脱皮
朝起きて、いつも通りに顔を洗ったら…指先になにやら違和感が。
なんだこれはと思って鏡をぼんやり覗き込むと…眉間のあたりの皮がばっちりめくれているぞ…。
「うわ、ついにきたか…」
先週家族で大型レジャープールに行き、日焼け止めも塗らずに5時間はしゃいだ成果がいよいよクライマックスを迎えたとみえる。焼いた日の夜にちょっとした灼熱とヒリヒリ感を満喫し、次の日には激痛に悶え苦しみ、そのまた次の日も激痛に涙し…やっと体全体が落ち着いてゴワゴワになったところで、表皮の崩落が始まったようだ。
垂れるしずくを拭うと、水分と指先に巻き込まれた薄皮が嫌な感じで縒れるレベル…これは顔だけでは済むまい、そう思って半袖をめくってよくよく観察してみれば、肩のあたりに所々ひらひらとしたものがある。はがれ始めた皮膚のはじっこをそっと指でつまむと、おもしろいようにペリペリと……!!
「ナニコレ!脱皮じゃん!これはすごい!取っちゃお!!」
うわあ!ちょ〜おもしろい!
よーし、こうなったら全部はがして・・・
「ちょ?!だめですよ!!日焼けの皮は無理やりはがすと痕になっちゃう!!」
やけに慌てた声が聞こえてきたぞ!!!
鏡越しにあたりを確認するが、発声主は見当たらない。ぐぬぬ、これはいったい。
「なんでこのタイミングで焼いたんですか?!気をつけてって言ってあったのにー!!」
鏡から視線を逸らし、声のする方向…真横を向いた私の目に飛び込んできたのは…おお、これはこれはイケメンの兄ちゃんただし色合いがずいぶん奇抜・・・、宇宙人の長谷川さん(仮)じゃありませんか。
ええと、この騒がしい人はですね、某宇宙の彼方からやってきた地球外の人でしてね。
次元移動のタイムラグがあるらしい。声に遅れる事約三秒、うっすらと姿が浮かび上がってきた…ああ、転換完了したみたい。なんかやけに興奮しているな、いったいどうした。
「おお、半年ぶり!ええと今日は…なんだったっけ??」
七本指の手に握られているのは…、妨害発生&回収の機械か。
…という事は、私は今の今まで何かの記憶を封印していたって事で…と思い出しているはしから、みるみる自分の記憶をガードしていた霧が晴れ、普段忘れていることが鮮明になっていく。
……ああそうだ、そういえば9月頭に来るとか言っていたんだった。
しまったなあ、普段何も知らない一般人として暮らしてるもんだから、ついついうっかり頼まれてた事を忘れて…いつも以上にハッスルしちゃってたぞ。
私はあんまりこう、興味がないというか、聞きたくないっていうか、ごく普通に生きていたいというか…いちいち宇宙人を見つけてはしゃぐ年でもなくなったっていうかですね。SF展開にwktkしていた時代はとうに通り過ぎてしまったので、基本用事がある時以外は極力接触を避けてもらって、何も知らない一般人として暮らしていたりするのですよ。
うーん、気をつけとこうとは思ってたんだけどな…ああそうか、だからプールに行く前にやけに行きたくないってイヤな予感がしてたんだな!!何を隠そう虫の知らせシステムってのは、こういうところで実に有益に使われておりましてですね。なんか行っちゃダメだよねとか、どうもおかしなことがおきる時ってのは、大概記憶を微妙に封じ込めてる背景があったりしましてですね。
出掛けにやっぱやめようよってごねたけど、結局家族の意見を尊重して出かけちゃって、行ってみたら楽しすぎて我を忘れて羽目を外したんだった…。
ぐぬぬ、やっぱり深層心理だけではこの手のスケジュール管理はなかなか難しいものだなあ。今後はアイデアメモのフリして一筆書いておこう、へんてこな物語でも書いたら多分おそらくなんとなく気をつける事ができるはず……。
「もう!!今日は年に二度しかない貴重な脱皮日ですよ?!お約束の時間が来たので意気揚々とはせ参じてみれば…こんな、こんな大惨事がー!!!!」
ああ、宇宙人でもテンパると頭抱えるんだ、ふうん、なんか新鮮…。あれかなあ、いつも私の身振り手振りをきっちり学習してるから、多分その影響だよね。なんていうか、こんなへっぽこな威厳のないあわて者宇宙人になっちゃって…いささか責任を感じないでもないぞ…。
とはいえ、ジェスチャーは残念ながらも、相変わらずくすみのない銀色のお肌と清潔感あふれるお姿をしていらっしゃるし、ずいぶんご立派なんだけどね。ふうむ、この前移植した天然パーマはうまく定着したみたいだね、良かった良かった。三年前はいがぐり坊主の脂っぽい毛根移植してアレルギー発症して大変だったんだよね、せっかく構築した頭蓋骨まで溶けちゃってさあ、いやああれはホントにグロかった…。
「完全に大損害です、こうなったらおまけ商法でごまかすしかない!!その自慢の白髪だらけの直毛ストレート…つけてもらいますからね?!あと蚊に刺された皮膚も提供していただかないと勘定が合いません!!五匹…いや、十匹ほどに食われてもらいたい!あと爪も深爪になるまで切ります、覚悟してください!!!」
「えー、マジで?まあ、髪の毛はいいけど蚊は勘弁してよ、この前ニキビ潰さないで我慢したし、宝毛も抜かずに取っといてあげたでしょ?!爪も…長くなってるし、わりかし収穫あるじゃん…」
宇宙に生息している皆さんというのは…、基本人体を持ってないので、それはそれはたんぱく質組成分を欲して…熱望していらっしゃるのですよ。私はまあ、ちょっとした縁があって、この人に体組成成分をお分けしていたりしましてですね。年に二回ほど、ずるりと体表を剥がし、まるっと提供をしていたり。で、その見返りというか、報酬?として、いろんな世界をたまに満喫させていただいているのだなあ。次元を超える経験とかなかなかできるもんじゃないし、年に二回の事なら皮ぐらい脱いでもいいかって考えでさあ。
たまに有無を言わさずにもぐもぐいっちゃう宇宙人もいるなか、長谷川さんは実に紳士で礼儀正しくお気をお使い下さる方なんですよ。非常に人肉愛にあふれる、地球人の保護と名誉を尊重するタイプの穏やか見守り派の宇宙人でしてねえ。
普段は実に平和にのどかに研究者を務めており、上空で雲に紛れて観察をしていらっしゃるのですよ。かなりの有名な研究者らしいのに、こんな残念な感じになってしまって申し訳ないのなんのって…私のせいでおかしな地球人に仕上がってしまったという負い目がですね。たまに即捕獲即培養即捕食の有無を言わせずパク―派の宇宙人と抗争を繰り広げては駆除しているらしいから、あんまり怒らせたくないってのもあるんだけどさあ。
曰く、とっとととっ捕まえて集めて無理やり増やしたたものと、交友関係を結んで快く提供してもらうサンプルじゃあ、ずいぶん違うんだそうで。なんだかんだ、生命活動が続いている人肉由来のものの方が使い勝手が良く、再生の手間がかからないとか…。
私の脱いだ皮は、人肉スーツの材料になったり、人間体験に使われたり、コレクターに喜ばれたりするんだってさ。微妙に活きが悪いので、細胞牧場なんかにはいかないとのこと。
宇宙協定には収穫は年に2回までという制約があり、少しでもいいものを得ようと熱意がすごいのなんの…。わりとかなり無理難題を言う事もたまにあって、本気の殴り合いをした事もあるくらい。野蛮な宇宙大戦争は、田舎の町の片隅でひそかに行われていたりしましてですね。タトゥーと全身脱毛は何とか死守したものの、丸坊主と眉毛そり落としは負けちゃったという…。
「だって!せっかくのシミだらけの表皮!こじわ…素晴らしい芸術が薄皮のヴェールで霞んで!アアア、もったいないぃイイい!!!しかもね?!脱皮不全も有りうるんですよ?!ああ…貴重なサンプルがーがーがー!!」
ちょ、宇宙人がこんな事で目に涙浮かべてドタバタするとかさあ、おかしくない?!ざ、罪悪感がー!!
「ご、ごめん、でもまあ大丈夫でしょ…心配しすぎだよたぶん!!めくれてんのは表皮の更に表面のぺらいやつだけだもん、マアマア落ち着けって、なっちゃったもんは仕方がない、あんまり時間巻き戻すとまーたややこしいことになるでしょ!!」
「うう…一週間巻き戻しは確かにキツイ…でも諦めがー!!!」
「今回はこのままでいいじゃん、もめてたらせっかくの一大イベントが台無しになるよ?……ほら、はがれてきた!!脱皮始まったけど、いいの?グダグダ言って手伝わないなら……自分でガサツに脱ぐ!!!」
「あわわ…よくない!!ハイ、背中をみせて下さい!!」
もも…もちゅ、みみちっ…ぷち、ぷちぷち・・・!!!
絶妙に耳触りのよろしくない音が背中の方から…ううむ、今回は右手から抜けるのかな??薄手のゴム手袋くらいの皮が、ずるりとはがれていくのがわかる。
まったくもって理解ができないけど、この脱皮現象、人体細胞をクローン?培養しつつ、表面を覆う繊維質を複写し一体化させて剥ぎ取っているのだそうだ。細胞は生命なので服とは違ってコピーが手間になるんだとかで、特殊な技術を使って時間という軸をずらして…なんだったっけかな、詳しく説明を聞いて一度は確かに納得したけど、頭の出来が残念過ぎてすっからかんに理屈を忘れてしまっているのが何とも。
「はい、つま先をそっと抜いてください…じゃあ、最後に頭部行きますよ…ちょっと押さえますね、耳うるさくなります、我慢、我慢!!」
「へいへい」
長谷川さんのサポートを受けつつ、丁寧に皮を脱いで……。
ばばっ、ばり、ばりり・・・!!!
音が一瞬めちゃめちゃ大きくなるのは、鼓膜のあたりがはがれる時。どうやら微妙に貼り付いている部分がこびりついているらしい。脳天を直撃するやかましさだけど、ま、一瞬だからなんてことはない。旦那のいびきの方がよっぽどだ。
手早く頭部の皮を脱いで、残っている前面の部分を潰さないようにそっとはがすと…ぺしょぺしょの半透明の私があらわれた。それを手早くまとめて、チェックをしている偉大なる研究者…よし、ちょっとだけ機嫌が戻ってきたらしいぞ!おかしな鼻歌が聞こえてきたし。
「~♪ふう・・・お疲れさまでした♪今回は脱ぎやすかったですね!!やっぱり夏は衣服が少ない分簡単だなあ…。前回はシミーズが破れちゃいましたもんね」
「ロングタンクトップだよ!!!シミーズってきょうび相当な婆さんでも言わないぞ…あんた知識欲が旺盛なのはいいけどね、時代に合った言葉を選ばないと浮くよ?!」
無事に脱皮が完了したので、軽口をたたき合ってみたり。
私はわりとこの、調子に乗ったやり取りが嫌いじゃなかったりするんだよね。だからこそ、どういう仕組みかは全然わからないものの、年2回、脱皮を楽しんで?いるのだ。
細かい事を言えば、気になる部分はそりゃあありますよ。
着ている服ごと自分の薄皮がべろりとはがれるとことかさ、一般常識的なものが脳裏にあるからか釈然としない部分がアリアリだし。背面に縦一文字に切れ込みを入れて、そこからぬるっと出てくるのだって、新たな?自分は決して新しくないというあたりが何とももにょるしさ。実際には、くたびれた自分の皮だけがコピーされて、まとわりついているのを脱ぎ捨てるって事なんだろうけど、脱皮ってこう、成長する際に新しい本体が出てくるのが本来だよねとか、ついつい地球人常識でツッコみたくなるっていうか……。
かといってですよ、どうせなら若くてぴちぴちしたシミひとつないお肌になりたいみたいなさ、そのあたりの事を口にしたら二つ返事でいいですねえとか言われて、あっという間にごく普通の一般人から遠ざかっちゃうパターンに突入するとしか思えないわけですよ。そんなの、絶対に・・・あっては、ならん!!!人間、ごく普通が一番!!!
「うん、表面は毛羽立ってるけど…、穴は開いてないみたいです!!いやあ、このたびもありがとうございました!!想定外の事があって取り乱してすみませんでした、次回もぜひ!!」
はしゃいだ声をあげて喜ぶ長谷川さんの手には、パンパンに膨らんだ私の皮……。穴があいてないか調べるために空気を入れて確認してるんだけど、この光景が実にシュールで…なんていうか、うん、私、絶対に暴飲暴食はやめようって毎回思うんだよね…。っていうか、空気がパンパンにはいると、ずいぶん若く見えるようになってきてるんだよね……。小じわが全部伸びるからだよね、ああ、私もずいぶん年を取ったのだなあ…。あかん、なんかテンションが下がってきたぞ……。
「へいへい、じゃあまた3月にね。なんか面白そうなことあったら随時コンタクトしてちょうだいな。髪の毛は近いうちに切りに行くから、転送システム組みこんどいてね。蚊は今度草刈りあるから、その時にでも相談に来てよ…」
「了解です!!!ではまたよろしくお願いいたしますですー!!!」
銀色の好青年は、表情一つ変えずに元気なお礼の言葉を述べて薄くなっていく。
そうだなあ、宇宙人には表情筋がないから、いつ見ても同じ顔なんだよね…。
声だけ聞いてたらそこら辺のちょっとズレてる日本人なんだけどなあ…。
動きだけ見てたら、わりかしそこら辺のおばちゃんみたいなんだけどなあ……。
ああ…そっか、おばちゃん…私にそっくり……。
鏡をのぞき込んだ私は…ええと、何がそっくりだったっけ?
昔はよく似たタレントもいたもんだけど、最近は加齢のせいか誰とも似てないんだよね。
しいて言えば、シーズーに似ているような、なんか、私…ずいぶん老けたなあ。
そっか、中途半端に伸びた髪の毛が余計にババ臭いんだ!!
伸ばそうか迷ってたけど、夏は終わったとはいえまだまだ暑い日は続くだろうし、ここは一発さっぱり切るかな!!よーし、バッサリいっちゃお!!!
そうだな、爪も伸びてるし、そっちもさっぱり切ってから美容院に行こうかな!!
よーし、帰りに美味いもんでも食べてこよっと!!
ついでに秋物の酒も買って来よう、ようし今日はうまいつまみを作って…ぐふふ!!!
私はウキウキしながら、洗面所をあとにしたのだった。