東京大脱出計画
柊は大学受け入れの窓口、悠太郎はスポーツ選手のスカウト。二人達とも首都圏に残されて、重要な仕事があったんですね。
6月15日の東日本知事会の後、大池蘭子は眠れない夜が続いていた。
夕べ見たのは、新幹線に乗りきれなかった人々が泣き叫びながら津波に飲まれる夢だった。
「ああ、全く忌々しい。自分が都知事でなくなるために、こんなに苦労するなんて」
蘭子は、寝室のカレンダーにある、8月13日首都直下地震までの数字を追った。
「もう7月に入った」
蘭子ははっと気がついて、枕元に置いてあるノートに殴り書きを始めた。
「米軍基地撤収完了 7月10日」
「公共機関の閉鎖 7月15日~」
「首都高速一般車両の通行禁止 7月30日~」
「新幹線の運行の最終日・JR、私鉄、バスの運行禁止・車両待避 7月30日」
「警視庁・自衛隊の移転完成 8月5日」
「移転が進まないんじゃない。移転せざるを得ない状況を作ろう。先ずはJRと各私鉄の社長と会わなければ。車両の避難もある。何より保線の関係者から被害を出したら、鉄道網が壊滅的になる」
7月5日に急遽、大池都知事から、首都圏脱出計画の日程が発表された。
TVで緊急放送がされると、その影響は首都圏全域に住む人々に大きな影響を与えた。
東城寺悠太郎は、7月5日になってもまだ、桔梗村に帰っていなかった。妹の舞子から体育系有望選手の岐阜分校と富山分校への引き抜きを頼まれていたからだ。
引き抜きは、はじめは柔道関係者だけが対象だったのだが、話を聞いて陸上や野球など他競技の選手も集まってきた。週に1回神奈川支社にドローンがやってきて、選手を拾い上げていくのだが、今日7月10日を最後にして、自分もドローンに乗って首都圏から引き上げようと思ったが、今朝、大学の柔道部の先輩森川から電話が来た。
「妹の森川洋子と奈良渚が自衛隊を辞めて、富山分校に行きたいと言っている。連れて行ってやれないか?」との内容だった。
7月10日のドローンの出発まで、あと1時間というところでの電話だったので、心苦しいが断ろうとしたら、朝霞の駐屯地からもう出発しているというのだ。
7月10日朝7:00のニュースで、大池都知事は再度「新幹線は7月30日以降運行しない」と放送したので、北に向かう人で都内はいっそう混雑してしまった。朝霞駅から、東武東上線と湘南新宿ラインを乗り継いで、横浜まで1時間の道のりだが、池袋駅はひどい混雑だった。
森川と奈良は柔道着をいっぱい詰め込んだスーツケースを引きずって、身動きが取れなかった。
「どうしよう。ドローンが出ちゃう」
「大丈夫。悠太郎なら待っていてくれるよ」
案の定、悠太郎は神奈川支社で待っていたが、ドローンは出発したばかりだった。
「すいません。夕べ自衛隊が移転する話を聞いて、柔道が続けられないと聞いたら、もう自衛隊を辞めるしかないと思って・・」
柔道場で見られない森川洋子の姿に、悠太郎はこの非常時にみんな混乱しているのだと思った。
オリンピックのメダリストの奈良選手まで、突然自衛隊を辞めてしまった。
「奈良さんも、どうして辞めたんですか?教官の道が待っていたでしょうに」
「自衛隊にとって、本業は柔道じゃないんだ。この有事に柔道が出来るようになるまで、あと何年かかると思う?」
待ち合わせ場所で話していると、バイクに乗った森川先輩がやってきた。
「悪い!悠太郎。俺も実業団辞めてきた」
「森川先輩・・・」
「で、ドローンの次の便は?」
「今日の便はもう終わりました。岐阜も富山も、これからは移転の業務を請け負っていて、もうドローンは来られないんだそうです。新幹線はすべて自由席で1日並んでも乗れるかどうか・・・」
「じゃあ、新宿からバスだ」
「お兄ちゃんそれも無理、予約で30日の最終のバスまでいっぱい」
「やばいな。コンビニも棚がスカスカで食い物がない」
「あっ、ちょっと待ってください。舞子から電話です」
悠太郎が、舞子から持たされている衛星電話に、着信があった。
多くの人が同時に通話しているので、駅の周辺では携帯電話が繋がらないが、衛星電話は連絡が取れるのだ。
電話の向こうから舞子の声でなく、涼の声がした。
「悠太郎兄さん。今どこですか?一緒に乗るのは何人ですか?」
「涼か?俺と森川兄妹と奈良さんもいる」
「5人ですね。すぐには出せないんですが、明日3時頃にはドローンで迎えに行けます。神奈川支社に入れるようにドアを開けるので、そこで1日過ごしてください。小型ドローンしか回せないので、それ以上人を増やさないでください。荷物も最小限でお願いします」
4人は背後にそびえ立つ神奈川支社のドアを開けてみた。ドアは手動で開いたが、閉めるとすぐ施錠された。
「あー。食べ物買って来るのを忘れた」
「くっ、開かないな。1日飯は我慢するか。ていうか、ここは随分無人だったよな」
「はい、全日本が終わってから、2ヶ月は無人です」
「エレベーターは動きますね」
「悠太郎。お前の白いバンドじゃないと、動かないみたいだ。おい、みんな一緒に移動するぞ」
エレベーターは、何も押さないのに最上階に着いた。
恐る恐る下りると、そこは食堂だった。壁のディスプレイが白く輝いて、話し出した。
「九十九カンパニーのみなさん。ようこそ。この建物は首都直下地震の直前まで、社員の方の避難所として機能するように、備蓄などが置いてあります。現在使える部屋の地図をご覧ください」
画面には建物の全体図が示された。
現在いる階には大食堂がある。冷蔵庫に水と食料が入っている。
1つ下の階には宿泊施設があり、トイレも普通に使える。
ドローンに乗る場合は、屋上に通じる階段を上っていくようだ。
「助かった。もう昼だよね。冷蔵庫のものを出そう」
森川洋子は俄然、元気になった。
「食パンとチーズ。冷凍野菜に冷凍果物。トースターとか電子レンジはあるかな」
男子2人は、「焼きそばバゴォーン」を見つけて、食パンのお供に食べ始めた。
「悠太郎、このカップ焼きそば、俺見たことないや」
「ああ、東北と信越でしか売ってないらしいっす」
「へえ、新潟のソウルフードだ」
「そうですね。『サラダホープ』みたいなもんですよ」
「ごめんなさい。私達が我が儘言ったために、新潟に帰れなくなってしまいましたね」
「あー。しょうが無いよ。朝のTV放送で、状況はどんどん変わってしまうから。
涼は俺たちをどこに連れて行くのかな?島根分校かな?」
「どこでもいいよ。日本海側なら安全だろ?涼は、俺たちを富山に連れて行ったら、また島根に帰らなきゃならないんだろ。島根でも全然いいよ」
「あっそうだ。ここってTV見られるのかな?」
4人はそれ以上何も言わずに、TVで流れる、駅や高速道路の渋滞の映像を見続けた。
夕方暗くなって、少し早いが明日早いので、うどんを茹でて食べてすぐ寝ることにした。
「都内や関東にある自衛隊は、みんな北海道に移動するのかな?」
悠太郎の質問に奈良が答えた。
「1ヶ所には移動しないと思います。ここだけの話ですが、航空自衛隊は四国に新たな空港を作って移動するという噂を聞いています」
「四国はほぼ水没したんじゃないの?」
「震災瓦礫をどんどん埋め立てて、かさ上げしているそうです」
「そんなものを埋めたら、農業とか出来ないよね」
「でも、悠太郎さん。首都直下地震まできたら、日本の国際空港は1つもなくなります」
確かに、成田に羽田、関西国際空港も水没することになる。そのために、空港を作ることは最優先かも知れない。
「米軍基地もかなり無くなるけれど、アメリカ軍は四国の空港を基地に欲しがらないかな?」
「そのために、建設中は衛星画像に映らないため、桔梗学園の協力を得てバリアを掛けるそうです」
「奈良さんよく知っているね」
奈良は曖昧に笑った。付き合っていた彼氏が、幹部で情報を流してくれていたとは言えない。
「そうすると、自衛隊が作った空港を、国際空港としても将来使うってことだね」
「はい、現在、西日本の警備が手薄ですので、自衛隊を置くことは国防上重要なことなんです」
「じゃあさ。東京は水没した後、どうするんだろう?」
悠太郎の疑問に、森川先輩が答えた。
「東京はその後、火山灰が降るんだろう?人が住めなくなるんじゃないか?」
洋子が質問した。
「じゃあ首都はどこに行くの。大阪?」
「大阪も神戸もかなり沈んだよね。一極集中せず、首都機能を分散させるんじゃないか」
洋子は天井見つめてつぶやいた。
「なんか、子供を産みたい将来じゃないね」
「そうか?舞子は次の子供を考えているみたいだぞ。今度は榎田の姓にするらしい」
「え?今の子は東城寺冬月ってこと?」
「ああ、交互に苗字をつけるんだそうだ」
「涼なら許しそうだな」
食べ終わったカップの入れ物を、水で丁寧に洗って、悠太郎が何かを思い出した。
そして、申し訳なさそうに言った。
「ところで、荷物を減らせって言われたんだが、少し柔道着を置いていかないか」
「そうだね。2枚くらいは持って行っていいかな?」
2人はかなり悩んで、2枚の柔道着とジャージ、着替えを選んで、袋に詰めた。
翌朝、3時きっかりに涼がやってきた時、柔道着は2枚まで許可された。
「悪いな。涼」
「悠太郎兄さんこそ、最後までお仕事ご苦労様でした。今日は申し訳ないんですが、島根分校に来て貰えますか?昼間はドローンの派遣が決まっているんで」
「涼、寝てないのか?」
「いや。昼の仕事には舞子が操縦するから大丈夫です。運転者が寝不足だと、ドローンのエンジンがかからない作りになっているんです。凄い安全管理でしょ?」
「舞子も操縦するのか?」
「小型のドローンはタッチパネルなんで、小学生でも操縦できますよ。ただ、風が強いと操縦桿をコントロールするのに力がいりますけれど」
そんな話をしながら、涼は持ってきたスタンプを3人の手の甲に押した。
「涼、もうスタンプは右手に押してあるぞ」
「そのスタンプだと、分校には入れない設定になっています。今、島根分校は、警戒レベルを上げていますから」
そういうと、涼の操縦するドローンは、神奈川支社の屋上から静かに上昇した。
「警戒レベルを上げなければいけないのは、不満を持った人が少なからずいるってことだろう?」
「舞子は今回のプロジェクトの顔ですから」
黙った悠太郎の代わりに森川先輩が話し出した。
「街の灯りが減ったな」
「そうですね。でも、まだ首都圏から脱出しきれない人がいます。行き先が決まらない人は、順番に、学校の体育館に詰め込むことになっています」
「今はすべての体育館にクーラーが入って良かったよな」
「そうですね。5年前だったら、夏の避難所は地獄でしたよね」
地球温暖化で、学校のすべての教室にクーラーが入っただけでなく、体育館にもクーラーが設置されたのだ。それが、避難所となった今、大変役に立っている。
島根分校に着くと、下には冬月を抱いた舞子が待っていた。
「悠太郎兄さん。無事で良かった」
「お前も、冬君も元気そうで良かった。少し痩せたか?」
「無理に食べなければこんなもんかな?最近身体を動かせないから、筋肉も少し落ちたしね。洋子ちゃん、奈良さん。お疲れ様でした」
「ごめんね。我が儘言って」
「いいえ、自衛隊や警察の人は、こういう事態になると柔道できなくなりますよね。さあ、少し休んでください。朝ご飯は食堂で食べてください。私は、9時に出発しますが、8時だったら朝ご飯一緒に食べられますよ」
「舞子はどこに出動するの?」
舞子はにっこり笑った。言えないこともあるのだ。
大池蘭子を郡山の都庁分室に送り届けるなど、口が裂けても言えない。もう都内に政府要人など残っていないのだが、彼女だけはギリギリまで、都庁で働いていたのだ。
都内から果たしてすべての人が脱出できるのでしょうか?