被災2日目
今日は袴田明日華ちゃんのお姉さんが登場します。明日華ちゃんは、甲子園の話の時に登場した山田三津のマネージャー仲間。彼女も野球少女です。
夜明け近くなって、桔梗高校に着いた野球部の面々は、ドローンを降りて、静かな校舎に入った。校門の周辺にはまだ、1m程度の水があっていて、バリアのお陰で、無傷の校庭が不思議に思えた。校舎に入ると、女子は4階、男子は2階という掲示が階段にあった。
「おはよー。遅かったね」
体育祭の応援に来てくれた姉と先にドローンに乗って、高校に戻った袴田明日華が、眠らずに待っていてくれた。
野球部を最後に運んだドローンは、その足で桔梗学園から発電機能付きトイレを搬入してくれた。車椅子でも入れるような大型トイレは、大体育館に4基、武道場に2基、1階から4階の各階に4基ずつ入れられた。
トイレのドアを開けてみると、『使用後に汚れが残っているとドアは開きません。丁寧にペーパーで汚れた部分を掃除してから出ましょう』と書いてあった。
尿を濾過した水が外の洗面所に流れていて、手も洗えるようになっている。
夕べ体育館で眠れなかった老人が、とことこドローンのところにやってきて、
「朝ご飯は何時かね?」と聞いてきた。
夕べ一睡もしていない京は、不機嫌な声で、「さあ?」と答えた。
老人はその声を気にもせず、「夕べは布団もなくて身体が痛かったよ。今晩は、布団を持ってきておくれ」と入れ歯のない口でもごもご言った。
一雄はぶちぎれそうな京の腕を取って、三津に「まずは、寝ろよ」と言ってドローンに乗って帰って行った。
桔梗学園は、時間外勤務を厳しく制限しているので、夕べ働いた人間は、この後温泉に入って、8時間は寝るであろう。三津も4階まで上がって、眠ろうとしたが、廊下で近清那につかまった。
「トイレが来るの、遅いわよ。それに各階4つしかないから、ものすごく並ぶじゃない。女子はもっと必要よ」
「なんで、私に文句言うの?」
「あんた桔梗学園の人間でしょ?一雄先輩にちゃんと私達の要求を伝えて頂戴」
「いい加減にしてよ。私は桔梗高校の人間で、お兄ちゃん達は厚意で来てくれたんだから、我が儘言うんじゃないの。野球部はさっきまでジャイアントスワンの片付けしていたんだから寝かせてよ」
そういうと、一雄から借りた上着を頭から被って、三津は机を片付けた教室の端で寝始めた。
ドローンで一雄達が帰る前に、吉野教頭が桔梗学園から来た人に、深々と頭を下げた。
「一雄君、桔梗学園の皆さんありがとうございます。夕べも遅くまで働いていたのに、夕飯の差し入れくださった上に、トイレまで。本当に感謝しても仕切れないです」
「教頭先生、校長先生はどうしたんですか?」
吉野教頭は、隈のある目で困ったように笑った。
「夕べから、大きな鼾をかいて、寝ているんです」
一雄と京が顔を見合わせた。
京が桔梗バンドで、桔梗学園の保健室に連絡をした。
「児島先生いますか?脳卒中の疑いの人がいます。診察お願いします。それから、長岡の病院からヘリをまた飛ばして貰ってください」
「え?脳卒中?ああ、気がつかなかったわ。疲れたのかと思った」
そう言いながらも、教頭自身もふらふらしている。
「教頭先生も眠ってください。昼に何か食べ物を持ってきますよ。朝は桔梗小学校に差し入れたらしいんで、米がまだ炊き上がっていないと思います。
食べ物を持ってきた時に、先生方、生徒の代表、避難者の代表と話し合いの場を設けましょう。まずは寝てください」
児島内科医と看護師の鵜飼羊は、すぐやってきて、3階の職員が休んでいるところまで、ずんずん上がってきた。大きな鼾が聞こえたので、校長の居場所はすぐ分かった。
「校長先生、校長先生」
児島が大きな声で呼んでも、一本槍校長は大きな鼾をかくだけで目を覚ます気配はない。
児島はすぐ、校長の衣服を緩めた。鵜飼は校長の身体を毛布でくるみ、頭を動かさないようにした。
「長岡日赤病院ですか?患者は年齢58歳、夕べ、桔梗高校についてすぐから鼾をかいているそうです。既往歴は高血圧症と糖尿病。体重80kg。身長は170cmです。ヘリは校庭に着陸出来ます」
デジタルタトゥーからのデータを読みながら、児島は患者情報を伝えていく。
3階の職員が休んでいる場所に、袴田明日華が息せき切って走ってきた。
「すいません。お医者さんいますか」
鵜飼が明日華の問合せに応じた。
「どうしたの?落ち着いて話して」
明日華は、すらっとした女性の落ち着いた声に、少し冷静さを取り戻した。
「あの武道場に、私の姉がいるんですけれど、お腹が痛いって。姉は今妊娠6ヶ月なんです」
鵜飼看護師と児島医師は目配せをした。
「見てきます」
武道場では腹を抱えた女性が、脂汗を流しながら横たわっていた。
武道場には片面に畳が敷いてあるので、幼児連れや高齢者が集まっていた。明日華の姉、今日華の周囲には人が集まっていた。
朝方、京を怒らせた老人がまたもやってきた。
「あんた、お医者さんかね?この姉ちゃん、一晩中、うーうーうるさかったんだよ。病気持ちなら早く連れて行っておくれ。うつったら嫌だからね」
「夕べ、一晩中ですか?。失礼」
鵜飼看護師は、スカートの下に手を入れた。破水や出血の有無を確認した。
病状を把握した鵜飼は、桔梗バンドで児島に連絡した。
「もしもし、児島さん。こちら25歳女性、切迫流産の疑い有り。夕べ一晩中苦しんでた様子。妊娠は6ヶ月」
「了解、こちらヘリ待ちで時間がかかるので、その人を先にドローンで桔梗学園に連れて行って」
「お姉ちゃんごめんね。私が『誰も応援に来てくれないと寂しい』なんて言ったから、無理させちゃった」
「君は妹さん?他に家族は?」
「お義兄さんは、新潟市の図書館職員で、昨日から長岡に図書の搬出に行っています」
「じゃあ、あなたも一緒に来て」
鵜飼は今日華を丁寧に抱え上げた。細身の身体ではあるが、元は男性なので力はあるのだ。
「産婦人科の医師がいるところに行きましょう。もう大丈夫ですよ」
さっきの老人が、また鵜飼に話しかけてきた。
「先生よー。儂は布団もない武道場で寝て腰が痛いんじゃ。湿布はないかの」
今日華を抱えて立ち上がった鵜飼は、急に本来の男の声を出して、老人を叱り飛ばした。
「爺ぃ、他の人は床に寝ているのに、畳で寝られただけでも感謝しろ!急を要する病人がいるんだ、邪魔するな!!」
老人が診察して貰うなら、自分もして貰おうと乗り出していた人達は、すごすごと自分の寝床に戻っていった。
袴田明日華と今日華は、そのままドローンで桔梗学園に運ばれていった。
「児島先生、この子達を運んだら、また迎えに来ます」
「オッケー、オッケー。長岡からヘリが来るまで、もう少しかかるから、急がなくていいよ」
久し振りに鵜飼羊看護師が登場しました。男の力に、女性の細やかさ。これからも活躍して貰いたいです。因みに生駒助産師さんの元弟さんです。