芽生えたもの
5 芽生えたもの
マガリが鎮戻(鎮め元に戻すこと)されことを喜び、郷の者たちが祝宴を設けてくれた。
それは結構なもてなしぶりであった。おそらく、このような郷では、収穫を祝うときや慶事でもない限り、ボウキ(酒)や糖蜜などを容易に口にできないはず。それらを惜しみ無く並べて、主を讃える歌や踊りまで披露されたのだから、よほど盛り上がっていたのだろう。
そんな中、コランが意外な特技を披露した。
ふだん、ぼんやりとしているので、食にも興味がないのだろうと、クイがからかうような事を言った。すると、潰して吸収すればどの食料も同じだとコランが言い、やっぱり淡白な奴だと笑いが上がった。それでかちんときたのか、あるいは、ただ単に、証明したかったのか、コランが立ち上がった。
ならば見せてやると、コランは腕を振るい出した。
出来が悪く主に献上されなかった奉実をかき集めて製粉して、水と塩を加えて練り、生地を作り上げる。それを細長く切り分け、茹で上げた。
最初は、蚯蚓のでかい奴かと気味悪がり、手を出し渋っていたが、終いにはみな、未知の食感にはまった。先進文化の集う燈都で供されてもおかしくない出来栄えに、クイは言葉をなくした。
さらに興にのったコランは、蜜の乗った団子までこしらえてクイを驚喜させた。ふだんは肥鼠や太蛇といった野生の混成を好むゴウライも、この蜜の甘さには唸り声をあげ、貪り食べた。
これは彼従に教わったのかと誰かが問い、ゼイ様に供するために覚えたのだとコランは答えた。燈都での食事に近いものを得られたことでご満悦のクイは、何でも良いからもっと、と聞き流していた。
郷の者達と対称的に、今夜の主役であるゴウライは落ち着いていた。幾人もが奏でる口笛の祝い歌にもさほど興味を示さず、いつの間にか姿を消した。
可愛い可愛いと、もてはやされる事に飽きたクイは、賑わいから離れてゴウライを探した。
喧騒から離れて、岩に腰掛けている巨漢の影があった。彼は静かに夜空を見上げていた。
とことこ、と近寄って、クイはゴウライの名を呼んだ。同時に、香ばしく焼けた河魚を差し出すが、ゴウライはあまり興味を示さない。
「どうしたの? 調子が悪いの? 食べ過ぎたのかしら」と、クイは笑って言う。
「いや」 と、いつもの豪放さを感じさせない声でゴウライは答えた。
興奮しているようには見えない。勝利の味に酔っているなら、もう少し嬉々としていてもよさそうなものだ。
むしろ、何か異変を抱え、その感覚を持て余しているように見える。やはり、どこかおかしいのだろうか、とクイは心配になった。
「大丈夫? マガリに触れて、貴方も歪まされたんじゃない?」
クイの心配を余所に、ゴウライはのんびりと言う。
「何もなってないって……。それより、今夜は、気持ちいい夜だなぁ」
「誇れることをしたのだから、当然ね」
「当然か……、どうだかな」
「何よ、このぐらいの勝利の味なんて、大したことでもないって?」
「いや……。正直言うと、俺は、勝負事は嫌いだったんだ」
「そうなの? 負けることなんてないでしょうに」
ゴウライは、素直に頷いた。胸元の首飾りを指で玩んでいる。そこに列を成している牙は大分古い年季の入ったもので、彼自身の獲得物ではなさそうである。
「少しでも力を込めて殴れば、相手はみんな、壊れてしまう。とても痛そうな顔をする。そう思うと、俺も一緒に、痛い、と思えてしまう。こうなってしまうと思うと、もう手を出す事ができなくなった。いつしか、拳を握ることすら、躊躇うようになった。そうなるともう勝負の場に立つことすら、怖ろしくなっていた」
クイは頷いた。ゴウライは最初、風と向かい合う事を恐れていた。それは、負けるかもと怯えていたのではなく、勝負の場に立つ事、その事自体に拒否反応を示していたのだ。
思えば、コランと対峙した時も、自分から言い出したのではなかった。手下のビド達に勝手に話を進められて、迷惑そうだった。
クイは、ゴウライの眼を見つめ、気持ちを込めて言った。
「それは、苦しかったでしょうね」
「苦しい?」とゴウライは繰り返した。綺麗なほど澄んだ目で、クイを見ていた。
「相手の痛みを思うと、何もできない。それほど、他の存在のことを思える貴方は、優しい」と、クイは言う。
「そうかなぁ。ただ臆病なだけじゃないか」
「そんなことはないわ」
「――ただ、今日は、気持ちよかった」
クイは心持ち首を傾げて言う。
「相手を屈服させて、いい気味だと思ったの?」
「いや。押し切って勝った事には、満足している。打ち負かして、それで嬉しいかというと、嬉しい。だが、今日は勝った事よりも、むしろ、あの時の気分の方が、ずっと心地良かった」
「あの時?」
「負けるかもって思って、負けてなるかって奮起して、声が聞こえて、それで必死になって―――」
「確かに、余裕の無い顔だったわ」
ゴウライは苦笑を浮かべる。
「―――頭の中が空っぽになって……、いや、違うな。何かが満ち満ちていた。ただ一つ、負けてなるか、ってだけ思って一杯だった。こんな気持ちは、今までなかった」
「そう。きっと、負けていたとしても、同じ顔をしていたかもね」
「あぁ。力を尽くすってのは、こんなに、心地良いものなんだなぁ」
ゴウライは、誰かからもらったのかもしれない首飾りを見つめてた。
*
夜が更けるにつれ、郷の賑わいは静まりつつある。臨時の灯も消え、普段の闇が遠慮がちに戻って来ている。
その郷に、ひたひたと、近づいてくる者がいた。
郷を見下ろせる場所まできて、そこで地面に鼻を寄せる。
――臭いが強くなっている。ここで地に下りたらしい。
「見ぃつけた……」
顔を上げたのは、獰猛な顔をした狗人だった。
一度はコランに打ちのめされて、しばらく動けなかった。だが、回復後、かすかに残る匂いを辿り、ようやくここまで追いついたのだ。
「あの野郎は、一緒なのか」
悔しさがぶり返したのか、狗人は一頻り唸り声を上げていた。
どうにか手繰り着いたビドの集落では、童人らしき者の情報を得た。その際、若い男が同行しているとも聞いた。おそらく、狗人を打ちのめしたあの男だろう。
その男らしき匂いは嗅ぎ分けられない。そばに、もっと濃厚な匂いが残っている所為だろう。どうやら童人は、野暴も付き従えているらしい。まともに戦える相手ではない。
狗人は考える。皆が寝静まった頃、そっと忍び寄る。そして、童人だけを牙にかけ、その場を離れる。伝説の太獣シデンとまではいかないが、忍び寄るのは得意とする所だ。狗人の技量を持ってすれば、容易に事を成せるだろう。
「今夜は、逃がさん」
興奮してきて、唾が垂れかける。闇夜を見通す眼を、ぎらつかせた時だった。
狗人は、思わず後ろに跳び退った。
頭の中は真っ白だが、本能から警戒態勢を取った。
何かかが、近くにいる。とても、恐ろしい何かが――。
低い警戒音を鳴らしながら、闇を見据える。
近づいてくるものがいる。あの男かと思ったが、そうではない。知った匂いではない。野暴でもないとしたら、いったい何が。
現れたのは、一本の枯れ木のような男だった。
「翠人……。しかし、何か違う……」
何者だ、と威嚇しようとして、口を開きかけた。その直前、頭の上にそっと何かが乗せられた。
「……!」
何気ないしぐさで、その翠人の手が差し出されて、狗人の頭を撫でていた。
反射的にカッとなりかけた。だが、何故か体が動かない。抵抗したいのに、できない。
不思議な気分だった。不快ではなく、むしろ、かなり心地よい。撫でられていることに、幸福すら感じるのだ。
体から力が抜けていく。地に座り込み、頭を垂れて、なすがままになる。
「よし……」
低く、満足そうな声がする。まるで、目の前の翠人が主であるかのような感覚がある。
そんなはずはない。主と翠人は比べるまでもなく違う混成だ。しかし、この安心感と満足感はどうしたことか。
翠人が、懐に手をやり、何かを取り出した。無造作に、それを狗人の前に放った。
転がってきた白い物をみて、思わず狗人は歯を見せた。
満足そうに笑って、翠人は言う。
「それをやるから、我慢せよ」
本性に突き動かされ、狗人はそのしゃれこうべを手に取った。
「代わりに、あれらのことは忘れろ。あれは我の獲物だ。お前は、声がかかるまで、じっとしていろ」
翠人が、何かを狩る? そんなはずはないと心の片隅で思うが、体は素直に反応していた。
「ははっ……」
狗人が己の命に服したのを確認して、その翠人は郷の中へと戻っていった。




