表彰式
ついに決勝が終わりました。「桔梗学園」の第1部が大団円を迎えた感じです。
決勝が終わると、表彰式の準備のため少し時間があった。準決勝で敗退した2人は、椅子に座って世間話をしながら、表彰式を待っていた。個人競技の選手は出稽古も多いので、みんな畳の上を降りれば仲良しだった。
3位になった熊本と奈良も会えば話をする間柄だった。
「奈良さん、腕大丈夫ですか?」
「ありがと、亜脱臼だって。関節極められた後に手をついたから、靱帯が何本か切れたと思う」
「うわー。当分乱取り出来ませんね」
「自衛隊の女子部監督の話もあるから、そろそろ引退してもいいんだけれどね」
「舞子みたいに妊娠してもいいですよ。コーチの方、かっこいいですよね」
「分かった?ははは。でもさ、私達、オリンピック金メダリストが3位って、この大会のレベル高すぎない?」
「奈良さんは私達より階級下じゃないですか?今何キロですか?」
「90kgは越えていると思うけれど、舞子も大分体重減らしてきたよね」
「でも筋肉量が大分増えていると思います。なんと言っても、『キングコング』ですからね」
「柔道着破るとは、普通じゃないよね」
「舞子は、柔道着も試合に合せて着替えていませんでしたか?」
「私の試合の時は、やたら袖の幅が広かった気がする」
「試合ごとに柔道着を何枚も作ったんでしょうね。九十九カンパニーは資金力がありますね」
「羨ましいな。オオマツだって企業じゃないか。自衛隊はそこまでの資金援助はないな。
気合いや根性は安上がりだけれど、これからは、根性論では勝てないってことだろうな。
ところで、舞子ってさ、1試合目が始まる前まで、応援席に赤ちゃんと一緒にいたよね。授乳しながら試合していたの?」
「2試合目以降は、練習場に来ていないけれど、警備やっている後輩に聞いたら、選手授乳室を作って貰ったそうです」
「夫がコーチだから、舞子達は2人で選手授乳室を控え室に出来るのか」
「舞子の相手の榎田涼君って、すごく大きくなりましたよね。舞子の練習相手するために増量したんですよ、きっと。
それにね、舞子のために海外から練習パートナーを2人も雇ったし、練習会には医者と研究者、マネージャーまで連れてきてたんですよ」
「本当?大リーグやプロサッカーチームみたいだね。その割には私服は昔と変わらないような気がするけれど」
「でも、企業から全面的に資金が来ているなら、絶対優勝しないといけませんよ。
それなのに、あんなに自由に柔道するって考えられなくないですか?
押さえ込みのチャンス逃すとか、返されてもいいから一か八かの大技に行くとか、会社に怒られないですかね」
「まあ、勝ちにこだわって見ている人がつまらない柔道になれば、観客は入らないよね。
私も、決勝は興奮したよ」
「榎田君も、ニコニコしながらコーチ席で見ているだけですよね」
可愛そうに、端から見ていると涼はのんびりしたコーチに見えていたようです。
そんな涼には、最後にまだ仕事があったようだ。
「涼、涼」
会場の出入り口から柊が手招きをしていた。
「冬月君連れてきたよ」
「おいおい、これから表彰式だぞ」
「だからだよ。見て見ろよ、ご機嫌だよ」
柊のジャンパーの中で、冬月がご機嫌な顔を覗かせた。
「しょうがないな。舞子に見せるだけだぞ」
涼の柔道着の中に潜り込んだ、冬月は親の匂いに安心して、声を上げてムニャムニャ言い出した。
「見せるだけじゃ駄目だよ。表彰式に連れて行かせろよ。受けるぞ」
「えー」
舞子も柊と同じ乗りだった。
舞子と涼の間で、ゴソゴソしていると、天尾審判員が2人の前を通った。
「早く柔道着の中に隠しなさい」
小さい声で囁いた。
冬月を懐に隠して、表彰者の待機席に座ると、めざとい3人はすぐその意図を理解した。
表彰台に上がるまで、頭の固い審判長から隠すように動いてくれた。
4人で秘密を共有している感じは、不思議な連帯感を生んだ。
4人が表彰台の後ろに立つとアナウンスが入った。
「表彰式が始まります。まず3位は熊本成美選手と奈良渚選手です。奈良選手は準決勝の怪我でしょうか。腕を釣っています。こちらには亜脱臼だったという情報が入っています。
2位は中学3年生長崎美仁選手。
そして昨年に引き続き、2連覇を果たした東城寺舞子選手が今大会の優勝者です?東城寺選手も腕を釣っています。いえ?なんと12月に出産したお子さん冬月君を抱いて表彰式に出てきました」
舞子はニコニコしながら、襟を開けて懐の冬月がカメラに写るようにした。
プレゼンターの横浜市長緑川蝶子から金メダルを掛けられ、皇后盃を受け取った。
舞子は市長に小さい声で話しかけた。
「選手授乳室助かりました。ありがとうございます」
女性支援を公約に掲げて当選した緑川市長はにっこりした。
舞子は懐の中から手を伸ばす冬月を見つめ、笑顔になった。
表彰を受けた4人での記念撮影には、ちゃっかり冬月が写っていた。
最後に表彰台を降りる時舞子は、皇后盃を美仁に持ってもらい、高々と冬月を掲げ、写真に収まった。
九十九応援団は全員立ち上がり、桔梗学園待機組の映像も一緒に立ち上がって大きな拍手をした。
表彰式の後には、舞子はインタビューボードの前に誘われた。
舞子は当然のごとく冬月を抱いて、インタビュアーの前に立った。
「優勝おめでとうございます。昨年の優勝後、突然妊娠されて、オリンピック代表辞退されましたよね。この強さならオリンピックの金メダルも取れたんじゃないですか?オリンピックとの2冠出来たのではないと思うと残念です」
「私は、結婚したい時に結婚して、産みたい時に産んで、柔道したい時に柔道してきて、満足です。
熊本さんのオリンピック金メダルも素晴らしいものだと思っています」
インタビュアーは想定外の返答に戸惑った。
「いや、オリンピックと全日本女子柔道選手権、それに体重別選手権で3冠なので、次のチャンスは4年後ということが残念だと・・・」
「記録を作ることが私の柔道の目的ではありません。今日の決勝はすごく楽しかったです」
インタビュアーは舞子の返答に戸惑ったが、原稿通りの質問を無理矢理出してきた。
「では、優勝に当たって、ご主人やご家族に感謝の言葉を」
(『ご主人』とは涼のことかな?)
「『夫』の榎田涼には大変感謝しています。また、子育てや練習への助力をしてくれた私の今の『家族』・・・」
そう言って舞子は応援席を指さした。
「みんなぁー。ありがとう」
応援席のみんなが手を振って返した。
「応援団の皆さんだけでなく、私の友人が乳母として会場で冬月の面倒を見てくれましたし、保育士の方達も1日中働いてくれました」
「保育士さんや乳母ですか?お母様の協力は得られなかったんですか?」
「女性が子連れでスポーツや仕事をするには、『専門の』スタッフが必要です。
今回は九十九カンパニーの全面協力で、栄養、医療支援、子育てなどトータルでサポートいただきました」
はい、何気なくPRしています。舞子は気遣いが出来るね。
急に企業PRが入ったので、慌ててインタビュアーは質問を変えた。
「次は3連覇と来年の世界選手権だと思うのですが、それについての抱負をお願いします」
(結局試合内容については、何も聞かないんだね)
「試合内容については何も聞いてくれないんですね」
「ああ、すべて一方的な試合でしたよね」
(この人、本当に試合見ていたのかな)
「スコア上では、すべて一本勝ちですが、押さえ込まれたり、技有を取られたりしました。
組み合わせ的には苦手なタイプの方も多かったので、涼と2人でしっかり対策を立ててきました。
今回の試合の目標は、決勝戦まで『ワクワクする試合をする』でしたので、目標は達成できたと思います。特に決勝では、長崎選手もガチンコ対決に応じてくれたので、非常に楽しい試合でした」
「決勝では、1回押さえ込みのチャンスを逃しましたね」
「あのまま押さえたら長崎選手の腕が折れます。お互いが怪我のない状態でガチンコ対決したかったので、あの時の判断は正しかったと思います。だから、関節技も出しませんでしたし・・・」
「そう言う意味では、来年は長崎選手も高校生なので、決勝は関節技を入れて対決できますね」
「来年ですか?私は他にもっと時間を掛けて学びたいことが出来たので、1年掛けて大きな大会に備えるような柔道はもうしないと思います」
「え?東城寺選手はこの大会で引退ですか?」
「そうは言っていません。柔道したい時に柔道をするだけです。6月の実業団の試合には、榎田選手の打込みパートナーとして会場に行くことは決まっていますが・・・」
「東城寺選手は試合には出ないのですか?」
「九十九カンパニーには女子チームがないので・・・」
「九十九カンパニーは女子部員を集めるつもりはないのですか?」
舞子は何も言わず肩をすくめた。
この後、いかにも九十九カンパニーの社員のような風情で走り回っている鞠斗と紅羽に、何人もの柔道関係者が名刺を渡しに行った。
「大分型破りのインタビューになったね」
涼の言葉に、舞子は素っ気なく答えた。
「インタビューの『型』がそもそもおかしいと思っていたから、いいんだ。まあ、でも母さんは怒っているかも知れないから、涼が冬月連れて挨拶してきて」
舞子はこの後、ドーピングに行く前に、選手授乳室で柔道着やサポーターなどをすべて脱いで、データ計測担当に渡さなければならない。そして、その後、「選手授乳室」の撤収作業に入らなければならなかった。柊がアルバイトの特権で、撤収ルートを確保してくれているらしいので、急がなければならなかった。
面倒な仕事を押しつけられた涼は、それでも怒りもせず、観客席に向かった。
「冬月、お前が仕事をちゃんとしろ」
「舞子はこの後、ドーピングなんで、一緒に来られなくてすいません。はい、冬月、お祖母ちゃんだよ」
冬月の威力は抜群で、寝技や引退の件で、一言言おうと構えていた勝子の記憶をすべて奪ってしまった。
「今日、冬月は初めて寝返りしたんです」
「冬ちゃ~ん。おばあちゃんも、冬ちゃんの寝返り見たかったでちゅぅ」
冬月に騙されなかった悠太郎だけが、涼の腕を引っ張った。
「舞子は、引退する気なのか?」
「さあ。俺も初めて聞きましたけれど。今日はそう言う気分だったんじゃないですか?」
「お前もあいつに振り回されているな」
「俺も短大に入学したので、これ以上練習パートナーばかりは出来ないですし、海外から雇っていたパートナーの2人も契約解除すると思いますから、こういう結論になるとは思っていましたが」
「じゃあ、チームを作ればいいじゃないか。さっきも各大学の監督さんが名刺持って、応援団ところへ走って行ったぞ」
「そうですか?柔道部の監督は、富山分校の九十九剛太君なんで、俺達には何の権限もないんですが。それより舞子の今後については、悠山先生の方がよくご存知じゃないんですか?」
「祖父ちゃん?」
さっきまで腕組みをして涙を堪えていた悠山は、今は冬月を抱っこして、ただの好々爺になっていた。
「涼、こっちは撤収終わったよ。
冬月は私が舞子のところに連れて行って、授乳が終わったら神奈川支社まで先に連れて行くから。
涼も着替えたら、柊と一緒にこっちに来て。
柊はロビーで待っているから」
圭が冬月を迎えに来たのを合図に、東城寺家と榎田家が帰り支度を始めた。
いつもは舞子が優勝した後は、家族揃って焼き肉パーティーをするのだが、これも肩すかしのようで、寂しい思いをしながら帰るようだ。
ロビーを通る時に、悠山のところへ柊がやってきた。
柊は手首の桔梗バンドを悠山に見せて挨拶した。
「今晩は。今日は舞子さんの優勝おめでとうございました。僕は舞子さんと涼君の同級生の狼谷柊と申します。
舞子さん達は、今日は宿泊地の九十九カンパニー主催の祝賀会に出て明朝帰ります。
桔梗学園の方でも後日、祝賀会をしますので、その時は是非是非、男女問わずご招待いたしますので、皆様においでいただきたいと思います」
前回、桔梗学園の体育祭に行けなかった男性陣の顔が綻んだ。
「後日、期日などをお知らせするメールをお送りしますので、待っていてください」
勿論、祝賀会という名の「結婚式」なのだが、仕掛け人の柊は何食わぬ顔で、仕掛けをした。
シャワーを浴びて着替えた涼は、ロビーのベンチでぼんやりしていた。舞子と熊本の顔がアップになった今大会のポスターが涼の目の前に貼ってあった。
(来年は舞子と長崎の顔のポスターになるんだろうな)
「よっ。お疲れ」
柊が剥がしたポスターを何枚か抱えて、涼が座っているベンチに腰掛けた。
「土産にいるか?ポスター?」
「ああ、ありがとう。松子祖母ちゃんとか喜ぶよ」
「大きくなった冬月にも見せてやれよ」
「そうだな。最後までありがとう。本当に助かったよ。祝賀会、一緒に行こうな」
「おう、お前達の弁当のクオリティ見ていると、夕飯楽しみでしょうがない」
「下宿では自炊しているのか?」
「というか、俺と梢と母親の3人で東京暮らししているんだ」
「おいおい、また梢の世話しているのか?」
「ああ、でもシスターコーポレーションから、ナニーを派遣して貰っているから、休みの日一杯、梢の世話しているわけじゃないし、大学でサークルにも入れるよ」
「シスターコーポレーションって、蹴斗と鞠斗の母親が運営しているナニー派遣部門だろ?」
「そうそう、涼は将来入社したいんだろう?」
「まあね。派遣されて来るのはどんな感じの人?」
「30歳くらいの人かな?頭は切れるよ。この間、うちの母親の海外出張があった時は、梢を連れて行ったから、ナニーも帯同したけれど、フランス語もペラペラで、向こうで梢を連れて遊びにいいた時も何不自由しなかったらしい。料理も現地のスーパーで買ったもので、梢の食事だけじゃなくて、母さんの飯までつくってくれたらしい」
「『秘書』兼『保育士』兼『家政婦』?」
「それに『ボディーガード』」
「え?」
「空手の有段者だって」
「支払いもそれなりなんだろう?」
「まあ、卒業生割引は少しあったらしいけれどね」
「そうそう、話は変わるけれど、琉がさ、桔梗学園でも舞子の祝勝会開きたいんだって」
「いいね。あいつはここに来られなかったからな」
「それでさっき、舞子と涼のご家族も招待したんだ」
「悪いな。今回は男性も可なんだな」
「それから、蹴斗と紅羽の送別会も兼ねようかと思って」
「オユンとマリアも、この大会で解任なんだよな。マリアはキューバに帰るらしいけれど・・・」
「オユンはどうするんだろう?好みは剛太郎タイプらしいんだけれど」
「え?オユンの子供って誰の子?」
「お前、毎日一緒にいてそう言う話をしてないの?オユンが連れているのは、亡くなったお姉さんの子で、オユンは独身だよ。まあ、オヨンチメグを『娘』ってオユンは普段言っているしね」
「オユンが独身って私は知っていたよ」
ドーピングが終わって帰って来た舞子が話に加わった。
「この話は、紅羽と蹴斗が聞いた話だからね。その2人に近い人しか知らないかも」
そう言う舞子は、シャワーを浴びて、ラフなワンピースに着替えていて、柔道着を破ったキングコングには見えなかった。豊かなウエーブの髪は背中いっぱいに広がっていて、シャンプーのいい香りが当たりにほのかに漂っていた。
「じゃあ、今晩の祝賀会では、オユンに今後の希望も聞こうね」
そう言うと、3人はタクシーに乗って九十九カンパニー神奈川支社に向かった。
第2部はずっと物語に底に流れていた不安が、現実になる話に向かっていきます。
でも、救いのあるような話になるよう心掛けます。皆さん応援宜しくお願いします。