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(何だこれは!)
(こんな恐ろしいものがあるのか?)
それは巨大な三つの魔石を、白銀の環でつないだもので、小さな羽のような飾りがついている。環の中央部分で三つの巨大魔石は溶け合うようにつながっている。
レカンが今までみた何をもはるかに超える、膨大な魔力を持っている。
その三つの魔石のうち一つに、レカンは覚えがあった。
その深紅の美しい魔石は、間違いなく王竜アトラシアのものだ。
ほかの二つの魔石は知らないが、アトラシアの魔石に負けない力を感じさせる。
(たぶんほかの二つも神獣の魔石だ)
(神獣の魔石三つを組み合わせた魔道具だと)
鼬獣人がボウドに何かを言った。
『レカン。間違いなく本物だそうだ』
レカンはうなずいた。
「エダ。間違いなく本物だと言っている」
その言葉で、場の緊張がわずかながらゆるんだ。
『返してもらうぞ』
ボウドがそう言ったので、レカンが翻訳した。
そのレカンの言葉を受けて、人間の通訳が鼬獣人の耳元で何かをささやいている。翻訳しているのだろう。
ザックはソファに深くかけたまま、静かに目を閉じた。体調が悪いのかもしれない。
ザック様、と小さい声を上げ、老齢の施療師が後ろからザックに近づこうとしたが、振り向きもせず、ザックは手でそれを制した。
「エダ殿」
「はい。何でしょう」
「すまんが、わしに〈浄化〉をかけてもらえんかのう」
「承知いたしました」
エダはシーラから譲り受けた細杖を取り出すと、〈浄化〉と柔らかな声を発した。深い青色の澄み切った光の球が生まれ、ザックの頭から足までを、ゆっくり浸していった。
このうえなく心地よさそうに、ザックはエダの〈浄化〉を味わった。
「なんという気持ちよさじゃ。まさに極楽の味わいじゃなあ。エダ殿。これは以前あなたから受けた〈浄化〉と違うように思うが」
「ユフの国で神殿長様から〈浄化〉のご指導を頂いたのです」
「そうか。なるほど。道理でのう。さて、エダ殿の〈浄化〉は一回大金貨一枚じゃったか。今持ち合わせがないので、代わりにこの秘宝を持っていってもらおうかのう」
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それからあとは、あっけないほどあっさりと事が進んだ。
秘宝を取り返したボウドは、もうここには用はないとばかりに、すぐにコグルスを出た。
そして野営のとき、幹部を集めて話し合いをした。
翌朝、グィド帝国軍、レカンとエダ、ユフ迷宮騎士団は別れた。
ノッドレインとデュオはレカンに、王都まで一緒に行こうと誘ったが、レカンは断った。ユフ迷宮騎士団は王都に戻って報告をしなくてはならないが、レカンは違う。レカンはマシャジャイン侯爵にのみ報告の義務がある。
「それにエダと二人で旅を楽しみたいからな」
なるほどやぼなことを言ったとデュオは謝った。
別れ際に、ボウドはノッドレインに一本の杖のようなものを贈った。それは〈指魔鳥の宿り木〉と呼ばれる品で、これと対になる品がグィド帝国にあり、片方から飛び立った指魔鳥という鳥は、必ずもう片方に飛んでくるのだという。ただし必ずしもまっすぐ飛んでくるのではなく、途中で寄り道もするらしい。要するに、これがあれば、遠く離れた者同士が連絡を取り合うことができるのだ。
ノッドレインは、〈神薬〉を二つと、ユフの酒をボウドに贈った。ボウドはそれを馬の獣人に渡していた。
皇都の方角を指し示す魔道具があるとかで、道案内を断って、グィド帝国軍は去っていった。
レカンとエダもヴォーカの方角に去った。
ユフ迷宮騎士団が出発するのをみとどけてから、レカンとエダはグィド帝国軍のあとを追い、一人で待っていたボウドと合流した。
『よく総指揮官が軍を離れるのが認められたな』
『わはは。わしはわしを打ち負かした人間族の勇者を倒すまでグィド帝国には帰らん、と言ったら、幹部どもは大いに賛成してくれたわい』
三人でマシャジャインに向かった。
大森林に向かって去っていったグィド帝国軍だが、中軍、つまり〈牙〉部隊を率いる熊獣人の百鬼長バラグアは、〈牙〉部隊を率いてコグルスを襲おうとした。
バラグアのこの行動の意味を理解するには、獣人の考え方を知らねばならない。
そもそも、獣人たちの考え方からすると、人間の勇士たちが大森林のゴルザザ神殿を襲撃し、守備兵たちを打ち破って財宝を得た時点で、〈安寧の宝珠〉の所有権は人間に移っている。不意打ちだろうが、多勢に無勢だろうが、勝利は勝利であり、勝利したものが正しいのだ。
しかし、〈安寧の宝珠〉を奪われたままにしてはおけない。かつて〈安寧の宝珠〉は年に一度神器を生み出し、〈安寧の宝珠〉を得た国が世界の覇者となるといわれていた。今は力が衰え、六十年に一度しか神器を生み出さないが、至宝であることに変わりはなく、その所有をめぐって何度となく戦が起きている。一度は皇都にまで敵が侵入してきたこともあるのだ。
だからこそ、どの国とも接していない深い森のなかにひそかに神殿を作り、そこに〈安寧の宝珠〉を隠したのだ。まさか背後から襲われるとは思ってもいなかったわけである。
グィド帝国軍は、他の獣人国との戦が終わり、戦後処理がある程度進んだ段階で、精鋭を人間たちの国に送り込んだ。戦って勝ち、再び〈安寧の宝珠〉を手に入れるために。
ところが奇妙ななりゆきで、グィド帝国軍とザカ王国軍のどちらが勝ったともいえないまま、交渉によって〈安寧の宝珠〉が返ってきた。
勝利したのであれば、財宝や武具を奪うこともできた。町を破壊することもできた。だが勝利はしていないのだ。勝利はしていないのだが、〈安寧の宝珠〉を奪還せよという勅命は果たせたので、帰国しなければならない。勝利なくして帰国しなければならないのだ。
そんなとき、総指揮官であるボウド将軍が、自分を打ち破った勇者に打ち勝つまで帰国しないと宣言して軍を離れた。勇気ある行動だ。光輝あるグィド帝国の軍団を皇帝陛下からあずかった将軍が、一騎打ちで負けたまま、おめおめ帰国できるものではない。このボウドの行動を、幹部たちは称賛した。
そこでバラグアは、軍団全体でもう一度人間たちと戦い、グィド帝国の武威を示すべきだと主張した。
幹部たちは反対した。敵の軍との戦いを中断し、これ以上戦わないことを条件にして、〈安寧の宝珠〉を差し出させたのであり、その約束を破るわけにはいかないというのだ。そしてまた、〈安寧の宝珠〉を所持したまま戦い、敗れて再び奪われるようなことがあってはならないというのだ。
だからバラグアは、軍団全体を動かすことは諦め、自分の指揮する〈牙〉部隊だけで人間の町を襲うことにした。
これは新しい戦いだ。人間の町を滅ぼしてグィド帝国の恐ろしさを示すための、まったく新しい戦いなのだ。
〈鋏〉部隊の将である銀狐の獣人イオスは、人間に討ち取られてしまった。バラグアとイオスは、若き日にともに迷宮に潜り、貧しい階層から成り上がった親友だった。一つの町の人間どもを皆殺しにしてしまうことで、将を討ち取られた不名誉を打ち消そうと、バラグアは考えたのだ。
ところが案内する者もなく、ただ大きな人間の町を探したため、ヴォーカに着いてしまった。ちがう町だとは気付いたが、コグルスだろうがヴォーカだろうが、バラグアの目的には関係ない。バラグアはヴォーカに襲いかかった。ところが、突然二体の巨大な猿の怪物が出現して戦いになり、〈牙〉部隊は大きな被害を出して北に逃げ帰った。
このときの戦いの模様が口から口へと伝わり、ヴォーカは聖女と聖獣の加護を受けた町であると噂されるようになる。
レカンたちがマシャジャインに帰着したのは、四の月の三十一日のことだ。
途中、ユフ迷宮騎士団を追い抜いた。もちろん迂回してのことである。今の段階で、ボウドがザカ王国に残っていることをデュオに知られるのは、ちょっとまずい気がしたのだ。
ワズロフ家に着くと、さっそくマンフリーに呼ばれた。ボウドの世話を使用人たちに頼み、エダと二人でマンフリーの執務室に上がった。家宰のフジスルみずからがドアを開けてくれた。
「やあ! 無事に帰ってきてくれたな。何よりだ。エダ殿も」
「ああ」
「ただいま帰りました、マンフリー様」
「それで、どうなったのだ。グィド帝国軍は、今どうしているのだ。ジンガーからは早馬で手紙が届いたし、各騎士団が王都に送った報告の概要も知っているし、ジザ大導師の話も聞いたが、君たちがアスポラを離れてからのことが、さっぱりわからん」
「北に帰ったよ。今ごろは大森林のなかだろう。どこまで聞いてるんだ?」
「私が知っているのは、君がグィド帝国の総指揮官と決闘して勝ったことと、そのあとグィド帝国軍全軍とユフ迷宮騎士団が、君に案内されてコグルスに向かったことだけだ」
「獣人たちが探していた〈安寧の宝珠〉は、やはりザックが持っていた。売りさばくのがむずかしい品だったのが幸いしたな。エダはコグルスではずいぶん顔が利くようでな。おかげで交渉がうまくいった」
「ほう。それはそれは。エダ殿、お礼申し上げる」
「恐れ入ります」