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『狼は眠らない05』(電子版)が刊行されます。詳しくは活動報告で。
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「来たり。来たり。今こそ時は来たり。すべてを蹂躙する天空の矢よ。わが命に従い、大地を穿て。〈ゾルアス・クルト・ヴェンダ〉」
次の瞬間、レカンは前方に転移した。遠吠えをする獣人たちまであと四百歩ほどだ。〈驟火〉の射程には、まだ少し遠い。
レカンは準備した魔法を維持しながら走った。そして立ち止まり、発動呪文を唱えた。
「〈驟火〉!」
〈ハルフォスの杖〉から膨大な魔力が放出され、それは魔法の矢となって天空を覆った。遠吠えを続ける獣人たちの頭上で角度を変え、まっすぐに地上に降り注ぐ。
レカンが渾身の魔力を込めたのだから、魔法の矢の一つ一つは恐るべき威力を備えている。そして万の数に及ぼうかという魔法の矢が、たった二十人ほどに降り注ぐのである。
対魔法障壁を張った獣人も何人かいた。そういう装備が獣人の国にもあるのだろう。そうではない獣人も、一発や二発の矢ではびくともしない。しかし瀑布のように降り続ける魔法の矢に、障壁は力を使い果たして消え、すべての矢が地上に突き刺さって消えたときには、遠吠えしていた獣人たちは、すべて大地に倒れ伏していた。
レカンは〈収納〉に右手を差し入れ、〈ハルフォスの杖〉をしまい、肩で大きく息をしながら空をみた。
二つの飛行部隊はすでに交戦を終えている。
獣人の飛行部隊が北東方向に飛んでいく。三百ほどいた数は、百以下にまで減っている。残った百人の飛行獣人も、少なからぬダメージを受けているだろう。パルシモ側で魔法を発動させていたのは二十人ほどだったのに、獣人飛行部隊の被害が大きすぎる。たぶん、〈魔矢筒〉を使ったのだ。特製の〈魔矢筒〉を。そんな気配があった。
一方、パルシモ魔法軍団は、南西の方角に飛行している。こちらはもともと百ほどだったが、その数はほとんど減っていない。
レカンは取り出した青大ポーションを口に放り込むと、地上に注意を戻した。
敵本陣五十人のうち二十人を倒した。〈生命感知〉にまだ映っている獣人がいるから、全部が死んだわけではないが、もはや戦力にはならない。だが、残っている三十人の気配はただごとではない。恐るべき強者たちだ。やはり一人での突撃は無理だ。
獣人の飛行部隊は再び旋回している。
だが、パルシモ魔法軍団は、そのまま南西に向かって飛び去っていく。
(最大火力で一気に相手を叩いて戦局を変え)
(そのまま戦場を離脱したわけか)
(さすがジザおばばだな)
(恐ろしいほどの思い切りのよさだ)
パルシモの魔法使いは、王から派遣要請が出されたのに、まだ王都に着いていないという話だった。
たぶん、どこかで竜たちに休息を与え、アスポラの近くまで飛んできて、出番を待っていたのだろう。休息の場所を与えたのはマシャジャインかもしれない。それならアスポラの地が決戦場になるという情報も得られたはずだ。
それにしても大胆だ。
なにしろ白首竜を飼いならして使役することは、王直属の竜騎士団にしか許されていない。パルシモで白首竜を使役していることは秘密なのだ。
それなのに、百頭もの白首竜を戦いに投入した。そして大手柄を立てた。この手柄を前にしては、王宮もパルシモの白首竜使役を認めないわけにはいかないだろう。
ジンガーが声を張り上げて何か命令を出しているが、レカンからは五百歩ほど離れており、戦場の喧騒もあって、何を言っているかはわからない。
弓部隊は、ずっと走っていたとみえて、ジンガー率いる本隊のかなり近くまで前進してきている。今度は獣人飛行部隊に対して効果的な射撃ができるはずだ。
弓兵たちは部隊長の指示で片膝を突き、北東の空に向けて矢をつがえた。
倒れている二十人ほどの獣人のうしろに、一人の獣人が立った。銀色の鼠のような顔をした獣人で、巨大な白い杖を持っている。その杖は双頭の蛇のような奇怪な形をしている。
レカンはちらりと右に視線を向けた。
そこでは獣人軍の〈牙〉と〈鋏〉がザカ王国軍と戦っているのだが、獣人軍から五十人ほどの一団が抜け出てレカンたち目指して駆け寄ってくる。
(ちっ)
(邪魔が入るか)
それを追って人間の騎士の一団がやって来た。先ほどは、ザカ王国軍が押されているようにみえたが、敵の中軍の後方に部隊を展開できるようなら、そうでもないのだろうか。
獣人の飛行部隊が降下してきた。
「〈炎槍〉! 〈炎槍〉! 〈炎槍〉! 〈炎槍〉! 〈炎槍〉!」
〈炎槍〉を連射した。
弓兵たちの矢が飛ぶ。
エダの魔法矢も飛んでゆく。
矢を受けた敵が墜落する。
獣人たちの飛行部隊は、今度は地上すれすれまで降下してきた。
何発か〈炎槍〉が命中して敵が落ちる。
飛行獣人がマシャジャイン騎士団に襲いかかる。
迎え撃つのは騎士八十人ほどと槍兵二十人ほどと、弓隊百人だ。
そして激突が起こり、すぐに終わった。
飛行部隊は最初の攻撃で槍を使い果たし、パルシモの魔法軍団との交戦で魔法使いを失った。だから今度は爪や剣で攻撃してきた。
対するマシャジャイン騎士団と槍兵たちは、果敢な攻撃を行い、多くの敵を倒した。
再び大空に舞い上がった飛行獣人は、十人を少し超える程度の数しかいない。
ただしマシャジャイン騎士団の被害も大きい。動ける者は、騎士三十人ほどと弓隊九十人ほどである。
銀鼠の獣人が何かの魔法を発動させた。夕日のように赤い光が杖に灯り、ぶわりと大きく膨れ上がって、倒れている獣人たち全体を包み込んだ。
次の瞬間、レカンは信じられないものをみた。
倒れ伏していた遠吠え獣人たちの半数以上が起き上がりかけている。
(ばかなっ)
(範囲回復魔法だと!)
もとの世界でも、こちらの世界でも、範囲回復魔法などというものは、みたことも聞いたこともない。しかもとんでもない範囲の広さだ。
(あの杖だ)
(あの杖は始原の恩寵品にも匹敵するような恩寵品なんだ)
七、八人の獣人は倒れたまま起き上がらない。〈生命感知〉に映らない。死んでいるのだ。
だが、起き上がった獣人たちは、防具はずたずたになっているのに、大けがをしているとはまったく思えない様子で立っている。
ということは、あの杖は死んだ者を復活させることはできないが、瀕死の者でも瞬時に回復させてしまう力があるのだ。
(そうか)
(そういうことだったのか)
いくつか疑問があったのだ。
大森林を越えてきたはずの獣人軍が、なぜ五百人とか千人とか、切りのいい人数なのか。脱落者が出たら半端な数になるのではないのか。
ダイナ迷宮のかなり深い階層まで潜ったはずなのに、やはり切りのいい人数なのはなぜか。
ザカ王国軍との交戦で、それなりの被害を出したはずの獣人軍が、次の戦いではあまり戦力が減っていないのはなぜなのか。
あの杖に秘密があったのだ。
(ということは殺さないかぎり敵は減らないということか)
(重傷を負わせた敵も瞬時に回復するということか)
(くそっ!)
(なんてことだ!)
敵将までの道が、一気に遠ざかったような気がした。
だが次の瞬間、レカンの胸に激しい闘志の炎が燃え上がった。
(いいだろう)
(ならば殺すまでだ)
(立ちふさがるやつらは皆殺しにして道を切り開いてやる)