強襲
3 強襲
イゴの声にはまだ余裕があった。緊張しているというより、クイを見返せる機会を得て、発奮しているようだ。お手並み拝見させてもらいましょうかと、クイは外へと這い出てきた。
周りを十人ほどの科人に囲まれている。並の无人よりも背が高く、ひょろりとしている。食は豊かではないようで、贅肉どころか、骨が浮き出ている者もいる。衣は綻びが目立ち、辛うじて原形を保っている程度だ。
ビド達は武装しているが、渡士は鈍氷という素材(鉄)からなる特製の武器を持っている。この切れ味は抜群で、さほど力をかけずとも肉を断てる。限られた者だけが主から賜れる代物であり、その存在を示すだけで大抵のビドは怯む。
だが、今回は違った。やけに強気で、イゴが剣を振るっても、逃げていかない。距離を保ち、刃が届かない所にいて、居残ろうとしている。
「ならば、こうしてくれる!」 イゴは苛立ち、促の手綱を乱暴に引いた。
絞められたことを不快に思ったのか、促が暴れ出す。それまでは眼下のビドを敵として見ていなかったが、昂ぶると意外なほど攻撃的になり、踏み潰そうとする。
「はは、どうだ。早く逃げないと、中身を全部ぶちまけることになるぞ。それとも、細かく切り分けられたいか」
ビド達は蜘蛛の子を散らすように逃げた。イゴ自身に怯んだわけではないが、イゴは得意げに剣を振り回した。
これなら大丈夫そうね、とクイは安堵しかけた。だがそこに。
「ゴウライ様!」 と、ビドたちの声が揃った。
「出たな。やはり、野暴か」 と、はじめてイゴが緊張した様子を見せた。
その見上げるほど巨大な混成は、黒い体毛に覆われている。分厚い胸板に比例して、四肢も重い筋肉が詰まっていそうだ。
二足で直立する姿は、熊、もしくはテオエンという太獣に似ている。眼光は鋭く、直視しかねるが、獣とくらべるとまだ理知的に見えた。
科人であると思えることに、腰布をつけ、牙を紐で連ねた首飾りをしている。所々で毛を束ね、飾り紐もつけている。野生の獣ならここまで装飾に拘らないから、やはり科人である。
「おぅ、元気が良いなぁ」 と、ゴウライと呼ばれた野暴が言葉を発した。体の芯にまで響く野太い声であった。
促を見て、ニヤリと笑う。
「これでしばらく、飢えずに済むぞ」
促は今でこそ渡士の足として重宝されているが、飼い慣らされ始めた頃は、良質の肉を大量に提供してくれる食料とも見られていた。
「それよりも、こいつ、渡士ですよ。何か物珍しい物を持ってるはず」 と、ビドが嬉しそうに言う。ただゴウライが登場しただけで、もう勝ったかのように振舞っている。
「野暴風情が、舐めた口を」 と、イゴは怒りを露にした。
「元は佳属か知らんが、野に落ちては、獣と同じだ。害をなすならば狩ってくれる」
行け、と渡士は促の尻を剣の先でつついた。野暴に向かって、促は猛烈に突進して行った。
「ゴウライ様!」
「オゥ」 と答えて、ゴウライも駆け出した。ずん、と重い音を立ててぶつかり合った。
体重は促の方が上である。それなのに、勢いをつけた促の突進を、ゴウライは受け止めた。
それどころか、両手で受け止めた頭を摑んで、ぐい、と回そうとする。捩じられる痛みに耐え切れず、促はその方向に体を傾ける。すかさず、ゴウライは不安定になった促の足を蹴り払った。一本外されただけだが、残りの足に急な負荷が掛かり過ぎるのか、促は地響きを立てて横倒しになってしまった。この巨体と重量では、もう自力では立ち上がれないだろう。
「さぁ、好きにしろ」 と、ゴウライは手を払いながら言う。ビドたちが奇声を上げて群がって、止めを刺しに掛かる。
「でぇ?」 と、ゴウライはイゴに向き直る。 「何を、狩ると、言っていたかな?」
野暴と同じように、渡士にも闘人の血を引く者がいる。イゴもおそらくそうなのであろう。だが、その血の濃さは歴然と違う。
片や、无人よりは恵まれているが、精々が獣とやりあえる程度である。片や、猛獣を物ともせず、勝ち抜いてきた者達の中で、さらに揉まれて来た闘人、ほぼそのままの姿である。
イゴは、無言で踵を返すと、走り出した。
「あ! 何するんだ、こいつ!」 囲い込もうと、ビドたちが追いかける。
イゴは、もう一頭の促へと向かった。それで再びゴウライに挑もうというのであろうか。しかし、促では敵わないと見せ付けられたばかりである。さらに、その促にはクイ達も乗っている。
「え、こっち?」 と、クイは慌てて幌の中に逃げ込もうとする。
そこでイゴは、剣を手放し、促の首に飛びついた。ただし、背に飛び乗ろうとするのではなく、手綱を摑み、ぐいと引いた。
ゴウライのように引き倒すことはできないが、それでも、促は嫌がって頭を上げた。
「うわぁ、ちょ!」
促の背に傾斜がついたことで、クイは滑り落ちかけた。その前に、イゴがクイの体を掴んだ。
「へ?」
クイがきょとんとしていると、イゴはいきなり、ビドたちに向けてクイを放り投げた。
「お、おい、なんだこいつ」
幼子が飛んできて、ビド達も慌てたが、避けずに受け止めてくれた。
クイを投げた後、イゴは脱兎のごとく駆け去ろうとしていた。つまり、自分だけ逃げるために、クイを利用したのだ。
「ちょっと!」 とクイは怒りの声を上げる。いくら何の縁もない子とはいえ、酷い仕打ちである。
「追え! こんな卑怯ものを生かすな!」と声が上がる。
ただ、イゴはもう見えなくなりかけている。追っても無駄になると踏んだのか、「待て、放っておけ、あんな奴」と呆れて言う者もいた。
「逃げ足は速いが、どうせあいつだけじゃ、いつかは獣の餌だ。それに、生き延びても、荷を失なった咎を受ける」
ビド達が諦めかけた時である。
「追わねば」と、半ば呆然としていたゴウライが呟いた。
今にも走り出しそうなゴウライを留めて、ビドが言う。
「止めましょうや。幼子を見捨てるような奴ですよ。勝手に野垂れ死にすればいいんです。それより、この得た荷と幼子を―――」
ゴウライは、ぐるりと振り返り、そのビドに平手打ちを食らわした。
「な、なにを……」
「子を置いて逃げる親がどこにいる!」
「え……、いや、しかし」
「今は慌てて、動揺しただけだ」
「いや、これは……。明らかに、見捨てたのであって……」 と、恐る恐る反論するが歯切れが悪い。先ほど仲間が張り倒されているのを見ているので、強く言えない。
「届けねば。子が悲しむ」
そういうと、ゴウライはクイをひょいと摘み上げた。
「わ。何よ、食べる気?」 と、クイはばたばたと足掻く。だが、その短い手足ではゴウライの腕にすら届かない。
「待ってろな、すぐ、会わせてやるから」
そう言うと、ゴウライは走り出した。
*
巨体ゆえに動きは鈍重であるかと思ったが、ゴウライの走りは存外に速い。大地を蹴る力が半端ではなく、猛烈な勢いで前進する。枝に遮られた所で意に介さず速度を乗せていく。ビド達も付いて来ようとしたが、あっという間に見えなくなった。
「わわわ、こ、怖いんですけど!」 と、クイはゴウライの手にしがみ付いた。この状態で振り落とされたら、クイの柔らかい体では致命的な衝撃を受けてしまう。
「下ろしてったら!」
クイの願いが聞こえたのか、ゴウライが急停止した。その反動は大きく、頭が揺れて、それだけでクイは酔いそうになる。
けれども、クイを開放する為に立ち止まったのではないようだ。ゴウライは鼻を鳴らして、周囲の匂いを嗅いでいる。そして、何かを嗅ぎつけたのか、その方向に向かって、再び突進し始めた。
「まだ続くのぉう!?」 とクイのあげた悲鳴に、別の悲鳴が重なった。それは男のもので、少し先から聞こえる。そこには、後ろを振り返りつつ、真っ青な顔になって逃げているイゴがいた。獲物に向かって、ゴウライはさらに加速した。
「ひぃぃ。命だけは、命だけは―――」
イゴは振り返り、ゴウライに向かって両手を広げた。なんとか止まってもらえる様にと、懇願している。
この猛烈な勢いのままゴウライがぶつかれば、イゴは圧殺されてしまうだろう。
そのまま速度を緩めず、ゴウライが地を蹴った。体を反らし、宙を飛ぶ。そして、イゴの眼前に、見事に着地した。
ずん、と物凄い衝撃が大地に掛かる。よろける事も無く、ゴウライは背を伸ばしていく。
激突は避けられたものの、よほど驚いたのか、イゴは口を開き、半ば放心している。卑劣な真似を仕出かしてくれた奴だが、もうこれだけで十分痛い目を見たかもとクイは思った。
「おい」 と、ゴウライが低い声で呼びかける。
「……はい」 と、蚊の鳴くような声でイゴが答える。目も口も開きっぱなしで、吐息のような返事である。
「一番大事なもん、忘れとる。悲しがると、思ってな」
「はぁ……。だいじな、もの、ですか?」
「こいつだ。大事な子だろ」
ゴウライは、クイを前に差し出した。まだ心の平静を取り戻せていないクイも、ぶらんと四肢を伸ばしたまま、されるがままになっている。
「どうした? 手を出さんか」
ぐいっと、クイを押し出すが、イゴはまだ固まったままだ。ようやく目玉だけがぎょろりと動いて、クイを見つめた。怖ろしい物を見るような眼を向けられ、クイはぶらさげられた姿勢のまま、精一杯のしかめっ面を返した。
「いや……。それは、あの男の連れで……」
「男?」
「居たでしょう。この子の側に男が。……いや、そういえば、顔を見せなかった。腰を抜かしたか」
―――あ。しまった。クイは今更ながら気が付いた。まさかとは思うが、あいつならやりかねない。
この襲撃の直前、クイはコランに、動くな、と言った。そして、その言葉を取り消していない。となると、こんな状況に陥っても、あいつは律儀にじっとしている。ゴウライに怯え、クイを見捨てて隠れている訳では無いのだ。
「隠れておったと? 自分だけが、助かろうとして?」 と、ゴウライは不機嫌そうに言う。
その怒りをコランに向けようと、イゴは、ええ、酷い奴です、と追従した。
「この子は差し上げます。好きにしてください。だから、命だけは―――」
ばちん、と張り手が飛んだ。
ゴウライの大きな手で、容赦なく引っ叩かれて、イゴは吹っ飛ばされた。何回転したのかと思うほど、転がって行った。そして、大木にぶつかって、ようやく止まった。
ゴウライは荒い鼻息を吐いて、言った。
「そんな悲しくなること、言う奴があるか!」
*
渡士をぶちのめした後、ゴウライは、仲間たちの所へ戻ろうとする。
クイは相変わらずゴウライの腕に掴まったままであるが、時折そっとゴウライの顔を窺っていた。
硬そうな黒毛が、髭だけではなく、顔中に生えている。前方を睨む金色の眼は鋭く、獲物を威嚇する狼のようでもある。何かが頭に来ているらしく、時折唸り声とともに唇を剥くと、尖った犬歯がびっしりと見える。
クイはそっと顔を顰めた。
これでも元は同じ科人かと恐ろしさを感じるが、同時に、どこか気になる所があった。
イゴを追いかけている間は、何が何だか分からなかったが、戻りはのしのしと歩いてくれている。それで少しは冷静になることができ、クイはゴウライの言葉を思い返していた。
行動は唐突で破格であるが、心根は意外と優しいのではないのか?
ゴウライは、渡士が子を忘れて行ったと勘違いし、それだと離れ離れになり、子が悲しむだろうと思ったようである。
ところが、イゴは自分が助かる為に、無力なクイを差し出そうとした。その浅ましい姿を二度も見せられて、ゴウライは怒った。
親子を引き裂いてしまったかと心配し、そして突き放すような事を言われて、カッとなる。その上、イゴの言動を残念に思っているのか、どこか物憂げに見える。心なしか、撫で肩になっているようにも思える。
だが、いかんせん、この容貌である。この解釈が正しいのか、クイは自信が無い。さすがに声をかける勇気はないが、悪いようにはされないのではと思い始めていた。