終章
終章
コランは、屈んで土を掬った。それを胸元に当てて、しばらくじっとする。
手を離すと、胸に空いた穴は塞がっていた。
「おぉー」 と、クイは感嘆の声を上げた。「すごい、物の素を自在に操れるの? 完璧じゃない」
コランは、口を結んで首を振った。
地真の加護を受けているので、物の素を操る事ができる。さらに空真の力も得たが、水の素や火の素を操る事はできない。それゆえに、まだ不完全だと思っている。
「見ただろう。ワには心がない。胸にあんな穴が開いてしまって、中がよく見られるようになったけれども、そこには何も無かった。心など入っていないと、よく分かった」
「コラン……」
「ワは創真候が作った凝物。出来損ないの、真の入らない人形なんだ」
コランは凝物。つまり、混成として生を受けた自然のものではなかった。創真候クエラ・ゼイが造った人形だという。
そう明かされて、腑に落ちたこともある。以前、創真候が真を作り出すことができるといわれると話をしていた時、それは間違いだと彼は言っていた。未だ、成功した例は無いのだとも―――。
コラン自身が、その実験例なのだ。そして、己がまだ真を持ち得ていないから、まだ成功していないのだと、誰よりも深く承知している。だから否定したのだ。
「心がないかどうかは、別として……。貴方は元々、凝物だったのね。それで、物の素を操る力を与えられて、動けるようになった。凝物であれば、体は全て物の素で出来ているから、地真の力があれば動かすことが可能だった。それでも動きがどこかぎこちなかったのは、その変成にどうしても時間がかかるからね?」
「そう。一度に幾つもの箇所を高速で動かさなければならないから、歩いたり走ったりするのは、本当に大変なんだ」
「でも、そんな手間が必要なのに、ほとんど科人みたいに振舞えていたわ」
うん、とコランは頷く。しかし、その表情は相変わらず変化に乏しい。
「その……。感情はあるの? 嫌だとか、嬉しいとか」
「分からない。教えられた思考手順と比べて、違和感があるとか、道理ではないので受け入れ難いとか、そういう判断はある」
「あぁ、たまに頭の固いことを言ってたのは、そのせいなのね」
「ワが出来損ないであることの証左に、常に最適解を選択出来ていなかった。時々、理屈では正しくないとわかっているが、あえて良くない解と思えることを選んでしまうことがあった」
「それって、心があるって事じゃないの?」
「そうだろうか。ワには確証がない。それで、本当に心があると言えるのだろうか。科人はそうした時、普通は―――」と言って、コランはクイの手を取った。
「冷たい、ね……」 と、クイは小声で呟いた。
コランの手は依然として、体温の無い凝物の感触だった。
「そう。熱が無い。体は冷え切っているし、それに、何か心のような思考ができたとしても、ここ、胸の奥は、冷たいままだ。心とは、もっと熱いものなのだろう?」
「それは、そうだけど……。火の素の力も取り込めば、体温が上がるのかしら」
「分からない。それで感情というものが芽生えるもかどうか。そうなってみないと、何も分からない。だから、ワは残りの四奏環を集める。これからも旅を続ける」
「そうなのね。それは、手伝ってあげたいんだけど……」 と、クイは物憂げに応えた。
*
クイは、亡くなった大切な人――シン・トーであるケエスを生き返らせる術を求めていた。だが、ここでそのケエスの息子と出会い、彼が世界を巻き込みかねない争いの火種となると知った。
アヌンがどこへ行ったのか、その行方は分からない。
コランが凍りついた皆を動けるようにした後、アヌンも同様に介抱した。すると、起き上がるなり、アヌンは高く飛び上がり、逃げ去ろうとした。
地真の力がどこまで上空に及び得るか知らないが、コランが追おうと思えば、追えた筈である。それでもコランは、アヌンを追わなかった。
これ以上争い続ければ、それはもう殺し合いとなる。コランが負けることはないだろうが、なぜ見逃したのか。
クイが仕えた主の子を、目の前で殺してしまうのは避けたい、と考えてくれたのか。
それとも、コランの事だから、別に今は逃がしても問題とならないから、放置したのか。単に面倒であったからか。
何にせよ、アヌンの動向は気になる。宣言通りに、燈都に現れ、兄弟達と争うのかもしれない。コランに対して復讐の機会を狙ってくる、ということもありえる。
シント達に警告をしておきたい所だが、アヌンがその気なら、今さら追っても間に合わないだろう。しかし、ここであったことを知らせず、放ってもおけない。やはり、一度は燈都に戻らなければならない。
ただ、戻ってしまえば、また外に出てくることができるかどうか、確証がない。それはつまり、ケエスを生き返らせるという目的を捨てる事になる。そして、四奏環探しを続けるというコランと別れるということでもある。
ガルを喪ったばかりなのに、さらに別れを受け入れなければならない。それでクイは元気を無くしていた、のだが――――。
「いい頭をしているな」 と言って、誰かがクイの頭の上に手を置いた。「ずいぶん撫で甲斐があるじゃないか」
聞き覚えのあるしゃがれた声に、クイは振り返る。クイの顔が、明るく輝き出した。そこには、見覚えのある翠人がいた。
「ガル! 良かった、無事でいたのね。会いたかったわ!」 と、クイは言って、翠人の胸に飛び込んだ。
すると、意外な反応が返ってきた。そこにいた翠人は、確かにガルの姿をしているが、反応が鈍い。戸惑っているようである。
「お前、幼子じゃないのか」
「はぁ? 今更、何言っているのよ」
「いや、俺は、ちょうど頭を撫でやすい幼子がいるな、と思ってだな」
「……どうかした? 頭でも打った?」
ガルは惚けているわけではないようだった。本当に、クイを童人と知らず、独りで寂しそうなのを見かけたから声をかけた、らしい。
「やっぱり、あんな所から飛び降りた後遺症なのかしら」
「あんな所? 俺が、ここで何をしていたか、お前は知っているのか?」
これは重症のようだ。
詳しく聞くと、ここ最近の出来事はおろか、自分の名前や、どこで何をしていたかも思い出せないという。
「記憶を、失った――――?」
唖然としたクイは、それでも、あることを思い付いた。自分が何者か思い出せないというならば、守りが弱まっている今ならば、聞き出せる気がしたのだ。
「ねぇ。貴方は彼従なのよね?」 と、クイは言った。
見た目は翠人であるガルは、首を傾げた。
「本当は、そうなのでしょう? 組成の力を使って、体を翠人のように組み替えていたのでしょう? だって、そうでもなければ、普通の翠人みたいに、緑から引き離されては生きていけないはずよ」
「俺が、彼従?」そう言ったガルは、演技している様子はなく、不思議そうであった。
「そう。貴方、普段は俺って言うけど、忙しい時は繕うことができないみたいね。時々、我って言っていたわ。我は、彼従が使う言葉よ」
「……そうか? 何せ俺は、記憶がないからな。だが、まぁ、佳属であるというならば、憧れの存在の真似をする事も、あるんじゃないか」
「あんな捻くれたことを言っていたのに?」
「だから、それもどうだか知らないんだ」
クイは黙って、ガルを凝視した。
もう一つ、ガルについて疑惑があった。それは、コランから聞いたことだった。
ガルはジンに向かって落下して行った。クイにもそこまでは見えていた。だが、角度的に、クイ達がいる側からは真下のことは分かりにくい。対岸にでもいなければ、よく見えない所もある。
その対岸である岩山にいたコランが、不思議なものを眼にしていたという。
「対消滅の閃光の中、黒い影を見た」 と、コランは言っていた。
「黒い影?」
「ガルの姿が見えなくなった後、飛び出してきたその影だけが見えた。彼従だった。毛並みが黒かったから、アヌンじゃない」
「……ガルが消えて、そのあと、彼従が必死になって飛び出した、というならば……」
「組成法を用いて、翠人に化けていたのかもしれない。巻き添えを避けるために、物の素の変成による変装を解いて、飛び立った―――」
「ガルが、彼従だった……? うーん、思い当たる節は、あるけども……」
そうだとしたら、彼は何故そのような変装をしていたのだろう。別の混成に化けて、クイ達の仲間に入り込み、何を企んでいたのだろう。
「私を、連れ戻そうとして、燈都から来ていたのかしら。でも、それなら変装する意味はないし」
「そうだな。どんな腹積もりがあって、こんなことをしていたのか分からない。だが、ワは拒絶しない」
「貴方は、万事、そうでしょうけども」
「いや、本当だ。今となっては、彼従の中でも組成法を操れる者は数少ないと言われる。その中で、己の姿も操れるほどの腕前を持っているならば、それだけで、尊敬に値する」
「う~ん、それも、そうだけど……。コラン、貴方変わった?」
「いや、物の素の編成は変えていないが」
「そうじゃなくて。気の素の持つ、軽い性質が、性格に影響を及ぼしているのかも」
「そうなのか」
「知らないけど。でも、まぁ。良しとしましょう。何を企んでいたか知らないけども、もう姿を現すことはないでしょうから。彼従の姿で再来したら、それはもう、素直に従うしかないわけだし」
そう話してたのだが、ガルはしれっと戻ってきた。それも、記憶を失ったと言って。
ガルの周りを回って、何度も眺めてみるが、普通の翠人にしか見えない。
「本当に、覚えていないの?」
「思い出せないな」
「私のことも?」
「知らないな。だが、妙に気になり、放っておけない感じがある。俺は覚えていないが、たぶん、そう剣呑な思いを抱いて、お前といたわけじゃないと思うぞ」
「というと?」
「これは翠人の本性なのか、俺の癖なのか分からないが、お前、可愛いな」
「ハ?」 と、クイは冷え切った眼をしてみせた。
「いつまででも撫でていたい。そういう可愛さがある。これは、童人の魅力なのか」
「それは、私の力でしょうけど」 と、クイは胸を張って言う。
「何にせよ、悪い印象を抱けない。できれば一緒にいたい」
「私が誰で、何をしていて、どこへ行こうとしているか、知っているの?」
「知らない。だが、お前が誰で、何をして、どこへ行こうが、俺は構わない。なぜなら、俺も俺が誰か知らず、何をすべきかも持たず、結果、どこへ行こうが俺の自由だ。だから、勝手にお前に着いていく事にした」
「それ、前にも聞いた気がするわ」
「そうか? ……俺か?」
「違うけど……」 と言って、クイはため息をついた。「いいわ。好きにしなさい。得体が知れないけど、私は今、童の手も借りたい気分なの。一緒にいらっしゃい」
*
クイは、アヌンの館の窓から、街を見下ろしていた。主がいなくなったことをいいことに、館にある者はすべて、クイのものと化していた。
クイが眺めていたのは、郷へ帰ろうとする集団である。その中には、カコの姿もある。
あの騒動の後、カコは変わってしまった。あれだけ怖い目にあったのだから当然かもしれないが、クイを見ただけで、連鎖的に色々と思い出してしまうようである。
それで、もう関わらない方が良い世界があると分かったと、言っている。
半ば異人種である佳属と知っても尚、カコはクイを受け入れようとしてくれた。しかし、今度の事で、本当に住む世界が違うと実感したようだ。もう馴れ馴れしく近寄って来てはくれないだろう。
元々甘えるつもりはなかったが、それでも、クイは寂しく思っていた。
「おう。こんな所にいた」
遠くからゴウライが声をかけてきた。クイはハッとして視線を逸らした。それで、返ってゴウライは興味を持ったようだ。クイが見ていた方向に眼をやり、あぁ、と頷いた。
「そんなもん、捨てちまえ」
「え?」
「義務だとか、性根だとか、元々持っていたわけじゃないもの。そんな重いものを、その肩で背負うには無理がある」
クイが彼女達を、つまりは普通の暮らしを、名残惜しく思っていると、ゴウライは考えたようだ。
それで、個人に出来る事は限られている、別にここで放り投げた所で大差はないぞ、と言ってくれているのだろう。
「そうは言うけどね。中々、手放せないものなのよ」
「良いから捨ててみろ。そうしてみたら、それでも切り離せないものがあると、分かるだろう」
そう言って、ゴウライは忙しなく頭を掻いた。
「ならばその後はもう、悩やまなくていい。それは体の一部なのだから。それを気にするんじゃなくて、それ以外で、何をしたら良いか、考えたら良い」
「体の、一部―――」
「そう身に染みたら、もう悩まなくて済む。それ以外は捨ててしまう。それでも、その手に残ったものがあれば、それだけを悩んだら良い」
「うーん。よく分かったような、分からないような……」
「好きに生きたら良い。それで付いてくるものがあれば、それはその時だ。今は、まだ悩む時じゃねえと、俺は思うぞ」
「好きに――――か」
ゴウライは、深く頷く。
「じゃあ、貴方は? どうするの?」
「俺か、俺は単純だ」 と、ゴウライは眼を細めた。ちらりと歯茎も見えて、中々の迫力ではあるが、それは、にやりと笑った時の仕草だと、今のクイには分かっている。
「俺はお前らが好きだ。お前らが気になる。そんで、お前らといると楽しい。だから、付いて行く」
「ふふっ。本当に単純ね」
「俺の本分は、考える事ではない」
「分かったわ」 と、クイは微笑み返した。
*
「さ。ゴウライ、私を乗せて」
「オウ」 と、 ゴウライは応えて、もう定位置であるかのように、クイを肩に乗せる。
「しっかり守ってね。貴方はそのために、生まれてきたのよ」
え、とゴウライが固まる。その目にうるうると涙が浮かんできている。
「コラン、何をしているの? 私が出発するのよ。付いてらっしゃい」
コランは、どこか釈然としないようで、それでも、どこか嬉しそうに頷いた。
「燈都に戻らなくていいのか?」
「ええ、戻るわよ。それが、私達の次の目的地よ」
「どういうことだ?」
「歯歌ね。次は火だか水だか知らないけど、どこへ行くつもりなの? 確実な当てがあるというの?」
「いや、それは無いが……」
「でしょう。だったら、まず情報を集めないと。まず、どこへ向かうか、はっきりさせるのよ。そして、そのためには燈都に行くのが一番。あそこには彼従の知恵が集っているのだから」
「あぁ、そういうことか。それなら、それが正しい旅路だな」
分かった、とコランはすっきりした顔で言った。
それからクイは、少し離れた所で佇んでいるガルに顔を向ける。
「ガル。貴方は早く行きなさい」
「え? 俺は、追い出されるのか?」
肩透かしを食らったかのように、ガルは哀しげな顔をする。
「私たちより先に行って、情報を集めて来るのよ。科人の中に埋もれかけている情報もあるかもしれないからね。とびっきり荒唐無稽な話を期待しているわ」
「あぁ。なるほど。ぶっ飛んだ案件であればあるほど、当たりである可能性が高いからな」
ガルとクイは笑いあう。
「うん。とびっきりを見つけたら、私達の所へ知らせに来なさい。一緒に、愉しもうじゃないの」
「おう、分かった」
「さぁ。出発よ」 とクイは高らかに宣言する。「次の冒険が、私達を待っているわ」
おう!と、男達が応えた。
こうして、完全な人になりたい人形と、死者の再生を願う幼子と、心優しき闘人と、記憶を失った怠け者は旅立った。
荒ぶる真央が持つという四つの宝環を求めて、危難溢れる人外の地を行く。
そして、その旅は、まだ、始まったばかりであった。
終




