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「何かね」
「敵の本隊五百人の後ろに、少人数の部隊がいないか?」
「いる。ボウド将軍とその親衛隊だ。安全な後方から指揮しているのだろうな」
「いや、ちがうな」
「なに?」
「敵の左翼には機動力の高い別動隊がいて、森のなかを進んでいたんだが、右翼には別動隊はいなかったのか?」
「いない。少なくとも密偵たちが探した範囲では発見できていない。それにだ。左翼の別動隊も自分たちの存在を隠そうとせず、堂々と肉を焼き、火を焚いて野営をしていたのだ。ほかに部隊がいれば、わかるはずだ」
「あんた、喧嘩慣れしていないな」
「なに?」
「その別動隊が火を焚き煙を上げて自分たちの居場所を教えたというがな、それはわざとかもしれん。今度煙が上がっても、別動隊はそこにはいない、ということもあるぞ」
「なにっ。いや、そうなのか」
「それに、右翼の別動隊も煙を立てなきゃならんなんて、誰が決めたんだ。むしろ、左翼の存在をこれみよがしにみせびらかしておいて、いざというときに右翼から別動隊が出てくるんじゃないか」
「そんな数の敵がまったく察知されていないというのかね」
「広い森のなかだろう。それに、こちらがいるはずだと思う場所にいてくれるような相手じゃない。右手で派手な動きをして相手の注意を引きつけておいて、左手で急所を一撃するというのは、喧嘩ではよく使う手だ。知ってても引っかかる」
「君は、軍略もいけるのか?」
「そんなものは知らん。だがこの陣形は〈イシャスの陣〉そのものに思える」
「〈イシャスの陣〉?」
「イシャスというのは、こっちの言葉でいえば、〈鞭を持つサソリ〉かな。伝説の魔獣だ。その魔獣になぞらえた陣形なんだ。中軍は〈牙〉と呼ばれ、相手の足にかみついて動きを止める。右翼軍、敵からみると左翼軍は〈鋏〉と呼ばれ、高い機動力で、動けない相手を切り刻む。相手に別動隊がいたら、足止めしたり不意打ちしたりするのも〈鋏〉の役目だ。敵が〈牙〉と〈鋏〉に気を取られていると、左翼軍、敵からみると右翼軍の〈鞭〉が、予想もしない方向から攻撃を加える。だが〈イシャスの陣〉で最も恐ろしいのは、中軍の後ろにいる〈尻尾〉だ。イシャスという魔獣は、巨大なハンマーのような尻尾を高い所から振りおろして、牙がつかまえている獲物を粉砕する。本体の後ろにいる少人数の部隊は、軍団最強の精鋭だ。それが〈イシャスの陣〉だ」
「君たちの世界では、どこの軍も〈イシャスの陣〉を用いるのかね?」
「いや。実際にやってるのはみたことがない。オレのもとの世界では小競り合いばかりで、大がかりな戦はなかったからな。だが、オレのような冒険者でも、いつかできるものなら〈イシャスの陣〉を組んでみたいとは思ってた」
「なんということだ。わが騎士団が全滅してしまう!」
「何だと?」
「いや。順番に話そう。もともとスマーク騎士団やトランシェ騎士団らの第一陣が王都を出たときには、敵の人数などはわからなかった。だが勝てないまでも敵に相当の痛手を与えるだろうから、第二陣が敵の息の根を止めればよいということになっていた。だから、第二陣の準備が進められていた。第二陣の主軍は、ギド騎士団二百名で、これにダイナ騎士団三十人と、ツボルトの冒険者百人が従う。この第二陣は、グィド帝国軍とスマーク騎士団の会戦が行われるより前、四の月の二日に王都を出撃した。そのあと諸侯の小規模な騎士団が次々に出発していた。四の月の七日には、アスポラの町に白首竜二体が配備されたので、以後アスポラからの連絡は半日で届くようになった」
〈ナータの鏡〉が主要な都市に配備された現在において、白首竜を駆る竜騎士は、連絡のためには使われず、王都防衛の切り札として温存されている。もともと白首竜は高速ではあるものの航続距離が短く、長距離連絡にはあまり向いていない。しかも体力を使ったあとは大量の食料を摂取し、休息しなくてはならないので、丸一日は使い物にならない。
ところが、〈ナータの鏡〉は、王都より北にはほとんど配備されていない。唯一、もと侯爵領であったダイナには設置されていた。ヘンスル王国との国境は峻険な山岳地帯だし、ザカ王国の北は大森林である。シャイト連合国は内輪もめで忙しく、他国に侵攻する余裕も武力もない。つまりザカ王国が警戒しなくてはならないのは、西のドレスタ王国とマール王国、東のゾブレス王国なのであり、また、襲われて困る裕福な都市も王国の南側にしかない。万が一ヘンスル王国やシャイト連合国が攻め入ってくるようなことがあっても、北の諸都市が奪われているあいだに防衛態勢を整えればいいというのが、王都の考え方であったのだ。
これもあとになってレカンは知るのだが、グィド帝国の侵攻を知ったマシャジャイン侯爵とトランシェ侯爵は、急遽アスポラに〈ナータの鏡〉を設置するべきだと主張した。この二人の侯爵は、予備の鏡ができているだろうことを知っていたのだ。
だが宰相は、この提案を拒絶した。設置しても調整に日にちがかかるし、敵がアスポラの近くにいるときにしか有効に機能しないだろうから、あまり意味がないというのがその理由だ。だが本音のところは、侯爵領どころか伯爵領でもない都市に鏡を設置する前例を作りたくなかったのだろうと、マンフリーは考えている。
こうした駆け引きのすえに、白首竜二体がアスポラに配備された。王都に待機する白首竜と交代して往復すれば、ほぼ毎日でもアスポラの情報を受け取ることができる。竜騎士団長は最後まで反対した。五十体しかいない白首竜を分散させるのはいやだったのだ。この時点では、グィド帝国の侵攻は大きな危機だとは思われていなかったので、なおさらである。