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姫の部屋に呼び出された。
久しぶりである。
レカンがこの屋敷に来た当初は、毎日のように呼び出されていた。会話が通じないながらも、レカンは姫と身ぶり手ぶりで話し合った。そして多くの言葉を教えてもらった。思えばそれは楽しい時間だった。最初に文字を教えてくれたのも姫である。
姫は、自分を守り続けてくれたことに礼を述べたあと、しきりにレカンの故郷のことについて質問した。
「私の落ち人さん。あなたのふるさとでは、朝ご飯には何を食べるの?」
「落ち人さん。あなたのふるさとには、どんなお菓子があるの?」
「落ち人さん。あなたのふるさとでは、貴族の女の子はどんな服を着るの?」
落ち人というのは、別の世界から落ちてきた人間という意味だ。
驚いたことに、時々そういう人間がいるらしい。そして落ち人は、何かしら優れた力を持っているものらしい。もっとも、この国に落ち人が現れたのは、もう百年も昔のことだという。要するに、本当のことなのかどうかもはっきりしない伝説なのだ。ただし、姫はレカンが落ち人だと信じているし、そのことがひどくうれしいようだ。
ずいぶん長い時間、姫と話し込んでしまった。ずっと後ろで待機している侍女頭のグリアも疲れただろう。
「私の狼さん、お願いがあるのだけれども」
「イェール」
「あなたの胸の宝玉をみせてくださる?」
(しまった)(人にはみられないようにしていたのに)(いったいいつみたのだろう)(今ではない)(みえるような位置に吊ってはいない)(ただし宝玉に付けた鎖はみえるはずだ)(鎖をみて)(その先に宝玉があると推測したのだろうか)
「その赤い宝玉を」
そうではなかったようだ。姫はレカンが首から掛けている宝玉の色を知っている。いつも肌身離さず身につけている品だから、誰かにみられたこともあるかもしれない。その誰かが姫に告げたのだろう。
侍女のマリンカが歩み寄って、盆を突きつけた。しかたなくレカンは首に掛けていた宝玉を盆に置いた。
「とても、きれい」
それが宝玉を手にした姫の感想だった。
ずいぶん長いあいだ、姫は赤い宝玉にみとれていた。
そしておもむろに、自分の首に掛けていた青い宝玉を鎖ごとはずすと、マリンカに差し出した。マリンカはそれを盆に載せ、レカンに差し出した。
「お嬢様! それは」
「いいのよ、グリア」
(おい)(まさか)(やめてくれ)(それだけは)(神よ!)
だがこの世界の神は、レカンの祈りを聞き届けなかった。
「狼さん。私の宝玉をあなたにあげるわ。だからあなたの宝玉をくださいね」
しばらく沈黙が流れた。
侍女頭がレカンをにらみつける目つきが少しずつ厳しくなってゆく。
侍女のマリンカの視線も痛い。
それは無理もないことだ。彼女らからすれば、流れ者の持つ石ころと、ルビアナフェル姫が身につけていた高価そうな宝玉が、等価であるわけがない。つまりこれは交換などではなく、ルビアナフェルがお気に入りの剣士に褒美を下賜する場面なのであり、これを断るというようなことをすれば、抜き差しならない恥辱を姫に与えることになる。
それでも断ろうと、レカンは思った。
断ればどうなるか。ただちにこの屋敷を出ることになるだろう。それはかまわない。しかし、ルビアナフェル姫が悲しむだろう。そしてレカンは恩人たちに泥水をかけて立ち去ることになる。それもかまわないといえばかまわないのだが……。
「……イェール」
自分でも、どうしてそんな返事をしたのかがわからないが、レカンは思わず承諾の言葉を口にしていた。
だが、盆の上から青い宝玉を受け取りながら、レカンは早くも自分の決断を後悔していた。そして、少しばかり物騒な決意をした。
(オレはもうすぐ)(この屋敷を去る)(その前の夜)(姫の部屋に忍び込もう)(そして赤い宝玉を取り戻す)
レカンがそう考えるのも無理はない。
この赤い宝玉は、体力回復と魔力回復の両方が付与された希少な逸品なのだ。宝玉そのものは迷宮で手に入れたし、付与に使う魔石も自前で用意したのだが、高名な付与師への支払いは、当時のレカンの全財産でやっと足りた。以来この宝玉はレカンの冒険を支え続けてくれた。絶対に手放せる品ではないのだ。
だが赤い宝玉を取り戻そうとするもくろみは、残念ながら実現することはなかった。
ルビアナフェル姫は、一人になることもなく忙しく過ごし、二日後、離れた町に住む高位貴族のもとに嫁いでいったのである。