04 紅之蘭 著 爪とぎ 『ハンニバル戦争・カルタゴ』
【あらすじ】
紀元前二一九年、カルタゴのハンニバル麾下の軍勢は、アルプス山脈を越えてイタリアに侵攻。ローマ迎撃軍を撃破しつつ、アドリア海に沿って南進し、南部のカンナエで、ローマの大軍を壊滅させた。続いて、ローマを包囲したものの、豪胆な元老院議長ファビウスの籠城策に根負けをして撤退した。そしてついに、ローマの若き英雄スキピオが表舞台に立つ。スキピオは、軍団を率いてイベリア(スペイン)戦線に赴くと、攻勢をかけ、ハンニバルの根拠地カルタヘナを奇襲し陥落させた。そして、いまだ、イベリアに大軍を擁する、ハンニバルの次弟ハシュルドゥルパルをも破った。ところが、そのハシュドゥルパルは、スキピオとの戦いには固執せず、麾下の軍勢とともに、ハンニバルの遠征路をたどって、やはりアルプスを越え、北イタリアに侵入。対するローマ側は、執政官ネロの迎撃軍をだし撃破した。ここに至って、カルタゴのハンニバルが立案した、イタリア半島の南北挟撃策は、破綻し潮目が変わった。
タルクイニア出土・紀元前4世紀の石棺 『世界美術全集6 ギリシャⅡ・ローマ』平凡社1956年 図版57より
紀元前二〇二年春、カルタゴのハンニバルの軍勢がザマの町に入った。ハンニバルの帷幕に集まった顔ぶれには、弟のマゴーネ、古参の猛将ハンノ、そしてギリシャ系軍師シレヌスといった将領たちがいた。
ハンニバルの横にいた末弟のマゴーネがうんざりした顔でいった。
「とっととローマを倒せ。いつ倒してくれるのかだってさ。元老院の狼狽ぶりには呆れるばかりだ。兄上、このあたりでガツンといってやってくれ」
「口出しをせぬよう、手紙で釘をさしておこう」続いて、隻眼のハンニバルが、老軍師に尋ねた。「シレヌス、援軍が集まってきている。手勢はいかほどか……」
「歩兵五万、騎兵三千、戦象八十になりました」
ローマのスキピオによって玉座を追われたヌミディア王シファチエの王子たちがいた。配下の騎兵とともに王国奪還を望んでの帰参だった。騎兵はシファチェ王の息子たちが率いてきたヌミディア兵が大半を占めていた。
ヌミディアを制圧したローマ軍は、ザマの西方百キロ・ナツラガラに陣取っていた。
おそらく数の上でカルタゴは優勢だ。問題は騎兵だ。スキピオはわが包囲殲滅陣形を扱えるという話ではないか。奴との勝負は騎兵の多さが鍵を握る。「騎兵の数が知りたい」――そう考えたハンニバルは、シレヌスに、〈草〉を放てと命じた。
ところがだ。シレヌスが放った〈草〉のうち、三名が、ローマ軍に捕獲され、スキピオの前に引き立てられた。〈草〉たちは、ローマの名将スキピオが予想以上に若いことに驚いた。そして、そのスキピオに、「自分の陣営を存分に見てこい」といわれ、また驚いた。ローマ兵は土木国家の工兵であった。杭をかついで行軍する。このため兵士たちのテントを張った野営地の周囲は、濠が穿たれ、そこの残土で土塁を築き、さらに木柵を立てるので、瞬く間に陣城が出来上がってしまう。
ローマの陣城にいたのは、歩兵三万四千、騎兵八千だった。歩兵のうち重装歩兵が二万、軽装歩兵が一万四千、騎兵はローマ兵が二千、ヌミディア兵が六千となっていた。
「冥途の土産ってやつだな」と、カルタゴの〈草〉たちは、覚悟したのだが、さらに彼らは若いローマの将領のはからいに驚かされた。なんと、生かしたまま、見た通りのことをハンニバル将軍に報告せよといって開放したのだ。
報告を受けたハンニバルは、数の上でこそ優勢だが、やはり騎兵が圧倒的に足らぬ。かつてカンナエの戦いで自分がローマに圧勝したとき、数の上では劣っていたが、ヌミディア騎兵の数の多さを生かした機動戦術で、敵陣形の側面攻撃で切り崩し、包囲殲滅している。そこには、――この意味を貴男ならおわかりだろう? という暗黙のメッセージがある。
ハンニバルは現状を鑑みて講和する必要があることを悟った。
カルタゴとローマは互いに陣を進めて、距離六キロまで間合いを詰めた。陣城は地形的にハンニバル側が川に遠く給水に不利なところに、スキピオ側が川縁で給水に有利なところに構築された。
スキピオはハンニバルの陣城に使者を送って交渉させた。使者の随員には奴隷従者がいた。盛装した護衛兵たちは、カルタゴ側に監視されたのだが、奴隷たちに対しては監視が甘く、陣営を歩き回っても問題視されなかった。――ところが、この奴隷というのは、スキピオ麾下の将校たちだったのだ。
交渉は結局のところ決裂した。
そして翌日、戦闘が開始されることになる。
(爪とぎ 了)
【登場人物】
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《カルタゴ》
ハンニバル……名門バルカ家当主。新カルタゴ総督。若き天才将軍。
イミリケ……ハンニバルの妻。スペイン諸部族の一つから王女として嫁いできた。
ハシュルドゥルパル……ハンニバルの次弟。イベリア半島での戦線で活躍。
マゴーネ……ハンニバルの末弟。将領の一人となる。
シレヌス……ギリシャ人副官。軍師。ハンニバルの元家庭教師。
ハンノ……一騎当千の猛将。ハンノ・ボミルカル。ハンニバルの親族。カルタゴには同名の人物が二人いる。第一次ポエニ戦争でカルタゴの足を引っ張った人物と、第二次ポエニ戦争で足を引っ張った大ハンノがいる。いずれもバルカ家の政敵。紛らわしいので特に記しておく。
ハスドルバル……ハンノと双璧をなすハンニバルの猛将。
ジスコーネ……イベリアにおけるカルタゴ三軍の一つを率いる将軍。イベリア撤退後、カルタゴで総大将を務めるのだがスキピオに大敗する。
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《ローマ》
コルネリウス(父スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名将。大スキピオの父。
スキピオ(大スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。大スキピオと呼ばれ、ハンニバルの宿敵に成長する。
グネウス……グネウス・コルネリウス・スキピオ。コルネリウスの弟で大スキピオの叔父にあたる将軍。
アシアティクス(兄スキピオ)……スキピオ・アシアティクス。スキピオの兄。
ロングス(ティベリウス・センプロニウス・ロングス)……戦争初期、シチリアへ派遣された執政官。
ワロ(ウァロ)……執政官の一人。カンナエの戦いでの総指揮官。
ヴァロス……執政官の一人。スキピオの舅。小スキピオの実の祖父。
アエミリア・ヴァロス(パウッラ)……ヴァロス執政官の娘。スキピオの妻。
ファビウス……慎重な執政官。元老院議長となり、「ローマの盾」と呼ばれる。
グラックス……前執政官。解放奴隷による軍団編成を行った。
レリウス……本来はスキピオの目付役だったが、スキピオの人となりに惚れ込んで実質的な副将になった。
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《ヌミディア》
シファチエ王……分裂していたヌミディアを統一したが、同盟国カルタゴに加担したため、スキピオ麾下のローマ軍に大敗し捕虜になる。
ソフォニズバ王妃……本来マシニッサの婚約者だったのだが、マシニッサが一時没落した際、マシニッサの敵対勢力だった王統のシファチエ王に嫁がされる。
マシニッサ……シファチエ王に対立していた王統の王族。盟友スキピオに推されて王になる。




