2
(国王の執務室)
クリストフは国王の執務室への入室許可をもらって婚約破棄と再婚約の話をしようとしていた。
「父上、お時間をいただきありがとうございます。」
「愚息よ、よくもやってくれたな?」
「えっ?父上…?どうしてそこまで怒って…」
国王はクリストフが来る数刻前に影から報告を受けていた。
「王命であるキャサリン=サフィス嬢との婚約を破棄すると宣言したそうだな!?」
「それは、私が真実に愛する相手であるイリス=バネードと結婚したいからです!
サフィス侯爵家よりもバネード公爵家の方が家格も上ですし、イリスと私は想い合っているのです!」
「戯けたことを吐かすな!家格云々は全くもって関係ない!キャサリン嬢とイリス嬢では天と地程の差があるんだぞ!?
キャサリン嬢がたった数年でこの国にどれだけの恩恵を齎したか知らないとは…」
彼女は他国語に優れていて大使たちと通訳なしで会話ができる。そして商才もあるため、国交の少なかった国からこの国に必要な資源を輸入することに成功した。
また、物流整備に費用を投じるように財務や国王、王妃に掛け合い、以前よりも短期間で輸出入が行えるようにするなど政策を陰ながら支えてくれていた。
「ま、待ってください!イリスはキャサリンよりも優れております!学院の成績だって常に上位で…」
「キャサリン嬢の優秀さは王城に勤める者ならば誰でも知っている。彼女の兄であるヴィンセントも優秀であるが、学院での成績が普通なのは本気を出すと周りの士気が下がることを懸念した宰相が頼んでいるからに過ぎない。」
「そ、そんなこと誰も教えてはくれなかってはありませんか!?」
「お前は彼女と勉強していた時期もあった故に頭脳明晰さを理解していると思っておったが…」
「彼女は何度も講師にやり直しを命じられていました!そんな彼女が優秀なはずはありません!
イリスのほうが絶対に妃に相応しい筈です!」
「ほう。ではそれを証明してみせろ。」
「えっ?」
「再来月にコルディス大公国の公子がやってくる。
視察の一つが貴族学院だ。その案内をふたりだけでやってみよ。」
「分かりました!公子を完璧に案内して、イリスの優秀さを証明してみせます!」
「それまで、お前の婚約破棄と再婚約は保留だ。いいな?」
「はい、分かりました。」
嬉しそうに執務室を出ていく愚かな息子を殺意にも似た感情で見つめる国王。
「王族であるはずなのにキャサリンの重要性を知らないとは…情けない…。」
国王が独り言ちたときに宰相がやってきた。
「陛下、お時間宜しいですか?」
「宰相。何だ?」
「こちらの書類にサインをお願いいたします。」
「宰相よ、これにサインすることは出来ぬ。」
「何故です?」
キャサリンとクリストフの婚約破棄の書類を宰相は差し出した。
「睨まんでくれ。少し時間をくれればいい…。」
「では、サインだけ済ませて金庫にでも保管しておきます。
どの道、クリストフ殿下とイリス嬢では公子殿下をご案内することは不可能でしょうから。」
「私がその条件を出すことを分かっていたのか?」
「はい。しかし、クリストフ殿下は正気なのですか?」
「本気でイリスが何とか出来ると思っているようだ…。」
「はあ…。とにかく陛下、キャサリンの婚約破棄の書類にサインを。」
「…」
「陛下、諦めてください。」
「仕方あるまい…。あの人材を手放すのは惜しい…。」
「陛下、安心してください。甥たちに殿下たちをフォローするように頼んでありますし、案内役が変更になつたことは公子殿下に書簡を送らせていただきましたから。」
「宰相よ、感謝する。」
国王は渋々書類にサインをする。
「エリック殿下を呼びますか?」
宰相は国王に訊いた。
エリックはかなり優秀で王城内でもクリストフ派よりも断然エリック派が多い。しかし、側室から産まれている。
国王は第一子であり王妃から産まれたクリストフを立太子するのが普通であるが、全てが凡庸なクリストフでは国を任せることはできないと悩んでいるのを宰相は知っていた。
「それも時間をくれ。コルディス公子が来るまでにはエリックを立太子することを議会で発表する…。」
「承知しました。」
「愚息が迷惑かける…」
「当家にとっては些細なことです。ご安心を。」
「ああ…。」
………
「では、婚約破棄が成立するのは早くて公子殿下の視察が終わってからなのですね?」
帰宅後にヴィンスはキャシーに状況を説明した。
「そのようだ。伯父上が陛下にサインをもらって、直ぐに受理できる形にはなっているはずだよ。」
「わかりました。ヴィンスお兄様、ありがとうございます。」
「いや。お礼なら伯父上とアラン兄さんに言ってくれ。」
「ふふ。書類を作ってくださったのはヴィンスお兄様ですから。伯父様とアランお兄様にはお手紙とつい先日、コルディス大公国から輸入し始めたハーブを使ったサシェを贈りますわ。」
ニコニコしているキャシーを優しく見つめていたヴィンスだったが、彼女に申し訳なさそうにして言葉を続けた。
「それとね、キャシー。コルディス公子殿下の対応はクリストフ殿下とイリス嬢になると思うけど、そのフォローを伯父上から頼まれている。
クリストフ殿下は語学が苦手だろう?それはイリス嬢も同じなんだ。」
「ですがコルディス語は高位貴族や王族なら幼少時に学びますよね?」
「それね、ノーヴァ公爵家とサフィス侯爵家だけなんだ。」
「えっ?」
「ノーヴァ家は宰相を継ぐ者として他国の公用語や歴史、文化を幼少時から叩き込まれる。サフィス家は他国との商談が円滑にできるように、同じように公用語、歴史、文化を叩き込まれているんだ。」
「そうでしたの?知りませんでしたわ…。」
「クリストフ殿下もイリス嬢も少しは勉強しているとは思うけど、ふたりとも勉強嫌いだから再来月までにどこまでできるか…。
まあ、クリストフ殿下たちにバレないように直ぐに駆けつけられる所から見守る程度でいいそうだ。
とはいえ、公子殿下に失礼があってはせっかく輸入の始まった物が停まってしまったり、現在進行中の輸出入の話も白紙に戻ってしまう可能性もある。
準備は万全にしておくこと。いいね?」
「はい、ヴィンスお兄様。」
………
(コルディス大公国)
宮殿の執務室ではレイノルド公子が視察の準備と並行して通常の執務も行っていた。
『レイノルド殿下、カルリア王国の視察前でありますが王国の宰相であるノーヴァ公爵閣下より魔法書簡が届いております。』
『ノーヴァ公が?何だろうか、何か起きたのだろうか?』
彼は側近から書簡を受け取り内容を確認するとガタッ!と椅子から立ち上がると『有り得ない!』と叫んだのだ。
『殿下…?』
『ああ、すまなかったな。しかし、どうやらカルリア王国の王子殿下は彼女の重要性を理解していなかったようだ。』
『ま、まさか、彼女と婚約破棄した…とか?』
『そのまさかさ。そう記されているよ。
予定では彼女たちが私の視察に同行する予定であったが、国王陛下の都合で変更になったらしい。第一王子殿下とその新しい婚約者候補だそうだ。』
『なんと!?それは我が公国を蔑ろにされているのではありませんか!?』
『そうではないよ、ウィル。ノーヴァ公は第一王子殿下を完膚無きまでに懲らしめてやっていいと仰っておいでだ。
ノーヴァ公は彼女の伯父だからね。』
『左様でしたか。失礼しました…。』
『でも、彼女にアプローチしてもいいってことだから、用意するものが増えたよ。』
『そちらの準備は私が。』
『流石、ウィルだ。』
『レイノルド殿下のお気持ちは側近の私が一番存じておりますから。一旦、失礼しますね?』
側近が去り、彼は遮音結界を張った。
『はは。やっと彼女に堂々と話しかけることができるぞ!
あの阿呆王子にしてはいい仕事をしてくれたよ!
あー、カルリア王国に行くのがとても楽しみだな!
早く再来月にならないかな!』
レイノルドウキウキと返事を書き、魔法を飛ばす。
「そうだ!王国の滞在が伸びてもいいように仕事進めておかないと!」
とまたもやウキウキと執務を始める。その姿は側近が戻ってきても続いていた。