ずんぐりとした生き物
「ぴぃ」
それは唐突な出会いだった。
ララ・ウィルソン子爵令嬢は王都の南部にあるセントライア学院に通っている。将来上級貴族の侍女として働けるよう側仕え科に籍を置く二年生だ。
その日、ララは放課後図書館で資料を読みこんでいて寮へ戻るのが遅くなった。
図書館から寮までいくつかのルートがある。一番近道の森を抜けることにした。
すると、途中で、鳴き声がした。
小鳥? と思い頭上をぐるりと見渡したが姿はなかった。
「ぴぃ」
また、鳴き声。
注意深く聞き耳をたてれば、鳴き声は上ではなく下から聞こえている。
目線をゆっくり落とし探る。
銀杏の木の根、黄色と赤の落ち葉の中に埋もれるようにして見える灰色の何か。
「ん? え? なにこれ」
ずんぐりしている。
生物としてあるまじき、ぬいぐるみ的なずんぐり具合である。
しかし、確かに生きて動いている。動いているというか、落ち葉の中でゴロゴロもがいている。
「ぴぃ、ぴぃ」
これは助けを求めている……のだろうか。
得体のしれないものに触れるのは抵抗があるけれど、このままでは落ち葉に溺れて死んでしまうこともありえなくない。そんな鈍くさいところも危機感を低下させ、ララは助けてやることにした。
ひょいっと持ち上げる。
見た目の通り、もこもこしている。
もがいていたせいで落ち葉が細かく割れて身体中にくっついているのとってやる。
「ぴぴぴぴぃ」
ソレはララが助けてやったことを理解しているようで、大人しくされるがままで、時折嬉しそうな声を上げる。まったく警戒心の欠片もない。こちらが心配になるぐらいだ。
(……それにしても、この生き物は一体何だろう?)
卵のような大きさで、全身は毛で覆われ、羽……にしては小さすぎる手? のようなものがちょこんとついて、それが鳴き声に合わせてパタパタと動いている。目と嘴らしきものはあるが、鼻と耳は見た目ではわからない。足は申し訳程度にこれまたちょこんとしたものがある。生物というより、やはりぬいぐるみが何らかの魔法で動き出したという感じだ。
(ゴーレムとかそういったものを作る練習として、魔法科の誰かが作り上げたものかも?)
ララは推測する。
もしそうならば、魔法科の先生に預けるべきだが……。
(……)
ララの中で躊躇いが生じた。
下手に先生に預けるのはまずいかもしれない。仮に魔法で作ったのだとして、ソレがいなくなったことがバレたら、その生徒にとって大変な減点になるのではないか。
学院の成績は、卒業後の進路にも大きく響く。
もし持ち主が上級貴族だったら逆恨みされて家に圧力をかけられたりするかも。ララはそれほど裕福ではない子爵家の娘だ。極力目立たないようにしたい。
それにララの考えが当たっているなら、きっと今頃、持ち主は必死になって探しているはず。このままここに置いていたら、そのうち見つけるのではないか。
(関わるべきではないわね)
ララは自己保身からそう結論を出し、ソレを落ち葉に埋もれないように、木の根の上にそっと戻した。
「ぴぃ?」
ソレは不思議そうに首を傾げ(首なんてないけど、なんとなくそう思える)、じっとララを見ている。
「えっと、ここで大人しく待っているんだよ。たぶんご主人様が迎えに来てくれるだろうから」
言葉が通じるかはわからないが、黙って去るのも気が引けて、ララは安心させるようにソレに告げたが――
「ぴぃぴぃ、ぴぃー!」
「え、え、何?」
ご主人様と言った瞬間、勢いよく鳴き出した。恋しがってというようには聞こえない。明らかに拒絶だ。その切なる鳴き声に、ひょっとして逃げ出してきたのでは? という疑惑が浮上する。
「ぴぴぴぴぴぴぴぃ、ぴぃ、ぴぃ」
「わ、わかったわ。ご主人様のところには戻らなくていい。ね、それならいいでしょう?」
「ぴっ、ぴぃ」
鳴きやませるために言うと、ソレは落ち着きを取り戻した。
どうもこちらの言葉は理解するらしい。
「じゃ、じゃあ、好きなところに行きなさい。私は早く帰らないといけないからね。じゃあね」
ララはそう言うと、今度こそ去ろうと踵を返す。
「ぴぃ!」
しかし、引き留めるような鳴き声がする。
ララは振り払うように歩みを進める。
「ぴぃ、ぴぃ、ぴぃ」
それでも全く鳴きやまない。チラリと振り返ると木の根の上でぴょんぴょんと跳ねている。落ち葉の上に入れば、また抜け出せなくなると学習したのだろう。必死に呼び止める姿が哀れを誘うが、ララにはどうしようもない。面倒ごとは御免だ。誰かもっと親切な人に拾ってもらいなさいと足を止めることはしない。
歩調を速め、最後は駆け足でぐんぐんと先へ進めば、やがて、鳴き声は聞こえなくなり、森を抜けきった。
(これでよかったのよ……)
ララは胸に手を当て、自身に言い聞かせる。
そうよかったのである。拾って帰ったとしても、あんな見たこともない、本当に生き物かもあやしい物体、手に余るに決まっている。他の誰か、もっと知的で行動力と決断力がある人に拾われた方がいい。幸い、ここにはたくさんの学生がいるのだ。ララが率先して手を差し伸べる必要はない。
だが、思いとは裏腹にララの足は森の前から動かない。
耳には必死に引き留めようとするアレの鳴き声がこびりついている。
(……あんな見るからにひ弱そうな子を置きざりにして本当によかったのだろうか?)
もう、日が暮れる。
持ち主がアレを探すにしても、明日以降ではないか?
この森には危険な動物はいないが、それはあくまで人に害をなさないというだけで、あんな小さな生き物(しかも鈍くさそう)が、一晩を、この森で乗り切ることができるか? ――考えるまでもなく無茶だ。
(面倒ごとは避けなくちゃ……でも……もしも死んでしまったら? 助けることができたのに、助けなかったということがわかれば、それはそれで罰されるかも)
ララがあの生き物と接触したのを誰にも見られていないのだから、その可能性は極めて低い。そんな万が一を考えるのは、小心というのもあるが、理由を探しているに他ならない。助けたいから助ける。それだけでいいのに、それだけでは動けないのがララだった。何かしら、していい理由が必要なのだ。自分への言い訳が。――そして、理由を見つけた以上、次にとる行動は決まっている。
深く、深く、呼吸をし、ごくりと唾を飲み込んで、たった今通り抜けてきた森へ向き直る。
(もう、いなくなっていたら、それはそれで仕方ないわよね……)
またそんな言い訳を思いながらも、再び森へ入っていく。
ざくざくと落ち葉を踏みしめる。
いるか、いないか、どきどきと心拍が速まっていくのを押さえられない。
(たしかこの辺……)
すると、「ぴぃ」と鳴き声がした。
「いた……」
「ぴぃ、ぴぃ」
またしても、ソレは落ち葉の中でもがいている。
もがきながらじわりじわりとだが進んでいる。ララを追いかけようとして意を決して落ち葉の中にダイブしたらしい。
どう考えても、その速度では追いつかないだろうし、途中で力尽きるだろう。
ララは呆れなのか安堵なのかわからない吐息をこぼしながら、ひょいっとソレを持ち上げた。
「ぴぃ!?」
ソレは、驚いたような声を上げたが、ララだとわかるとパタパタと羽らしきものを上下に動かしながらぴょんぴょんと飛びはねる。喜びの舞らしい。その度に、巻き付いた落ち葉がカサカサと音を鳴らす。
ララは先程と同じように落ち葉を取ってやるが、胸のあたりがぐっしょりと濡れていることに気づいた。置いていかれて泣いていたのだろう。だが、それでも必死に追いかけようとした。少し関わっただけの自分を何故そこまで慕ってくるのか、ララにはよくわからなかったが、戻ってよかったとは思った。あのまま、戻らずにいたらずいぶん傷ついたにちがいない。
ララは腹をくくった。
「わかったから、大人しくしなさい。いい。これから寮に連れて帰るけど、騒いだしたら追い出すからね? 約束できる?」
ソレは、ぴたりと動きを止めた。
びっくりするほど動かない。そうしているとまさしくぬいぐるみのようである。
「そう! いい感じ! それ! 私以外の人の前ではそうやってぬいぐるみの真似をするんだよ?」
「ぴっ」
「よし、じゃあ、帰ろう」
「ぴぃぴぃ」
これがララと得体のしれない生き物との出会いだ。
この出会いが、ララの人生を大きく変えることになろうとは、当然ながら彼女はまだ知らない。
読んでくださりありがとうございました。
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