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馬車の前をニケとレカンとエダが進む。むろん、徒歩だ。
ノーズとリッツとヌメスは、馬車の後ろだ。こちらも徒歩だ。
御者をしているギドーは、ひどく陰気な老人で、レカンがあいさつしても、暗い目でにらむだけで、あいさつを返そうともしなかった。
この老人も、かなり腕が立つ。少なくとも、ノーズ、リッツ、ヌメスの三人よりできる。暗殺者タイプの戦い方をするのではないかと、レカンは推測している。
一行は、まっすぐ西に向かっている。途中、平原で野営し、二日目の夜はゴルブルの宿屋に泊まる。そのあと、街道を外れて山のなかを突っ切ってコグルスに向かうのだ。
一泊目の野営地は、ひどく街道からはずれた場所だった。
ふつうは街道の近くで野営する。こんな場所にまでわざわざ移動したということは、魔獣よりも人間の襲撃を恐れているということだ。
まさか今夜は自分たちを襲いはしないだろう、とレカンは思っている。せっかく外部の護衛を三人も雇ったのに、旅のはじめに殺してしまったのでは、それだけ道中の防衛力が落ちるからだ。
ギドーは、魔獣よけのあかりを取り出して、馬車の両側に設置した。つまり二つの魔道具を用意していた。馬車も立派な造りだし、かなり高価な荷物を積んでいるのだろう。
「何してる。かまどの準備をしろや」
「食事は別々ではないのか」
「お前たちは、雇われ護衛だろう。俺たちのかまどの準備をするのは仕事のうちだぜ」
「なるほど。わかった」
ニケとレカンとエダは、石と土で簡単なかまどを作り、枯れ木を拾った。
ギドーは馬の世話をしている。馬の体調管理は安全に直結する。みしらぬ他人に任せられるものではない。
エダが魔法で火をつけると、近くにいたリッツが口笛を吹いた。
「おおっ。〈千本撃ちのエダ〉は、魔法もいけるんだったなあ。すげえもんだ」
ノーズたちは、肉を取り出して焼きはじめた。生肉は日持ちがしないので、こういう旅の食料にするのは贅沢といえば贅沢だ。
「へへっ。どうした。うらやましいかい。欲しけりゃ、売ってやるぜ。一切れ銀貨一枚でよ」
「いや。いらん」
「何か食べ物もってんのか?」
「飯食わなきゃ力が出ねえぞ」
「みろよ、この肉。うまそうだぜ」
どうも、この男たちは、レカンたちを、食事つきの護衛だと思い込んで食料を用意してこなかった愚かなやつらだ、と思っているらしい。
それは無理もない話なのだ。
まず、〈箱〉機能のついた容れ物は、非常に高額だ。だから、銅級の冒険者が持っていることはめずらしい。
〈箱〉機能のついた袋は、物が入っていないときはぺしゃんこだが、物を入れるとふくらむ。
そして、もとの袋が大きいほど、たくさんの物を入れることができる。
エダは、〈イシアの弓〉と、生活用品が入った〈箱〉を持っている。みるからに〈箱〉だとわかるような袋だ。
ところが、レカンとニケは、目につくような〈箱〉は持っていない。ということは、食料などはほとんど持っていないということだ。
この世界の常識ではそうなる。
もちろんレカンは、この世界の人間ではない。レカンの〈収納〉には、三人なら数週間はもつほどの食料が入っているのだ。
レカンたちは、二十歩ほど離れた場所に手早くかまどを造って枯れ木を集め、鍋を出して水を入れ、あらかじめ刻んでいた具材を投入した。レカンが収納から次々に品物を取り出すのをみて、ざわざわと何事かを話し合っている。
焼ける肉もあるので取り出そうかとレカンが考えていると、ノーズがやって来た。
「おいおい。こんなとこで火なんかを燃やしてくれちゃ、困るじゃねえか。その火をみてよからぬやつらが寄ってきたら、どうしてくれるんだよ」
よからぬやつなら今自分の目の前にいる、とレカンは思った。
レカンが口を開いて返事する前に、ニケが返事をした。
「そうか。わかった。〈創水〉」
ニケが呪文を唱えるなり、二十歩離れたたき火に大量の水が落ちた。
じゅうじゅうと、けたたましい音をして炎は消え、灰が大量に飛び散った。
火と水がせめぎ合う音に振り返ったノーズは、目に入った光景に、言葉を失った。
ドボルは、無言で立ち上がり、顔や服にべっとりついた灰をぬぐおうともせず、すっかり灰だらけになってしまった肉を、右手で串ごと地面から抜き取り、レカンたちのところに歩いて来た。
何かを言おうとして、むせかえり、口の周りの灰を左手でふきとって、冷たい声で言った。
「今のは、あなたがたのしわざですか」
「あたしだ」
「ニケさん。これはどういうことですか」
「ノーズの指示さ。こんなところで火なんか燃やすと、悪いやつらが寄ってくるから、困るんだそうだ。雇い主を危険にさらしちゃいけないからね。そっちの火は消してあげたよ」
ドボルは、ぎろりとノーズをにらんだ。ノーズの顔は蒼白だ。
「こちらの火は消さないんですか、ニケさん」
「考えたんだけどね。そんな危ないやつらがいるんじゃ、おちおち旅もできやしない。だから、おびき寄せて倒してやろうと思ってね」
レカンは感心した。
ニケは、だてに長生きしていないと思った。
自分では、こういう返事をする機転は利かない、と思った。
ドボルは、憎々しげにニケをしばらくみつめてから、ノーズのほうに向き直り、激しい怒りを顔に表して、肉の刺さった串をノーズの胸にたたき付けた。
「その指示は取り消します。もう、たき火は消さないでください」
「そうかい。わかったよ」
このあとノーズとリッツとヌメスは、新しい枯れ木を集めて回ることになった。もうすっかり暗くなっているので、それは容易なことではなかった。さすがに今度は、エダに火をつけろとは言わず、魔道具で火をつけた。
ノーズとリッツとヌメスは、灰のついた肉を食べるよう命じられた。一生懸命灰を落として焼き直したが、落としきれない灰が、ひどく味を損ねていたようで、泣き言を言ってはドボルにしかられていた。ドボルとギドーは、新しい肉を出して焼いていた。
先ほどニケがみせた〈創水〉の魔法は、遣い手がめったにいない希少な魔法であり、長い準備詠唱と、微妙なコントロールが必要だ。あれほどの量を、二十歩も離れた場所にいきなり創出できるような遣い手は、大陸中探しても、ほかにはいないだろう。
しかも、〈創水〉で造った水は、コップ一杯で金貨一枚の値がつく。さっきの水は、金貨何枚分もの値打ちがあったのだ。
それほど珍しいものをみせてもらい、豪華なもてなしを受けたのだが、ドボルにもノーズにも、感謝のかけらもみえないのは、実に遺憾なことだ。
レカンはそんなことを考えて、一人でにやにやしていた。
「レカン。魔王みたいな邪悪な顔をしてるぜ」
「ほっといてくれ」
エダが〈灯光〉の魔法を唱えようとしたが、ニケが止めた。
「エダちゃん。その魔法は禁止だ。この旅じゃあ、もう〈着火〉以外の魔法を使っちゃだめだ。どうしても使いたいときは、あたしの許しを得てからにするんだ」
「え? どうしてっすか」
「あんたの安全のためだ。わかったね」
「わかったっす」
ゆっくりと食後の茶を楽しんでいると、ノーズがやって来た。
「おい。俺たちは依頼者側だからな。お前たち三人で見張りをするんだ。わかったな」
「わかった」
三人交代での不寝番なら、大した負担ではない。
「何しろ大事な荷物だからなあ。見張りが一人じゃ心もとねえ。二人ずつ起きて、見張りをするんだ」
「わかった」
無意味で意地の悪い命令だ。
レカンたちに対するいやがらせであると同時に、疲れさせ、弱らせておこうというもくろみだろう。
エダが口を開きかけた。レカンは小さな声でそれを制した。
「黙ってろ」
「え」
それは理不尽だとか、あんたたちも不寝番に加われとか、言おうとしたのだろう。
それは泣き言であり、弱みをみせることだ。命令への不服従であり、少し大げさにいえば雇い主への反抗だ。
「そっちのたき火はどうなってもいいけどよう。俺たちのたき火が消えないよう、薪を継ぎ足すんだぜ」
「わかった」
「へっ」
唾をはき捨ててノーズは去った。
「エダ。お前は最初に眠れ」
「そうだね。それがいいね」
「え? それじゃ悪いっすよ」
「時間が来たら起こす」
「そ、そうかい。それじゃ、先に眠らせてもらおうかな」
エダが横になると、ニケが言った。
「あたしが先に火の番をするよ、レカン」
「わかった。頼む」
レカンは座ったまま、目を閉じて呼吸を調えた。
座ったままでも、眠りに似た休養をとることはできる。レカンほどの冒険者であれば、眠りの深さをコントロールするのは、わけもないことだ。そもそもどんな場合にも、無防備に眠り込んでしまうようなことはしたことがない。若いころに何度か死にかけて、それを身につけた。狼の眠りは浅いのである。
「レカン、火を頼むよ」
ニケに言われてレカンは目を覚ました。
「わかった」
それから時々、両方のたき火に枯れ木を足した。
ドボルが目を覚ましてこちらのようすをうかがっているのに気づいた。目を閉じて寝たままなので、みてそうとわかったのでなく、気配で察知したのである。
(やはりこいつ、暗殺者の訓練を積んでる)
(あやしいふるまいをしたら、攻撃してくるだろうな)
ギドーも目をさましている。寝て休息をとりつつ、半覚醒状態に自分をおいている。この老人も油断ならない。
もとの世界にいたとき、護衛している相手の部下の騎士が、レカンの命をつけ狙うという、奇妙な状況になったことがある。護衛任務中何度か襲いかかられたが、殺すことなく相手をいなした。
今回は、あのときより、少しばかり厄介なようである。
だが、そういうびりびりした緊張感を、レカンはきらいではなかった。
感心なことに、エダが目を覚まして、見張りを交代すると言った。
「じゃあ、エダちゃん、頼むね」
ニケはさっさと寝た。
(この女に睡眠など必要なのか?)
もしかしたら、不死者は眠りを必要としないかもしれない。
あるいは、不死者となっても、やはり眠りは必要なのだろうか。
疑問に思ったが、ニケに聞くわけにもいかない。
冒険者は、たとえ仲間にでも、自分の手の内をやすやすとみせはしない。
お前の秘密を教えろと言うやつは馬鹿だし、教えてもらったことをうのみにするやつも馬鹿だ。それがレカンの常識だった。
ニケはたちまちすうすうと寝息を立てた。それが擬態なのか本当の眠りなのか、レカンにはわからなかった。