背中を押すもの
3 背中を押すもの
「クイちゃん、すごいわね」と、娘が頬を赤めて言う。「ゴウライっていうの? あの従人さんなら、負けるなんてことないわね」
ついにあの風を打ち負かせる時が来たと思いこみ、興奮しているようだ。コランに対しては、すでに興味が無いようである。見向きもしない。あれほどあっけなく飛ばされ、不甲斐ない所を見れば無理もないのかもしれない。
「あの無駄にでかい図体を活かす場なんてそうないんだから、働いてもらわなければね」
「だが、お嬢さん、あいつ、大丈夫か」
そう口を挟んできたのは、男衆の中でも年嵩の男だ。かつては郷の守り役・殳斗であったが、今は引退しているらしい。
その口調には、懐疑的な響きがあった。自分にはもう無理な挑戦を、余所者にあっさりとやり遂げられたらと思うのが癪なのだろうか。
「あの巨体を吹っ飛ばせる混成なんていないわ。か弱い気の素には、もっと無理よ」
「相手は尋常じゃないぞ。はっきり意思を持つ素真並みとは言えないが、それでも頑迷に居続けている。もはやマガリと言える、十分な脅威なんだ」
「たとえマガリと化していたとしても、あの巨体を飛ばせるもんですか」
「それは、確かにそうかもしれんが……。ただ、気になることがある。お嬢さんは、あいつと長い付き合いなのか?」
「それは、まぁ、ほどほどよ」
「そうか。じゃあ、いつもこうなのか? あいつ、変だと思わないか?」
「どこが? お頭が変なのはいつもの事よ」
「いや、それは知らんが……。これから一勝負挑むというのに、あいつから全く覇気を感じないぞ」
「え? そう? いつも通り、十分怖ろしげな姿だと思うけど」
「そう、外見は怖ろしい獣のようだな。だが、俺の経験から鑑みれば、あれは腰が引けている奴の態度だ」
「何それ。あの大男が、怯んでいるっていうの?」
「やっぱり、それほどの付き合いじゃなさそうだな。あいつ、平然と見せているが、内心はきっと、怯えている。あんな形をしているが、実は臆病な奴だ」
「臆病……。そんな奴が、ビドの頭なんて務まるかしら」
「え? 今、何と?」
「いや、えっとね……。闘人の頭、と言ったのよ。それよりも、ねぇ、コラン。ゴウライの強さは、対峙したことがある貴方が良く知っているわよね」
話を振られたコランは、黙ってゴウライを見つめていた。無視された形のクイは、代わりに返事をする。
「えっとね。たぶん、大丈夫だから、黙って見ていろ、ってことだと思うわ」
「……お前さんをはじめ、連れもみんな、変わった奴ばかりだな」
「私を一緒にしないで」
とは言ったものの、一向に肝心の場所に立とうとしないゴウライを見ている内に、クイも不安が増してきた。
ゴウライはふいに大声を上げたり、腕を振り回したりしている。挑もうと決意が高まってくるが、しかし、直前になると気が萎え、歩みが遅くなる。
少し近寄ると、それでクウが反応する。ヴゥゥゥゥ、と怖ろしげな音を立てて、風を起こそうとする。
何度も見ている内に、風の起こる機は分かってきている。それを見て、ゴウライはまた距離を取る。その繰り返しだ。
「うーん、貴方が正しいかもしれない」
「だろう。ありゃあ、そのうち何かにこじつけて、逃げてくるぞ」
「……駄目かしら」
「駄目だな。芯が入ってねぇから、まともに組み合えない。下手をすると、マガリどころか、根性が据わった奴なら科人でも勝てる」
「臆病って訳じゃないと思うのだけどね……」
見かねたのか、黙ったまま、コランが、進み出ていく。
「お。あの兄ちゃんの方が根性あるぜ。また挑む気か」 と、男達は囃し立てた。
*
ゴウライが、ずいずいと進み出てくる。ようやく決心が付いたのか。
いや、違う。良く見ると、ゴウライの背後にコランがぴったり張り付いていた。
ゴウライは、この期に及んでまだ、決心できずにいた。そのゴウライを、コランが背後から押して来ている。どこにそんな力が、と思えるほど力強く、コランはゴウライをぐいぐいと押していく。
「お、おい。こんな、頭数でどうにかしようとするなんて、俺は―――」
ゴウライのご託を無視して、コランは、丘の頂上へと向かう。
そこへ、突風が吹きつけた。きつい強風だ。今度のはアゴウ(台風のこと)並みではないか。
離れてみているこちらも、踏ん張らないと転がされそうになる。これほどの強風が生じたのは初めてのようで、郷の者達は慄いている。
けれども、ゴウライはまだ踏ん張っている。正確には、ゴウライが逃げ出さないように、背後でコランが押し込んできている。
単独で挑んだ時は、あっけないほど簡単に吹き飛ばされたのに、今はまるで地面に根が生えたように、コランは動かない。ゴウライの体重を受け止めて、留まっている。
「くそっ!」 と、ゴウライが吼えた。歯を剥いて、形相が変わった。ようやくやる気になったようだ。
ゴウライは前傾姿勢になり、一歩、また一歩と進んでいく。
「おお、すごい、負けていないぞ」 と、歓声があがる。
ゴウライが自らの力で進み出した所で、コランは手を離した。元からそれ以上進む気は無く、ゴウライがやる気を出さざるを得なくなるまで、追い込んだけなのだろう。
「あっ」 という間に、独りになったコランは再び吹き飛ばされた。
先ほどまでは、ゴウライの重量を押し返していたのに、その背から離れた途端、木の葉の様に吹き飛ばされてしまった。直接風を受けた途端、この有様だ。
この若者の不思議な特性に首を傾げたのはクイぐらいで、後は皆、ゴウライを応援していた。
「もう少しだ、行け!」
ゴウライは歯を食いしばったまま、鼻で荒い息をしている。全力を出しているのだろう。
対する風の勢いは凄まじい。もはや科人で抗し切れる勢いではなく、それが絶えず吹いてくる。ゴウライの強力をもってしても、踏みとどまるのが精一杯のようだ。
だが、留まっているだけでは、解決しない。近付けさせたくない理由の場所に達するまでは、この現象は止まらないだろう。
「俺たちも、手伝うぞ!」
男達が、加勢しようとする。コランがしたように、後ろから押そうというのだろう。
「来るなぁ!」 と、ゴウライが叫んだ。
息を吐いたことにより、力が抜け、僅かに押し戻される。
「―――いいから、そこで見てろ。もう少しだ、やってやるから」
興奮していた男達は、鼻白んだ顔をした。
彼らには手柄を奪うつもりなんて無い。ただゴウライに感服して、助力したかっただけなのだろう。それを無下に断り、近付くなと言われれば、白ける顔になるのも当然だ。
「やはり獣か」
「佳属様のやることに手を出すなってことだろう」と、毒づく声が漏れる。
クイが思うには、それは勘違いで、ゴウライは気を遣ったのだ。
確かにゴウライの背を押せば、前進にのみ注力できるかもしれない。ただし、そこまで行くことが、すでに難問だ。
吹き突ける風は容赦がなく、多少の力自慢であっても、科人が近寄るのは困難だ。下手に駆け寄ろうとしても、吹っ飛ばされ、大怪我をする。
臆病であっても、ゴウライは他人の気持ちを深く読み、他人が難事にあることを好まない。
だからゴウライは、皆の身を案じ、嫌われてでも、助勢を断ったのだろう。
「まったく、こんな時にまで……。歯歌なんだから」と、クイは顔をしかめた。
郷の者にも、そうしたゴウライの配慮が分かる者もいて、足踏みしている。元殳斗の男も、ここで退けるかと侠気を見せている。
「しかし、危険なのはお前もだろうが。そこまでいって、飛ばされでもしたら……」
重い分だけ、落下の衝撃は凄まじくなるはずだ。それでもゴウライは、頷いて言う。
「俺を、信じろ。俺は、負けない」
任せてしまっていいか、躊躇ったあと、男たちは決意した。
「……分かった。行け! やってみせろ!」
「飛ばされたら俺達が受け止めてやる! あとのことは考えるな!」
「全力でやれ!」
自分の気持ちが通じて、しかも応援されていると感じたゴウライの身が膨らんだ。
「オゥ!」
全力を尽くしているように見えたが、まだ力を残していたのか。ゴウライは徐々に進み始めた。
「そのまま、押し切れぇぇ!」
声援に応え、ゴウライが吼えた。
逆風の中、突進していく。風が弱まったわけではない。とんでもない底力を発揮して、猛進したのだ。
「行ったァ!」 と、歓声が上がる。
ついに風の素の押し合いに打ち勝ち、向こう側へと突き抜けた。
急に抵抗がなくなり、ゴウライは前のめりになった。辛うじて足を出し、倒れる事はなかったが、ふらふらだ。太ももに力が入らないようで、足が震えている。
それでも、ゴウライは、片手を上げた。
誇らしさと勇ましさに溢れた、勝利の宣言だった。




