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「失礼いたします」
あいさつをして入ってきたのは、ワズロフ家家宰のフジスルだ。
フジスルが入室すると、ドアが閉められた。
フジスルは大きな皮紙を巻いたものを持っていて、それをテーブルの上に広げた。
地図だ。
いきなり用件に入るようだ。
茶も出さずに用件に入るとはマンフリーにしては珍しいな、とレカンは思った。
「昨年の十の月の二十五日、ダイナ伯爵から王宮に急報が入った。これは、ふむ、レカン。内緒にしてもらわねばならんが、〈ナータの鏡〉という魔道具がある。二個で一組になっており、片方に書いた文字はもう片方にも現れる。どちらかの鏡面の文字を消せば、もう一つの鏡面の文字も消える。王国の主要な町には〈ナータの鏡〉が設置されていて、その片割れは王宮にある。軍事上、経済上、非常に重要な品だ。これはある程度以上の身分の者は知っていることなのだが、一般には秘密にされている。心得ておいてくれ」
「わかった」
「急報の内容は、迷宮都市ダイナが北からの敵に攻撃されているというものだった」
「ほう」
「詳しいことはわからないまま通信は途絶えてしまった。こちらから〈ナータの鏡〉で呼びかけても反応がない。宰相府は密偵を派遣した。その密偵は帰ってこなかった」
レカンは以前、宰相府御雇い人という身分の密偵と接触したことがある。王国騎士団の騎士たちが護衛する建物にまんまと侵入していた。あれほどの技能を持つ者たちが失敗して捕らえられ、あるいは殺されたとすると、相手にはかなりすぐれた探知能力を持つ者がいる。
「宰相府が再度密偵を派遣しようとしたころ、ダイナ近辺の小領の領主たちから宰相府に報告が入ってきた。ダイナの貴族や住人たちがダイナを脱出して避難してきたというのだ」
「ふむ」
「避難民たちは、異形の者たちの軍団がダイナに侵攻してきたと言った」
「異形の者たちというのは、どう異形なんだ」
「さまざまな魔獣が鎧を着て武器を持ったような姿だったという」
「ほう」
レカンはちらりとエダをみた。エダもレカンをみて、小さくうなずいた。
「今年一の月の十五日、ダイナ伯の騎士が三人、王都に来た。彼らは侵略者たちの伝言を携えていた。それはひと言でいえば、秘宝を返せ、という要求だった」
「秘宝?」
「そうだ。彼らはグィド帝国と名乗った。グィド帝国は大森林を神聖な領域とみなしているようで、その奥深くに神殿を作っていた。十九年前、その神殿をザカ王国の者が襲って、秘宝を奪ったというのだ。その秘宝を返し謝罪せよというのが彼らの言い分だ」
レカンは再びちらりとエダのほうをみた。エダは先ほどより大きくうなずいた。
「王家の使者がダイナに向かった。使者は侵略軍の最高指揮官に面会することができた。やつらは違う言葉をしゃべるのだが、大森林に迷い込んでグィド帝国に住み着いた者たちの子孫がいて、通訳をしている。最高指導者の身分役職に相当する身分役職がザカ王国にはないらしいが、通訳をした人間は、〈千の頭を持つ竜〉と訳していた」
「千の頭を持つ竜?」
「とにかく軍事上、グィド帝国での最高位にある人物らしい。通訳が言うには、武人のなかで最も強く、最も強大な指揮権を持つのだそうだ」
「ほう」
「その人物は、自分は偉大なるグィド皇帝の名代であるところの〈千の頭を持つ竜〉ボウドである、と名乗ったそうだ」
(ボウドだと!)
レカンは驚いた。
だが、その驚きを言葉にすることも、顔に表すこともしなかった。一瞬、目に強い光を宿しただけだ。
その一瞬の目の光を、マンフリーはみのがさなかった。
「どうかしたのかね?」
「ふむ。実はオレがこの世界に落ちてきたとき、一緒に〈黒穴〉を通った冒険者がいた。オレの相棒で、名をボウドという。別の場所に落ちたみたいでな。ずっと会いたいと思ってきたんだが、どこにいるのかわからん」
「なにっ」
マンフリーは、目を閉じて思考をまとめ、わずかな時間で目を開いた。
「実は、使者の報告のなかに気になる点がある」
「それは何だ」
「そのボウドなる人物は、兜のようなもので首から上を隠していたので、どんな顔をしていたかはわからないが、手が獣ほどには毛深くもなく、うろこもなく、まるで人間のようだったという。ただし人間にしてはかなり毛深かかったそうだ」
「オレもこの世界の人間からみれば毛深いだろうが、ボウドはもっと体毛が濃い」
「むむ。グィド帝国軍の最高指導者ボウドと、君の相棒であるボウドという冒険者が同一人物である可能性はあるのかね?」
「わからん」
「ううむ。わが国であれば、〈落ち人〉が国の正規軍の総指揮官になることなど、あり得ないが」
「まあ、この場合、そいつがオレの知っているボウドかどうかは、あまり関係ないんじゃないか?」
「関係なくはないのだが、それはまああとにしよう。とにかくそのボウド将軍は、秘宝を取り戻すのが皇帝の命令であると言った。使者は聞いた。財宝を強奪した者たちがザカ王国の者であるという証拠はあるかと。ボウド将軍は答えた。この国の者である可能性が高いし、そうでないとしても人間のしわざであり、ザカ王は王国の者たちから犯人を差し出さねばならない。もしザカ王国の人間以外が犯人なら、他の国に連絡を取り、犯人を捜せばよい」
「すごい要求だな」