みんなで瓦礫を片付けよう
南海トラフ地震が起こる前日までの桔梗村の話です。
3日降り続いた水は、避難所に十分な水をもたらした。その後は待望の晴天がやってきた。
水が少しずつ引き、救援物資として届かられた長靴を履いて、多くの保護者が、自宅の様子を見に、瓦礫だらけの道を歩こうとした。
避難している住民の半数は新興住宅地の者だが、藤川の周辺はまだ水が引かず、川の手前から自宅を恨めしく見ることしか出来なかった。対岸の住宅はすべて、2階まで骨組みになってしまって、かろうじて屋根が残っていた
残りの半数は、旧桔梗村市街地、若しくは桔梗駅周辺に住んでいた。しかし、道という道は瓦礫で埋まり、とても歩いてそこまではたどり着けず、みんな、諦めて帰って来てしまった。
自衛隊の本体は、新潟市に人的被害はないと言うことで、南海トラフ大地震の備えのため、岐阜、島根、鳥取、福岡に移動を開始していた。今、小さな部隊が、水を運んだり風呂を設営したりしてくれるが、大規模に道を作るほどの隊は残っていない。
「水が引いたけれど、自衛隊来ないね」
「道が出来なきゃ、自宅を見に行けないし、他の市に行こうにも、迎えの人と会うことも出来ない」
「サイトを見なかった?明日、巻潟東ICの駐車場まで、他の市町村へ行く人を送るドローンが出るって」
「何言っているの?高速はまだ通っていないじゃない」
「下道通って、うちの親戚は迎えに来てくれるって」
「行くにしても、まず、自分の家の様子を見てからだよ」
桔梗高校の体育館では、高校生の保護者達が「ああでもない」、「こうでもない」とネガティブな話をしているが、明後日には、もっと恐ろしいことが起こるとは思ってもいなかった。今は、救援物資が希望すれば翌日に届くため、水も食糧も、衣服も潤沢に手に入っているので、のんびりした考えを持っているのだろう。
数日前に、各避難所には大型ディスプレイが設置された。そこからは晴崇が作った3つのサイトにアクセスできる。
1つは、各避難所の代表者が、避難所でのニーズを入力すると、翌日には避難所に希望の物品が届く「救援物資希望」サイト。
もう1つは、移住希望者を募っている「市町村移住者マッチング」サイト
最後は、労働力を募っている「お仕事」サイト。このサイトは、日雇いから、季節労働、定住就職まで、様々な仕事を募っている。
特徴的なのは、特に避難者が対象のため、必ず求人側から「交通手段」と「食事」「風呂」を用意する条件になっている。
今日は、また、新しい求人が加わった。
「日 時 6月9日9時~17時(1時間おきに15分の休憩)~完成まで、
仕事内容 桔梗村道路工事、
特 典 3食、温泉付き、新空調服ペルチェベスト、軍手、安全靴、帽子等支給
集合場所 桔梗高校グランド
給 料 なし
対 象 30kg程度の瓦礫を運べる体力がある人。スタンプが押してある人
求人元 九十九カンパニー」
「給料なしの求人って、あり得ないだろう?誰が集まるんだ」
桔梗高校のいつもの文句ばかり言って動かないお年寄り達は、この求人に呆れていたが、6月9日桔梗高校グランドには、数十人の高校生が集まった。
野球部は勿論、柔道部、剣道部、バスケットボール部に、バレーボール部、ラグビー部、陸上部に、何故か、美術部まで集まっていた。高木先生や大町技術員までいた。
今回の仕切りは、久保埜姉妹とカーペンターズだった。
久保埜万里は、初めて、校外の人を仕切るので張り切っている。
「おはようございます。今日の作業場所は、県道中道の桔梗村部分です。桔梗高校裏手から、女郎花高台の麓まで重機が入ります」
桔梗学園村の部分は、バリアのお陰で浸水がなかったが、桔梗高校の周辺は津波の水が入ってきて、瓦礫の山ができていて、桔梗高校から外に出ることが出来ないのだ。
「県道中道は重機で瓦礫をどかしますが、皆さんのいる桔梗高校から、その県道までの小路は狭くて重機が入りません。今日は皆さん自身で、県道までの瓦礫の撤去をしていただきます」
久保埜笑万がベストを持ち上げ、声を張り上げた。
「作業の前に、軍手と安全靴それと帽子を身につけてください。サイズは自分に合う物を探してください。身につけたら、ベストを配布します。使い方は古田研究員が説明します」
厚手でありながら作業を邪魔しないカラフルな軍手、スニーカーシェイプの安全靴。そして、夏の暑さにも耐えられる帽子にベスト。これの支給も参加者を増やした要因でもある。
「うわー。かっこいい。それに涼しい」
「あのー。俺だけ、ベストの装置が動かないんですが」
大町技術員が手を挙げた。
笑万がすぐ大町の所に近づいた。
「すいません。スタンプついていませんね。スタンプを押しますか?押さないと、ベストが機能しないだけじゃなく、桔梗高校から出られないんですが・・・」
大町技術員は、昨日、飯酒盃医師から「スタンプを押しましょう」と言われた時、「忙しいから」と押すことを断ったのだ。佐伯事務員は何も考えず、スタンプを押して貰っていたが、押さないと、そもそも桔梗高校から出られないとは思わなかったので、軽い気持ちで断ったが、今日はそうも行かないと、腹を括った。
スタンプを押した大町技術員は、高木先生と一緒に世間話をしながら、作業場所に向かった。
3日続いた雨がしみこんだ大地は、ものすごい湿気を持っていて、照りつける太陽は容赦なく高校生達を照りつけた。朝9時から始まった作業は想像以上の大変さで、空調ベストを着ていても、首筋から汗がしたたり落ちた。それでも、力のある者は長い材木を黙々と運び、非力な者や体力がない者は細々とした瓦礫を運んだ。
桔梗高校の裏口を出て、すぐ隣に、生徒が「つけや」と呼んでいる尾花駄菓子店がある。
桔梗高校生は部活動が終わると、そこでアイスなどを買って、時間を潰すのが日課になっていた。
中には、昼休みに抜け出して、カップラーメンを食べている者もいたし、つまらない授業の時は学校を抜け出して、そこでゆったりする生徒もいた。
「つけや」という名は昔、ツケで買い物が出来たので、その名がある。そのくらい、桔梗高校創立時から学生に愛されていた店なのだ。
生徒達は、愛すべき「つけや」の瓦礫から片づけ始めた。1階部分は全く骨組みになり、昭和レトロなポットや生徒のいたずら書きがたくさんあるテーブルが、泥の下から見えた。
須山猪熊は、柔道部の仲間と話をしながら、材木を運んでいた。
「『つけや』のおばちゃんって無事だったの?」
「ああ、おばちゃんは、孫の運動会の応援で『あの日』は小学校にいたらしいよ」
「そっか、たまに小学校1年生の女の子が遊びに来ていたもんな」
「うん。あの子、いつもただで駄菓子食っていたよな。ちょっと、つけやの孫になりたかった。
うわ、あちっ。猪熊、やば、鉄筋暑いぞ、気をつけろ」
「おい、腕まくりするからだよ。ベストのお陰で涼しいから、長袖のまま作業しろよ。材木なんかでも、ささくれていて手を怪我するぞ」
須山深雪の弟の猪熊は、少し大人になっていたようだ。
世間話をしながら作業を進めると、前方からすさまじいブルドーザーの音が聞こえた。巨大なシャベルで道路の上の瓦礫を掬っては、後ろに着いてくるダンプに乗せていく。高校生達が進んで行く小路は避けて、どんどん前に進んでいく。
大通りの道は重機のお陰で着々と慣らされていくのだが、小路の作業は遅々として進まなかった。
100人近く運動部員はいるのだが、慣れない仕事はかなり辛かった。
1時間が経つのが長かった。次の1時間はもっと長かった。
「お疲れ様。1人1本です」
桔梗高校の校門の前では、休憩のたびに久保埜達が、よく冷えた飲み物を用意していてくれた。疲れた中でも、長身の双子に男子の興味は向かった。
「ねえ、君たち何年生?」
「高校3年生相当かな?」
「へー、同じ年だ。名前は?」
万里が無視を決め込もうとしたが、笑万が答えてしまった。
「万里。これってナンパってヤツ?」
笑万がニヤニヤ笑いながら、片割れをからかった。
「万里さん、この人は誰にでもこうやって話しかけます。相手にしないほうがいいですよ」
野球部2年の佐藤颯太の後ろで、三津が怖い顔をして睨んでいた。
野球部の同期の颯太が、もてるオーラを出して、色々なところで交友関係を広げているのを、三津は前々から気に入らなかったのだ。
「三津ちゃんのお兄さん?」
「まさか、うちの兄ちゃんは、あそこで大の字になっています」
山田家の次男、雄太は体力を温存しようと日陰で横になっていた。
「三津ちゃんのお兄さんって、2人いるの?」
「そうです。あれは2番目に兄で雄太。一雄兄ちゃんほど、落ち着いてはいませんが、一応野球部のキャプテンです」
「僕は2年生の佐藤颯太です。名前覚えてね」
「誰も聞いていないし・・」
野球部員は、見知らぬ女生徒に興味津々だったが、双子は憧れの女性を見つけて、彼らから急速に興味を失った。
「碧羽さん、お疲れ様です」
紅羽の妹のバスケ界の若きエース、碧羽の魅力は強烈だった。
「万里ちゃん、笑万ちゃん、久し振り。今日はお手伝い?」
「いいえ、今回の仕事を発注したの私達なんで、仕切りもやらせて貰っています」
「桔梗高校から大通りの道作りなんて、桔梗学園に利益がないでしょ?」
2人は顔を見合わせて、笑い合った。
「まあ、そうでもないんです。私達も、桔梗高校の皆さんとお知り合いになりたかったし・・・」
本当の目的はもっと先にあったのだが、2人は上手く誤魔化した。
「そうだね。桔梗学園の中だけじゃ、人数少ないしね。ああ、藍深ちゃん。あんまり無理すんなって」
「いいえ、運動部の人達ばかりに頑張らせて申し訳ないです。それに私は早く海が見に行きたいんです」
万里と笑万の視線に気がついて、碧羽は少女を紹介した。
「この子ね、幼なじみの五十沢藍深ちゃん。高校1年で美術なの」
万里と笑万は、「五十沢」という苗字に眉を曇らせた。そして、それに気がついた藍深は、「ご馳走様でした」と小さい声で言って、日陰に集まっている美術部の先輩の元に行った。
「万里と笑万もあの子は嫌いにならないで。健太は『こん畜生』だけれど、あの子は兄が何をしたか知らないんだ。私にとってはずっと妹のように可愛がっていた子なんだ。
それにね、運動馬鹿のあの家族の中で、たった一人運動音痴で肩身が狭い思いをしていたけれど、あの子が描く絵は凄いよ」
「海の絵を描くんですか?」
「そう。あの子は海の絵しか描かないんだ。今も震災後の海が書きたくて、高校の屋上に上ってスケッチしたり・・・、まあ雨の中に一日いたせいで風邪気味なのに、無理して作業に出てきているんだ」
万里がいまいましそうにつぶやいた。
「無理して倒れたらどうするの」
「そう思うでしょ?あの子は倒れるまで描いちゃうんだ。目が離せないよ。でもね、一度あのこの絵を見てごらん。凄いから。
きっと震災後の海の絵なんか描かせたら、涙が止まらなくなるよ。
心が鷲掴みされるって、ああ言うこと言うんだ。五十沢の家族には理解されていないけれど、私がアメリカ遠征に行った時、彼女の絵はがきをたまたま見た選手が、感動して是非この葉書を欲しいって、10万円払うとまで言ったんだよ」
「えー。じゃあ、後で見に行きたいですね」
笑万がふと思い出して言った。
「そう言うのは、鞠斗さんが得意分野だけれどね」
「駄目だよ、鞠斗さん、今色々と忙しいから」
そこまで言って、二人は碧羽と鞠斗の関係を思い出し、口を閉じた。
「いいんだ。気にしないで、若気の至りだから。鞠斗さんが元気にしていたらそれでいいんだ」
「まあ、元気ですよ。彼女も出来て、今朝も二人で新居はどこにするかって、話し合いをしていたから」
そうか、碧羽は胸に大きな穴が空いたような気がした。それ以上話がしたくなくなった。
「午後も、頑張るからね。この作業が終わったら、また仕事があるかな?」
「あたらしい住宅地を作るので、そこの建設作業に求人が行くかも知れませんが・・・。碧羽さんの家は、どこか別の土地に行く予定はないんですか?」
「私は、東京の実業団に行くか、関東の大学でバスケするか、悩んでいるんだ」
万里と笑万は声を揃えていった。
「止めたほうがいいです」
「え?凄い勢いで言われてびっくりしたんだけれど」
二人は「しまった」と言う顔をした。それでも、碧羽には危ないところに言って欲しくない気持ちは、止めようがなく、
「理由は言えないんですけれど、東京にも関東にも行って欲しくないんです」
「ふーん、なんか分からないけれど、バスケットは止めなくていいの?」
「それは言えませんが・・・」
碧羽は、懸命な二人の様子を見て、しばらく様子を見ようと考えた。
昼食は、白萩地区の宿泊施設で豪華幕の内弁当が支給され、1時間部屋の中でゆったり眠った高校生達は、温泉に期待を持ちながら、午後の仕事に励んだ。
午後の仕事が終わると、高校生達は、白萩地区の中にある外部者用の温泉に順番に入らせてもらい、翌日用の作業着を貰って、嬉々として帰って行った。
「こんな所にも温泉があったんだね」
碧羽は温泉の前で、母親の高木先生が来るのを待っていた。
「碧羽ちゃんは、他の温泉にも入ったことがあるんだ」
急に話しかけられて、碧羽が振り返ると、今日一日高木先生と一緒に作業していた大町技術員がそこにいた。
「大町さん。そうなんですよ。桔梗学園の中にもあるんですよ」
大町技術員は、学校の修繕も引き受けてくれるので、高校生からは優しいお兄さんとして慕われていた。
「こっちの地区は桔梗学園じゃないの?」
「えー。桔梗学園の関係者が入れる地区かな?よく分からないけれど」
話をしていると、作業道具の片付けを終わらせてきた三津が、やってきた。
「あー。三津ちゃん。まだ入ってなかったの。一緒に入ろう」
「先輩。ありがとうございます」
女風呂に入ると、三津は碧羽に囁いた。
「桔梗学園の中のことを、第3者に話さない方がいいですよ」
「ああ、そうだね。でも、大町さん、桔梗学園から来た道具に凄く興味あるみたいで、いつもいじっているよ。KKGに入りたいのかね」
(そういうところですよ。碧羽さんのガードが甘いところは)
三津は白萩地区外来者用温泉に、ゆったり身を沈めた。
「ねえ、三津はなんか知らない?今日、万里と笑万に『来年私が、東京の会社か関東の学校に行く』って行ったら、凄く反対されたんだけれど」
「どうしてでしょうかね?碧羽さんと離れたくないからですか?」
「えー。そんなに子供っぽい理由?」
「二人は碧羽さんのファンですから」
三津は答えをはぐらかした。しかし、久保埜の双子が碧羽を関東方面に行かせたくない理由があるはずだと、その情報は深く胸にしまい込んだ。
三津の答えで満足した碧羽は、三津にもう一つ質問をした。
「明日、移住用のドローンが出るらしいけれど、山田の家は移住しないの?」
「家の父方の実家が秋田なんで、明日両親は移住します」
「三津や雄太は?」
「うちらはもう少し一雄兄ちゃんの手伝いします。最終的には秋田に行くかも知れません。先輩のところは?」
「うちは母さんは真面目だから、高校生がいなくなるまでは避難所にいると思う。父さんも県庁の土木課だから、復興の仕事があるしね」
「お父さまはずっと県庁に住むんですか?」
「水が引いたら、県庁職員用の住宅が仮設で出来るみたい」
「大変ですね。先輩はここに残るんですか?」
「しばらく様子見ようかな?親は仮設住まいより、東京の環境の良いところで住んで欲しいみたいだけれど」
二人の会話は、高木先生が湯船に入ってきたので、それなりになってしまった。
翌日は、桔梗小学校まで道が付いたので、小学校にいる保護者も作業に駆けつけた。
「お父さんお母さん」「春佳、無事だったのね」
榎田先生達も娘の春佳にやっと会えて、安堵していたし、猪熊も小学生ながら仕事に来た美佳と涙の再会をした。
身体が大きく落ち着いて見えた美佳も、小学生らしく兄に抱きついて大泣きしていた。
作業をする人数も増えたので、2日で桔梗高校の裏の小道が、県道中道に繋がった。
南海トラフ大地震の知らせが入ったのは、その翌日だった。
次回は、少し時間が巻戻って、西日本の様子をお伝えする予定です。