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次の日、シーラの家を訪れた。ゴルブル迷宮に向かう前にヴルスの魔石を渡しに来てから十二日目ということになる。
玄関の扉が奇麗に修復されていた。しかも、とってつけたような新しい木材を使うのではなく、どこから探してきたのかわからないが、渋みと落ち着きがあり、もとの扉ととてもよく似た素材で修復されていた。
シーラはやはりいなかった。
ジェリコが寝床から物憂げに左手を挙げてレカンを歓迎した。
作業部屋に入り、茶でも沸かそうかと考えていると、ぽつぽつと音がした。
雨だ。
雨がさらさらと降ってくる。雲はさほどの厚みがないのか、庭におちる日の光は少しやわらかくなったものの、薄暗いというほどではない。
レカンは庭に雨が落ちる光景をみたくなって、作業室の扉を開けた。だが、ちょうど扉の前まで風よけが張り出していて、みとおしはよくない。結局レカンは、扉の所に立ったまま、庭をながめた。
薬草と毒草の色や形や高さはさまざまである。そのさまざまな葉の上に雨が落ちて、異なる形状をとって地上に落ちる。
小さくて丸くて平たい葉を密集して茂らすマメツブグサは、雨に打たれてうれしそうに身を揺すっている。
赤から黒に変じる細長い葉をまばらにつけたリュウノイブキは、水滴をためきれなくなると、ぴいんと頭を上げて水を下に落とす。考え深い老人が、何かにうなずいているかのようだ。
鋭い葉を二十枚ほど横に連ねた形の葉をたった一つだけつけた、ジゴクソウという恐ろしげな名を持つ毒草は、葉を切った汁を一滴浴びただけで昏倒するほど強い麻痺性を持つが、低い薬草のあいだから毅然とそびえたっていて、誇り高い貴婦人が静かに涙を流しているような風情がある。
草や木から流れ落ちた水は、わずかな時間、透明な水たまりを作り、そして土に吸い込まれて姿を消す。この庭に小さな池でもあれば、またちがったおもむきを楽しめたろう。
レカンは、この世界ではじめて雨に出会ったときのことを思い出した。
食料はどこだと慌てるレカンを周囲がいぶかしく思い、あとでルビアナフェル姫に呼び出されて事情を話すはめになった。
レカンのもといた世界では、雨は降り始めると何日も何日もやまない。ざあざあとすさまじい量の水が天から落ち続ける。
雨とは、飢えと冷たさをもたらすものであり、食べ物を腐らせるものであり、世の中を薄暗くしてしまうものだ。〈死に神が雨を連れて来る〉という言葉には、人々の実感が込められている。
雨が降る前には、何日分もの食料を確保しておかなければならない。さもなければ、悲惨な死が待っている。それが、もとの世界での常識だった。
ルビアナフェル姫は、目を丸くしながらそんな話を聞いていたものだった。
あまり部屋に湿り気を入れすぎてはいけないので、扉を閉めた。
地下室に降りてみると、空気がよどんでいて湿っぽい。
〈移動〉の魔法を使って空気をかき混ぜ、暖炉に火を入れて水気を払った。巨大な煙突は上から雨が降り込まないような構造になっているが、横から吹き込む雨は完全には防げない。たまには換気し、湿り気を飛ばしてやる必要があるだろう。
地上に戻って、茶を淹れて飲んだ。
温かい茶が、体のすみずみまでしみていくのを、じっくりと味わった。
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〈収納〉から、金のポーションを取り出して机に置いた。
それを飲んだ者には、何かの技能が与えられるという迷宮品だ。
手に入った瞬間から、自分で飲むと決めていた。
ただし、シーラにみてもらってから飲むつもりだった。
けれども現在シーラはいない。
では、シーラが戻ってくるまで、この薬を飲むのを待つのか。
そこまでして事前にシーラにみてもらわねばならない理由はない。そもそも、シーラといえども、このポーションの効果はわからない。どんな技能が得られるか、飲んでみるまではわからないと、シーラ自身が言っていた。
もとの世界で迷宮の階層ボスを倒して得られる能力は、戦闘系に限られていたように思うが、この金のポーションで得られる技能はどうなのだろうか。このポーションを使うことで、レカンの害になることが起きる可能性はあるだろうか。
シーラはたしか、こう言った。
〈あんたが魔物を倒して金色のポーションを手に入れたとしたら、あんたはそのポーションから得られる能力を、必ず使える〉
心配することはないのだ。いずれにしても、何が起きるか、飲んでみなければわからない。
しばらく手の上においてながめたあと、レカンはそれを口に投げ入れた。
口のなかで容器をつぶす。味のない液体が口中にあふれる。
ぷよぷよとした感触は、容器だ。この容器も口のなかで溶けてしまうことは、経験で知っている。
口のなかの液体を、容器の残骸ごと、ごくりと飲み込んだ。しばらくは何も起きなかった。
十呼吸ほどの時間が過ぎたろうか。腹の底に、ぽわり、と温かいものが生じた。ぞわぞわと、その温かいものから触手のようなものが伸びて、全身に広がってゆく。それが全身にくまなくゆきわたったとき、突如全身が高熱に焼かれたかのような感覚におちいった。
がたがたと体がふるえる。体中の力が失われる。もう椅子に座っていることもできない。ずるずると崩れ落ちて、床に横たわる。全身を襲う強烈な悪寒にはあらがうすべがない。ただ耐えるだけだ。そこで意識が失われた。
気がつくと、ジェリコが心配そうに上からのぞき込んでいた。
体を襲った変調は消えうせている。起き上がって椅子に座ったが、まったく動作に問題はなく、体のどこにも痛みも不調もない。
さて、どんな技能が得られたのだろう。
そう思いながらしばらく椅子に座っていたが、わからない。だが確かに新たな技能を得たはずなのだ。
気がつけば、雨はすっかりやんでいた。
釈然としない思いを抱えながら宿に帰って部屋を取り、食事をして寝た。