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その日はそのまま野営をして、翌日の朝、レカンとエダは、神殿に来た。
朝に神殿にゆけば、話し合いが済んだあと、その日のうちに町を出ることができる、とニケが勧めたからだ。ニケ自身は、用事があると言って先に町に帰った。
神殿の入り口は石段になっており、その両側に大きな石像が立っている。
右側の石像は人の姿をしており、右手に杖を、左手に麦の穂を持っている。
左側の石像は、まがまがしい魔獣の姿をしている。魔除けの像なのだろう。
どちらの像も魔法がかかっている。たぶん保護しているのだ。
石段を登ると入り口がある。
入り口には、巨大で頑丈な開き戸があり、両側に大きく開かれたままになっている。
その奥には小さな開き戸がいくつもあり、これもすべて開かれている。
レカンとエダは、石段を登り、二つの扉のなかに入った。
そこは広間で、祭壇があり、人々が思い思いに神に祈りをささげていた。
神殿の職員らしい男が立っている。
「オレはレカン。オレの弟子のエダを、神殿が呼んでいると聞いてやって来た。カシス三級神官に会いたい」
迎えに来た若い神官見習に案内され、小さな部屋で待たされたが、ほどなくでっぷり太った神官がやって来た。にこにこと福々しい顔をしている。
「これはこれは。あなたがエダさんですかな?」
「それはレカンに訊いてください」
「はあ?」
「名前は答えていい」
「うん、わかった。あたしがエダです」
「そうですか。お会いできてよかった。あなたが付き添いのレカンさんですな。ご苦労さまでした。帰ってくださってけっこうです」
「ならばエダも連れて帰る。さらばだ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。どこに行くのです。エダさんはここに残ってもらいます」
「エダはオレの弟子であり、オレのパーティーの一員だ。エダに用事があるなら、オレも同席する」
「これは神殿の問題なのですよ。冒険者ふぜいの関知することではないのです」
「呼び出した用事は終わったのか?」
「はあ?」
「エダを呼び出した用事は終わったのか、と訊いている」
いったんカシス神官の顔から笑みが消えた。そしてもう一度笑みが浮かんだが、薄く開いた目には酷薄そうな光が浮かんでいた。
「はは。そういうわけでしたか。私としたことが、これは失礼いたしました。おい」
後ろに控えていた少年が、小さな袋をカシス神官に差し出した。カシス神官は、その袋を指の先でつまんでぶらぶら揺らしながら、レカンに突き付けた。
「さあ、これを持ってお帰りなさい。あなたにケレス神のご加護を」
カシス神官は、左手の指でひらひらと何かの印を結んで、おざなりにレカンを祝福した。
「そうか。じゃあ帰るぞ、エダ」
「うん」
「お待ちなさい。わからない人だな。この袋には神さまのお恵みが入っているんですよ。あなたの何日分もの稼ぎだ。この袋は、エダさんと引き換えです」
「〈鑑定〉」
「えっ?」
袋の上から〈鑑定〉ができるものか急に興味が湧いたので、やってみたら、できた。
「ほう。大銀貨一枚か。ではカシス神官は大銀貨を取れ。オレはエダを取る」
エダの手を引いて、ドアに向かった。
カシス神官が邪魔なので、押しのけた。カシス神官は、あっけにとられ、それから顔を真っ赤に染めた。
「神殿のみつとめを邪魔するというのですね」
「エダをここに呼びつけた用事は何だ」
カシス神官の顔色は、赤を通り超えてどす黒くそまった。だが、深呼吸を何度かして、顔色はやや平常に戻った。
「エダさんには、ケレス神の祝福が降りた可能性があります。それが事実であるかどうか調べ、事実であるなら、エダさんには、しかるべき待遇と修行と奉仕が用意されます」
「その調査というのは、今ここでお前一人によって行われるのか」
「尊き神官を敬うことも知らぬ下賤の者め。きさまのような者に、神殿の法を説いてもしかたないが、祝福の判定は神官三人以上によって行われる」
「ケレス神殿法第三十五条により、その判定に二人以上の三級神官が参加することを要求する」
カシス神官は、レカンの言葉には答えず、しばらく憎々しげにレカンの顔を見上げていたが、やがて身をひるがえしてドアに向かった。
「用意ができたら使いが呼びにくる。それまでここで待っていろ。どこにも行くでないぞ」
「カシス神官」
なかばドアを出かけたカシス神官が、レカンの呼びかけに足を止めた。
「息が喉を通るとき、ひどい音を立てている。太りすぎで喉がしまっているんじゃないか。少しやせたほうがいいぞ」
ドアは激しく閉じられ、破片が少し宙を舞った。
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立派な机が並ぶその後ろに、五人の神官が座っている。
全員が魔力持ちである。もし五人ともが戦闘魔法を使えるなら、レカンといえど無事では帰れない。だが、そんなことはないはずである。
中央にいるひときわ大柄な神官がカシスだ。五人のなかでは一番魔力が大きい。
机の五歩ほど前にレカンとエダが立っている。
三人いればいいはずの神官を五人もそろえたのは、威圧感を与えるためかもしれないが、レカンの身長と体つき顔つきのほうが威圧感が強い。しかも立っているので、なおさらだ。
「今からケレス神の祝福に関する神官判定の儀を執り行います」
「待て。オレはこの判定に、ケレス神殿法第三十五条により、二名以上の三級神官が参加することを要求した。その要求は満たされているのか訊きたい」
四人の神官が顔をみあわせた。
「カシス神官。どういうことですかな」
「……パジール神官を呼べ」
神官が一人部屋の外に出て、しばらくして、一人のいかめしい顔をした神官が部屋に入ってきて右端に座った。この老人がパジール神官なのだろう。魔力はカシス神官より少し上だ。
「今からケレス神の祝福に関する神官判定の儀を執り行います」
「真実と」
「恵みと」
「慈悲を」
「安らぎの神の名のもとに」
五人は、肩、目、鼻、口に手をあてながら聖句の応答を行い、全員が一斉に聖印を結んだ。
左端の若い神官が口火を切った。
「さて、あなたがたが、冒険者エダと、その保護者の冒険者レカンですね」
「保護者というのは不正確だ。オレはエダの師匠であり、パーティーメンバーだ」
「では、あなたがたは、冒険者エダと、その師にして保護者、しかしてパーティーメンバーである冒険者レカンですね」
「そうだ」
「冒険者エダ、返事をしなさい」
「レカンがお答えします」
「この娘は確かに冒険者エダだ」
「本人に答えさせろ!」
「カシス神官、落ち着いてください。冒険者エダ、なぜ自分で答えないのですか」
「レカンがお答えします」
「エダはオレの弟子であり、庇護下にある、この審問を受けるにあたり、すべての問いには師であるオレが答える」
「しかし、本人でなければ答えられないこともあるでしょう」
「その場合は、オレがエダに確認してから答える」
四人の神官は、ざわめきながら相談を始めた。
またもやカシス神官が大声を出した。
「そんな茶番は不要だ! 神殿の権威をもってエダ本人に答弁を命じる!」
「オレたちは、神殿の突然の要求に応えようと、長い仕事の旅から帰ったその足で、疲れた体を引きずってここにやって来た。そして最大限の誠意をもって、質問に答えようとしている。エダに答えさせないのは、未熟な答えをしてしまい、場を混乱させ、ケレス神に不敬をせぬためだ。それをすら認めないというなら、オレたちは帰る」
「カシス神官。とりあえずは冒険者レカンに答えさせればよいではないですか」
「そうです。不都合が起きれば、その時点でエダ本人に発言させればよい」
「誰が何を答えようと、神の判定はくつがえらないのですから」
四人のうち三人がこう言ったので、カシス神官もしぶしぶうなずいた。
パジール神官は、目を閉じ腕を組んで無言だ。
「では、冒険者エダ。あなたが〈回復〉を発現させた、というのは事実ですか」
「レカンが答えます」
「事実だ」
「冒険者エダ。どのような場面で、どのように発現したのか、答えなさい」
「レカンが答えます」
「十八日の昼ごろ、エダは冒険者協会を訪れた。その帰りに、冒険者ギョームが血を流して苦しんでいるのをみかけた。ギョームは女ぐせの悪い男で複数の女と浮気しており、それが妻にばれて刺されたのだ。ギョームは冒険者協会で赤ポーションを借りようとしたが、途中で力尽きた。エダの〈回復〉により、ギョームはすぐに歩けるほどに回復した。そのあとギョームはこの神殿を訪れ、エダのことを報告して報酬を得た。だからギョームがどの程度の傷であり、どのように回復したのかは、神殿のほうで詳しく把握しているはずだ」
「あなたは、仕事の旅から帰った直後だとおっしゃった。そのわりに、十八日に何が起きたか、とてもくわしくご存じですね」
「オレたちがコグルスに出発したのは、十九日だ。そして冒険者というのは、さまざまな情報を得るつてを持っているものだ」
「なるほど。では、冒険者エダ。冒険者ギョームの傷のぐあいはどの程度であり、それがどの程度回復したのかを、あなたの目からみて答えなさい」
「レカンが答えます」
「この質問は、あなたでなければ答えられません」
「いや、その質問には、オレが答えるべきだ。なぜなら、第一に、エダは人の怪我や傷について客観的に説明できるような知識がない。第二に、〈回復〉はかけたものの、その効果を確認するまもなくギョームが立ち去った。第三に、エダは禁じられていた行為をしたことに動転していて、正常にものを観察したり判断したりできる状態ではなかったからだ」
「禁じられた行為? それは何のことですか」
「エダが他人に〈回復〉をかけることを、オレが禁じた」