輝きの終わり
1 輝きの終わり
どしん、と重いもの同士がぶつかりあう。その迫力ある音に、観覧席にいたクイは身を竦めてしまった。
少し離れた広場では、闘人が奉闘の儀を行っている。
肩と肩とをぶつけあって、相手を圧倒しようとしている。勢いと筋力は拮抗しており、互いに退かない。自分の力を誇示したいのか、片方が牙を剥き出しにして威嚇した。こちらは虎のように俊敏に動き、四足でぶつかることを得意としている。もう片方は、二足で立ち、上体を反らして、少しでも大きく見せようと構えている。
どちらも元は科人であるが、調教され、訓練されている。彼ら自身は、主に認められた存在・華属であることと、その中でも強者としての己に誇りを持ち、主のために奮闘している。
そういう生き方をしてこなかったクイから見れば、双方傷だらけになってまで戦い合わされる姿を見るのは、痛々しかった。
もうこれ以上見ていられないと、クイは身をくねらせた。この奉闘の儀を見るために、主に同行してきて、その懐に優しく抱かれていたのだが、そこからするりと抜け出そうとする。
「あぁ、こらこら。どこへ行くんだ」 と、主が優しく窘めてくる。
勝手なことをしたから怒っているのではなく、クイの身を案じてくれているのだろう。
「大丈夫です。私ももう未人じゃありません。迷ったりはしませんから」 と、クイは笑って言った。
「そうか? 闘人どもの荒々しさを怖がり、隅に隠れて出てこなかったのは、どこの誰だったか」
まだ若かったクイは舌を出して、知りません、と言った。それから元気よく走り、最上段の席から階段を降りていく。その後ろを、ヨリが急いで付いて行った。ヨリは童人の世話をするために付けられた科人で、元気いっぱいのクイの後を追って走ってばかりだった。
「こら、気をつけろ。人に当たったらどうするんだ」 と、主は心配している。
言われなくても、と反論しようとした所で、なおかつ、追いかけてくるヨリにも気を取られていたので、クイは前方への注意を怠っていた。
そこへ、進路を横切る形で現れた彼従がいた。クイは俊敏に動き、その黒っぽい影との衝突を避けた。彼従も動じず、何か小さな混成が足元を通り過ぎたなと、その程度に思ったことだろう。ただ―――。
「あぁ!」 と、ヨリが恐怖の声を上げた。
後を追ってきていたヨリはただの无人である。クイのように機敏に判断できず、あわや衝突しそうになった。ぎりぎりでぶつかる事はなかったが、彼従も足を止める羽目になった。
クイは慌てて戻ってきて、すぐさま足元に畏まった。頭を下げ、震えながら身を縮ませた。
言い訳はできない。佳属といえども、不始末をした科人は簡単に処分される。
見下げてくる眼が、冷たく光って見えた。良くて、苛立ちを払うために吹き飛ばされる。悪くすれば、帛人のように今夜の夕食にされてしまうだろう。
言い訳をしても意味がないが、それでもクイは必死に口を開いた。
「畏れながら――――。此度のご無礼は、童人の身ながら舞い上がった、この私のせいでございます。こやつは、どうかお見逃しを」
クイの嘆願は、しかし、無言で流された。やはり、怒らせてしまったか。
主の名を出し、助けてもらいたい。そんな思いが喉元まで込み上がってきたが、クイはぐっと我慢した。
これは自分が招いた不始末だ。やれるだけのことはやった。後は、黙って処罰を受けるだけだ。身を縮めながら、ただその時を待った。
無言が恐ろしい。腹の中が切り裂かれたように痛みを訴えてきたが、クイはじっと堪え続けた。
「どうかしたかな」 と、声がした。
思わず、ぽろぽろと涙が零れた。嬉しさが窮まったが、主に迷惑をかけた罪悪感も高まり、顔を上げられなかった。
「すまない。我の子が、迷惑をかけたようだ」
申し訳なそうに謝る主の声が聞こえる。クイは驚いた。このような下等な者のために、主が頭を下げられるとは―――。
なんと有難いことか。それに、自分なんぞのことを、今なんと仰って下さったか。クイはもう、一生分の有り難さを感じていた。
「こいつが、子ですか―――」 と、陰気な声がした。顔を上げられないので、黒に染められた裳の裾しか見えない。
「ああ。手のかかる子だとは分かっていたが……。つい、目を離してしまった。ご迷惑をおかけした」
「いえ―――」 と、黒い彼従は首を振ったようだ。「貴方様が、気になさることではありません」
「いやいや、これは我の子だ。ならば我が躾けておかねばならぬもの。それが不始末をしたのならば、我の不徳だ」
ふぅ、と黒い彼従は軽く息を吐いた。
「童人は可愛いものですね。それは我もよく分かります」
クイの頭に、軽く圧力が掛かった。どうやら、彼従が手を伸ばし、クイの頭を撫でているらしい。
「触り心地も良い。ふむ。いつまでも撫でていたい程だ。元気もよくて、利発そうでもある。科人にしては性根もましで、賢い方です。大事になさった方が良い」
「あぁ、すまないね」
「ただ―――」 と、そこで声の質が変わった。少し硬く、咎める声音が混じった。
「貴方の子は、他にもおられましょう。何に愛情を注ぐかは、もちろん貴方のご自由ですが、順序を違えぬよう」
「まったく。そなたの仰る通りだ。面目ない」
「ご子息を追放し、科属になされたと聞きました。その後、誰に跡を継がせるか、まだお決めになっていない、とも」
「その通りだよ」
「でしたら、僭越ながら、申し上げます。我が子のことを、よくご覧になってください。どれだけ可愛がろうとも、科人を後継にすることは、できませんでしょう」
「ご忠告、痛み入る」
その彼従は、それで満足したのか、一礼した後、カツカツと足音を立てて去っていった。
しばらく見送って、主が言った。
「さぁ、クイ。顔を上げて。我は気にしていないから」
そう言われても、クイは動けなかった。申し訳なさ過ぎて、悔しくて、主が痛ましくて、感情が爆発しそうだった。
自分がしでかしたことで、主がここまで言われるとは。それでも尚、優しい言葉をかけてくださる、主の優しさときたら。
もう、どう言ったらいいのか、何をしたら良いのか、クイには分からなくなっていた。
「ケエス様~」 と、クイは涙声で言った。顔を上げると、その優しい眼と眼があってしまうと、きっとさらに大声を上げてしまう。すがり付いて、その綺麗な垂衣を涙で汚してしまうだろう。
「御許し下さいませ。私が、私なんぞのために―――、うぃぃぃ」
主はくすりと笑って、言った。
「あぁ、あぁ、もう。折角の甘い顔が台無しだ。クイ、我はね、お前の笑顔が好きなんだよ」
「だけど、私、あんなこと言われて―――」
「困ったな。これは、長引きそうだ」 と、穏やかな笑い声が降って来る。
「だって―――。私のことと、跡継ぎのことは、関係ないのに。それなのに、あんな言い方って―――」
「はは、そうだな。それは勿論そうだが……。よし、分かった。クイよ、聞きなさい」
「……はい、何でしょうか」
「今日の事は、不運なことだったが、身に沁みたな。申し訳なく思っているな?」
「はい、不運ではなく、私の不注意でしかないのですが、それはもう情けなくて」
「では、その埋め合わせをしてもらおう」
主はよく、このように悪戯っ子っぽい眼をして、意地悪をしてくることがある。たいていは、クイが余計に思い煩い過ぎないように、気を使って下さってのことだ。この時も、この優しい方が冗談を言ったのではないかと思ってしまった。
「我が死んだら、お前に旅をしてもらうぞ」
「え?」 と、すべての動きを止めて、クイは主の顔を見つめた。




