06 深海 著 追憶 『走馬灯』
フィリップ・ド・ラースロー「ヨーク公エリザベス王女」1933年
wikiより
人は死ぬ瞬間に変なまぼろしを見るという。
生まれた時から今までのことを一瞬で、すべて思い出すのだそうだ。
それは一秒にも足らず、一度だけまばたきする間のこと。
そうしてああすればよかったこうすればよかったと後悔しているうちに、魂がすぽんと抜けて、天へ昇ってしまうらしい。
「見えましたか?」
おだやかな声が背にかかる。
ふりむけばそこには、赤銅色の衣をまとった男がひとり。
「どうですか? 記憶は見えませんでしたか?」
「きおく……?」
口を開くなり、がふりと熱いものが喉からこみ上げてきた。思わず当てた手の間から、たらたらと真っ赤なものが床に落ちる。
「あなたの中に、入っているはずなのですが」
がくりと、おれは床に両膝をつきうなだれた。胸に一本、ふとい筒のようなものが突き刺さっている。そいつは長くて鋭く、おれの体を貫いている。
「みえ、ません。もうしわけ、ありません」
「生命の危機のレベルが低いのでしょうかね。しかし脳髄を破壊するわけにはいきませんし」
眉ひとつ動かさず、赤胴色の衣の男が首をひねる。
この人の考えていることはよくわからない。本だらけの、生命の塔というところの一番偉い人だというのだが。いつもなにやら難しい言葉でぶつぶつ言っている。
「はぐあ!」
ずさりともう一本、おれの胸に筒が刺さった。男が背後の壁の突起を押したとたん、その脇の三角穴から飛び出てきたのだ。
よけたいが、そうするなと男は言う。
とにかく瀕死にならねばならないのだと、おれに命じる。
「生と死のはざまにおかれると、人はそれまでに蓄積したすべての情報を脳内に呼び出すのです。それを喚起してほしいのですよ。あなたの血の中に入っているものを」
それこそ生命の神秘。
男はつぶやき、また壁の突起を押す。
「ぐあ!」
もう一本、おれの胸に筒が刺さった。
飛び散る赤い液体。くず折れて、床につっぷすおれに冷たい声が降りかかる。
「耐久力がありすぎるのでしょうね。再生能力もはんぱではないようですし」
少々丈夫に作りすぎてしまいましたかと、男は顎に手をやり考え込んで。
びくりびくりと体を痙攣させるおれに近づき、背から突き立つ筒を抜いた。
「主たる原因は促成培養でしょうかね。やはり超短期間の細胞分裂では、情報が失われるのでしょう。それでも……」
抜かれた筒が、おれの首筋にあてられる。
ああ、もしかして。そこを?
「それでも、いくばくかは残っているはず。さあ、思い出しなさい」
「やめ――」
おれの願いは無視された。
男は、おれの首に筒を突き立てた。一分の慈悲もなく。情け容赦なく。
そうしておれは闇の中に放り出された。生と死とのはざまに。
ああ、おれは死んだのだろうか。
首は不思議と痛くない。けれどあたりはおれがいた場所じゃなくなっている。
ぽかりぽかりと、まわりに浮かんできたのはまっしろな山と。まっしろな道と。まっしろな木々。あたりはすっかり、雪に埋もれている。
「赤毛ちゃん?」
金髪の女の子が、よろろと起き上がったおれをのぞきこんできた。
「大丈夫? 急に走るからすっころぶのよ」
この子はたしか……
「君は……」
「やだ赤毛ちゃん、へん! リンゼのこと、知らないって顔してる」
リンゼ?
ああ、それはたしか、百人ぽっきり村の子で、おれのおさななじみだ。
くりくり大きな目がとてもかわいい。いつもエプロン姿で、母親と一緒に編み物してる……
「あら赤毛くん、ころんだの? いつもながらどじっ子ね」
リンゼよりもはるかに大きい、金髪の女が目の前に現れる。この人は……
「キャロルお姉ちゃん!」
リンゼが背の高いその人の腰に抱きつく。そうだ。これは隣のキャロルさん。百人ぽっきり村で一番の美人。リンゼの姉だ。
「お父さんが鹿をしとめてきたから。お肉を分けてあげるわ、赤毛くん」
そうだ。この人はいつもいつも、ありがたいことにおすそわけしてくれた。肉もパンもチーズも。それから古着も。
「おい赤毛」
姉妹に礼を言って、雪に覆われた道を歩いて家へ向かっていると。背後からばしりと肩をはたかれた。
眼鏡をかけた金髪の女がおれをにらんでくる。
いつのまに? この人はたしか……
「役場に早く届けを出せ」
「届けって?」
「ああもう、ロミナとの結婚届けだよ。さっさと手続きしな」
そうだこの人は百人ぽっきり村の役場につとめてる、シェリー女史。村一番のインテリだ。
そしてロミナはおれの……そうだおれの……
雪道を走る。足が白い雪を粉のように巻き上げる。
ロミナはおれのもうひとりのおさななじみ。
リンゼと三人、いつもつるんで遊んでた。百人ぽっきり村はまわりをうっそうとした森に囲まれている。村からきこりの家までの道。木を切り倒した跡地。流れる小川。いろんなところに行って冒険した。
おっとりリンゼをぐいぐい引っ張るロミナは勇ましくて。おれよりはるかに力持ちで。槍でイノシシを仕留めるぐらいすごくて。
でも――
暖炉の煙が屋根からのぼる、小さな家。ロミナの家から、いくにんもの泣き声が聞こえてきた。娘の名を叫ぶおばさん。おいおいと泣きじゃくるおばあさん。そして。柱に拳を打ち付けるおじさん……
そうだロミナは。どっかり雪がつもったこの日、おれの恋人は……
「おまえのせいだ!」
家の敷地に入るなり。おれはおじさんにぶんなぐられた。
「ロミナはおまえとの結婚のために銀狐の毛皮をとりにいった! そんでグライクライにやられちまった!」
銀狐はめずらしい生き物だ。その毛皮はおそろしい価値がある。ロミナはおれにそいつのえりまきを贈ると言ってきかなかった。それが嫁入りの持参金の代わりだって。
そしてグライクライは最近、村の周辺に出るようになった生き物だ。
熊みたいなやつだが、冬眠しない熊なんてまったくもって異常なもの。きっと魔物にちがいないとみんな警戒してた。
ロミナはそいつの、初めての犠牲者になってしまった。
銀狐をとりに裏森に潜って、そこで――
彼女の不幸を知らせたのは賢い猟犬。狩りのときいつも連れていた頼もしい相棒だ。家族に急を知らせて、主人が倒れたところまで案内したらしい。
百人ぽっきりの村はそれで九十九人になり。おれはロミナの家族にえらく恨まれた。
「だからわしは結婚に反対したんだ! 赤毛のもんなど、不幸を呼ぶってな」
「赤毛、あんたしばらく姿を見せないでおくれ」
おれは、名前でよばれたことがほとんどない。
百人ぽっきりの村で赤毛なのはおれひとり。あとの九十九人はみんな金髪だ。
半分他の土地のやつの血が入ってるおれは、村では異端児。土台、ロミナとの付き合いはロミナの家族には歓迎されてなかった。
恋人のなきがらを見ることも許されず、おれはこれで完全に村八分。
ここで生きていくには名誉を挽回しないといけない。
ロミナの仇をとればきっと。グライクライをやっつければきっと。
みんなはおれを許してくれる――
おれは走った。
泣きながら走った。手には槍。背中には弓矢。腰にはナタ。持てる限りの武器をもって、雪道を走った。グライクライが徘徊する裏森へと、がむしゃらに。
敵はすぐに見つかった。
おれはおもいきり、黒い毛むくじゃらの魔物に槍を投げた。でもそれははずれた。
おれは次に弓矢を放った。でもそれも、ぶざまにはずれた。
最後にナタで切りかかったけれど。でもそれも、魔物の腕であっけなく弾かれた。
武器を全部失った瞬間、おれは相手の大きな腕で薙ぎ払われてすっ飛んだ。
痛い。
痛い。
死ぬ。
腹から何か出てる。ああ、切り裂かれたのか。
でも死ねない。仇を取らないと。倒さないと。
ロミナ。ロミナ。
好きだった。
あいつだけはおれのことを、あだ名でよばなかった。
ちゃんと名前をよんでくれた。
だからおれはこいつを殺す。ぜったいに殺してやる――
「うあああああああ!!」
頭を抱えて跳ね起きると、おれはまっしろな寝台に寝かされていた。
周りは本。本。本。本がぎっしりつまった棚がひしめいている。
ここは……百人ぽっきりの村じゃない。
「戻って、きた?」
かたわらに、赤胴色の衣をまとった男がいる。
「ここに運び込んで十分。蘇生にかなり時間がかかりましたが。記憶は見えましたか?」
無表情なその顔がおれを冷たく見下ろす。
「あ……はい……生まれ故郷の村が……見えました……」
すっぱだかの体には、傷が癒えた跡がいくつもある。筒を刺されて穴があいたはずなのに、今はもうすっかりその傷が埋まっている。首はまだ傷とおぼしきものかぽっこりついているが、まったく痛くない。
「おさななじみが殺されて……おれはその仇をとりました。魔物を倒して……」
「ほう? どうやって?」
「武器もなんにも効かなかったので、おれは……敵と同じものに……」
「なるほど」
そのときはじめて、おれを見下ろす男は口元をゆるめて。目も山のようにして微笑んだ。
「敵の力を複製したのですね」
「え……そうなんでしょうか」
「では、あなたが見た記憶を、見せていただきましょう」
「う? うあああ?!」
男の手が、おれの顔に伸びてきて――
「うあああああ!!」
おれの目をえぐった。ぶちりと、何かが切れる音が目の奥で響く。
「心配はいりません。あなたの左目は義眼なのです。これはあなたが見たものをすべて記憶する、情報集積回路。ルファの瞳と呼ばれるもの。韻律を唱えてのぞきこめば……」
男の顔がほころぶ。まるで花が咲いたように。
「あなたの本体から採った血で培養生成されたあなたには、本体の記憶がちゃんと残っている。情報は遺伝子の中にも伝達されるのです。ふふふ、じっくり見せていただきましょう。金槌遺伝子の複製能力を――」
おれは片目がなくなった顔をおさえて、寝台に倒れた。
ずきずきと頭が傷んだ。目の奥が焼けているようで、とても起きてなどいられなかった。
踵を返して、男は本だらけの部屋を出て行く。
おれに背を向けたまま、そいつはおれに冷たく言葉を投げた。
「これから存分に働いてもらいます、我が子よ。その力をもってして、世を正しなさい」
満足げな笑いが漏れると同時にばたんと閉められた扉にむかって、おれは呻いた。
返事をしないといけないと思ったからだった。
「はい……」
なぜならあの男はおれの創造主。おれはあの男に造られたモノ。
だれかの血によって培養され、たった数ヶ月で作り出されたしもべ。
だからおれは答えた。扉の向こうにいるだろう主人にむかって。
「わかり、ました……おとう、さま」
それからひと月たたぬうち。おれは男の住まう塔から出された。
父たる男から命じられたことを果たすため、おれは大陸へ渡る船に乗った。
『その力をもって、世を正しなさい』
力。
あれを使うのか。
白い塔がそびえる島を背にするおれの脳裏に、記憶がのぼってきた。
おれのものではない。おれの本体のものである情報が。
おれの本体は島にしばらく滞在したが、つい先月、エティアという国へ帰ったそうだ。今はそこの王宮にいるらしい。
おれの行き先はそこだ。そこに、標的がいる――
潮風がみるみる、船の帆を押す。
かもめがたくさん、けたたましく鳴きながらついてきた。
旅立ちを祝福してくれるかのように船の両脇につき従い、次々海面に降りて波を裂く。
中の一羽が鉤型の口でみごと、魚をとらえた。あわれな獲物が銀のきらめきを放つ。
その光がおれの目を刺した。
ずさりと深く。心の臓に届くほどに。
――走馬灯 了 ――
1月号(第91集)はここまで。それではまた。ご高覧ありがとうございます。