01 奄美剣星 著 菜の花畑 『鬼撃ちの兼好』
Ⓒすしぱくさん「鵜戸神宮の御本殿から笛の音が鳴る」ぱくたそ
――陰陽道の奥儀? ほう、旧幕(江戸)時代ならまだしも、文明開化という言葉すら死語となったこのご時世に、そんな迷信が、まだ密かに受け継がれているのですね?
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大正四(一九一五)年四月のことだった。
一等車のコンパートメント席に腰掛けたのは、眼鏡をかけた四十を少し越した、官僚だった。塚本清治という。――かつて日本の省庁に内務省というものがあり、そこの神社を統括する部局を神社局といった。内務省神社局長塚本清治は、就任早々、東京駅から汽車に乗って、三重県に向かうことになった。
東京駅に迎えにきたのは、年老いた宮司である。
「塚本様、歴代神社局長が就任するときの、お約束のようなものですから」
駅を降りた塚本と老宮司の二人は、待機していた人力車に乗って、伊勢神宮外苑にあたる山中に向かった。塚本は、鞄から薬包にした太田胃散の粉末を口に放り込んでから、水筒の水を口に含んだ。
杉の古木が立ち並ぶ深い森の奥に向かって、どこまでも、石畳の参道が続いていた。鬱蒼とした森を抜けると、二台の人力車はやがて、菜の花畑の広がる、明るいところにでた。
菜の花畑の真ん中に更地があり、そこに幕串を立て、菊の御紋が入った陣幕を張ったところがあって、関係者たちが二台の人力車を恭しく出迎えた。衣冠束帯の装束から、皆、神職にある人であることは一目瞭然で、官僚の塚本だけがスーツ姿で浮いた感じだった。
密かに内務省社寺局主催の〈演武〉が行われようとしていた。どういうものかというと、術師たちを集め、法力・通力といった技量を量ることを目的としたものだった。――塚本清治は、〈演武〉を視察するために、伊勢の地を訪れたのだった。
塚本は、老宮司に勧められた折り畳み式椅子に腰かけた。視線の先にある試合場には、烏帽子に狩衣装束をつけた男二人が向き合っていて、やがて塚本と神職関係者一同に、厳かに一礼して〈演武〉が始まった。
陰陽師が、手中にある、紙でつくった人形を、宙に放った。するとそれは、はらりはらりと、宙に舞い、童子に変化した。童子は美麗である。水干の衣をまとったミズラ髪の童子が、手にした矛の先を何度も、対峙する相手の陰陽師に向かって繰りだした。
「幻術か? あの童子は何というのです?」塚本は老宮司に聞いた。
「人形に妖を封じたもので式神と申します」
「『宇治拾遺物語』に、でてくるアレですか?」
「いかにも。今、仕掛けた陰陽師は吉田兼好という者です」
「吉田兼好? 随筆『徒然草』の?」
「吉田家はもともと奈良の神祇を司る古代氏族・卜部氏の流れをくんでおりまして、かの吉田兼好も一門にあたります。奴はその末裔にあたり、先祖の名を戴いているのです。今は、陸奥の村社を道場に、修行を積んでおるところでして……」
「若い。まだ二十になったかならぬか、といったところではないですか」
もう一人の陰陽師は土御門晴樹といい、内務省社寺局の職員だ。土御門家は、天皇家から分家して臣籍降下した一門・皇別氏族である。平安時代の陰陽師・安倍晴明を輩出している。年のころは、兼好と同じくらいといった感じだ。
「塚本局長、『宇治拾遺物語』にこんな話がございます。呪術師・芦屋道満が、式神をつかって藤原道長公呪殺しようと企むのですが、陰陽師の安倍晴明に阻まれて捕らえられ、流刑になるという逸話を御存じの様子。――敵の術者が放った刺客たる式神を、調伏して、逆に術者を襲わせる術を、式返しと申します。晴樹君はその術の達人です。――いまからご披露することになりましょう」
土御門晴樹は道行く娘たちがこぞって振り向くほどの美青年である。式神といえども魅了されてしまう。晴樹が、何事か呪文を唱えて流し目をやり、輝く白い歯をのぞかせた。
ミズラ髪の美童は、クラッとめまいを覚えたかのような仕草をした。途端、虎皮の腰布を巻いた牛頭の鬼に変化して、もともと彼を放った兼好に襲い掛かった。
するとだ。あろうことか、吉田兼好と呼ばれる青年は、懐中から、リボルバー式拳銃スミス・アンド・ウエスト(S&W)を取りだし、引き金に指を当てた。
ズダーン……。
緑の葉に黄色い花びらの菜の花にはモンシロチョウが舞っていた。
牛頭の鬼はふたたび紙の人形となって宙をはらはらと舞っていた。紙には丸い孔が穿たれていた。
〈演武〉の後に、塚本局長は、吉田兼好を呼んで拳銃を見せてもらった。
若い陰陽師は、弾倉から弾丸を抜くと、眼鏡の官僚に手渡した。
「銀弾……〈鬼撃丸〉と刻名されているが……」
「式神は、敵呪者次第でコロコロ寝返るから、二重スパイみたいで信用がおけません。陰陽師も近代化しませんとね」
スラリと背が高い兼好が烏帽子の上から頭を掻いて笑った。
――何かちょっと違うのでは……。
塚本局長は、太田胃散を口にして、水筒の水をゴクゴクと飲んだ。
ノート20180430




