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デルスタンと別れたあと、レカンは迷った。
もともとは、迷宮のなかに入る気などなかった。入るとしても、入り口をくぐったらすぐ出てくるつもりだった。
なにしろ今着ている革鎧では、無理はできない。
マシャジャインに帰って鎧を整えてもらうか、それともユフで作ってくれている鎧が届くのを待ってからでなければ、とても大迷宮の探索などできはしない。
しかし、この迷宮は、いきなり最下層に跳ぶことができるのだ。
そして最下層には敵はいない。だから安全に見物することができる。
デルスタンの説明を、レカンはほぼそのまま信じてよいと判断していた。
となると、むずむずする。
その最下層とやらをみてみたい。
その空気を吸ってみたい。
急に湧き上がってきた好奇心を、レカンは抑えることができなかった。
(よし)
(みるだけみてみよう)
(戦いはなしだ)
入り口まで歩いていった。大きな入り口だ。
番兵に緑のメダルをみせてなかに入る。
なかの空間もまた広大だ。
これなら騎士五百人だろうが、同時にここに入って、タイミングを合わせて下に跳ぶことができる。
「〈階層〉」
すると心のなかに階層が表示された。
どこも明るく表示されていて、転移可能な状態になっている。
下にたどっていくと、確かに百八十階層まで表示されている。
「〈転移〉」
レカンは百八十階層に跳んだ。
薄暗い場所だ。
前方に、入り口がある。
今いる場所は、ほかの迷宮でいえば階段にあたる場所なのだろう。
魔獣はいない。
立ち止まったまま、目を閉じた。
しばらくこうしていると、薄暗さに目が慣れる。
目を閉じたまま、考えた。
最下層の魔獣は大剛鬼だったという。たぶんそれが迷宮の主だが、正体が伝わっているということは、以前には確かにいたのだろう。討伐されたこともあったかもしれない。いや、この迷宮からは始原の恩寵品が出ているのだから、少なくとも一度は討伐されている。
だが、あるときから出なくなった。
もしも討伐されたのに再出現しなくなったのだとしたら、迷宮は眠ったままになっているのではないだろうか。
だがこの迷宮は眠っていない。そして、どの階層にも跳べるという奇妙な状態になっている。
つまり迷宮としての機能が狂っている。機能を狂わせるような何かが起きたのだ。
それは、何か。
レカンは、ゆっくりと目を開けた。
広い。
入り口の手前の部分がこんなにも広い迷宮ははじめてだ。
(ものすごく大勢で来られるようになってるな)
レカンは入り口に歩いてゆき、そして入り口から部屋のなかに入った。
背筋をびりりとしたものが走り抜けたような感覚があった。
大きい。
とても大きな岩のドームだ。
デルスタンは高さも奥行きも何百歩もあると言ったが、レカンのみるところでは、高さは一番高いところで三百歩弱で、奥行きは三百歩を少し超えるぐらいだ。
「〈図化〉」
この階層の地図が頭のなかに浮かんだ。
部屋はただ一つ。つまりこの部屋だけだ。
そして魔獣を示す点は表示されない。
もちろん、探索者もいない。
ここには今、レカンだけしかいないのだ。
息を吸い込んでみて、自分が少し緊張しているのに気付いた。
匂いはしない。
だが、何かの残り香がかすかにあるようにも感じられる。
濃密な空気だ。
一種独特の雰囲気がある。
何といえばいいのだろう。
王のいない玉座というか。
野獣のいない檻というか。
うかつに足を踏み入れてはいけない場所であるように感じられる。
あまりあかるくはないドームの奥の壁にみえるものが気になって、レカンは歩を進めた。
奥側の岩壁に、四角く削られた岩塊が鎮座している。
床の上に二つと、床からかなり離れた高い位置に一つ。
四角い岩塊からは巨大な金属製の鎖が伸びていて、その先には拘束のために使うかのような形の金属の環が付いている。
その金属の環は、たぶん本来なら閉じていて円筒形をしているのだろうが、今はぱかりと開いている。
なんという巨大で、重量感のある鎖なのだろう。
鎖の太さたるや、レカンの胴より太い。
そしてこの金属の環。
もしこれが拘束具なのだとしたら、拘束されるものは大木のような太さがあることになる。
レカンは顔を上げて上方をみた。
岩壁から突き出た四角い岩塊から太い鎖が垂れ下がり、その先端に付いた巨大な金属の環が、レカンの頭上で、禍々しく鈍い光を放っている。
この鎖と環は、やはり拘束具のようにみえる。
下の二つの鎖は大剛鬼の両の足を、上の一つの鎖は首を拘束していたのだろうか。
だとすると、その大剛鬼の体長は、レカンの三倍を超えるほどであったと推測される。
デルスタンは、山のように大きな大剛鬼だったと言っていたが、大きさ自体はそれほどではない。だが、たぶん、恐るべき魔獣だったはずだ。
レカンはこれまでに三度、ゴルブル迷宮の主である大剛鬼と戦った。
最初に戦ったときは、その強さに圧倒されたものだった。
同じ迷宮のすぐ上の階層の敵と比較しても、あの強さは別格のものだった。
大剛鬼というのは、それだけ強大な魔獣なのだ。
あの速度と強靱さと破壊力を持った魔獣が、あの三倍の体高を持っていたとすると、その強さはどれほどだったのだろう。
しかも百八十階層という規模を誇る、このフィンケル迷宮の主だ。
その大剛鬼は、想像を絶する強さを持っていたにちがいない。
その強さの気配の残滓のようなものを感じて、レカンは息苦しさを覚えた。
もう一度目線を落とした。
岩壁と床の両方に接した岩塊には、これといって特徴がない。では上部の岩塊はどうなのだろう。
「〈浮遊〉〈移動〉」
レカンは魔法を自分に向けて発動し、ふわりと浮き上がった。
ゆっくりと上昇し、やがて岩塊の正面にきたとき、静止した。
何も特徴はない。重厚で揺るぎがなく、何物も寄せ付けない厳しさを感じさせる。
「〈移動〉」
再びゆっくりと上昇したレカンのからだは、壁から突き出た岩塊を、斜め上からみおろす位置で静止した。
(うん?)
(何か文字が書いてあるな)
薄暗さのなかでじっと目を凝らした。
書いてある文字が読めた。
〈命名 ジェリコ〉