女子の「朝飯前」の仕事
朝6時、予報通りの雨だった。梅雨入りには少し早いようだが、それなりの雨が一日降りそうだった。3人は部屋に用意してあった雨具と長靴に着替え、薫風庵の坂下まで小走りで向かった。圭はすべてのピアスを付けるのに手間取って、化粧にまでは手が回らなかった。
待ち合わせの場所には晴崇が雨具のフードを目深に被って、今日もうっすらとひげを生やして立っていた。3人の女生徒にちらっと目を向けると、坂を上らず、校舎と薫風庵のある竹林の間を通って、ゆらりと先に歩いて行く。校地の外れに農園があるのだ。
まず、農園の入り口の作業小屋に入った。中には剪定鋏などの工具が壁一面に掛けてあった。晴崇は、剪定鋏と足下にあった収穫用のボールを渡すと、3人に振り返ってゆったりとした口調で言った。初めて声を聞いたが、外見に似合わず、優しい響きの声だ。
「ここでは、アスパラガスとレタス、空豆を収穫して、帰りにここからジャガイモを持って帰る。一緒に食べる人数は、5人。ついてきて」
最初の畑はアスパラガス。茎が50センチ以上伸びてふわふわ葉が広がっている中を、晴崇はかき分けて、
「20センチから25センチの長さに切って、一人3本くらい」
と説明すると次に歩き出した。
3人は目を見合わせて、紅羽が「わたしここで収穫するから、次のはお願い」と後の2人に晴崇について行くように依頼した。
紅羽は畑の畝に、市販の形のようなアスパラがにょきにょき生えているのを想像していたが、15本のちょうどいい長さのものを探して収穫するのは、意外と時間がかかった。長く伸びた葉をかき分けて、下に潜っているアスパラを探すのにまず手間取る。そして見つけたアスパラの、長さはちょうどいいが、太さについて指示がなかったので、どれを選んでいいか悩んでしまった。
(何の料理をするか教えてくれればいいのに)
不満が胸に渦巻くが、材料を並べてから料理を考えるという発想は、家で家事をしてこなかった紅羽には想像もつかないことだった。
次の畑はレタス。晴崇が圭の収穫用ボールに、切り取ったレタスをぽんと入れて、
「まわりのいらない葉をむしって、作業小屋の脇の穴に、捨ててきて」
圭は言われるままにとぼとぼ作業小屋に戻ったが、どこまで葉を取っていいのか、かなり悩んだ。
最後の畑は空豆。
晴崇は舞子に向かって「鞘に黒い筋がついているのを収穫して」と言いながら、ぽつんと「空豆はどう料理しよう?」とつぶやいた。
舞子は自分に話しかけられたと思って返事をしてしまった。
「家のおじいちゃん、空豆とか枝豆は囲炉裏で焼いていました」
晴崇はそれを聞いて、ぽ~と雨空を見上げて言った。
「あ~。グリルで空豆と筍を一緒に焼くと手間が省けるな」
そういいながら、2人のボールがいっぱいになるまで、舞子と晴崇は空豆を鞘ごと収穫した。
2人が作業小屋に戻って、小屋の中の新ジャガを5個ほどボールに入れると、舞子のお腹がぐーっと鳴った。紅羽が「腹時計が7時をお知らせします」と小さな声で言った。
舞子は空いている手で、紅羽をはたこうとすると、晴崇にジャガイモが入ったボールを渡されて、手が埋まってしまった。
「薫風亭に先に行ってて」
晴崇はそう言うと竹林の中に入ってしまった。
3人の女子が薫風亭の玄関につくと、晴崇が小振りの筍を持って待っていた。晴崇について玄関口に回る。
薫風亭の勝手口には風除室があって、雪が吹き込まないような作りになっていた。その中には、雨具と長靴を掛ける場所と野菜などを置く棚、泥のついた野菜を洗う流しがあった。勝手口の脇には各種農機具を置く作業小屋もあった。
小綺麗になって、玄関に入ると、今日調理する他の材料が調理台に用意してあった。
3人は家庭科の先生の指示を聞く生徒のように、晴崇の前に整列した。
晴崇は口を開くより早く、圭の前に近づいて、圭の顎をつかんで、唇に目を近づけた。
「ピアス開けたのはいつ?」
圭は目をパチパチさせて答えた。
「1ヶ月くらい・・・」
「料理は下処理だけ手伝って」
圭は、唇に開いている穴が、傷が開いている場合と同じように、調理に携われないことに気がついた。
その時、台所の向こうで、椅子に座ってゆっくり何かの資料を読んでいた真子学園長が声を上げた。
「晴崇、あなたもひげを剃って顔を洗ってから調理してください」
「はぁ~い。俺、顔を洗ってくるから、ジャガイモむいていてくれる」
晴崇が奥に消えた後、3人は手分けをして、ジャガイモを洗ってむきだした。
言われたとおり、圭が流しでジャガイモを洗い、中央にある調理台で紅羽と舞いがジャガイモをむいた。
「紅羽、ジャガイモの芽も包丁の下の角を使って、ちゃんと取って」
「なんで?」
「毒だから。特に妊婦や子供にはよくないんだよ。緑のところもね」
「芽なんて出てないよ」
「ここの白いところ」
そんな話をしていると、晴崇が戻ってきた。
「ジャガイモの処理が終わったら・・・」
3人の女生徒は、晴崇のあまりの変わりように一瞬固まってしまった。
カチューシャで髪をオールバックにしたので、ひげを剃った顔が一層白く見えている。今まで髪に隠れていたのは、長いまつげの黒目がちの目であり、化粧もしないのにこんなに整った顔が東洋人にいるのかと、3人は驚いたのだ。
晴崇は3人の反応を気にもせず、ジャガイモを洗っている圭の両肩をつかんで言った。
「圭さん?が使う調理台はこっち」
晴崇は圭を、メインの流しとは、反対側の流しまで連れて行って、流しの前に立たせた。
「20センチ下げるか?」
と言って、流し台の下のメモリを変えた。流し台は圭の身長に合わせて下がっていく。
「これで使いやすい?」
薫風亭の調理台や流しは、すべて晴崇の身長175センチに合わせて設定してある。圭の身長155センチでは、背伸びしても使いにくかったことは確かだ。台所の高さが合わないと、腰などに負担がかかる。多くに女生徒が1ヶ月ごとに来る薫風庵の台所は、生徒の身長に合わせて、毎月高さ調節しているのだ。
晴崇は3人に的確に指示しながら、それから30分もしないうちに夕飯を仕上げていった。
豆腐と若布の味噌汁、炊きたての白米、新ジャガとアスパラのソテーには温泉卵が乗っていて、取り立てレタスと冷蔵庫にあったトマトには、作り置きしてあったごまドレッシングがかかっている。空豆と先ほど取ってきた筍の穂先は、魚焼きグリルでこんがり焼けて食卓に上がった。
桔梗学園の朝食時間8時の少し前に、5人は食卓に着いた。
「手を合わせて、いただきます」と真子が言うと、食事が始まった。
「空豆をグリルで焼くなんて、考えたわね。あちっ」
そういう真子に、すっと晴崇が濡れた手拭きを渡した。
「ども」
食事はそれ以外何の会話もなく、ゆっくり進んでいった。
舞子が空のご飯茶碗を前にもじもじしていると、
「おかわりは自由だけど、セルフでね」
そこへ紅羽がやっと声を出した。
「あれ、2ヶ月で10キロのダイエットって言ってなかったかな」
「舞子さん、ダイエットするの?」
「いえ、あの減量をして・・・。出産時にまた、今の体重くらいがいいんじゃないか」
「何のために?」
舞子の心の中を見透かすような、真子の視線に、舞子は自分の計画を話さざるを得なくなった。
「あの、学園長先生。私、出産後、来年の4月の全日本女子柔道選手権に出たいと考えているんです。それで、・・・・」
真子は最後まで舞子の考えを聞いて、
「土曜日までにどんなサポートが必要か、まとめて置いて、『食堂会議』で発表するといいわ。詳しくは、タブちゃんを見てね。最近、中学生の間で、情報表示装置のことを『タブちゃん』って言うのが流行っているの。可愛いでしょ?」
「食堂会議」とは、桔梗学園で毎週土曜日の夕飯時開かれるものである。ここで、提案したいもの、援助が欲しいものなどある者が、1人10分プレゼンテーションすることができるのだ。緊急の案件でない場合を除いて1回に先着3件までエントリーできる。
手順1は、「タブちゃん」の「食堂会議提案希望」のファイルに、提案の内容を載せる
手順2は、実際に土曜の「食堂会議」で自分の提案や希望などをプレゼンテーションする
仕事などで、食堂に集まれない者は、各仕事場所(出張先も含む)からリモートで参加できる。
手順3は、賛否を問う場合は、翌日曜日の夕方8時までに、桔梗学園の小学生以上の全員が投票する。賛成が半分を超えると、その堤案は受け入れられる。
今年の体育祭の提案は、中学生の越生五月が2ヶ月前に提案し、承認された。
案が未熟だったりすると、承認されないこともある。
今回の越生の案は、桔梗村の住民を体育祭に参加させるという、今までにない案だったが、現在執行委員希望者が集まり、着々と準備が進められている。予算は桔梗学園「財務省」の鞠斗の厳しい審査を受けることになるが、現在、100万円規模で計画されている。計画立案から実施まで、すべて執行委員が行うが、これも桔梗学園の教育の一環である。
手順4は、今回の舞子のように「サポート希望」の場合は、期限が設けられないので、随時サポートの立候補者が、舞子に連絡をしてくることになっている。
最後に全く個人的に行いたいことのために、資金を募ることもできる。クラウドファンディングのような形だが、高校生から小学生は「いいね」1回が1万円相当で、「いいね」の数の分だけ桔梗学園から資金援助出される。収入のある大人からは、賛成の度合いによって寄付金額が変わる。
過去、1人でディズニーランドに行きたいとプレゼンした小学生がいたが、誰からも「いいね」がもらえなかった。
舞子はサポートが欲しい内容がイメージできていなかったが、とりあえず期限を決めた方が先に進むことができるので、朝食後すぐエントリーしようと心に決めた。
3人は食事の後片付けが終わると、3人の女生徒はクラスルームに早足で向かっていった。
「晴崇、今回の6人はどうですか?」
「気が早いな。期待の人材なのは分かるけれど、1ヶ月はデータを揃えないとなんとも言えないよ。ただ、データに裏付けられない勘なんだけど、男の内1人は1年持たないかも知れないな」
「誰?」
「学園の中で持たなくても、外で働く方が良い人材もいるしね」
「母親同様に?」
「誰だか分かってんじゃん」
真子と晴崇は、五月雨の降る竹林を見ながら、ゆっくりとタンポポ珈琲を楽しんでいた。