彼従
6 彼従
科人の背丈の倍の高さに、鋭い嘴を持った頭がある。その鋭い視線を浴びると、それだけで身が強張り、動けなくなる。
巨大な翼を持ち、その体毛は虹色に光り輝いている。その姿は、紛れもなく彼従であった。
園主アヌンは、大地を蹴り、一ッ飛びでゴウライたちの眼前へと降り立った。遅れて垂衣がふわりと下りてくる。アヌンは頭を振り上げて、冠の先の纓を後ろへ垂れさせた。
「このっ、マガリめが!」
アヌンは突然、甲高い声で吼えた。
その声を耳にした途端、科人たちはみな、身動きが取れなくなった。聞いたことが無い声でも、体が知っている。今のように主に仕える前、野生の猿として生きていた時分から、その恐ろしさは本能に刻まれている。
太古の昔から、死を告げる影を地に落としてきた。その影の中に入れば、あとは啄ばまれるだけ。抗う事はおろか、逃げる事すらままならない。ただ死を思って、身を強張らせることしかできない。
後に彼従が文明を形成した際、ドノーと呼ばれていた類人猿もその恩恵にあやかろうとした。そうして様々な形で彼従の生活に役立てるようになり、長い時が過ぎた。けれども、ただ眼前に姿を現すだけで、科人の身は昔を思いだし、強ばってしまう。
特に、カコ達无人には、堪え難かったようで、次々と顔色を失い、倒れて行った。
愛玩や娯楽といった役割でその存在を認めてもらっていた佳属達にとっては、彼従は絶対服従の対象である。それは、燈都を離れて生きて、忠誠心が薄くなったゴウライやガルであっても変わりがない。
挑発したガルですら、言葉を失い、ただ突っ立っている。その姿に溜飲が下がったのか、喉を鳴らしながら、アヌンは言う。
「んん? どうした、もう下手糞な声で鳴かないのか」
気分良さそうな声で言って、アヌンはゴウライに近づいてくる。裳からは鋭い鉤爪が覗いている。
「さぁ、雄々しい吼え声を聞かせてくれよ。場合によっては、飼ってやろうぞ」
「う、ウゥ……」
あのゴウライでさえ、ただ唸る事が精一杯となっていた。
「カカカッ、こいつは使えんな。こんな奴を飼っています、などと自慢したら、大恥をかく」
「―――大恥をかくのは、貴方よ」 と、小さいながらも、はっきりとした声がした。
「ア?」
ゴウライの腕の中から、クイが這い出てくる。慌ててゴウライが押し留めようとするが、力が入らないようで制止しきれない。
クイは手を腰に当て、アヌンと向き合った。
「ク、クイ……、止めろ」 と、ゴウライが擦れ声で言う。
「そういえば、童人がいたな……」 と、アヌンは眼を細める。どういたぶるかと考え、愉しんでいるようである。
童人は彼従により家族同然に可愛がってもらえることもあるが、ただ嗜虐性を満たすために弄られることもある。そうした扱いを受けることを信じられず、それでも彼従に媚を売る童人は哀れなものである。
「擦り寄ってこないな。それでは、全く興がわかないぞ」
「はい。そのつもりは、ありませんので」 と、クイはきっぱりと答えた。
「何ィ」
アヌンの機嫌が、再び悪くなって行く。それでも怯まずに、クイは言う。
「私は彼従に仕える者。そして、我が主の為にのみ、この身は在る」
「主だとぉ……。誰だ? お前を飼っているという奴は?」
「私の、主は――――」 と、クイは、決然として言う。
「ケエス様。すなわち、絶対的支配者たるシン・トー、その人なり」
その名を聞いて、アヌンは驚いた様子を見せた。震える指爪でクイを指差して言う。
「ケエス、だと……。父に仕えていた、というのか」
「やはり―――」 と、クイは頷いた。 「その虹色の羽毛は、あの方にそっくりです。やはり、貴方はケエス様の御子なのですね」
ゴウライは驚いて眼を見開いた。燈都の事情に疎い彼でも、彼従の中で最も力がある者がシン・トーであると知っている。この彼従は、そのシン・トーの身内・シントであるという。
「そんな……、なぜ、そのような方が――」
「追放―――」 と、クイは鋭く言った。「――されているはずですよね? 貴方は」
クイの指摘を否定せず、アヌンは忌々しげに唸った。
「ケエス様により、追放されたシント、すなわち科属がいると聞いていました。その御名、御姿を見て、確信致しました。貴方が、そのシントですね」
「そういえば―――」 と、ガルが口を開いた。「長い間、シン・トーの後継者が決まっていないのだったな。科属が出たということだったが―――」
アヌンの唸り声が高まっているが、ガルは構わず続けた。
「もしや、シン・トーであるために必須である、組成法を使えないと知られたために―――」
「言うなぁ!」 と、アヌンが吼えた。苛立ちを発散させようとして、頭を振るたびに冠の先の垂纓が揺れた。
「ケエス様は―――」 とクイが声をかけた途端、アヌンは止まった。 「貴方のことを、心配しておられました」
「何だと?」
「ずっと、追放した御子の行く末を、案じておられました」
「あの父が、我を案じていた? いいや、そんなことはない。無能だと罵り、追放したのは、その当の父なのだぞ」
「いいえ。そこが、思い違いなのです。ケエス様は、貴方が組成法を使いこなせないから、無能だからと、見放したのではありません」
「適当な事を言うと、只ではおかんぞ」
アヌンは口を開きかけて威嚇した。クイなどは、一口でその中に入ってしまうだろう。それでもクイは、敢然として言った。
「誰がどのような嘘を言っておられようとも、私が彼従に対して嘘など申し上げられるはずはありません」
「この、ドノーめが、言いおるわ」
「お戯れだったのでしょうが、私には御話してくれました。ケエス様は、絶対の力を持ちながら、それが全てだとは思ってはおられませんでした。力や技術は、時間さえあれば誰でも持ち得る。しかし、シン・トーとして、多くの者を従える力とは、そのようなものに由来するものではない、とお考えでした」
「はっ。他の混成を食らう彼従が、力ではないもので、他を支配する、と?」
「ええ。それは、力さえあれば、どの混成でもできること。シン・トーは、ただ彼従の主であるだけではなく、他の混成を含めた、生態系の主であらねばならない。そうお考えでした。それゆえ、ただ力が全てだと、力の習得にのみ執念を燃やす貴方を、後継とすることはできませんでした。なので、ご納得されない貴方を、一度追わざるを得なくなったのです。外の世界で泥に塗れる事で、力以外でも他の信頼を得る術があると学んでくれればと、期待しておいででした」
「……それで、父は」
「それゆえ、何処かで燈都の真似事をしている園があると聞いて、アヌン様だと察せられたでしょうが、放置しておられました。無理な力を振るい、言うことを聞かせようとしても、反って上手く行かくなる。それよりかは、仮初めの主としてでも、他者の信望を得る術を学んでくれればと、思われたのです」
「知っておられた。父が、ここを……。我のことを……」
「ええ。だからこそ、いつまでもこのような無体なことをしていては、恥となりましょう。ケエス様の期待に沿う所か、逆に、ケエス様の名を、彼従への信頼を、損なうような事をしていては―――」
と言って、クイは哀しげに首を振った。
「―――亡き父上に、顔向けできないのではありませんか」
「なん、だと?」 と、アヌンは衝撃を受けたようだ。
「父が、もういない?」
クイは、深いため息を付いた。
「ええ。シン・トー、ケエス様は、もうお亡くなりになられたのです」
*
「このっ、ドノーめ!」 と、アヌンは怒号を発した。
「そんなことがあるはずがないっ! あの、あの父が、死んだ、だと?」
「本当です。ケエス様は―――」 と言いかけたクイに対して、アヌンは苛立って翼を振るった。
それだけで風が巻き起こり、クイは吹き飛ばされかけた。慌ててゴウライが飛びつき、その身を支えた。
アヌンはしばらく俯いていたが、それから呟いた。
「―――いや、良い。父が死んだというのは、まぁ、信じる事としよう」
「アヌン様……」
そこでアヌンは顔を上げ、眼を怪しく光らせて言った。
「ならば、行かねばなるまいな! 主無き燈都に! そして、今こそ我が、シン・トーになる時ぞ!」
クイは、唖然としてアヌンを見ていた。
ケエスの温情と喪失を知っても、ただ己の立身のことしか思わない。そんな身勝手な者が、あのケエスの子かと思うと、嘆かわしいという思いが胸を痛めた。
「良い事を知らせてくれた、童。我はこれより、燈都に向かう!」
アヌンは本当にこの地を捨て去る。追われていた事など無視して、燈都に舞い戻り、そしてシン・トーの二代目を名乗るだろう。
当然他の兄弟達と対立する事になる。彼従たちを巻き込み、真っ二つに割ってまでしても、闘い続けるだろう。
そういう最悪の事態にならない為には、ケエスの言葉が必要だった。シン・トーの名を継ぐのは、一体誰であるのか。先代より、きちんと指名され、皆に認められる必要がある。しかし、その言葉を発せられるケエスは、もういない。
だからクイは、旅をしていた。
たったひと時でも良い。ケエスを蘇らせ、今後を指示してもらう。その遣り残した事をなしてもらえるようにと望みながら。それよりも、また、あの温かい言葉を聞きたいと、願いながら――。
けれども、争いを回避したい、死者を蘇らせたい、というクイの願いも虚しく、アヌンにより壮絶な兄弟喧嘩が引き起こされようとしている。
「お待ちを、アヌン様。どうか、園内の他の混成にも、ご配慮を―――」
近習の嘆願に、アヌンは思い出したようだ。曲がりなりにも、己が統べる民がいた事を。
「おぉ。そうだな。遣り残して行っては、まずかろうな 」
「では―――」
「あぁ。――地の素真ジンよ! 彼従であるアヌンが求める!」 と、大地に向かってアヌンは声をかけた。
「自由にされるが良い! 無理にこの形を維持する必要は無い。思うがままに、身を振るわせるが良い!」
「ちょっと!」 とクイは悲鳴を上げた。
クツカを隠し、支えてきたこの大地は、地の素真ジンの力に頼ることで成立していた。無理やり混成を生贄として与えることで、その対価でこの園を継続させてきたのだ。
それなのに、その力を解放せよと、アヌンは言い切った。これほどの力を持つジンが自在に動けばどうなるか。
激しい地震いが何度も起き、この無理に作り上げた園はあっさりと壊滅する事だろう。そこにいる混成など、ひとたまりもない。
アヌンの声に応じるかのように、どこか遠くで地鳴りがし始めた。微かな震えは、徐々に大きくなって来る。ジンが、暴れようとしているのだ。
「そうは、させまいぞ!」
科人たちがうろたえ、どこへ向かっていいか戸惑っている中、ガルだけは敢然として立っていた。
「煩わしい翠人めが。ドノーごときに何ができるか」 と、アヌンは鋸歯を覗かせて言った。
ガルは、悪そうな笑みを浮かべて、クイに向かって頷いた。そして、懐からあの土の玉を取り出した。
「あ、それは―――。勝手に持っていたの? あれ、でも待って、ウジンはもう―――」
「拾った」 と、詫びれもなくガルは言う。「朝起きて、周囲を見て廻っているうちに見つけた。どうやらこいつ、力を使い果たしたみたいだな。だから、土を捏ねて、またこうして囲ってやった」
クイは思いっきり顔を顰めて、ガルをにらんだ。
「ほう。そこに封じられているのは、気の素真ウジンだな。だが、それで、どうする?」 と、アヌンは動じない。「ウジンは、誰の命を聞くと思うのだ?」
「やはり、お前が放ったのか……」 と、ガルは言う。「翠人を、得るため、だな?」
「そうだ。極力外との関わりを絶ちたかったのでな、食料もここで作り出さねばならなかった。だが、緑場を維持するためには翠人がいる。ところが、他の科人ならともかく、翠人は調達が難しい。慣れ親しんだ土から離れると、嘆き死んでしまうからな。土ごと一気に運んで、なおかつ、強奪したことを他に知られたくない。だから、風巻にやられてみな死に絶えたと思わせたかったのだ」
「……それで、郷ごと滅ぼしたのか」
「まぁな。そのように、仮初とはいえ、ジンに言うことを聞かせる術はある。科人を供することでな。ウジンもまた、然りだ」
「となると、これは……」
「そうだ。今それを解き放ってみろ。どこを襲うか、分かっただろう」
「そうかもなぁ―――」 と、ガルは不適に笑った。 「―――だが、こうしたら、どうなるかな?」
そう言って、ガルは土の玉を手に持ったまま、地面に叩きつけた。乾いた泥の玉はあっさりと砕け、中身が解放されようとする。ただ、その前にガルはそれを両手で囲んだ。気の素から成るウジンは、物の素から成る混成の体に囲まれていては、力を発揮できない。
ガルは両手でウジンを包み込んだまま、崖下へ向かって跳んだ。
「ちょっ、ガル――――!」
突然のガルの行動に、皆が意図を取りかね、唖然となった。
落下する途中、ガルは片手を離した。すると、ウジンが力を取り戻し、風を発生させ始めた。ガルはそのウジンを下に突き出した形で落下して行った。その先には、動き始めたジンがいる。
「狙いは、対消滅か」 と、アヌンがはっとして言った。
物の素真ジンをどうにかするには、反する性質を持つ気の素の素真をぶつけるのが一番だ。ジンにウジンをぶつければ、物と気とで、相性の悪いもの同士が反発し合う。そして、双方ともに力を使い尽くし、消滅することになる。
ガルによりジンにぶつけられたウジンは、最後の足掻きで猛烈な風を発生させ、ジンを飛ばそうとする。いきなりウジンが降ってきて仰天したジンも、消し去られてなるものかと、大地を震わせ、土塊をぶつけようとする。
凄まじいぶつかり合いが続き、やがて、静かになった。その後は、何ら動くものは無くなった。上手く力の均衡がとれ、双方とも消し去りあったようだ。
しかし、そこに巻き込まれたガルは―――。
「嘘、貴方も、いなくなってしまうの……」
クイは、呆然として呟いた。




