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「狼は眠らない外伝」のほうも更新しております。
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馬に乗ったマシャジャインの騎士二百人が、すさまじい音を立てて敵本陣に向かって突進する。騎士二百人のうち百人は背に槍兵を乗せている。重装備の騎士に加えて槍兵を乗せるのは馬にとっては大きな負担だが、それは承知でジンガーは無理をさせている。魔法攻撃対策である。槍兵の持つ槍はすべて〈トロンの槍〉なのだ。接敵する寸前に槍兵は馬から飛び降りる。そういう訓練を積んできているのである。
レカンは特製の魔力回復薬を口に入れた。これから始まる戦いでは、魔力回復がぜひ必要だ。
「〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉!」
〈突風〉を自らの背中に当てて、レカンも激走する。
敵本陣までの距離、二千歩。
本陣の厚みは二百歩ほどで、人数は聞いていた通り五十人ほどだ。中央やや後ろ寄りに十人ほど固まっているのが総指揮官と側近あるいは親衛隊だろう。ちょうどその十人がいるあたりを、〈死の街道〉が通っている。
この付近では、〈死の街道〉の周辺は広い草原になっており、潅木や小さな茂みがあるぐらいで、見晴らしがいい。ダリラが誘導してくれた地点から敵本陣までは、草が短く、起伏もほとんどない。絶好の奇襲地点だ。
彼らはすべて徒歩だ。大森林は馬に乗って越えられるような場所ではないのかもしれないし、そもそも馬に乗る慣習がないのかもしれない。
マシャジャイン騎士団の突撃に気付いても、敵の本陣は動揺したようにみえない。落ち着き払って、マシャジャイン騎士団を迎え撃つべく位置取りを変え始めた。
敵本陣、すなわち〈イシャスの陣〉でいえば〈尻尾〉から距離を置いた右のほうで、敵の中軍と別動隊、つまり〈牙〉と〈鋏〉がザカ王国の連合軍と戦っている。〈牙〉も〈鋏〉もすべて徒歩だ。
弓兵百人は、やや右方向にまっすぐ走ってゆく。彼らの標的は、〈尻尾〉ではない。彼らが〈尻尾〉を射程に捉えるころには、すでに騎士たちが〈尻尾〉と戦っている。弓兵隊の役割は、〈牙〉や〈鋏〉の一部が〈尻尾〉を助けに駆けつけようとしたら、それを足止めすることだ。ふつう弓兵の部隊には矢を補給するための補給隊が付き従うものだが、今回は連れてきていない。ただしマシャジャイン弓兵が背負う矢筒はすべて〈箱〉であり、一つの矢筒に百本以上の矢が入っている。
弓隊の隊長は、騎士プルクス・ガウェイン。弓兵の真骨頂は強弓を引く筋力と素早く移動する脚力だという信念を持つ硬骨漢で、若くみえるが、ジンガーの現役時代を知っていて、ジンガーとはまさに阿吽の呼吸だ。
マシャジャイン騎士団の馬たちは、あっという間に五百歩の距離を駆け抜け、さらに速度を上げる。
敵本陣までの距離、千五百歩。
どこかで甲高い笛が鳴っているような気がした。
しばらく前から、レカンは不思議な感覚を味わっていた。いつかゾルタンにはじめて会ったときと同じ感覚だ。
(いる!)
(前方の敵のなかに)
(同郷の冒険者がいる)
だがなぜか、〈生命感知〉には、これがボウドだといえる相手は映っていない。ボウドと同じように強大な魔力を持っている敵は何人かいる。だが、ボウドとは違う。
「〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉!」
最初は先頭を走っていたレカンだが、今は百騎ほどがレカンの前を走っている。それでいいのだ。マシャジャイン騎士団が開けてくれた穴から、レカンは敵の総指揮官に突撃するのだから。
丈の短い草を踏み散らし、土煙を上げながら、マシャジャイン騎士団は進撃する。
敵本陣まで、あと千歩。
(よし!)
(本陣の向こうの森のなかに〈鞭〉部隊を伏せてあったとしても)
(もう間に合わん)
作戦の成功をレカンが確信しかけたそのとき、位置取りを変えて最前列に出ていた二十人ほどの獣人たちが、大きく息を吸い、上方に顔を向けた。犬や狼の系統の獣人たちだ。
そして、吠えた。
遠吠えだ。
不気味な声が響き渡る。
たった二十人だが、その声量はとてつもないものであり、レカンは自分の周り中の空間が、その吠え声で埋め尽くされ、世界がびりびりと震えているように感じた。
体が痺れた。
足がもつれて倒れかける。
〈巫女の守護石〉の効果か、痺れはすぐに消え、レカンはどうにか体勢を立て直し、転倒せずにすんだ。
しかし周りを走っていた騎士たちは、ことごとく転倒した。
最大速度で突進していた馬が転倒し、地に打ち付けられたのである。身に着けた鎧の重さが騎士たちの肉体を痛めつけただろう。
レカンは驚いて立ち止まった。
遠吠えはまだ続いている。
ジンガーを始めマシャジャイン騎士たちは、呪いや毒に対抗するための装備を身に着けている。そして〈トロンの槍〉があるのだから、魔法攻撃もほとんど防げるはずなのだ。
では今の体の痺れは何か。
獣人たちの特殊能力だ。
呪いでも毒でも魔法でもない、声による攻撃だ。
「〈浄化〉! 〈浄化〉! 〈浄化〉! 〈浄化〉! 〈浄化〉! 〈浄化〉! 〈浄化〉!」
はっと振り返ると、エダが〈浄化〉を連発していた。エダはジンガーの側近の騎士の後ろに乗せてもらっているのだが、その騎士の馬は転倒していない。その隣にいるジンガーの馬も転倒していない。右後方を走る弓兵部隊は、距離が遠いためか角度の問題なのか、無事だ。
(そうか!)
(エダのやつ)
(ジンガーや自分を馬ごと〈浄化〉で包んだんだな)
エダの〈浄化〉で、近くにいた騎士たち、槍兵たちが、次々に回復して立ち上がる。ユフで磨かれたエダの〈浄化〉は、転倒による負傷を癒やすだけでなく、獣人たちの吠え声がもたらした摩訶不思議な痺れも癒やすようだ。
「〈浄化〉! 〈浄化〉! 〈浄化〉! 〈浄化〉! 〈浄化〉! 〈浄化〉! 〈浄化〉!」
エダは馬たちにも〈浄化〉をかけている。
獣人たちの遠吠えが止まった。
レカンは、自分の体をむしばんでいた不快感が消えるのを感じた。
〈浄化〉を受けていない騎士や槍兵が身をよじって起き上がろうとしている。遠吠えが止まると、痺れも消えてしまうようだ。
「赤ポーションを飲め! 態勢を立て直せ! 再度突撃する!」
ジンガーが命令の声を放った。
そのとき、敵の後方から、何百という数の赤い点が信じ難い速度で近づいてくるのを、〈生命感知〉が捉えた。
森をこんな速度で走り抜けるなど、不可能だ。
レカンは目を凝らした。
空だ。
何かが空を飛んでやって来る。
すごくたくさんの何かが。
それが何かわかって、レカンの背筋が凍った。
獣人の飛行部隊だ。
獣人軍の〈鞭〉は、飛行部隊だったのだ。