03 紅之蘭 著 追憶 『ハンニバル戦争・エピソド』
【あらすじ】
紀元前二一九年に始まった、第二次ポエニ戦争で、カルタゴのハンニバルと麾下の軍勢は、アルプス山脈を越えてきたイタリアに侵攻した。カルタゴ軍は、ローマ迎撃軍を撃破しつつ、アドリア海に沿って南進し、南イタリアのカンナエで、ローマ軍の大軍を壊滅させた。続いて、ローマを包囲したものの、豪胆なローマの元老院議長ファビウスの籠城策に根負けをして撤退する。そしてついに、ローマの若き英雄スキピオが表舞台に立つ。スキピオは、軍団を率いてイベリア(スペイン)戦線に赴くと、攻勢をかけ、ハンニバルの根拠地カルタヘナを奇襲し陥落させた。そして、いまだ、イベリアに大軍を擁する、ハンニバルの次弟ハシュルドゥルパルをも破ったのだった。ところが、そのハシュドゥルパルは、スキピオとの戦いには固執せず、麾下の軍勢とともに、ハンニバルが通った遠征路をつかってアルプスを越え、北イタリアに侵入した。対してローマ側は、執政官ネロ麾下の迎撃軍をだし撃破することに成功、ハシュドゥルパルの首級をとった。ここに至って、カルタゴのハンニバルが立案した、イタリア半島の南北挟撃策は、破綻し、潮目が変わった。
写真:「ローマ軍団」wikiより
紀元前二〇五年、バルカ三兄弟の末弟マゴーネと麾下一万五千の兵を乗せた、カルタゴ船団が、ガリア(フランス)と、イタリアとの境目にある、リーグリア海岸に上陸しようとしていた。
制海権は、ローマが握っていたのだが、追い風を武器にして、船団は一気に北上し、案外容易に上陸できた。
一万五千人規模の兵員を輸送するには、いったい、どれくらいの規模の軍船を必要とするかというと、詳しく述べられた資料が手元にないのだが、この後、スキピオがアフリカに上陸をかけるとき、ローマの兵員二万六千に対し輸送船四百、護衛の軍船が十分の一である四十隻だったというから、ローマとカルタゴの両国の船の規格が同程度だったとして、単純計算すると、カルタゴの輸送船二百三十隻、軍船二十三隻くらいだったことになる。
「十三年前、僕は、長兄ハンニバルとともに、目の前のリーグリア海岸の奥にそびえるアルプス山を越えて、北イタリアを占領した。次兄ハシュルドゥルパルも、北イタリアで討ち死にしたと聞いている」
あのころ、まだ少年の面影のあったマゴーネも、今では三十半ばに達し、カルタゴ屈指の将領に成長し、長兄、次兄の元で、数々の武勲を立てていた。
マゴーネが書記官に言った。
「マゴーネ将軍、リーグリアの地は何ゆえに重要なのでございましょうか?」
「スキピオの登場によって、イベリア(スペイン)を失った、わがカルタゴ勢としては、挟撃策こそが唯一の戦況打開の手段なのだ。リーグリアは北イタリアだ。わが軍はここを占領し、南イタリアにいる、大兄ハンニバルと連携するしか方法はない」
護衛軍船の一隻の船縁にいたマゴーネは、目を閉じて、十三年前を思い出した。長兄のハンニバルとアルプスを越えて北イタリアに侵攻。カンナエ会戦ほか、重要な局面で決定的な役割を担ってきた。戦況報告をしにカルタゴ本国へ行き、それから本国元老院の命令で、イベリアへ渡り次兄ハシュルドゥルパル
を助け、スキピオの父コーネリアスを敗死させた。今でもそのときの栄光が、鮮明に脳裏に蘇るのだ。
ところが、ローマの若い将領スキピオの登場によって、戦況は一変した。
長兄ハンニバルが、イタリア遠征をしている間の留守を託されたハシュルドゥルパルが、ローマのスキピオ、次いで、ネロといった将領達に相次いで敗れたことは大打撃だった。
カルタゴ勢を立て直すため、バルカ家の門地に固執することなく、ジスコーネ将軍の麾下に甘んじたのも、時勢を見据えたマゴーネの英断であった。
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紀元前二〇六年のイリバ会戦は、イベリア半島におけるカルタゴ勢最後の迎撃戦だった。カルタゴ軍は七万八千、これに対するローマ軍は四万八千である。カルタゴ勢は歩兵が圧倒的に多く、戦象部隊までいた。ローマ側と互角であったのは騎兵くらいのものだった。
イリバ会戦の布陣は、両軍とも横列隊形をとっている。歩兵中軍の両翼に、左軍と右軍を、さらに外側に、敵騎兵の横槍を防ぐための騎兵を配置するという、この時代の定石だ。カルタゴ軍は、両翼にいる騎兵の前に戦象隊を配備した。
スキピオの陣容は、スキピオ直属の中軍を、あまり強くないイベリア傭兵とし、信頼できるローマ市民層の兵士を左軍と右軍とを両翼にしていた。常道では、三軍まとめてカルタゴ勢に突撃をかけるべきところだが、そうはしなかった。
ローマ中軍のみでカルタゴ戦陣の中央に踊り出る。
カルタゴの総大将ジスコーネは、ローマ側の奇策が、何を意図したものか読めなかった。まごついている間に、ローマの左右両軍が、左右の騎兵隊と連携し、カルタゴ勢の両端にいる戦象隊あたりに向かって進撃した。さらに、ローマ騎兵がカルタゴの両翼の背後を衝く。
ここで、カルタゴの戦象がパニックを起こした。戦象は、上手く使えば、現代風にいうところの、重戦車のような破壊力を敵に与えるのだが、一度パニックを起こされると、その破壊力は味方に向かうことになる。
このため、カルタゴの左軍と右軍とは、両端から破壊されてしまった。
あとは、ハンニバルではないが、左右の騎兵を敵陣中軍の背後に回し、蓋をしてしまえば、包囲殲滅陣形が完成する。そうなる前に、死地を脱出しなくてはならない。
(――またしても、大兄ハンニバルの戦術をスキピオめに取られてしまった!)
カルタゴ勢にとって不幸中の幸いだったのは、ほどなく、雷雨があったことだ。ローマ軍が、深追いを避けたので、カルタゴの主だった将軍たちは精鋭とともに、森に逃げ込み、さらに、三方向へと逃げた。このときの、カルタゴ残余の兵は六千であった、と伝えられている。
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バルカ三兄弟の末弟は弁舌も爽やかだ。
マゴーネは、カルタゴ元老院に行って、討ち死にした次兄ハシュルドゥルパルに代わって、自分が挟撃策の北軍を担当し、南軍の長兄ハンニバルと連携する。そのために、兵と軍船の調達を訴え、説得に成功した。
しかし天運は、すでにカルタゴから、ローマに移っていた。
カルタゴが、事前に調略していたガリア人達が、落ち目になったカルタゴを見限って、傭兵を出さなかった。あるいは、ローマの元老院長ファビウスが調略したのかもしれない。
そこへきてファビウスは、自国の六個軍団と同盟市からなる迎撃軍を出した。同盟市の援軍規模が分からないので、どのくらいの兵力かは判らないが、ローマ兵だけでも二万四千いる。少なくとも、マゴーネ麾下のカルタゴ軍に数倍する、兵力であることには間違いなかろう。
マゴーネは奮戦したものの敗れ、大怪我を負って、ジェノバの町に逃げ込んだ。それでも、カルタゴ本土決戦が行われる、紀元前二〇三年までの三年間に渡って、ジェノバを死守したのは、この人の才能であった。
同じころ、ローマに凱旋したスキピオは、やはり元老院に赴き、北アフリカにあるカルタゴ本国を衝くことを提案し、堅物である、元老院議長ファビウスの説得に成功し、前執政官の肩書を得て、徴兵を許可された。
若き英雄のもとへ、勇んではせ参じたのは、兵役を満了したはずの、イベリア戦線で共に戦った帰還兵達、それから、カンナエ会戦敗残の屈辱を味わい、島流し同然に、かの地を守備していた兵士達だった。歴戦の猛者達からなる、スキピオ麾下のアフリカ攻略軍は、これより、“カンナエ軍団”と呼ばれることになる。
若き英雄スキピオを冠する、ローマ最強軍団の士気は、すこぶる高い。
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アフリカへ!
アフリカへ!
スキピオとともに!
(追憶、了)
【登場人物】
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《カルタゴ》
ハンニバル……名門バルカ家当主。新カルタゴ総督。若き天才将軍。
イミリケ……ハンニバルの妻。スペイン諸部族の一つから王女として嫁いできた。
ハシュルドゥルパル……ハンニバルの次弟。イベリア半島での戦線で活躍。
マゴーネ……ハンニバルの末弟。将領の一人となる。
シレヌス……ギリシャ人副官。軍師。ハンニバルの元家庭教師。
ハンノ……一騎当千の猛将。ハンノ・ボミルカル。ハンニバルの親族。カルタゴには同名の人物が二人いる。第一次ポエニ戦争でカルタゴの足を引っ張った人物と、第二次ポエニ戦争で足を引っ張った大ハンノがいる。いずれもバルカ家の政敵。紛らわしいので特に記しておく。
ハスドルバル……ハンノと双璧をなすハンニバルの猛将。
ジスコーネ……イベリアにおけるカルタゴ三軍の一つを率いる将軍。
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《ローマ》
コルネリウス(父スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名将。大スキピオの父。
スキピオ(大スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。大スキピオと呼ばれ、ハンニバルの宿敵に成長する。
グネウス……グネウス・コルネリウス・スキピオ。コルネリウスの弟で大スキピオの叔父にあたる将軍。
アシアティクス(兄スキピオ)……スキピオ・アシアティクス。スキピオの兄。
ロングス(ティベリウス・センプロニウス・ロングス)……戦争初期、シチリアへ派遣された執政官。
ワロ(ウァロ)……執政官の一人。カンナエの戦いでの総指揮官。
ヴァロス……執政官の一人。スキピオの舅。小スキピオの実の祖父。
アエミリア・ヴァロス(パウッラ)……ヴァロス執政官の娘。スキピオの妻。
ファビウス……慎重な執政官。
グラックス……前執政官。解放奴隷による軍団編成を行った。