クツカ
2 クツカ
朝、目を覚ますと、外の景色が一変していた。
クイたちも夜中の轟音に気付き、一度は目を覚ましていた。だが、どうやら風巻が復活し、家屋ごと持ち上げられようとしているのだと察したが、そこまでだった。急に上から圧力がかかり、身動きが取れなくなった。そして、右に左に、上に下にと、何度も転がされている内に気を失ってしまった。
そのあと、朝のおだやかな気配の中、良い夢を見ていた。今は亡き人との思い出だった。このまま浸っていたい、という気持ちがあったが、何かが引っかかる。それで良いのだろうか。今は、何をしていたのだったか。何か、やらなければならないことが、あったような――――。
そこでクイは、はっと目を開けた。
そして、部屋の端に転がっているコランと、クイを両手で抱き込んでいるゴウライを見つけた。
何が起きたかと混乱し、それからゴウライの腕の中から這い出て、クイは外にでた。
「……どこ?」
曙光がまぶしく、目が開きにくいが、それだけではない。岩肌の目立つ高山帯にいるような気がするのは、気のせいではないはずだ。昨日よりもぐんと寒くなっている気がして、身を強張らせた。
クイが振り返ると、そこにはぼろぼろの家屋がある。今にも崩れそうだが、家屋自体は見覚えがある。昨夜は確かに、ここに泊まったのだ。ただもちろん、ヒイテという郷は、こんな高所にはなかった。
風巻が復活したようであるから、もしかしたら、周囲の風景を激変させるほど荒ぶったのだろうか。いや、それにしては、遠くの景色まで変わっているのはおかしい。ヒイテは平地であったが、ここは明らかに高山に囲まれている。
「つまり……」
答えを察して、クイは叫び声を上げそうになった。そこへ。
「そう。運ばれた、ってことだな」 と、声がかけられた。この陰気な声は、とクイはため息をつきたくなった。
「ウジンが逃げた。ついでに、囚われていたことへの腹いせに、家ごとこんな遠くにまで運んで捨てて行った、ってこと?」
「そんな所だな」 と、ガルは何でもないことのように言う。それからしばらく、クイが何もない中空に向かって怒りの声を上げているのを、面白そうに眺めていた。
「まぁ、これで済んだってことを、ありがたく思うんだな」
「なんですって?」 と、クイはガルを睨みつけた。
「無防備な所を襲われて、空高く持ち上げられて、それでも助かったんだ。奴がやる気だったならば、こんな小屋なんて破壊して、全員を空高くから落としていただろうな」
「うぅぅ……」
「そうしなかった、ってことはだな。ここに連れて来るのが目的だったってことだ」
「ここに……? というか、ここ、どこなのよ?」
「知らん。だが、なんとなく、見当がつく」
「どういうこと?」
「見ろ」 と、ガルが遠くを指差す。切り立った山が並んでいる。
「見ても分かんないわ。山なんてどれも同じよ」
「山ではない。頂へと続く途中に、何か見えないか」
「うーん、そう言われれば……。あれ、何かが密集しているわね。平たい場所でもあるのかしら……。何だろう、あれ、園にみえる、のだけど……?」
「俺もそう思う」
「え、でも……。こんな山の中にある園なんて、聞いたこと、ないわ……」
「いや、聞いたことがあるはずだ。モカテマ山中の奥深くにあるという、幻の園の話を」
「じゃあ、まさかあれは……、クツカだと言うの?」
幻の園クツカ。モカテマの奥地、切り立った山脈の最中に、その園はあるという。だが、その所在を確かめた者はいない。
何故か上機嫌で、ガルは言った。
「クツカが実在するなら、ちょうどいい。俺の知る限り、この辺りで気の素絡みの話があるのは、そこぐらいだったからな」
「そう。だったら、何故もっと早く言わないのよ?」
「だから、幻の園なんだよ。実在が危ぶまれる所の話をしても、そこにまず辿り着けないならば、意味がないだろうが」
「それは、そうかも、だけど……」
「だが、実在するなら、好都合だ。クツカの民は、気の素真を崇めている。そして、空真との深い関わりを持つという」
「空真。じゃあ――」
「そうだ。真統領中を当てもなく探し回らなくても、ここで会えるかもしれない」
ガルの自信有りげな様子に、クイは両手を合わせた。
「で、どうやってあそこまで行くの?」
その答えは、その場の誰もが持っていなかった。
*
「なるほどなぁ。こんな複雑な過程を経なければ辿り着けないというのならば、幻と言われるのも頷ける」
軽く息を切らしながら、ガルは感心している。
実際に近づいてみて、幻と言われる理由が分かった。その地は、一つの頂点へと土地が隆起していく単純な地形ではなく、いくつもの峰が折り重なって出来ている。
一つの峰に上がる事により、別の峰へと至る道が見えてくる。その道を辿り、また別の峰へ至る道を知る。そうして順を追って進まなければ、何も見えてこない。さらには、山脈の間に隠れるようにしてあるクツカには気付かないのである。
「まったく、ね」
ゴウライの背に掴まりながらも、クイは息を切らしていた。登るにつれて息がしにくくなり、肌寒くなっているのは皆同じだ。ただコランだけが、一向に堪えた様子を見せない。
「道案内が、いなければ、ただ山が続くだけ―――。そう諦めて、とっくに、帰っているわ」
一行のだいぶ先には、道案内がいる。
その彼は、途方にくれていたクイ達の前にやってきた。そして、「お待ちしておりました」 と言ってきたのだ。
平時であれば、ゴウライをけしかけて追い払っていたに違いないほどの、胡散臭い登場である。
見かけも怪しい。ゆったりとした長衣を着ている上、頭巾を被っているので、中の様子が窺えない。ほっそりとした全体の輪郭からして、科人であるように思える。少なくとも闘人といった危険な人種には見えない。
「主の命により、お迎えにあがりました」
恭しく告げる声は、年寄りの男のようである。軽く頭を下げて、こちらに敬意を示している。
叩き起こされたコランは、いつものようにぼんやりと男を見つめている。とりあえずゴウライは身を膨らませて相手を威圧している。皮肉げな笑みを浮かべてガルは突っ立っている。つまり、皆、いつも通りである。
男達を無視して、闖入者はクイに向かって言う。童人だと知っている、つまり、クイ達の素性を承知なのだろう。
「この辺りは、案内がいなければ迷って難儀いたします」
「そのようね。でも、だからと言って、どこの誰とも知れない相手に、ほいほい付いて行くと思うの?」
少し黙り込んだあと、男は一言告げた。
「――――アヌン様」
クイが、弾けるように顔を上げた。
「わが主の名です。それから、お待ちの方もおりますので、お早い方がよいかと」
「お待ちの方? 何よ、それ」
「お召しになられたのは、貴女方だけではありません」
「ちょっと、それって」
「ええ。素直に、なられた方がよろしいかと」
珍しく険しい顔をしているクイの顔を覗きこんで、ゴウライが言う。
「とりあえず、こいつを力付くで黙らしたら良いか?」
「待って」 と、クイは鋭く制止した。襲いかかる直前で止まり、ゴウライは不満げに唸った。
「分かったわ。案内して」 と、クイは不機嫌そうに言った。
その後、ジロと名乗った案内役の男の後を、クイ達は付いて行った。
不慣れなクイ達を気遣って歩調を合わせてくれはしない。置き去りにはしない程度に立ち止まり、追い付いてくるのを待っている。
そうして、少しづつ奥へ奥へと導かれていたが、やがてジロは立ち止まらなくなった。
いよいよ置いていく気かと構えたところ、それは違った。
目指すクツカが見え始めていた。あとはそこまで登り切るだけである。道案内はもう不用だから、勝手に来いということらしい。
園というからには、それなりの広さがいる。園は通常、緑場か光場、白宮だけでなく、幾つかの郷から成り、そこに住む者たちの口を養う土地も別に必要とするからだ。
ゆえに、どこか山脈の間に窪地があり、ある程度の広さの土地が開けていると思われていた。だが、その想像は違った。
山頂部をざっくりと横切りして、均したようになっている。そこに街と呼べるほどの広さの土地を確保してあった。
「こんな所に、よくぞ、まぁ、造れたものね」
これだけの土地を確保できたのも驚きだが、そこに街といえる規模の郷まであるようだ。それも、建物の大半は、切り揃えられた石積みなのである。
「いったい、どこから、こんな石を運んできたの?」 と、眼を回しながらクイは言う。
石積みの一つ一つが、科人一人では動かせない大きさである。それを幾つも積んである。一体どれだけの時間をかければ、この建材を用意し、ここまで運び、積み上げられるというのか。気の遠くなるような努力の結晶をみて、思わずぶるっと身が震える。
「どうだろうな。運んで来るのは、無理そうだぞ。何か別の特別な造り方をしたんじゃないか」 と言って、ガルは考え込んでいる。
どうすればこんな高地に石積みの街を造れるのか。その疑問が、ガルの好奇心を刺激したようだ。
「転がして運んだのか……。しかし、ここまで持って上がって来るのは困難だ。もしかして、この台地自体が、石の産出地なのか。それならば、削り出すと同時に、その後に平たい場所が確保できる。しかし、それだと……。近くに石切り場を設けて、それで運んだか。いや―――」
ガルは返事を無視して、呟き続けている。もはや自分だけの世界に入りこんでしまっているようである。
「もしや、これは物の素の力を借りたのか。いや、科人にそんな芸当できるはずもない。しかし、物の素真ジンの力を持ってすれば、峰を途中で平にすることも、石積みの綺麗な街をつくることも可能か……。だが、ジンが言う事を聞き続けてくれるはずがない。そんな無理を強い続ければ、幾ら温厚なジンでもマガリとなって、地震いを繰り返すだろうし……」
思索に耽り、歩みが極めて遅くなったガルを放って置いて、一行は先に進んだ。
「しかし、何だろうな、この柱は」 と、ゴウライは邪魔そうに柱を避けながら言う。
道の所々で、石錐が地面から生えている。自然にできたものには思えなかった。
さらに近づいていくと、山の陰になったところに、白田があるのも見えた。形を揃え、段々に高低差をもって設けられている。勝手に生えたものを採取しているのではなく、明らかに長期的に何度も収穫できるように工夫されている。
「白田まで作っているの? しかも、翠人までいて、緑場と変わらないわ」 と、クイは驚いた。
その白田で作業している者達は、ガルに良く似ている。彼ら自身が植物のような見かけなので、まるで背の低い木々が無数にあり、しかも自分で動いているように見える。
「何だ、こりゃあ。ガルが一杯居て、区別がつかねぇ」 とゴウライが愉快そうに言う。
「ぜんぶ本物みたいね。本来、翠人は燈都か、食物を生産している園の緑場にしかいないはずなんだけども」
「ここの噂を聞いて、ガルのように流れて来たんじゃないか」
「まぁ、ガルは例外みたいだけど。本来、彼らは与えられた白田の管理と植物の育成が生き甲斐なの。生まれた土地を捨てて、別の所に居つくなんて、考えられないわ。あるとすれば、最初からここで生まれ、育てられてきた、ってことになる。でもそれだと、彼従が関わっていないと」
「じゃあここは、正真正銘、彼従が作った正式な園だということか」
「その通りだ」 と、ガルが追い付いてきて言う。「ここは、燈都を捨てて、密かに僻地で生きる彼従が建設した園だとも言われている」
ガルの言葉に、クイは眉を潜めた。
「本当にここを彼従が造ったのか、それとも主を騙る不届き者が、園を真似て造ったのか。そのどちらであるかは、園主とやらに会えば分かるさ」 と、ガルは前を指差した。
一際巨大な建造物がある。ただ堅固な造りであるだけでなく、壁面に華美な装飾が施されている。あれが、ここの主の館なのだろう。
「さて。何が出てくるかな」 と、どこかうきうきとした声でガルは言った。




