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自作小説倶楽部 第16冊/2018年上半期(第91-96集)  作者: 自作小説倶楽部
第96集(2018年6月)/「衣がえ」&「告白」
32/34

04 らてぃあ 著  衣替え 『姉の恋』

挿絵(By みてみん)

  挿絵/Ⓒ 奄美剣星「ブラウスのお嬢さん」



「彼と別れるわ」

 姉は予想通りの言葉を吐いた。意味もなく細い指でストローの曲がり角をつまんでアイスコーヒーの氷を一回転させる。

 これで何度目のことだろう。僕は内心ため息をついた。

 大きな瞳がふたつ、卵型の顔の中できらりと輝く。少しカールした栗色の髪に染み一つない肌、服装はゆったりした白のブラウスと淡いピンクのロングスカートは身体の細さを強調するようだ。

 わが姉ながらたぐいまれな美人であることは紛れもない事実だ。さっきもカフェの店員が注文の品を置くふりをして姉を頭からつま先まで観察していた。僕の前には注文した覚えのないホットココアが置かれている。

 趣味はピアノと料理、好きになった相手には尽くすタイプなので大抵の男は落ちる。

 しかし姉にはそれらの天恵に反比例するかのような大きな欠点があった。


 ①男の趣味が悪い。

 どういうわけか姉の恋人になる男はいずれも馬鹿か自己中かナルシストだ。毎日真面目に働いたり、勉学に励もうという精神を持ち合わせていない。付き合って半年もしないうちに浮気をしたり、怪しい投資話を持ち掛けてきたりする。


 ②熱しやすく冷めやすい。

 男がトラブルを起こした途端、それまで天使のようだった姉は冷酷な悪魔となり恋人を切り捨てる。一方的な別れの言葉の後、完全着信拒否に無視だ。姉のこの対応には何かトラウマでもあるのではないかと疑ったこともあるが、我が家はいたって平和な家庭で僕や両親にも心当たりはまったくない。


 ③恋の後始末を弟に押し付ける。

 今まさにこの状況だ。


「今回は何故別れようと思ったんだよ?」

 一応理由は聞いてみる。3か月前のまだ寒い日に姉が我が家に彼氏を呼んで家族に紹介したことを思い出す。自分はモテるんです。と顔に書いてあるような男を僕は一目で嫌いになった。男が帰ったあと霊感のある母は女の生霊が憑いているから、あの男はやめておけと忠告し。次の日には父が男の経歴が出鱈目であるという調査結果を持ち帰った。

 家族全員の反対にもかかわらず姉は実家を飛び出して男と同棲を始めた。

「今回は。なんて言わないで、私だって悩んだのよ。きっかけはこれ」

 姉はハンドバッグから紙片を取り出した。映画のチケットの半券だった。

「これがどうしたの?」

「衣替えしてやろうと彼の服を整理していたのよ。そしたらコートのポケットに入っていたの。これは他の女とデートした時に使ったものよ。私も見たいって言っていた映画にあの男は他の女と行っていたのよ」

「男の友達と行ったってことはない?」

「いいえ。あの男が同性と映画に行くはずはないわ。男優の顔の区別がつかないっていうくらい映画オンチだしね。それにこの映画は美形の男優は主演していることが売りなのよ。加えてこれは初日限定のペアチケットの半分よ。周りもカップルだらけ。女と行ったに違いないわ」

「上映の初日はいつ?」

「3か月前、家族に会せた週の土曜日ね。人身事故で長い時間電車が止まった日よ。急な仕事だと言って出かけた。会社に行っていたら深夜になるまで帰れなかったはずなのに夕方に帰って来たのよ。あの時は気が付かなかったけどおかしなことばかりよ」

「奴の様子はどうだった?」

「ものすごく疲れた顔をしていた。顔色も悪かった。仕事でミスって上司に怒られたと言っていたけど、その日以来、夜中にうなされたり起きている時にうわの空だったり、おかしくなったのよ」

「映画館って、事故のあった駅の近くじゃない?」

 僕はチケットのかすれた印字を見つめて言った。

「そういえばそうね。上映している館も少なかったから、このあたりだとあそこに行くしかないわ。歩けば一時間くらいでアパートに帰れるから辻褄は合うわね」

「相手の女に心当たりは?」

「会社の同僚かしら? ううん。あの駅の周囲でデートするなら私と生活圏が近い人間ね。彼がナンパしやすい人間、あ、そうだわ。2月に風邪をひいた彼に付き添って病院に行ったことがある。彼は対応してくれたナースさんを何度も見ていた。あの娘だわ。最近、私がアレルギーで病院に行ったらいなかった。辞めたのかしら? 彼と何かトラブって」

「念のために聞くけど、浮気相手と別れたから許すという気持ちはみじんもないよね」

「当り前よ。浮気なんて汚らわしい」


「姉と別れて二度と僕たちの前に現れないでください」

 男が何か言う前に僕はA4用紙を男の前に差し出した。抗議の声は男の喉に呑み込まれた。

 ややあって男が声を絞り出す。

「脅迫しようっていうのか?」

「とんでもない。僕ら家族とあなたは赤の他人です。己の罪を償うべきか否か、決めるのはあなた自身すよ」

 男は血走った眼で紙をにらんだ。それは新聞記事だ。内容は約三か月前に起こった鉄道の人身事故の報道だ。市内の病院に勤める若い看護師の女性がホームから転落、列車にはねられた。そしてニュースをさらに大きくしたのは死んだ女が直前に男と言い争っていたという目撃情報だった。喧嘩相手の特徴は目の前の男に灰色のコートを着せればぴったり一致する。

「俺はやっていない。あの女は衝動的に線路に飛び込んだんだ」

「言い訳は僕の前じゃなくて警察の前でやってください。自首するかとり殺されるか、選択はあなたの自由です」

「とり殺される?」

「そう。あなたの背中にいる、泣きぼくろの女性とナース服の彼女にね」

 僕は伝票を手に立ち上がった。振り返らなかったし男に呼び止められることもなかった。上手くいったようだ。僕に母のような霊感はない。泣きぼくろの女は母が見たものだし、ナース服はでまかせだ。あとは勘。

 母の血筋なのか僕は人の気持ちを読むのに長けている。毎回浮気という見当違いな結論に着地するものの3か月以上も前の男の行動を説明できる姉の記憶力は父譲りだろう。姉が己の能力でまともな相手を見極められる日が来ることを願ってやまない。

          了

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