事件があるけれど、実際、自分が熊に襲われたら、誰かに助けて貰わなければならないだろう?
災害が続けば、野生生物と人間のなわばりが重なる。そういう時、身近な野生生物について知るべきだって、問題を提起していったんじゃないかな?」
女子飼育員も頷いた。
「そうですね。我々も専門以外の動物についても知らないと行けませんね」
「なあ、ミッションとは何だったの?」
颯太の質問に万里がヘラヘラ答えた。
「ライオンちゃんが元気か見て来ること」
笑万もニコニコしながら、賛同した。
「そんなことより、がっつり食べたいよ。グーグーテラスに行こう?」
笑万が颯太の背中を押した。食べ物の話で誤魔化された颯太を見て、雄太はミッションについてしばらく考えた。しかし、ハンバーグプレートを食べているうちに、自分の疑問を忘れてしまった。八木山動物公園は子供向けのメニューが多く、2人前食べてやっと腹の虫がおさまった。
「やだ。小遣い全部食べちゃって、お土産とか買わないの?」
「買って帰る人間がいないからな」
「思い出には買わないの?」
「それは野球場で買う!!」
万里と笑万は肩をすくめ、可愛いぬいぐるみを物色していた。
1時にドローンが出発した時は、園長や飼育員総出で見送りを受けた。
賀来人が、玲のまとめたノートを見ながら、玲に質問した。
「獣医の話って面白かった?」
「すごく。熊や猪の習性なんかすごくためになった」
飯酒盃医師も、今日の玲の態度に太鼓判を押した。
「玲は、獣医にバンバン質問していて、そこらの大学院生よりすごかったよ」
「だって、人里に降りてきた野生生物って、動物園で飼われている動物と共通するところがあるじゃないですか。万が一、バリアがなくなったら、僕たちは野生生物と共存しないといけないと思うんです」
「玲は北海道に行って、アイヌの研究をした方が良かったんじゃないか?」
「いや、僕は農業が専門なんで」
美子が口を出してきた。
「玲君は、大学で勉強したいと思う?」
「いいえ?大学はどうしても狭い範囲の勉強になりがちなので、今のように実際に作物を作りながら試行錯誤したいと思います」
「そうか、うちの図書館にも農業関係の専門書があるから、見に来てね」
「はい」
猪熊が素直な気持ちをこぼした。
「玲はもう自分の将来について深く考えているんだね。俺は何にも決まっていないのに」
篤は曇りだったのに、かなり日焼けした顔で戻ってきていた。
「猪熊は、道路の瓦礫撤去の時、活躍していたじゃないか。カーペンターズのお姉さん達が、『あの子いいね』って目をつけていたよ」
「力はあるけど、ああいう仕事が好きなわけじゃないよ。あれ?篤はいつの間に土方焼けしたの?」
賀来人がそれを見て、冷蔵庫から冷たいおしぼりを出してきた。
「篤、藍深ちゃんにずっと日が差さしていたろう?曇りでも焼けるんだよ」
雄太が篤の顔を覗き込んで言った。
「あー、悪いな。あいつは本当に夢中になると倒れるまで絵を描いているから。集合時間も忘れていたろ?」
「そうですね。雄太さんは、藍深さんのことを良く知っているんですか?」
「まあ、幼なじみって言えばそうだけれど。兄貴同士が仲良しだったから」
颯太が口を挟んだ。
「篤君、気をつけなよ。藍深ちゃんって魔性の女らしいから」
「颯太、適当なこと言うなよ。『何でも出来るから、一緒にいる男の自信を奪ってしまう』って意味だよ」
「へー。確かに、運動も得意ですし、頭もいいみたいですね。じゃあ、僕にも勝ち目があるってことですね」
その言葉に全員が食い付いた。
「誰に勝つんだよ」
「さあ?」
篤は、鞠斗や柊の欠点を正確に把握していて、藍深争奪戦に勝ち目を見いだしたようだ。
修学旅行の午後の話を明日はアップします。