8月14日の夕暮れ
去年の夏は、温泉旅行に、甲子園、お祭りと楽しいイベントがありましたので、せめて1つくらいは若者に楽しんでもらいたいですね。
予告されていた地震がすべて終わった15時、加須総理代行は福島から富士山が小さく見えることに気がついた。
「半月後にはあそこから噴煙が立ち上るんだなぁ。後半月しかない。いや後半月もある。この多忙だった2ヶ月を振り返った」
腹の音が静かな部屋に響いた。
「ああ、昼ご飯食べなかったな」
そう言って、総理代行執務室の椅子に座って、そこに朝から置いてある冷えたインスタントコーヒーを口に含んだ。
「しっかり食べなければ半月持たない」
そう考え、立ち上がり。冷凍庫から塩むすびを取り出し、電子レンジで温めた。
「あち」
「熱くても一人」
尾崎放哉の自由律俳句もどきの言葉が頭をよぎった。
勿論、さっきまで地震対策室は多くの人であふれかえり、電話がひっきりなしに鳴っていた。各所からの問合せの応対で、この2日間、ほとんど食事らしいものは食べていないが、トイレに立った時に、窓から富士山が見えた。そして、食事をしていなかった自分にも気づき、一人になりたくて、加須総理代行は自分の部屋に戻り、この2日間を振り返った。。
地震は最初に東京湾岸地域や荒川地区周辺を襲った。川縁は崩れ、古い木造住宅は潰れ、道を塞いだ。都庁周辺の高層ビルを含め、新宿や渋谷などの高層ビルは、大きく揺れ、外壁の窓ガラスは雨のように道路に降り注ぎ、多くのビルが倒壊した。
その瓦礫を洗い流すように東京湾から来た津波が、荒川を遡って、周辺の風情ある古い下町を飲み込んでいった。
続いて起こった相模トラフ地震によって起こった津波は、神奈川と静岡の海岸線を襲った。津波は何度も海岸を襲い、最大10Mにもなった津波は海水浴場の砂を根こそぎさらって行ってしまった。海岸線を走る江ノ電の線路はすべて水没した。電車だけは高台に避難させてあったのか、被害は免れた。
被害のTV映像を見ていると、加須総理代行は、大学時代友達と遊びに行った思い出が、浮かんできた。
部活の仲間と行った鎌倉旅行。彼氏と行った大磯ロングビーチ。会社の仲間の車で行った江ノ島。
すべてが跡形もなく、海に飲み込まれていった。
ぼーっとしていたのはほんの数十分だったろうが、すぐ現実に引き戻された。
「あー。総理代行。こんなところにいらしたのですか?アメリカ大統領から電話です」
「はいはい、また『トモダチ作戦』という名前の、『弱り切った日本の現状視察』でしょうか?」
対策室に戻ろうとすると、ふと、首から提げていた衛星電話の着信に気がついた。
「ん?NHK久住?」
「もしもし?久住君?今、新アメリカ大統領から電話が来ているんだけれど、手短にね」
「はい。今、僕は北海道から東北の『平和』な映像を撮ってきました」
「どういうこと?」
「NHKでこちらを流そうかと思って。海外の皆さんに、日本は大丈夫というメッセージを込めます」
「久住君、プロパガンダだと思われないように、被害の状況と上手く混ぜてね」
「はい。福岡や新潟の復興や祭りの映像も混ぜて、お送りしますよ」
「祭りか?花火を上げるところないかな?長岡辺りで花火を上げないかな?」
「いいですね。8月4日5日の長岡祭の花火は終わりましたが、8月20日頃またフェニックスを上げてもらいましょうか?クラウドファンディングすれば、金は集まると思いますよ」
「何故、8月20日なの?」
「NHK創立記念日ですから」
「じゃあ、NHKが金出しなさいよ」
「それもいいですよね。社長に交渉してみます」
「NHKも東京タワーやスカイツリーが現在使えない状況で、NHKnetの方での映像になりますが、NHKも不死鳥だとアピールしないとなりませんからね」
久住プロデューサーは何を考えているか分からないところがあるが、便利な男である。
一方、牛島防衛大臣は、防衛省で陣頭指揮を執っていた。今回の地震も、2ヶ月かけて関東から人を移動させたので、人命救助はほとんどなかった。
火災も多少はあったが、津波で押し流されたり、消防ヘリの活躍があったりで、あっという間に消火されていたようだ。
心配していたコンビナート火災も、桔梗学園のバリアが思いのほか、役に立って、3時間以内に鎮火した。
東京都の都下と言われる地域には、一部山崩れが起こったが、人的被害はなかった。しかし、クリスマスにはここにも地震の被害が来るとは、考えたくなかった。
「しかし、本当に時間ぴったりにすべての地震が起こったな。人的被害がないと、大分気が楽だな。でも、富士山噴火だけは、今生きている人間の誰も実際には経験していない。まだ、対策を考えなければ」
牛島のスマホが鳴った。
「ああ、加須総理代行。生きていますか?私?まだ、生きているよ。
え?アメリカ軍が来たいって話?断りたいな」
「私も断りたいよ。それに、富士山噴火を撮影したいって、学者も同行させていいか?だって」
「火山学者にすれば、垂涎の映像だろうよ。でも、その後の調査は原爆の時と同じだ。火山灰による人体実験のデータが欲しいだけだ」
「まあね。映像は桔梗学園が無人ドローンを飛ばして撮影してくれるから、いいんだよ。後で、世界各国の火山学者に配ってやるさ」
同じ夕陽を薫風庵で見つめる者達がいた。
「終わったね。次は8月30日かぁ」
鮎里が縁側で我が家のように膝枕でくつろいでいる。
「後半月しかない」
鞠斗がため息をついたが、その膝には鮎里に頭が乗っていた。
「後半月もあるよ。なんかしたいね」
「去年はここで浴衣の着付けやっていたね」
昼の当番が終わって、暁と瞬に授乳をしている圭が答えた。
「圭は祭りに行かなかったの?」
「私は晴崇と薫風庵にいたよ。浴衣は結城紬を着せてもらったけれど、地下室で仕事をしていた」
「なんかそれだけ聞くと、色っぽい話だね」
「鮎里は浴衣持っているの?」
鞠斗が鮎里の髪を三つ編みにしながら聞いた。
「見たい?実はあるんだけれど、一度も袖を通したことがない」
「体形が変わる前に来たほうがいいよ」
圭が授乳を終わって、1人ずつ子供の口を拭いている。
「いやだぁ、まだ妊娠していないよ。多分」
「まあ今はそうでもさ、来年は妊婦になって、大きな胸がそれ以上になったら、若い頃の着物が着られないってことだよ」
確かに着物は胸が大きく、ウエストが細い人向きの服ではない。
「昨日、藤ヶ山の参道が崩れていたのを見たんだよね。今から突貫工事で直しても、こんなに余震があると、あそこを登って盆踊りをするのは危ないね。いっそ、グランドでやれればいいね」
「奈津は急に夕立が降ったりするから、体育館の中のグランドの方がいいかも、ご神体には出張してきてもらおうか」
鞠斗は軽い冗談で言ったつもりだが、鮎里のスイッチを入れてしまった。
鮎里は突然起き上がると腕を突き上げた。
「明日の夕飯の食堂で提案しよう!」
鞠斗にとって、祭りは嫌な思い出でしかなかったが、それを上書きできるような思い出が出来るといいとぼんやり考えた。
「ね?鞠斗も浴衣着るんだよ」
正面から鞠斗を見つめる鮎里の髪は、夕陽が当たって真っ赤に燃え上がるようだった。
食卓で、夕飯前だというのに、せんべいを食べていた美規は、衛星電話を掛けるために自室に戻っていった。
次回は、お祭りと恋のイベント盛りだくさんです。