忍び寄る政治の圧力
舞子のインタビューの後、鞠斗は紅羽と一緒になるべく早く、撤収作業をしようとしていたが、絶えず話しかけてくる人がいて、なかなか作業がはかどらなかった。
最初に話しかけてきたのは、上村朱里だった。
「鞠斗さん。お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ああ上村さん、お久しぶりですね」
鞠斗は、もう2度と会わなくても良いと思っていたが、鞠斗の目立つ容貌は、どうしても人を呼んでしまうらしい。
「朱里、試合残念だったね。この人知り合い?」
朱里だけでも、話すのが面倒くさいのに、朱里の友達の振りをして、鞠斗に近づく人たちが面倒くさかった。
「この人、桔梗学園の人で、鞠斗さんって言うの。一緒に横浜でゲームをしたこともあるの」
こう聞くと、すごく仲がいいように聞こえるから不思議だ。
「初めまして、私、朱里と高校が一緒だった田山真理です。今、T大学の4年です。桔梗学園って、九十九カンパニーの附属高校ですよね。私、今年就職なんですけれど、九十九カンパニーの柔道部の監督さんと話がしたいんですが、紹介してくれますか?」
監督を飛ばして、選手が直接話しに来るとは・・・。流石、朱里の先輩。
「申し訳ありませんが、自分は単なる事務方なんで、監督を紹介するわけには・・・」
「え~?じゃあ、監督さんの名前を教えて貰えますか?」
鞠斗は紅羽をちらっと見た。
「すいません。撤収時間が迫っているので、私達困っています。お話はT大学の監督さん経由でお願いします」
「あー。すいません。お邪魔しました」
「鞠斗さん、また会いましょうね」
そう言いながら、少し離れたところで交わされた会話は、紅羽と鞠斗の耳に入ってきた。
「何、あの女、ちょっと美人だからって、上から目線で感じ悪いわね」
「ねえ。しょうがないから、涼を捕まえて、直談判しよう?私、九十九カンパニーに入社したいのよね」
紅羽と鞠斗は顔を見合わせた。入社目的で来る人がこれ以上来ないように、九十九カンパニーのビブスを脱いで、作業に拍車を掛けた。それでも、何人かの高校や大学の監督がやってきては、鞠斗に無理矢理名刺を渡していった。
最後は、全く毛色の違う人物が鞠斗に近づいてきた。
「ちょっとすいません。君は桔梗村村長代理の不二鞠斗君じゃないか?」
桔梗村村長は、現在清野豊村長に代わっている。しかし、珊瑚村長について、会議や霞ヶ関に顔を出したことがあるので、政界や経済界関係者で、自分のことを知っている者がいるかも知れない。鞠斗は営業用の顔を作って、ゆっくり振り返った。
「ああ、そうだ。不二君だね。覚えていますか?羽生隆太郎です。ほら、4ヶ月前くらいかな?衆議院議員会館でお会いしましたよね」
「申し訳ありません。昨年の村長選挙で、珊瑚美子が敗北しましたので、自分も解任されました」
「ああ、政治の話じゃないんだ。あの時、個人的な話をしなかったけれど、僕は桔梗学園で働いている越生甘菜の元夫で、五月の父なんだ。甘菜が今日いるなら、会いたいと思って」
紅羽が、羽生に見えないように静かに×を出した。
「すいません。自分は桔梗学園の方のことよく知らなくて、越生さんが今日いるかどうかも知らないんです」
「へー。用心深いんだね。僕はストーカーじゃないよ。甘菜が最近五月に合せてくれないから、ちょっと話がしたいだけなんだ」
紅羽が、ますます顔をしかめて、「駄目」出しをした。
すると、後ろから羽生の肩を叩く者がいた。
「あー。すいません。うちの者と間違えました。鞠斗。遅いよ。車出ちゃうよ」
蹴斗が、羽生と鞠斗の間に入って話を遮った。
「悪い。すぐ行く」
羽生も負けていなかった。内ポケットから名刺を出して、無理矢理、鞠斗のジャケットのポケットに押し込んだ。
「引き止めて済まなかった。もし、甘菜にあったら、この名刺を渡してくれ」
そう言うと、羽生は意外と引き際良く踵を返して帰って言った。
バスの中にやっと乗り込んだ3人は今の男について、越生に問いただした。
「あー。あいつね。今、J党の久喜宗一の秘書しているんじゃないかな。五月に会いたい?うそうそ、一度もそんなこと言ってきたことないよ。久喜に命令されて、珊瑚村長、若しくは真子学園長とコンタクト取りたいだけじゃないかな?」
越生はあっさり、ばっさり切り捨てた。そして、ビニル手袋をポケットから出して手にはめて、鞠斗のポケットの中の名刺をつまみ出した。
「この名刺は、一応、九十九カンパニーで指紋やDNA検査とかして貰おうね」
名刺の処理を越生に頼んで、鞠斗は蹴斗の方を振り返った。
「で?蹴斗はあいつに何つけたの?」
「ふーん。気がついた?スーツの襟の裏に、クリーニングでも落ちない、シール式盗聴器を貼ったの」
「ああ、それで羽生とか言う人の肩を叩いたのね」
紅羽は、桔梗学園にはDVで逃げてきた人もいるので、個人情報を探る人を警戒していたけれど、今回は政治的狙いのようで、ちょっと安心していた。
しかし、紅羽は別のことに気づいた。蹴斗は確かに自分の夫ではあるが、すべての行動を知っているわけではない。自分の知らない闇を見たような気がして、蹴斗に恐る恐る聞いた。
「ちょっと待って、蹴斗はいつも盗聴器とか持ち歩いているの? 」
「まさか、晴崇が気がついて、俺に『貼って来い』って命令したの」
「なんで晴崇が来ないの?」
「多分赤ちゃん抱えたパパより、俺の方が、威圧感があるからじゃない?」
鞠斗が夫婦の呑気な会話に突っ込んだ。
「紅羽、安心しているようだけど、J党がうちに近づこうとしようとしていることの方が、大きな問題だからね」
「え?なんで?」
「久喜議員は、今『女性活躍推進委員長』なんだろう?子供がいながら活躍した舞子を、利用したいと思っているとは、考えられないかな?」
骨伝導イヤホンをした晴崇が、話題に入ってきた。盗聴器からの音声を拾っているらしい。
「それ、ビンゴみたい。今、羽生は電話で久喜議員と会話しているよ。そのまま、俺達のバスの後についてきて、九十九カンパニーに乗り込んで来ようとしている」
「無理だけれどね。カンパニーのゲートは外部の者は通過できないから」
「でも、しばらくは神奈川支社の周辺をうろうろするかもね」
「舞子達はドローンで帰るけれど、応援団は新幹線で帰るんだよね」
「念のため、帰りは赤ちゃん3人ともドローンに乗せて帰ろう。バタバタすると危ないから」
「それでも神奈川支社には、今後も入社希望者も含め、大勢が押し寄せるんだろうね」
晴崇はシートに深々と座って、肩をすくめながらつぶやいた。
「押し寄せてもいいけれど、神奈川支社の建物はあと少しで、放棄するんだけれどね」
隣に座っている圭だけが、その唇の動きを読み取った。
舞子達の結婚式の時に、神奈川支社の全員を招待し、そのまま支社は無人の建物になるのだ。
「ところで、越生さんところは、離婚ですか?」
突然、越生の隣に座っていた糸川研究員が質問した。
研究員はみんな訳ありなので、普段は個人的な話を聞き出したりはしないが、チャンスがあれば、聞くことはタブーではない。聞いたら自分の話をすればお互い様だから。
「いや、羽生とは高校時代付き合っていて、五月を妊娠したら、羽生の親が堕胎費用と手切れ金を払って『別れてくれ』っていうので、分かれてやったって訳よ。勿論、桔梗学園で隠れて育てていたのは最近バレたんだけれど。だから、面会権とかチャンチャラおかしいわ」
「羽生の家も政治家一家ですよね。ああ、最近、某銀行頭取の娘を嫁に貰っていますね」
糸川は羽生隆太郎の情報を、スマホで検索しながら話している。
「金づる見つけたんだね」
甘菜は事も無げに言い放った。分かれた男に未練はないようだ。
しかし、羽生にまだ怒っている鞠斗が吐き出すように言った。
「『子供を堕ろせ』と言って女性を捨てた人が、『女性活躍推進委員長』の秘書をやっているわけだろ。むかつく」
「鞠斗。私は捨てられたわけじゃないよ。この男に見切りをつけて、捨ててやったんだから」
「甘菜さん。すいません」
鞠斗はしゅんとしてしまった。
しかし、桔梗学園で生まれた子供達は、どんな困難な状況でも母親が頑張ってくれたことで、今生きていられるので、軽々しく「堕胎」を口にする男性に対する嫌悪感は並々ならぬものを持っているのだ。
「鞠斗君を怒ったわけじゃないよ。ありがとう。私のために怒ってくれて」
さて、SNSの時代、知り合いをたどっていくと、5,6人目には目的の人にたどり着くと言われるが、3日後には、羽生は真子学園長にコンタクトを取るところまで迫った。
しかし、真子は自分が選んだ人物以外の、外部の人に会うことはしなかった。
代わりに羽生隆太郎と久喜宗一との会談に送り出されたのは、桔梗学園の秘密兵器だった。