「ドローンレース」国内予選へ
駒澤賀来人は一人で焦っていた。K大学で行われる「ドローンレース」の国内予選が間近に迫っていた。エントリーは最低4名。当初の予定では、蹴斗と琉、それに圭が出ることになっていた。
圭は切迫流産で、ベッドの上に縛り付けられていたため、興奮しないことを条件に年内は個人練習が出来た。しかし、出産後は子育てと情報セキュリティ対策のため、コントローラーをほとんど握れないである。
蹴斗は5月から、オーストラリア分校に行くため多忙にしている。琉は顕現教の事件の後、家族を桔梗学園に受け入れるため奔走していて、部室に顔を出しても、すぐ帰ってしまう日が続いていた。そんなわけでチーム練習がほとんど出来ないでいるのだ。2月の予選で優勝しないと世界大会に行けない。賀来人の焦燥はピークに達していた。
高校1年生の賀来人は、今まで同じ年代の仲間がいなかった。今の18歳の男子がすべて出て行ってしまうと、気安く話が出来る仲間がいなくなってしまう。だからこそ、最後に部活動で完全燃焼したかったのだ。
今日も賀来人は一人でドローンドッグファイトをしていた。賀来人は細くて長い足に交互に力を入れて、画面の機体を右に左に動かしている。
急に左後ろから銃撃を受け、賀来人の機体は落下し、GAME OVERとなってしまった。ゴーグルを外した賀来人の右肩に手を置いた人がいた。右に顔を向けると頭を撫でられた。
「賀来人は大分コース取りが上手くなったね」
その人物は、「K」こと圭だった。
「予選のエントリーありがとう。予選まで後10日あるね。みんなで、これからチームプレイの練習しようか」
「本人に黙って、エントリーしてくれたな」
左からの声に振り向くと、「Forest」こと杜晴崇がコーラを片手に賀来人のシートに寄りかかっていた。
「そんなジャンクな飲み物、飲んでいいんですか?」
「少しハイにならないとね」
晴崇が賀来人の左に、圭が右に座るとゴーグルをセットした。
突然、大音量で音楽が流れ出した。
「うるさくてお互いの声が聞こえない」
「大会はこんな音量だよ。お互いの機体の動きで、意思疎通しないといけない。晴崇行くよ」
「オッケー、賀来人は後ろにぴったりくっついてきて、後方からの攻撃を防いでくれ。GO」
この模擬戦の対戦相手は、今回ライバルになりそうな京都のチーム。勿論、対戦相手のデータもかなり収集してある。
「今度の大会は、『都市の中を飛んで、速くターゲットを探して撃ち落とす』という設定だろ。だから、実際存在しているビルの間を抜けて飛ぶんだ。最初は渋谷スクランブル交差点からスタート」
「晴崇、画面上方にこのレースのミッション発見」
今回はミッションは、「黄色い小型高速ドローン」だ。
敵味方合わせて8機の機体の下に、渋谷スクランブル交差点の光景が現れる。全員がターゲットの黄色いドローンを探す。
「8機?」
「俺もいるよ。ターゲットは渋谷のランドマーク、ファッションビル『109』上方に発見」
圭の向こうのシートから、琉の声が聞こえた。声と同時に、琉の機体が飛び出す。
突然、圭の機体が、ターゲットとは反対方向に飛び出し、晴崇の機体の下方から迫るドローンを撃ち落とした。
「よく味方の後方に撃ち込めるな、一歩間違えば、味方を撃ち落とすぞ」
賀来人は肝を冷やした。しかし、2人の飛行技術はそれ以上だった。2機でフィギアエイト飛行をしながら、交互に相手の機体に銃撃をして、3機を撃ち落としてしまった。と、見る間に晴崇と圭の2機は、琉のドローンを追いかけて行ってしまった。逃げ惑うターゲットの行く手を塞ぐためだ。
賀来人は、1機残った敵機と1対1をせざるを得なくなった。敵機はまっすぐ賀来人のドローンに突っ込んでくる。ギリギリのところで賀来人は相手の機体の下をすり抜けた。
勝敗は相手の機体をすべて撃ち落とすか、ターゲットを撃ち落とすかのどちらかで決まる。ここでいいところ見せないと、レギュラー4人から落ちてしまう。晴崇を念のため、エントリーしておいたが、5人すべてが出場できるわけではないので、賀来人は今までの個人練習の成果を見せないと、最後にみんなで公式戦に出るという夢も潰えることになる。
敵機はすぐUターンして、遠い距離からも撃ち込んでくる。
バシュ
プロペラ1つに銃撃が当たってしまった。すぐ、圭が蛇行飛行しながら戻ってきて、敵機をあっという間に撃ち落としてしまった。と、同時に琉がターゲットを撃ち落とした。同時に撃ち落とすと得点が倍になるのだ。
ゴーグルを外すと、額から流れ落ちる汗が目に入って、目にしみた。蹴斗が賀来人に、濡れたタオルを渡しながら、圭の席に座った。
「はい。次は俺が参加するよ。賀来人はまた同じ後方支援の練習だ。今度の舞台は横浜。対戦相手は仙台チーム」
琉以外は、1人ずつ交代しながら、賀来人への特訓は、2時間に及んだ。
「はい、お疲れ。俺も瑠璃の面倒見なくて良くなったから、集中できるね」
「賀来人、明日も同じ時間に集合だからね」
4人が部室から出て行くと、賀来人はシートに深く沈み込んだ。
「琉は、三焼山の出動の後、人が変わったみたいだ。今までは琉を押しのければいいと思っていたけれど、そんなこと出来ない高みに行ってしまった。どうすればいいんだ」
こんな特訓が、大会前日まで続いた。一応予想される対戦相手と舞台は、5回以上練習したが、琉より上手く出来た自信はない。
最終日、琉が賀来人の肩に手を置いて言った。
「じゃあ、国内予選は頼んだよ」
「え?レギュラーは琉のほうが、ふさわしいのに」
蹴斗が指で小さく×を作った。
「賀来人、俺は国内大会には行けないんだ。だから、世界大会の切符を持ってきてくれ」
「え?レギュラーは琉のほうが、ふさわしいのに」
蹴斗がゴーグルを外しながら言った。
「琉はまだ、桔梗学園を出て、国内を動き回ることは出来ないんだ。でも、ドバイの世界大会なら、行けるよ。だから賀来人には全力で戦って貰って、優勝をもぎ取ってきて貰いたいんだ。勿論、ドバイ戦までに、琉より上手くなればそのままレギュラーだけれど」
琉とその家族は、誘拐、若しくは殺される可能性があるので、まだ桔梗学園から外に出ることは出来ない。顕現教の事件の教祖が見つかっていないし、教団が解散もしていないからだ。賀来人はその辺の詳しい事情はよく分からなかったが、そこを詮索するほど愚かではなかった。ただ、10日間、みんなが賀来人のために、模擬戦を繰り返してくれたのは、自分が今回の大会のキーパーソンだからということは、良く理解していた。
「うん、ドバイ大会は5人で行こう。勿論、レギュラー争いは負けないけれど」
「いいね。実戦を積んでもっと強くなってきてくれ。それから、大会記念のTシャツはKとForestから、直筆のサインを貰ってきてくれ。あと、『東京ばな奈』と『シュガーバターサンドの木』と・・・」
圭が突っ込んだ。
「琉、会場は埼玉だよ。わかっているの?世界大会でも、一人ニューヨーク行きの飛行機に乗りそうだね」
「俺は『ホームアローン』のケビンじゃない」
膨れる琉をみんなで笑った。
翌朝は、良く晴れた日だった。新幹線の4人掛けを向かい合わせにして、蹴斗、晴崇、圭と賀来人が座った。賀来人にとっては初めての校外旅行だった。
「賀来人は新幹線に乗るの初めてだっけ?」
圭が駅の売店で買ってきた「サラダホープ」を渡しながら聞いた。
「はい、俺、親と休日に外出ってしたことがないんで、旅行はこれが『初体験』なんです」
蹴斗と晴崇は、賀来人が京と同じように、親に捨てられ、祖父母に預けられたことを知っている。そして高齢の祖父の面倒で祖母が子育てできないため、桔梗学園に預けられたことも。
深刻な話だが、そんな話は桔梗学園にはざらに転がっている。ただ、賀来人は桔梗学園に預けられたお陰で、16歳ながら飛び級をして、高校2年生のカリキュラムを学んでいるし、食事も十分食べている。現在身長期なのだろう、細身の身体はあと少しで晴崇の身長を抜きそうである。
「圭さんは、修学旅行に行ったことはあるんですか?」
「いや、私は小学校からまともに学校に行ったことがないからないな。同居していた兄ちゃんは、すべての学校行事に参加していたから、話を聞いたり、写真や『修学旅行のしおり』を見せて貰ったりしたことはある」
晴崇は微妙な顔をして、圭を盗み見た。しかし、圭は全く気にする風もなく、話を続けた。
「えっとね。兄ちゃんの小学校の行き先はS島、中学校は東京、高校は京都、大阪だったかな?」
蹴斗が「柿の種」の袋をガサガサさせながら、口を挟んだ。
「高校って、沖縄に行くんじゃないの?」
「コロナが終わった頃から、物価がどんどん上がって、沖縄に行けなくなったらしいよ」
賀来人が水筒から麦茶を飲みながら、質問を続けた。
「そもそも、修学旅行って何しに行くんですか?」
「『何』って、『修学旅行のしおり』の1ページ目には、『集団行動を学ぶ』とか『平和学習』とか、『地域の特色を学ぶ』とか書いてあったな」
「圭は『しおり』の1ページ目なんか見るタイプなの?」
晴崇は圭の新たな面を見たような気がした。
「修学旅行に行かないと、その分のまとまった金が返金されるじゃない?それを使って、自分一人で旅行する参考にしおりを見るんだよ」
賀来人が不思議そうな顔をした。
「返金されたお金を、すべて圭さんが使うんですか?」
「勿論、うちは父親が遠洋漁業の漁師だから、年に1.2回しか帰ってこないけれど、教育のためと言えば、いくらでもお金出してくれたから。修学旅行費は『自分の』教育のために使ったよ。小学校の時はS島に一人で行ったし、中学校は東京に行ってe-Sportsの大会に出たなあ。それ以外も秋葉原に行ったり、自転車で東北一周したり結構外出したよ」
「そんなにアクティブなのになんで学校に行かなかったの?」
「あー、低俗な人間関係や教員が要求する『いい子』になるのが、面倒だったから?かな。授業の進度も遅くて時間の無駄だったし・・・。教科書なんて貰った日に1回読めば、ああこの程度って分かるじゃない?兄ちゃんの教科書でも簡単すぎて、これを1年も掛けてやるのかと思うとうんざりしたよ」
賀来人達は桔梗学園で一斉授業をしたことがないので、圭の困り感が分からなかった。
「『いい子』って、何ですか?」
晴崇と蹴斗が顔を見合わせて、笑った。
「ここにはいないからね」
蹴斗が、柿の種を空中に放り投げて口に入れた。
「ああ、そういう行動はいい子はしないね。何でも禁止されるんだよね。例えば食べ物を投げて食べたりすると『柿の種が気管に入ると危険だ』とか言って」
「うへー。窮屈」
「私は小学校でサッカークラブに入っていたけれど、そこも一人でボールを持っていくと、『パスしろ』とかうるさいんだ。目の前にゴールが空いているのにだよ?ボールをみんなに渡すのが『いい子』らしい」
蹴斗が今度は柿の種を2個一遍に投げて口に入れ始めた。
「バスケットで目の前のゴールが空いているのにシュートしなかったら、怒られるよな」
「まあ、そうやって小さい頃から、集団生活をたたき込んで、同調圧力なんかを日本人は身につけるんだろうな」
桔梗学園には「生徒指導」や「生活指導」という概念がない。危ないことをして怪我をしたら、痛い思いをして、危険性を知ればいい。乳幼児も頭をぶつける以外は、基本的に放置されている。桔梗バンドがついているので、行方不明にはならない。一番心配性なのは園庭にいる犬たちである。ビーグル犬のココは、よく乳幼児を吠えて叱っているし、ゴールデンレトリバーのポポは襟首を掴んで?赤ん坊を運んでいる。つまり、犬が危ないと思うこと以外は、放置されるのだ。
賀来人は「外界の世界には不思議なルールがあるもんだ」と思った。
「あの、トイレって新幹線にある?」
「あー、ドアの出口にマークがある方に歩いて行くとあるよ」
「俺も行く」
「コーラあったら買ってきて」
賀来人と蹴斗が席を立った。
「最近は車内販売とか無くなったんだって?」
「昔あったらしいね」
桔梗学園ではなかなか飲めないコーラが好きな晴崇は、チャンスがあればコーラを飲みたがる。
「あっ、2本頼めば良かった」
「ぬるいと美味しくないよ」
「圭が眠くなったら飲ませてあげるよ」
「今日は、話をしているせいか眠くないね」
圭は深夜の授乳のせいか、昼はいつも眠そうである。
「いいよ。肩を貸すよ」
そんな甘~いムードを楽しんでいる晴崇のほっぺたに、2本のコーラが押しつけられた。
「多分欲しいと思って2本買ってきた」
「流石、蹴斗。でも今日は賀来人にコーラ体験して欲しくてね」
晴崇は照れ隠しに話題を反らせた。
「えー。この黒いの美味しいんですか?」
「戦後の日本人みたいな感想だね。まあ、ぐーっといきたまえ」
当然のごとく、賀来人は飲み終わった後、盛大にゲップをした。
「変な味。何が入っているの?」
「企業秘密だそうだ」
「桔梗学園の外では、このように何が含まれているか分からない謎の食品が多く出回っている」
「賀来人をからかうなよ、晴崇。そうそう1号車と2号車が昔と変わっているんだね」
コロナの流行と人口減少の影響で、JRも経営努力をしているらしい。
「どんな風に?」
「1号車は荷物運搬専用車に、2号車は座席がすべて取り払われて、フリースペースになっているんだ」
「フリースペースって、何用なんだよ」
「さあ、イベントとか?レスリングとかできそうだよ」
「あーね。昔、列車の中でレスリングするイベントがあったらしいね。でも、新幹線でやったわけじゃないよ」
「自転車を畳まないで、そのまま乗せられたらいいのに」
「今日は特にイベントもなかったみたいで、フリースペースには自転車が3台くらいあったよ」
「圭さん、自転車って畳めるんですか?」
「ううん。昔は、自転車を一部分解して、輪行袋って袋に入れないと、電車には持ち込めなかったんだ。今はどうか知れないけれど」
「乳母車なんかも折りたたまず、新幹線に持ち込めればいいのに」
「そうだね。この車内にも赤ちゃんがいたけれど、乳母車は端っこに畳んでおいてあったね」
ふんぎゃ~
自分の噂がされているのが分かったように、生まれて間もない赤ちゃんの泣き声が、車内に響き渡った。
「圭、大丈夫?」
晴崇が心配そうに圭の顔をのぞき込んだ。
蹴斗が「圭は具合悪いのか?」という顔をした。
圭が顔をしかめながら答えた。
「授乳の時間なんだ。今の赤ちゃんの声を聞いて、おっぱいが張り出しちゃった。暁と瞬がいれば飲ませれば早いんだけれど、絞ると時間がかかっちゃうんだよね」
「授乳室使うか?」
「さっき泣いた赤ちゃんのお母さんが使うんじゃないかな?ここで絞っていい?」
晴崇が慣れた手つきで、授乳用のケープを圭にかぶせた。賀来人はどこを見ていいか目を泳がせた。
「ごめんね。賀来人。目の毒だね」
賀来人は、反対側の窓の方を向きながら、手をひらひらさせて言った。
「蹴斗、将来のために見学しろとか言わないでくれよ」
明るい笑いが漏れた。
双子に吸われるので、圭の胸はかなり「哺乳類として」発達してしまっているのだ。
晴崇はそんな圭を愛しげな目で見つめている。蹴斗はまたからかいたくなってきた。
「晴崇もそんな目、するんだね」
「うるせー」
「嫌。紅羽はなかなか母乳が出ないんで、俺は見ていられないんだよ。たまに舞子に余った母乳を分けて貰うけど、やっぱり翠斗に吸って貰いたいらしい」
「そう言えば、舞子も母乳出るらしいよな。試合大丈夫か?」
「試合の合間に絞るんだろう?吸わせるわけに行かないもんな」
「でも、決勝が近くなったら、試合間隔狭いよね」
「はい1本、晴崇、もう一本貸して」
「あのー。その母乳はどうするんですか?」
好奇心に負けて賀来人が質問した。晴崇がにやっと笑った。
「飲んでみるか?」
「いいんですか?こんな機会はないんで、試してみたいです」
圭が心配して言った。
「まずは、舐めたほうがいいよ」
賀来人は恐る恐る母乳を舐めてみた。案の定、微妙な顔をした。他の3人は全員経験者らしく、吹き出してしまった。
「不味いだろう。水で薄めた牛乳の方がまだ『まし』だよな」
「みんな、知っていたんですね」
晴崇が賀来人から、哺乳瓶を受け取って笑いながら答えた。
「普通、親になったらみんな飲んでみるさ。だって、赤ちゃんは実に上手そうに飲むからさ、どんなに美味しいのかって、そして異口同音に『不味い』って言うんだ」
「いい経験になりました。圭さん、ご馳走様でした」
いつもクールな賀来人が狼狽える様を楽しみながら、新幹線は目的の駅に到着した。