徹拳
4 徹拳
元の場所に戻ると、コランはビド達に取り囲まれていた。
コランは正座したまま地べたにいるから、促の上で見つかって、その姿勢のまま引き出されたのだろう。そこまでされても反応も示さない、このおかしな男を、ビド達は持て余している。
呆れて、クイはため息を漏らした。それを安堵したと見たのか、ゴウライは言う。
「良かったな、連れが無事でいて」
「いえ。あまりの歯歌さ加減に呆れているの」
離してくれと訴えるため、クイは手足をばたつかせた。だがゴウライは取り合わず、クイを近くのビドに押し付けた。
「でも、これから、無事でなくなる。それは、自業自得だからな」
「ちょっと! 何をするの」
幼子の意外な剣幕に、一瞬だけビド達は引いた。だが、普段から闘人という佳属の裔に接してきただけあって、そうした无人とは異なる人がいることは承知しており、受け入れる事は早いようだ。にやにや笑って、ビド達は言う。
「そりゃあ、おめぇ。悪いことに、決まっている」
「そうさ! 俺たちは、渡士様も逃げ出す悪党だぜ!」 とビド達は調子を合わせて言う。時折意味の取れない言葉が混じる。科人の方言でもなく、はるか西方で使われているものであるらしい。彼従や科人の言葉を知るクイにも、聞き馴染みのない音であった。
クイは、ゴウライに対し、少しは興味を持った事を後悔した。性格が良いとしても、相手は盗賊。同情して見逃してくれるはずなど無いのだ。
「コラン! 黙ってないで、何か言いなさいよ!」
クイの無茶な要求に、ようやくコランは顔を上げた。そして、片手を突いて、立ち上がろうとする。
「お、臆病者が、何か言うぞ」 と、ビド達がコランを嘲っている。事情を知らない者から見れば、コランは仲間の危機を無視し、隠れてやり過ごそうとした臆病者、と映る。
「何か言ってみろよ、おい」
「臆病者ではないというなら、示してみろよ」 と、ビド達は面白半分でコランを煽る。 「立ち向かう勇気があるなら、ゴウライ様とやりあってみろよ」
「おいおい、そりゃあ無理だ。渡士様でも泡を食って逃げ出すんだぜ。真正面から挑む奴なんているはずがない」
するとコランは、取り巻くビド達をぐいと押して、前に進み出ようとした。
「待って、コラン。良いからじっとしてて」 と、クイは慌てて制止しようとする。素直に挑むはいいが、その結果は見えている。渡士のように張り倒されて終わりだ。
コランは首を振って、それから、ゴウライに向かって指を差した。
「おおっ!」 と、ビド達は興奮した。
「やる気だぞ、こいつ」
「本気か、自棄になったか」
コランは別に、挑発に乗って興奮しているわけではない、とクイには分かった。ただ素直に、臆病者というのは正確ではないと、主張したがっている。それを証明してみろと言われ、応じただけなのだ。
「……勝負、か」 と、ゴウライが唸った。話の展開に戸惑っているのだろうか。
「そうですよ。こんな細い奴、さっさと折り畳んで下さい」
「だがな。勝負にはならん」
「ええ、その通りです。けれども、こいつ、歯向かおうとしていますぜ。それなら、ぶちのめしておかないと」
「それは、分かるがなぁ……」 と、当のゴウライは気乗りしないようである。
何故だろうとクイは思った。先ほど渡士をも吹っ飛ばした男が、勝負を渋って見える。
「いや、面白みがないというのは、分かります。すぐに終わってしまう、分かりきった勝負ですものね。では、こうしましょう。ゴウライ様に対して、あいつの好きにさせる。それで、ゴウライ様を退けたり、あるいは、跪かせたら、あいつの勝ち」
「おいおい、それでは、俺が―――」
「そう。そこまで相手に有利な勝負。これなら、ゴウライ様も退屈しないでしょう。それで、遊んでやってくださいよ」
「ううぅむ」
「お前も、それで良いな? これだけ妥協したんだ、精々粘れよ」
コランは、首を傾げている。勝負の判定基準が分からないわけでは無いだろう。彼にしてみれば、どうしてそこまで自分に有利なのかと訝っているのだ。
ゴウライはため息を付き、仕方ない、と言った。
*
「コラン、って言ったか。おまえが負けたら……、そうだな。そいつをもらおう」 と、ゴウライはコランの額飾りを指差した。 「大して良さそうなものには見えないが、それが最も価値がありそうだ」
この時、コランにしては珍しいほど、強い反応を見せた。それは駄目だ、と激しく首を振って拒絶したのだ。
クイが見ても、確かにそれがコランの荷物の中で、最も価値がありそうな装飾品である。とはいえ、主のために造形を極める造人による手の込んだ宝飾品を見慣れたクイには、体を張ってでも譲れないほどの物だとは思えない。けれども、コランはがんとして拒絶した。
「どうした、まだ負けと決まったわけじゃないよな。それでも、嫌か。また仲間を見捨てて、だんまりしているつもりか」
ゴウライの挑発に対して、コランがピタリと動きを止めた。カチンと来た、のだろうか。
「勝負は拒む、賭けは嫌がる、仲間は見捨てる。それで、どこが臆病者じゃない、って? お前を生んだ奴は、とんだ出来損ないだ、って嘆いていたんじゃない、か―――」
コランに見据えられ、ゴウライが口を閉じた。コランは普段通りの無表情だが、ゴウライは何か威圧されるものを感じたらしい。
コランは、ゴウライの前に立ち、拳を構えた。
「よし、乗ったぁ!」 と、ビド達は大興奮した。
「やってみろ! 俺をここから動かせたら、お前の勝ちだ!」 と、ゴウライは諸手を広げて受けに回る。
コランは身を屈め、さらに拳に力を込めている。
「力め、力め。どうせ、俺の芯までは届かん」
コランは、その言葉を聞いて、顔を上げた。気のせいか、不敵な笑みを浮かべたように見えた。
「コラン、あなた……?」
クイは戸惑った。彼の拳が、重く、硬いものに変わっているように見えた。普通の混成の手が、硬質の凝物に、変化したというのか?
体格差から言って、コランがどれだけ勢いを乗せた一撃を与えようとも、ゴウライの巨体は揺るがないだろう。それでも、コランが放つ異様な雰囲気に、ゴウライは何か剣呑なものを感じたようだ。
「行け、コラン!」
勝てるかも、と感じたクイはコランを後押しした。精神的な動揺は、僅かであっても身体に影響を及ぼしうる。ただでさえ勝ち目の薄い勝負なのだ。毛ほどの助力でも、無いよりはましだ。
「ぶちかましてやれ!」
その声に背中を押されたかのように、コランは、低く構えた姿勢から鋭い一撃を放った。
おお、と見守る皆が一斉に声を上げた。これは、と思えるほどの一発であった。
「ふっ、ぐう!」
コランの拳が、ゴウライの腹部にめり込んでいる。どれほど筋肉が厚いのか分からないが、相当深く、打ち込こまれているように見える。
ゴウライの顔は、驚愕に引き攣っていた。だが、すぐに目元が緩んでくる。
―――駄目か。どれだけ鋭く突き刺さろうと、ゴウライの分厚い筋肉を抜け、内部に衝撃を伝えることはできなかったのか。みながそう思い始めた。
コランは、ゆっくりと拳を引き抜いた。一時は、硬い岩のように見えた手の甲は、至って普通の皮膚のような色をしていた。やはり、見間違いなのか。
「ふ、ふふ……。こいつぁ―――」
ゴウライが、笑いかけるが、その笑みはぎこちない。
「―――重い、な」
そう言った後、ゴウライは顔を思いっきり顰めた。
「まさか」 と、ビド達が騒然となった。
ゴウライは、ぐらりと姿勢を崩し、そして、膝を突いた。
ちゃんと、届いていた。コランの拳は、ゴウライの奥深い所まで、届いていたのだ。
「わぁぁぁぁ!」
クイは思わず、言葉にならない声を上げた。
「ゴウライ様が―――!」 と、ビド達も驚きの声を上げた。
「負けたぁ!」 と、悲鳴とも興奮の声とも付かない声が、部下達の間から上がった。
「勝ったぁ!」 と、甲高い声を上げ、クイは飛び上がった。短い腕を精一杯上げ、へそを出しながら、反り返った。
当のコランは、澄ました顔をして、直立している。
当然だといわんばかりの、憎々しい態度にも見えた。