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ワズロフ家の庭園は有名である。
マシャジャインや、マシャジャインと関係の深い町や村で、「庭をみた」と言えば、それはワズロフ家の屋敷の広大な敷地に足を踏み入れることができ、しかも庭をみることを許されたという意味であり、そのような扱いを受けるだけの功績を挙げたという意味でもある。「ワズロフ家の庭をみて死ね」という言い回しもあって、人としてこの世に生を受けた以上、何か一つぐらい大きなことをやってみろ、そしてそのことを認めてもらい褒めてもらってから死ね、というような文脈で使われる。この庭園には、ワズロフ家の親族といえど当主の許しなしに入ることはできない。
噂は遠方の諸都市にも届いており、ワズロフ家を訪ねた客は、心ひそかに、「ご苦労であった。庭をみてゆかれよ」と言われはしないかと期待している。そしてそのように言われることは、めったにない。
みた人が伝える庭園の様子は、さまざまである。
ある伝えでは、こんもりと土を盛って草木や石を配したたたずまいが深山幽谷のようであったという。
別の伝えでは、流水の向こう側に巨大な岩を据えた風景は大河の淵と断崖そのものであったという。
湖のなかの妖精郷という趣であったという伝えもあれば、花咲き誇る空中庭園であったという伝えもある。
ワズロフ家の庭園は十二あるのだ。いずれも趣向を凝らした美しい庭園だ。
その庭園に寄り添うように、十二か所の宴会場が設けられた。すでに客達は本館の前の広場から、それぞれの宴会場に移動している。これだけの人数を混乱もなくごく自然に誘導してみせたことは、それだけでもワズロフ家の実力を感じさせるものである。
宴会場から隣の宴会場には、庭園のなかを通って移動することができる。この日の招待客はすべての庭園を自由にみることが許されているのだ。
基本的には立食だが、あちこちにベンチが置かれ、東屋もあり、座って休むことができる。
宴会場は、大きい場所では三百人程度を、小さい場所では五十人程度を収容できる。
宴会場のそれぞれには、食事と酒が用意される。
指定された宴会場から、ほかの宴会場に移動してもかまわないし、どの庭園も自由にみてよい。ただし、ほかの宴会場に長居せず、自分の宴会場に戻ってもらいたいと伝えてある。
雨が降った場合には各建物の一階を宴会場とする予定だったのだが、幸いなことに当日は穏やかな晴天だった。
屋敷地内の招待客は千七百八十九名だが、食事の準備が千七百八十九名分ですむわけではもちろんない。警護する騎士たち、案内をする者、料理を運ぶ者、飲み物を運ぶ者、片づけをする者、馬丁や園丁、そして料理を作る者。一人何役もこなすものの、その数を足せば、招待客の数よりずっと多い。
屋敷内のあらゆる調理場は何日にもわたって最大限に稼働しているが、それだけではまかないきれず、料理店や旅館などにも料理人の派遣や料理の提供を依頼している。
庭園から庭園にわたっていけば、作り手のまったくちがう料理に出会えるのだ。客前で料理人が料理を仕上げたり切り分けたり盛りつけたりする料理もある。山のように盛り上げた果物を料理人が手際よく切り分けて、彩り美しく皿に盛りつけるさまは、みているだけで心が踊る。肉が焼ける香りは、いやが上にも食欲をかき立てる。このように客の前で料理を仕上げている料理人たちの多くは、有名な料理店の料理長たちである。
各宴会場には楽士がいて、一人あるいは数人で曲を奏で続けている。その楽器も演奏される音楽の種類も、宴会場ごとにがらりと変わる。花や草に彩られた料理卓から好みの料理を手に取って、本来遠方の地域でしか聞けない演奏を楽しめるのもまた、この婚礼ならではのことだ。さらに何組かの大道芸人が、芸を披露しながら各宴会場を巡回している。
宴会の手配りの総指揮はフジスルだが、実はフィンディンも重要な仕事をいくつか任されている。フィンディンはゴンクール家の執事補佐であり、現在はノーマ付きだが、この若く有能で控えめな青年をフジスルは非常に気に入り、何かと教えてきていた。二人には歴史好きという共通点もあった。フィンディンは王都で出版事業そのほか万般についてノーマを補佐していたが、ノーマがマシャジャインに戻るなり、フジスルはフィンディンを借り受けたのである。
フィンディンに案内され、レカン、ノーマ、エダは、十二の宴会場を順番に回って挨拶をした。どこに誰がいるかレカンはもちろん把握していない。ちなみに、レカンはこの庭園をいつでも自由にみることを許された数少ない人間の一人だが、ノーマとエダにせがまれて一度ずつ散歩した以外、足を踏み入れたことはない。
最初の宴会場では、王太子が親しそうに話しかけてきたが、レカンとのあいだにあまり会話が成立しないことを素早く看取して、ノーマとエダの美しさを褒めちぎったあと、標的を変え、次期ユフ侯爵アシッドグレイン・シャドレストに話しかけた。
アシッドグレインは如才なく王太子を振り切ってレカンに近づき、レカン、ノーマ、エダの三人に祝いの言葉を述べた。少しばかりユフの現況について話をしたあと離れていったが、去り際にレカンに耳打ちして、ルビアナフェル姫が妊娠中であることを告げた。レカンから離れたアシッドグレインに話しかけようとして、貴族たちが群がった。
ヴィスカー・コーエンがいたので、レカンは獣人戦争のとき助けてもらった礼を述べ、その戦いの見事さを褒めた。王族と上級貴族が居並ぶ席で、フォートス家は大いに面目をほどこしたことになる。
アリオスに会ったので、レカンは礼を言った。
「獣人国との戦争のときには、お前が後方を撹乱してくれたので助かった」
「いや、もう、どうしようかと思いましたよ。近寄ってみると、敵の総指揮官の周りを固めてる獣人たちは、どの人も、最初に会ったころのレカン殿か、あるいはそれ以上の強さを感じさせました。そのうえ、総指揮官は、今のレカン殿に匹敵する脅威を感じさせましたからね。あそこに突っ込んでいくのは、ただの自殺です。だから援護に徹しました」
「とにかく助かった」
そのあとアリオスは、ツボルト侯爵代理のハイデント・ノーツと話し込んでいた。そのあと、ユリウスも話の輪に加わった。ずいぶん大勢の貴族がハイデントを取り巻いて、話しかける機会をうかがっていた。
別の宴会場にはザック・ザイカーズが来ていた。招待はしたものの、老齢で体調もよくないのだから、来られないのではないかと思っていたが、案外元気そうだ。レカンがねぎらいの言葉をかけると、死ぬ前にもう一度、マシャジャインと王都の繁栄をこの目に収めておきたかったのだ、とザックは言った。
別の宴会場では、シーラがニケの姿で出席していて、シーラの孫のふりをして、スカラベルに丁寧な言葉で話しかけているのをみて、レカンは飲みかけていたワインを噴き出した。マルリアはかいがいしくスカラベルの世話をしていた。
チェイニーの姿をみたときには、ついうれしくなり、周りの人々につい、こう言ってしまった。
「オレの信頼するただ一人の商人だ。珍しい物を手に入れたら、売るのはこいつに任せることにしている」
この言葉を、居合わせた人々が聞いた。この情報はあっという間に広まることになる。こうしてチェイニーの引退がまた遠ざかったのだった。
別の宴会場では、ジザ大導師とテルミン老師が、何事か熱心に話し合っていた。
レカンは、ふと思い出して、ジザに、〈インテュアドロの首飾り〉の障壁を〈彗星斬り〉が素通りした話をした。ちょっと〈彗星斬り〉の魔法刃を出してみておくれでないかい、とジザが言うので、その通りにした。これはひどく人目を引いたので、大勢が集まってきた。
ずいぶん長くジザは魔法刃を分析していたが、やがて、もういいよと言った。
「あの障壁は〈浄化〉と〈回復〉を通すように調整したんじゃが、その二つの魔法はかなり性質がちがっておってのう。ちょっと大きな穴が開いてしもうたんじゃな。それでも魔法研究所で考えられるかぎりの攻撃系、能力低下系、状態異常系、認識阻害系の魔法ははじいたんじゃが、この〈彗星斬り〉の魔法刃は、普通の魔法剣の魔法刃とはちがうでの、そのせいじゃ」
レカンが使っている〈インテュアドロの首飾り〉はもう調整できないが、必要なら同程度の新しい首飾りを作ると言われた。ただし、〈浄化〉か〈回復〉のどちらかをあきらめてくれという。
レカンは、新しい首飾りはいらない、と答えた。
神官たちの宴会場に回ったとき、ヴォーカのケレス神殿長ユリコとも挨拶を交わした。挨拶疲れで少しぼうっとしていたためか、うっかり孤児院に行く約束をさせられてしまった。しまったと思ったが、口に出した言葉を取り消したくはない。
(そのときは)
(ジェリコとユリーカを連れていこう)
(やつらなら何とかしてくれるはずだ)
(ユリコと名前も似ているしな)
「レカン。他力本願は感心しませんよ」
「なに? 口に出していたか?」
「エダの言う通りですわ、旦那様。それと、気付いていないかもしれませんが、あなたは時々考えが口に出ますね」
「はじめて会ったときからそうだったのですよ、ノーマ」
「……そうだったのか」
いつしか宵闇が迫ってきた。
かがり火が焚かれ、魔光灯に魔石が投じられる。
雲は空を低く流れている。
吹き抜ける風が心地よい。
奇天烈な装いの大道芸人が現れた。
色とりどりの七つの球を空中に放り投げてはつかみ、また放り投げている。
楽士たちの奏でる曲が、軽妙なものに変わった。
「余興に華を添えましょうか」
ノーマはそう言って、人さし指を高く立て、〈回復〉の呪文を唱えた。
透き通った緑色の光の球が生まれる。
また一つ、また一つ。
緑色の光の球を、ノーマは全部で五つ生み出した。五つの光玉は円を並んで大地と水平に並び、大道芸人が投げる色玉を取り囲んで回転し始めた。
「それでは、わたくしも」
エダが両手を開いて〈浄化〉の呪文を唱えていくと、そこから次々に青い大きな光の玉が生まれた。
一つ、二つ、三つ、四つ。
ノーマの作った五つの緑の玉を大きく取り巻いて、次々と青い光の玉が生まれる。
エダの作り出した光の玉は、およそ三十個ほどになった。
水平に回転する五つの〈回復〉の光球と、それを取り巻いて静止する三十個の〈浄化〉の光球。
〈回復〉も〈浄化〉も、本来術士の手元でのみ発動する魔法だ。だからこの光景は、あり得ない光景なのだ。
「ほう。オレも付き合うとするか」
レカンは空に向かって大きく両の手を開き、しばし目を閉じ、そして開いた。
「〈灯光〉」
二百、いや三百もの光の玉が一斉に生まれた。その赤みがかった白い光の玉は、ノーマとエダが作った玉を取り巻いて、星のようにきらめいている。
「もっと高く上げたらどうだい。町中のどこからでもみえるぐらいに」
いつのまに来たのか、ニケがそう言った。
それは無理な注文というものだが、ノーマとエダとレカンは、それぞれが操る光の玉を上昇させていった。
たくさんの光の玉はすぐにも消えるだろうとレカンは思った。
だが、消えもせず、静かに上昇してゆく。
レカンがニケのほうをみると、杖を出して魔力を放出している。放出された魔力は、レカンとノーマとエダが作り出した光の玉を包み込んでいる。ニケがしている何かが、光の玉を保持しているのだろう。
ジザも杖を取り出すと、ニケに倣うかのように魔力の放出を始めた。
ノーマの操る五つの〈回復〉は、ゆっくりと横に回転している。
エダの操る三十個の〈浄化〉は、それを取り巻いて動かない。
レカンの操る三百個の〈灯火〉は、そのさらに外側で、いたずらな妖精のように飛び回っている。
その形を保ったまま、光の玉の集団はなおも上昇してゆく。
人々は言葉を忘れてそのさまをみまもった。
高く、高く、高く、高く、さらに高く。
天空を征く雲が、魔法の光に照り映えて、美しくも幻想的なたゆたいをあらわにする。
この神秘的な光景は、その夜マシャジャインのあらゆる場所で目撃されたという。