船出
船出するのは、鞠斗と鮎里。
祭りが終わった翌日の夕方、鞠斗と鮎里は薫風庵に呼び出された。
「船のチケットが取れたので、スウェーデン分校に向かってくれない?」
鞠斗と鮎里は顔を見合わせた。確かに、鞠斗にはスウェーデン分校に行く話があったし、パートナーができた今、当然の任務だった。それに花火に合わせて帰ってきた舞子と涼が、そのまま桔梗学園にいるならば、人手は十分足りている。
テーブルの上には、今年初のシャインマスカットが置いてあった。美規はそれを一粒ずつ食べながら、話を続けた。
「富士山の噴火が近づいて、国外に出たい人が多くて、今までチケットが取れなかったんだけれど、明後日の福岡―釜山便に2名キャンセルが入ったの。釜山からヘルシンキまでのチケットも取れたので、急で悪いけれど、明日ドローンを出すから、福岡に飛んで貰うね」
「はい」
鞠斗は、鮎里と一緒なら嬉しいと思う半面、急に旅立つことに不安も覚えた。
「向こうでは、あなたのお母さん達が、すべて準備をしてくれているから大丈夫。
鮎里もまだ妊娠していないようなので、行けるでしょ?」
鞠斗は鮎里を見ると、鮎里が口の形で答えた。
(昨日、診て貰った)
鞠斗は、鮎里が足の豆が潰れて、保健室に行っていたと思っていたが、それだけではなかったようだ。
「今晩は、晴崇達がお別れパーティーをしてくれるらしいよ」
「晴崇はもう知っているんですか?」
「チケット取ってくれたのは晴崇だからね」
鞠斗は鮎里の手を取って、夕陽の照らす薫風庵の坂道を降りていった。
「珍しいね。鞠斗から手をつなぐなんて」
「あと2日しかここにいないからね」
鞠斗はこの坂道で碧羽と別れたことを久し振りに思い出した。
「何を思いだしているの?」
「いや、もうここには帰って来られないのかな?と思って、目に焼き付けていたんだ」
「嘘が下手」
鞠斗が肩をすくめた。
「でも、思い出の場所を散歩するのもいいわ」
「思い出の場所と言えば『沈黙の花園』かな?」
「あー。そこはちょっと都合が・・・」
沈黙の花園に目をやると、バンブーハウスに向かう柊と藍深の後ろ姿が見えた。
「おいおい、柊は高校1年生をあそこに連れ込むのか?」
「いやぁ。私が『火傷の薬を塗ってもらうのは、女性にしなさい』とけしかけ、二人きりになるのにいい場所があると、バンブーハウスの使い方を今朝教えたんだよね」
「藍深ちゃんはまだ、高校1年だよ。薬塗るにしても背中だろう?裸の男と二人って、まずくないか?親から預かっている高木先生に申し訳ないよ。ちょっと止めてくる」
「やだぁ。野暮なこと辞めなさいよ。桔梗学園の女の子達が妊娠したのは、みんな、こういうことがあったからだよね」
二人が押し問答をしているうちに、柊と藍深はバンブーハウスを出てきた。
「え?早くない?」
「本当に薬を塗っただけなんだね」
「ところで、フィンランドに行ったら、藍深ちゃんの絵の面倒を見ることは出来ないよね」
「忘れていた」
鞠斗は、急にフィンランドに行くように言われて、あまりのショックに大切なことを色々失念していたらしい。
「それに関しては、柊に頼もう。それから、やりかけの仕事や引き継ぎがたくさんあるんだ」
「私も、カーペンターズの仕事やウォールクライミングの弟子との別れもあるし・・」
「琳と風太は泣くだろうな」
「あの子達の世話は、卓子に頼もうかな?」
「俺たちの荷造りもしなきゃ。蹴斗達の時は、ドローン世界大会の後行ったから、人手もあったけれど、今回は二人で出かけるから、コンパクトにまとめよう」
「鞠斗は自分の絵はどうするの?」
「デジタルで撮ってクラウドに上げるよ。そして、キャンバスの絵はすべて削るよ」
「最後の1枚くらい取っておいたらいいのに」
「モデルを連れて行くんだ。いつでも描けるさ」
(そう言えば、ヌードモデルの話はあれっきりで、まだ描いて貰っていなかったな)
二人は沈黙の花園を横切って、バンブーハウスの前まで来た。
「スウェーデンに竹はあるのかな?」
「IKEAの製品に竹を使ったものがあるから、あるはずだよ」
鞠斗は鮎里の腰を抱いて、バンブーハウスのドアを開けた。
「では、最後に日本製の竹を堪能しましょう」
晴崇たちが、送別会の会場として選んだのは、浜昼顔地区の建設途中の竹で出来た集合住宅だった。夏なので、3階まで吹き抜けになっている会場には、工事用のライトが煌々と輝き、1階にはこれも竹で出来た長机がいくつか並べてあり、立食パーティーとなっていた。
「またサプライズ結婚式ですか?」
鞠斗が白いスーツに身を包み、鮎里がスリットの深く入ったチャイナドレスで、会場の外に待機した。
「鞠斗は、このドレスを着た鮎里さんが見たくなかったのか?」
「それは・・・見たかった」
チャイナドレスは、あつらえたように鮎里の身体を包み、豊かな胸、締まったウエスト、鍛えられた尻と太腿を際立たせていた。
会場では、母の名波産婦人科医が、「鮎里が何をしでかしても、返品しないでくれ」と手を合せていた。どこまでもおかしな母娘であった。
「親分、女みたいだ」
弟子の琳もかなり失礼な感想を漏らしていた。
「琳、親分ともう会えないんだね」
風太に言われると、琳は涙が止まらなくなって、卓子に慰めて貰っていた。
「今日はインタラクティヴ結婚式じゃないんだね」
「俺はこのままじゃ済まない気がする」
二人は静かにバージンロードを歩くと、正面に顔面がディスプレイのロボット司祭が立っていた。
二人はその前で立ち止まった。
「やっと結婚できるな」
ディスプレイに現れた蹴斗の顔を見て、鞠斗の涙腺が崩壊した。
涙の止まらない花婿に、花嫁はハンカチを差し出した。
少し落ち着いた花婿を前に、蹴斗の顔をした神父が、誓いの言葉を述べ、それに続いて二人が誓いの言葉を述べた。
最後に蹴斗は笑いを堪えた声で言った。
「指輪の交換もないので、誓いのキスをしてください」
鞠斗は蹴斗を横目で見ると、鮎里の腰をグッと抱き寄せて、熱いキスをして見せた。
「親分、顔を噛んじゃ駄目だよ」
風太の間抜けな声が、会場を爆笑の渦に包むまで、キスは続いた。
鮎里は鞠斗の口についた口紅を拭って、笑った。
「あまり強く噛むので血がついちゃったわ」
司会の柊が、式の最後にブーケトスを宣言すると、会場中の女性が、集まってきた。前回ドレスを手に入れたオユンと鮎里は、見事に1年以内に結婚したので、今度こそ自分が花束を貰うと気合いが入った。
「じゃあ、行きまーす」
鮎里はソフトボール投げくらいの勢いで花束を投げた。花束は、前列にひしめいていた女性の集団を越え、その後ろでぼーっとしていた三川杏の手に落下した。
三川杏は、花束を手に暫く考えていた。会場中が静まりかえった。
そして、杏は花束を持って、陸産婦人科医のところまで歩いて行った。
「不束な嫁ですが、洋海さんとの結婚、受けていいですか?」
琉が叫んだ。「あのしょぼい花火で、落ちるんかい」
杏は、藤が浜の花火で、陸洋海からメッセージを貰っていた。風でゆがんだ不格好なハートだったが、こんなに一人の人から大切に思われたことがなかった杏にとっては、涙が出るほど嬉しかった。
陸産婦人科医が、「あんな子でもいいの?」と聞くと、「洋海さんが、いいんです」と杏が答えた。陸医師の側にいた名波産婦人科医が、拍手を始めると、会場中が拍手で包まれた。
生駒篤は「都市伝説でもないんだ」とつぶやいた。
千駿が側で兄を突いた。
「兄ちゃんはいい人いないの?」
「お前達の世話が忙しくて、今年のチャンスを逃したわ」
「そうでした。すいませ~ん」
そう言いながら、千駿は四十物李都の側へ駆けていった。
「そんなに早くから、唾をつけなくてもいいのに」
そういう自分も、会場の隅でスケッチに余念のない五十沢藍深に目をやった。
19時を過ぎると、子供達や研究員は会場を後にした。
残ったのは、晴崇、圭、京、一雄、柊、流、涼、舞子と今日の主役の2人だった。
「スリットが気になるから、着替えて来いよ。フィンランドでも俺の親の前で着るんだろ?」
「はぁい」
鮎里が着替えに出て行くと、同い年の9人が残った。
「急に決まったのにわざわざ式まで計画してくれて、ありがとう」
鞠斗の御礼に対して、晴崇が答えた。
「柊と琉がいれば、何度でも式ができるよ」
「次は俺と一雄かな?」
京の言葉に、琉が突っ込んだ。
「美女と野獣のコンセプトでいいですか?」
晴崇が一雄の肩を叩いた。
「野獣と熊の間違いだろう、『婿にしてやる』なんていうお姫様がどこにいる」
京の正拳突きを、軽く片手で止めた晴崇は、真面目な話に戻った。
「鞠斗の後任は、柊でいいんだろう?」
「俺もそう頼みたい。それから藍深の絵についても柊に頼みたいんだ」
涼が知らない名前が出て、不思議そうな顔をした。
「五十沢健太の妹の藍深って子が今、高1にいるんだ。親は健太のいる福岡に行ってしまったが、一人でこっちに残っている。高木先生が近所の好で、面倒を見ているが、この子の絵が凄いんだ」
そう言って、鞠斗は藍深の描いたスケッチをみんなに見せた。さっき、藍深が「結婚式のお祝いだ」と言って鞠斗に渡してくれたものだ。
舞子と圭がスケッチをのぞき込んで、ため息をついた。
「これを高校1年生が書いたの?」
「もう高校生の描く絵じゃないね」
いつもの猿袴に着替えて戻ってきた鮎里も、なんとも言えない声を出した。
「鉛筆1本でここまで描くの?色が見えるようだね」
「それで、蹴斗にこの子の面倒を頼みたいんだ。桔梗高校から、美術室の絵に関する道具はすべて運び出して、俺の薫風庵の部屋にしまってある。そして、今俺たちがいるこの建物の3階に、絵が描ける広いスペースを作ってあるんだ。この建物が完成したら、彼女のアトリエにして欲しい」
舞子が口を挟んだ。
「一人のためのアトリエなの?」
「違うよ。アトリエと言う言葉に語弊があるなら美術部部室、若しくは美術教室でいい。
彼女が絵を描いていれば、他の子も絵を描きたくなるだろう。桔梗学園の教育に足りないのは、芸術教育なんだ。本当は、美大の誘致をしたかったんだけれど、・・・」
柊が謝った。
「すまん。早いもの順に大学選んでいったら、美大に割くスペースがなくなった」
「いや、しょうがないよ。それに今のスペースじゃ、絵画くらいしかおけないよな」
涼も同意した。
山田一雄が珍しく口を挟んだ。
「藍深は人に教えられるほど、社交的じゃないと思うが」
「そうか、一雄は藍深のことを知っているんだな」
「そんなによくは知らないけれど、俺たちがキャッチボールしている時、塀の上からよく見ていた」
「塀の上?」
「そうそう、あいつは高いところが好きで、屋根の上とか塀の上でよくスケッチしていたな。だから話したことはほとんどないんだ」
柊が一雄に尋ねた。
「誰が、藍深を塀の上に乗せてやったの?」
「自分で登ったり、逆に自分のうちの窓から屋根伝いに塀に降りたり、猿みたいな子だよ」
琉がぽんと手を打った。
「そうだね。うちの妹たちが市町村対抗駅伝大会に出る時、助っ人でよく来ていたな。
兎に角、駆け足は早いよ。浜茶屋から飛び降りるのなんて楽勝な訳だ」
舞子がそれに加えた。
「つまり、できのいい兄やご近所さんに囲まれて、本来の才能を発揮できていなかった可能性があるわけね」
鞠斗が舞子の意見を受けた。
「そう、こっちの絵を見てくれ。金魚台輪の行列なんだけれど、明るいはずの絵が、どこか、百鬼夜行みたいな陰影を帯びているだろう?目が離せないというか。運動能力だけじゃなくて、絵の才能もあるんだ」
晴崇がみんなの話にストップを掛けた。
「それで、鞠斗は彼女をどうしたいわけ?このまま柊に預けたって、何をして欲しいか分からないよ」
「自由に、自由に絵を描き続けさせて欲しい。期日を決めたり、テーマを決めたりせず、好きなものが描ける環境を維持して欲しい」
「『枝を撓めて花を散らす』なってことかな?」
「柊、『花を散らすな』、だよ」
鮎里がにやにやして、言った。
「そうさせたのは、鮎里さんでしょ?」
琉はやっと話の筋が見えてきて叫んだ。
「ちょっと待て、つまり柊も彼女が出来て、その子に手を出したというわけだ。許さん」
「誤解だ、琉、落ち着け。勘弁してくださいよ。鮎里さんが誤解を招く言い方をしたから・・・」
騒ぎが一段落したところで、鞠斗が話を本筋に戻した。
「富士山が噴火した後は、何が起こるんだろう」
晴崇と京が、聞こえないふりをした。
「俺と琉と涼は、真子学園長の娘の志野さんに、『外国が攻めてくる』って聞いたんだけれど」
「そう、それで家族が捕虜として連れて行かれたって」
「それで、四国に対敵国用の自衛隊空港を作るんだろ?」
鞠斗の情報は、それを知らないものに驚きを与えた。鞠斗は話を続けた。
「俺は、外国が上陸する前に、何か日本を壊滅させるような攻撃が来ると思うんだよ。第二次世界大戦のような絨毯爆撃とか・・・」
鞠斗の言葉の後、全員が1つの結論にたどり着いた。
晴崇と京は、目配せをして、口を開いた。
「そこまでたどり着いたら、そこから先を話してもいいかな」
「晴崇は何を知っているんだ」
「その先だよ」
固唾を飲んで、そこにいる者は晴崇の次の言葉を待った。
「9月15日、K国から核弾頭が搭載されたロケットが発射され、それが『誤って』日本に落下する」
柊が立ち上がった。
「誤って落ちるなんてことはないだろう!天災でボロボロの日本に、ロケットを発射して・・・」
京が静かな声で答えた。
「そう、疲弊している日本を侵略するまたとないチャンスだ」
「それで日本はどうするんだ。K国と全面戦争か?」
「いや、北海道の部隊をK国に動かすと、R国が上陸してくる」
涼も、琉も立ち上がった。
「どうするんだ」
鞠斗が静かな声で言った。
「だから、桔梗学園の逃げ場として、海外の拠点なのか」
晴崇と京は顔を見合わせた。
「それはその後。核ミサイルの落下に対して、俺たちがやることは、バリアを広域に展開するだけ。そして不戦の態度を示す」
鞠斗も立ち上がった。
「そんな。自衛隊が黙っていないぞ」
「黙らせるさ」
「どうやって?」
「もし自衛隊がK国に反撃しようとしたら、全国のバリアを切って、桔梗学園は全員、海外に逃亡するって言うんだ」
「それで、牛島防衛大臣達を抱え込んだのか?」
「バリアを広域展開すれば、核搭載のミサイルでも、日本に何の被害もない。中にいる人間は、ミサイルで撃たれたことすら気がつかない」
「いや、アラートが出るだろう」
「アラートは鳴らないようにしてある。9月15日には日本の通信網をいったん遮断する。電気もバリア展開のためにすべて使う」
「ヤシマ作戦か」
「まあ、似たようなもんだ。ただし、他国にはミサイル情報は流れるので、翌日には、K国とU国との戦争が勃発するだろう」
「日本は巻き込まれないのか?」
「さあ、そこから先は、神のみぞ知るところだ。真子学園長は、『天災は自分たちが体験したとおり起こるが、人が起こす選択の結果がどうなるかは分からない』と言っていた」
「じゃあ、マサちゃんは何故、島根分校から帰ってこないんだ」
鞠斗は半分泣きそうな声で吠えた。
「前世ではマーが死んだのは12月24日だったらしい。先日、マーの身体に膵臓ガンが見つかった。余命3ヶ月だという話だ。マーは笑っていたよ。『2回目は布団の上で死ねそうだ』って。本当はこれは言わないつもりだったんだけれど、自分が死ぬことでみんなの判断が狂うのを避けたいから、もう会わないって」
京が静かに言った。
「珊瑚美子さんも、同じ日に死んだらしいけれど、多分マーと同じ日に死ぬからって、島根に行ったよ」
鞠斗が叫んだ。
「じゃあ、せめてフィンランドに連れて行かせてよ」
晴崇が小さな声で言った。
「俺もそうしたかった。でも、打つ手を間違えると世界戦争になるかも知れないのに、俺たちの足手まといになりたくなかったらしい。そうそう、フィンランド政府とオーストラリア政府には、バリアの技術供与と引き換えに、桔梗学園を受け入れて貰ったから、お前達は安心して子育てをしてくれ」
晴崇に飛びかかろうとする鞠斗の前に、圭が飛び出した。
「落ち着きなさい。9月15日までの計画を、真子学園長の考え通り実行したら、後は私達で判断して、行動するのよ。今こんなことで言い争いしてどうするの。
ずっとこの秘密を抱えていた晴崇と圭がどんなに辛かったか分からないの?
真子学園長は自分の子供とも、もう永久の別れをしたの。美子さんも美規さんとお別れしたの。
二人は、最後にファーストチルドレンを信じて、任せてくれたの。それに答えられないの?」
鮎里が鞠斗を抱えて引き戻した。
「ゴメンね。私達はフィンランド分校で、自分たちの仕事を全うする。任せて頂戴。
今日は本当にありがとう。明日、ドローンを操縦してくれるのは誰?」
涼が静かに手を挙げた。
「途中で真子学園長に会っていく?」
鞠斗は首を静かに振った。鮎里が鞠斗を抱きかかえたまま別れを言った。
「涼、ありがとう。晴崇、今日私達、薫風庵の蹴斗の部屋に泊まらせて、明日、美規さんと朝ご飯食べてから、10時に出かけるから。みんなお休み」
一緒に育った晴崇と京と鞠斗は、最後に静かに抱き合った。
次回は鞠斗達を送っていった涼が、事件に巻き込まれます。