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「ま、待てっ」
「お待ちください」
「カシス神官。これはどうしたら」
カシス神官が、ぐらぐら煮えるような目で、レカンをみあげている。
「レカン。エダにも今のと同じわざが使えるのだな」
レカンの〈回復〉をみて、標的をレカンに切り替えるかと、少しばかり期待していたのだが、そうはいかないようだ。
「同じではない。威力も低いし制御も甘い。だが、質は同じだな」
「ならば当神殿として、冒険者エダの〈回復〉のわざは、ケレス大神の祝福であると認め、冒険者エダを当神殿の神官見習いとして受け入れることを提議する」
「カシス神官の提議に賛同します。新たな同胞の誕生です」
「あのわざが、わが神殿のものに。もちろん賛成です」
「即戦力だ。いや、いずれはさらなる高みに。私も大賛成です」
パジール神官だけが、少しちがう判断を示した。
「冒険者エダのわざはケレス大神の祝福であるという証明はされていない。ただし、当神殿の神官見習いとして受け入れることは、本人と師の同意があれば賛同する」
「四対一で提議は承認された。冒険者エダ。お前は当神殿の見習い神官に迎えられる」
「断る」
「レカン。きさまには聞いておらん。きさまの用は済んだ。エダを置いて帰れ」
やれやれ、結局こうなるのか、とレカンは思った。
だが今日の猿芝居のすべてが無駄だとは思っていない。
神殿の呼び出しに応じて、誠実に質問に答えた。その上で神殿がこちらの意志を無視して束縛しようとしたのであり、こちらに非はない。
この町に残るため、精いっぱいの努力をした。それはエダにも伝わったはずだ。そして神官たちの理不尽さや、神殿という場所の恐ろしさも、思い知ったにちがいない。ついでに少しばかりは、論戦というもののやり方も学習したのではないかと思う。もっともこれについては、レカン自身が未熟そのものなので、あまり上等の見本とはいえないが。
(さて、帰ろう)
(それにしても疲れた)
(これだから人間の世界はいやなんだ)
(迷宮に潜りたいなあ)
「エダ。行くぞ」
「うん」
エダが手を差し出した。
どういうわけかレカンは、その手を取った。
まるでお姫様の手を取るように。
「どこに行く気だ、レカン」
「町を出る」
「出られると思っているのか? ははは。出てもいいぞ。お前の家族がどうなってもいいならなあ」
「オレもエダも家族はいない」
「友人たちがいるだろう。その者たちも、この町では暮らせなくなるぞ」
たぶんこれは、この町の住人にとっては、ひどく恐ろしい脅しなのだ。
そもそも町の住人には、神官を恐れ敬う心がしみついている。そして神殿ににらまれる恐ろしさも思い知っている。そういう人間は、この恫喝に屈するしかない。レカンには関係ないが。
「いいかげんにせよ、カシス神官。あなたの言葉は、とても神官が口にするような言葉ではない」
「ご老体はお黙りいただけますかな」
パジール神官は、厳しい目でしばらくカシス神官をにらみつけたあと、身をひるがえして後ろのドアから退出した。
「カシス神官。お前、オレたちのことを調べてないな。オレたちがこの町に来たのはつい最近だ。友人などいない。いるとすればジェリコぐらいだ」
「ジェリコ?」
「猿だよ。男前の長腕猿だ」
レカンは、そう言いながら、左手でエダの手を引き、右手でドアを押し開けた。
後ろから、喉が破れるような大声が響いた。
「神の兵士たちよ! その無礼者を捕縛せよ!」
三人の神殿兵が駆け寄って、レカンに槍を向けた。
エダの手をつかんだまま、レカンは前に進む。
三人の神殿兵は槍を構えたまま、後ずさる。
「何をしておる! 男は殺してもよい。女は生かして捕らえよ!」
レカンはエダの手を放した。
神殿兵たちが突きかかってきた。
わざわざ〈収納〉から剣を出すような相手ではなかったので、そのまま素手で三本のやりをさばき、一撃ずつ入れた。
三人は吹き飛ばされ、壁や床に打ち付けられた。
さらに一つドアを通ると細い回廊に出た。回廊の端にはドアがあり、張り番がついている。
「どこに行かれますか?」
「帰る」
「あなたがただけですか? 案内の者は?」
「来るときは案内があったが、今はない。通るぞ」
「あ」
何か言いたげなようすではあったが、力ずくでレカンを止めようとはしない。止めようとしてとめられるものではないが。
通路を何度か曲がり、やっと広間に通じるドアにたどりついた。
もっと近い順路があるにちがいないが、案内された順路を逆にたどればこうなるのだ。〈立体知覚〉では、ドアに鍵がかかっているかいないかはわからないし、広い建物を一度に俯瞰することもできない。最適な順路を調べるような能力ではないのだ。
むかしレカンと一緒に迷宮に潜った冒険者に、はじめての道でもけっして迷わない男がいた。あの男は、地形や近道がみとおせるような能力を持っていたようだ。
(待てよ。知覚系の魔法に〈図化〉というのがあったな。あれはどういう魔法なのだ)
広間に通じるドアを開けた。祭壇の横に出た。
来たときと同じように、参拝者たちがいた。だが、祈りを込めているのは二、三人で、あとの人間は、何か恐れを帯びた目でレカンをみている。
レカンは広間の右端を、入り口に向かって歩いた。後ろにはエダが付き従っている。参拝者たちは、レカンから遠ざかる。
だが一人の男がレカンに近づいて来て、小さな声で話しかけた。
「レカンさん。今、カシス神官が神殿騎士と神官と神殿兵を連れて正面扉から出ました。扉の前で迎え撃つって言ってましたよ。あなた、いったい何をやったんです?」
レカンはこの男を思い出した。
長腕猿の調教師だ。パレードの主人だ。名は忘れた。
「このエダを神殿で引き取りたいというので、断った」
「えっ」
言葉に詰まった相手をほっておいて、レカンはそのまま正面扉に向かった。エダが男に頭を下げてあいさつしたのを〈立体知覚〉はとらえている。
二つの扉は、来たときと同じように大きく開かれている。
石段の下には、半円形に十人の神殿兵が立ち並び、槍を構えている。
その後ろには立派な鎧に身を包んだ男が二人いる。抜剣はしていない。この二人は相当に腕が立つ。
その横に二人、神官が立っている。二人ともかなりの魔力量だ。
そしてカシス神官がいる。先ほどは着けていなかった首飾りを着けている。何かの恩寵品か魔道具だろう。杖も持っている。先ほどより大きな魔力を感じる。
レカンは涼しい顔をして石段を降りていった。
カシス神官が、杖を掲げて呪文を唱えた。たぶん、準備詠唱はあらかじめ唱えてあったのだろう。
「〈硬直〉!」
びりびりと体がしびれるのをレカンは感じた。踏み降ろす足が一瞬止まる。しかし次の瞬間には体の異常はぬぐい去られ、レカンは、何事もなかったかのように次の石段に足を踏み降ろした。
「な、なに?」
石段の段数は九段だ。九大神といい、この国では九という数に特別な意味を認めているのかもしれない。そんなことを思いながら、レカンは階段を降りきった。エダがあとに続いている。
カシス神官は、驚きの声を発したあと、何やら呪文を唱えている。次の魔法の準備詠唱なのだろう。親切にもレカンは、立ち止まって準備詠唱が終わるのを待ってやった。
「〈睡眠〉!」
一瞬、意識が白いもやに包まれかかったが、すぐに異常は押し流された。今までと同じように、指にはめた銀の指輪の付与は、あらゆる状態異常からレカンを守ってくれている。
この〈睡眠〉は、マラーキスが使ったのと同じ魔法だ。たしか初級のうちは、相手の体にふれていないと使えないと聞いた。ということは、これだけ離れた位置から撃てるカシス神官は、中級以上の使い手なのだろう。
だが、マラーキスのほうがうまかった。あのときは、ほんの一瞬だが意識を失った。カシス神官の魔法は、効果がぬるい。ところが、魔力量ではカシス神官が断然まさっているし、現に今の二つの魔法に込められた魔力は、びっくりするほど多かった。
ということは、魔力量の大小と、魔法の技術は、必ずしも一致しないのだ。逆にいえば、魔力が少ないから魔法が下手だとはかぎらない。今後は気をつけなければならない。
それに、考えてみれば、マラーキスは準備詠唱をしていなかった。世間話をしながら、流れるような自然さで〈睡眠〉を発動した。訓練次第ではああいうことができるのだ。油断はできない、ということである。
「〈混乱!〉」
一瞬、ものを判別する能力が失われ、上と下、右と左、前と後ろの区別がつかなくなる。だが一瞬ののち、レカンは正確な判別力を取り戻した。
これも〈硬直〉と同じく、精神系の中級魔法だったはずだ。しかも込められた魔力量は、あきれるほど多量だ。
「状態異常を起こさせる精神系魔法ばかりだな。カシス神官」
それは聖職者としてどうなのだろう。
それとも、さすが聖職者というべきか。
「ば、ばかな。どうして効かんのだ。そんなことがあるわけが」
レカンは一歩前に進んだ。
十人の神殿兵が、さっと槍を上げてレカンに突き付けた。
このとき、レカンの胸のうちに、突然遊び心が湧いた。
試してみたいことを思いついたのだ。
失敗してもかまわない。
成功すれば、面白い。
〈立体知覚〉で、十本の槍の穂先の位置を確認する。ほぼ静止している。いける。
「〈火矢〉」
呪文を唱えたレカンの胸の前から光がほとばしり、十本の槍の穂先は消し飛ばされた。八つの〈火矢〉は、それで消滅したが、兵士たちの足元に着弾した〈火矢〉が二つあった。
「おおっ」
「うわっ」
神殿兵たちは、驚きをあらわにして後ずさった。
「な、何だ今のは、今のは何なのだ」
カシス神官があわてふためいている。
二人の神殿騎士は剣を抜いた。
(いい剣だ)
(そして、いい闘気だ)
楽しそうな戦いの予感に、レカンは、われ知らず笑いを顔に浮かべていた。
レカンは、左手で外套の襟を立て、その内側に右手を入れて、〈収納〉から〈ラスクの剣〉を引き抜いた。
そして目の前の敵集団に、全力の殺気を浴びせた。
最前列の十人の神殿兵は、強大な魔獣の〈威圧〉を受けたかのように硬直した。
神殿騎士二人は、前に踏み出しかけた足を思わず止めた。
神官の一人は開始していた詠唱を中断し、もう一人は杖をぽろりと落とした。
カシス神官は、目を大きくみひらいて、わなわなと震えている。
レカンは剣を握った右手を、自然にだらりと下げて、一歩を前に踏み出した。
手ごわいのはまちがいなく騎士二人だが、レカンの勘が、先に神官二人を倒すべきだと告げている。
(まてよ)
(神官を殺してはならないと言われていたんだったな)
(面倒だがやむを得ん)
(真ん前の兵を蹴り飛ばして騎士にぶつけ)
(左に飛び込んで神官二人の顎を砕いてやろう)
(カシス神官の腹に一撃入れておいてから)
(右に回って騎士二人の右腕を斬り落とす)
(カシス神官の本格的な料理法はそのあと考える)
そのとき、女性ののんびりした声がした。
「あなたがたは何をしているのですか」