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美規と象

外は雪が降り始めました。温かい話をどうぞ。

 珊瑚美子(さんごよしこ)は三姉妹の中で最も成績が良く、28歳でアメリカのコロンビア大学への就職が決まった。それには大学の同僚だった夫も非常に喜び、一緒に渡米してくれた。

その8年後、美子は法科大学院客員教授に就任した。夫は残念ながら、なかなか大学でポストに恵まれなかった。それでも、2人の生活は充実していて、ずっと子供なしで2人で暮らしていくものだと思っていた。

ところが、コウノトリは思いも掛けないタイミングで表れるもので、美子が客員教授に就任したタイミングで、妊娠が分かったのだ。妊娠に関しては2人とも非常に喜び、子育ても家事も2人で分担した。

美規が5歳になったある日、保育士に「美規(みのり)さんは他のお子さんと一緒に遊べない」という報告を受けた。夫婦で美規を連れて心療内科に向かうと、「障がいの可能性はあるが、まだ成長過程なので長い目で見ましょう」と言われた。その日から、美子の奮闘が始まった。障がい名をはっきりさせないといけないと思い込み、毎週違う心療内科に通ったり、多くの子供とあそべる機会を無理に作ったり、美子が頑張っても美規はマイペースで、人と関わらず、自分の好きな世界に没頭した。


 美子が頑張れば頑張るほど、夫婦の子育てへの考え方の溝は膨らみ、毎晩夫婦げんかをするようになってしまった。結局夫婦は離婚し、美子は美規を連れて、帰国した。ちょうどその時に「桔梗学園」を立ち上げるので、それを手伝うという理由もあった。

 10人近い妊婦の高校生が集まり、桔梗村の廃校になった小中学校と、東城寺悠山(ゆうざん)から譲り受けた土地で、「桔梗学園」が始まった。美規は9歳になっていたので、地元の小学校に通い始めたが、誰ともなじめなくて、いじめの標的になってしまった。

 真子はその事実を知るとすぐ、美規を桔梗学園の高校生の教室に連れてきて、一緒に過ごさせた。驚くべきことに、美規はそこで高校生と一緒に学習を始めたのだ。そのうちに、美規は、同級生の産んだ赤ちゃんと一緒に過ごすようになった。最初に一緒に住み始めたのは四之宮京(しのみやきょう)だった。美規は京のオムツを替えたり、ミルクをあげたりしながらゆったりした時を過ごした。京の身体についても、実の母親はそれで京を捨てたが、美規はありのままを受け入れた。


 その後に、陸晴崇(くがはるたか)が加わった。晴崇の母は、晴崇を連れて海で無理心中をしようとした。真子は晴崇しか助けられなかったことで、申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、美規にとってそれはどうでもいいことだった。

晴崇が京と兄弟のように育つのを見て、美規は新たな発見をした。1歳にも満たない赤ん坊がお互いにコミュニケーションをとることを知った。2人の要求を理解しようとするうちに、美規も他人の気持ちを理解することを少しずつ覚えていった。


 彼らが小学校に上がる頃に、一村蹴斗(いちむらしゅうと)不二鞠斗(ふじまりと)が薫風庵に来た。2人は小さい頃は、親に連れられ世界を飛び回っていたが、シスターコーポレーションを設立するに当たって、小学校の学習をさせるために薫風庵に預けられたのだ。

 

 美規は15歳にして、4人の子供の姉になってしまった。特に鞠斗は寂しがり屋で感受性が強く、絵本を読み聞かせれば泣き、鳥の死骸を見れば泣き、そしてなかなか泣き止まなかった。

「幸福な王子」を美規が読み聞かせると、鞠斗が泣く。「どうして泣くの」と美規が聞くと「可愛そうだから」と鞠斗が答える。

「ピーターラビット」の話を読むと、また泣いてしまう。「どうして泣くの」と聞くと、「お父さんとお母さんがうさぎパイにされちゃったから」と鞠斗が答える。


 ついには「かわいそうな象」を読み聞かせると、美規の目から涙が流れてきた。鞠斗が「美規ちゃんなんで泣くの?」と聞く。美規は始めて自分の涙を見て、狼狽(うろた)えた。鞠斗が小さな手で涙を拭いてくれた。「美規ちゃんも泣くの?」鞠斗の灰色の瞳でまっすぐ見つめられると、ますます涙が溢れてきた。


「かわいそうな象」は美規の涙のスイッチのようだった。もう一つ美規の涙のスイッチがある。アニメの「火垂(ほたる)るの墓」だ。「火垂るの墓」で主人公の清太が、妹節子の骨をサクマドロップの缶に入れていたシーンを思い出すので、サクマドロップの缶を見るだけで、美規は目頭が熱くなる。


 以前、京の祖母の葬式に行って、晴崇に手を引かれて京が帰って来た時も、「火垂るの墓」の兄弟を思い出して、涙腺が崩壊しそうだった。

真子も美子も、美規のそんな変化は知らない。

人の感情を理解しないことは、自分に感情がないということではないのだ。美規は身近な人や大切なものへの深い愛情を(はぐく)んでいたのだ。

美規も自分がそう変化したことで、今回の震災対策にどんな影響を与えるか分からなかった。



 そんな美規のところへ、一通の手紙が届けられた。狼谷柊(かみやしゅう)が人づてに受け取ったものだ。

差出人は「上野動物園の園長」だった。

内容は、震災に当たって、動物を引き受けてくれる施設が見つからない。震災で施設が破壊されると動物が都内に逃げ出してしまう。場合によっては、殺処分しなければならないかも知れない。どうか、施設全体をバリアで囲って守って貰えないだろうかという内容だった。

 

 バリアで囲って守って欲しいという要望は非常に多かった。舞子のところにも、各分校にも毎日のように届く。メールだったり、直接尋ねて来られたり、国会議員や宮内庁などを経由して要望してくるものも多い。柊も受け取ったものの届けるかどうか大分悩んだ。ただ、もう東京に戻らないので、最後の手紙くらい渡してもいいかと思って、捨てずにおいたのだ。封筒は非常に厚く、たくさんの便箋が入っているようだった。


薫風庵の玄関で、たまたま晴崇に会ったので相談すると、意外な返事が書いてあった。

「上野動物園かぁ。美規ちゃん、『かわいそうな象』の絵本好きだったよな。見せてみれば?メールなら即消去なんだけれど、手紙なんでしょ?」


美規は晴崇の予想通り、上野動物園からの封筒を受け取った。そして、封筒を開けて数十枚の便箋を広げた。晴崇も様子を覗きに来た、

便箋は園長からの1枚に加えて、各動物の飼育係からだった。

動物の飼育係からは、自分の飼育している動物の絵と名前が描いてあり、いかに彼らがかわいいか、是非1匹でもいいから助けてくれとの訴えが切々と書いてあった。アジアゾウの絵もあった。


美規は一言。

「いけないなぁ」


そう言ってから、メールを打ち出した。

「お手紙拝見。西日本のすべての水族館と動物園には、バリアを設置しませんでした。

動物や魚などは残念ながら、溺死したものが多数いると聞いています。

 上野地区は水害に遭わないまでも、激しい揺れによって施設や檻が破壊されることが想定されます。

バリアで脱出を阻止しても、8月30日には富士山噴火による降灰がありますので、電気系統は使用不可能になり、冷暖房施設が使えないことにより、温度差で多くの動物が生き延びることは出来ないでしょう。

そして、園内の多くの動物の食料を安定的に供給するのも、交通が寸断された都内では不可能だと思います」


ここまでメールを打ったのを確認して、晴崇が美規の後ろから、パソコンのキーボードに手を伸ばした。そして、生成AIにその後、「相手を傷つけないようにお詫びを足して、書き直して」と指示を出した。


生成AIはその後を続けた。

「皆様の、動物に対する愛情はよく分かりましたが、大変申し訳ありませんが、バリアを設置することは、動物をいたずらに苦しめることに繋がると思います。

 ただ、受け入れ先があって、輸送方法がないのであれば、お手伝いは出来ます。その旨、本日中にご連絡ください」

晴崇は生成AIのメールをざっと見て、美規に読んで聞かせた。


「生成AIまで、思いやりが深いことだ」

美規は頭をかいた。送信すると返信がすぐ来た。


「仙台の動物園が、ゾウとキリン、ライオンなどを引き受けてくれるそうです。旭川もペンギンなどを引き受けてくれるそうです」

「では、明日深夜に運搬します。移送先の動物園に連絡を取って、運搬するために檻などを用意してください」


「美規ちゃん。『ドローン空中避難』の前に、ゾウが乗っても壊れないかどうか実験できるよ」

そう言って、晴崇は美規の頭を撫でて、KKGに動物輸送のための作戦会議に出かけた。



避難中の住民の目に着かないように、翌日の深夜、上野動物園からドローンが仙台と旭川まで出発した。


 5台の大型ドローンには、動物の檻と飼育員が詰め込まれた。

そして、KKGの秘密兵器、運搬用ドローンも、始めてすべて出動した。このドローンは4台セットで動き、操縦者は先頭のドローンに乗り込み、後のドローンは無人で動く。キリンなどの大型動物は、巨大なケージに入れられ、釣り下げられるような形で運ばれるのだ。流石に飼育員はケージの側にいられないので、無人の運搬用ドローンに載せられた。


 琉を初めすべての操縦者は、始めて現場で運搬ドローンを操縦した。

「確かに、実験飛行にしては好条件だな」


琉はリモートで、富山分校からヘルプに来た剛太に話しかけた。

「深夜に編隊を組んで飛ぶっていうのも、スリルがあるよな。防衛省に伝手(つて)があって良かったよな。普通、こんなのバレたら敵の来襲だと思って、撃ち落とされるぞ」

「まあ、自衛隊にこのドローンが知られるのは、もう少し後にしたかったけれどな」


「琉はどうしてそんなこと言うんだ?俺たち、ドローンを戦争に使うわけじゃないぞ。

「俺たちがそのつもりじゃなくても、戦争に使える機能満載だぞ。大型ドローンも含めて500人以上の兵隊を深夜に秘密裏(ひみつり)に運べるんだぞ」

「自衛隊にだって、そのくらいの装備はあるだろう?」

「ああ、自衛隊にはあるんじゃないか?でも、俺たちは民間だぞ。国家転覆するって疑われたら怖いじゃないか」

剛太は、KKGの危うさを改めて実感した。


 それでも動物輸送を買って出たのは、上野動物園からの救助要請を断って、美規が苦しまないようにと言う晴崇の配慮だったことは、誰も知らない。

薫風庵を自宅のように使う5人の関係性について、改めて書きました。

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