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レカンは薄れゆく意識のなかで、左手を〈収納〉に差し込み、上級治療薬を取り出した。
蓋を開けて飲んだ。
それだけのことをするのに、ずいぶん時間がかかったし、集中力も必要だった。〈移動〉の魔法も使った。先に〈回復〉をかけていなかったら、それだけの作業さえできなかったろう。
少し意識がはっきりした。わずかに力が湧いてきた。と同時に、治療薬が体を治そうとする作用のせいなのか、ひどい痛みが襲ってきた。
上級治療薬は、レカンがもといた世界の魔法薬であり、つぶれた片目も、つぶれた直後に飲んでいたら、たぶん治っていたはずだ。それほどの効果がある薬なのだが、今のレカンを治すことはできないようだ。
それはわかっていた。上級治療薬といえど、失われた手や足を再生することはできない。今のレカンは、体のあちこちがちぎれ、つぶれている。上級治療薬をもってしても命をつなぎとめることはできない。
それでも上級治療薬は、レカンの死をいくばくか引き延ばしてくれた。もうろうとしていた意識も、少しばかり明瞭さを取り戻した。
〈立体知覚〉であたりを探った。
何かがある。
箱だ。
小さな箱だ。
(宝箱だな)
(オレの生涯最後の戦利品というわけか)
「〈浮遊〉〈移動〉」
宝箱は、ふらふらと空中を移動し、レカンの顔の上にまで飛んできた。
「〈移動〉〈移動〉」
調薬で鍛えた微妙なコントロールで、レカンは手も触れず宝箱を開け、〈移動〉の魔法でその中身を取り出して目の前に浮かべた。
右目はほとんど機能していないが、それでもぼんやりとした影が映った。
(これは)
(まさかこれは)
神薬だった。
レカンは震える声で呪文を唱えた。
「〈移動〉」
発動した魔法が神薬を口に運んだ。
飲み込もうとしたが、嚥下する筋肉がうまく働かない。
それでも時間をかけて神薬は溶けてゆき、驚くべき効果を発揮した。
息を吸って吐くごとに、レカンの体が修復されていく。
とくん、とくんと、心の臓が脈打つごとに、命の火が大きく強くなってゆく。
みるみる力がみなぎってゆく。
肉体の持つべきあらゆる機能が回復してゆく。
あらゆる傷が、欠損が、修復されてゆく。
まさに奇跡だ。
神薬とは、これほどのものだったのだ。
痛みもある。
特に、足や腹や右手は強烈な痛みを感じている。
そうだ。
なくなったはずの右手が痛い。
右手の指が痛い。
肉体が再生されているのだ。
やがてレカンは、むくりと体を起こした。
ひどいありさまだ。
さしものディラン銀鋼と大炎竜の鎧も、ぼろぼろで、肉体があちこち露出している。
兜は吹き飛んでどこかに行った。
迷宮の壁や天井や床の表面は、剥ぎ取られ粉砕され、床に落ちているが、そのなかに〈ウォルカンの盾〉があった。
近寄って石をどけて持ち上げた。
「〈縮小〉!」
無事に手甲になった。無事であったようだ。
慣れ親しんだ盾が無事であったことに、レカンは言いしれぬ安堵を覚えた。
神薬は失った血も回復してくれたようだ。
体の奥に疲労感と奇妙な空腹感のようなものがあるが、活力は横溢している。
装備を検めた。
〈ローザンの指輪〉
〈インテュアドロの首飾り〉
〈ハルトの短剣〉
〈不死王の指輪〉
〈闇鬼の呪符〉
〈白魔の足環〉
〈ザナの守護石〉
すべて無事だ。
足元に、石塊に埋もれて杖がみえる。
引き抜いた。
〈コルディシエの杖〉だった。
剣は折れたのに杖は無事だったのだ。
考えてみれば、杖は障壁の内側にあった。その違いなのだろう。
〈トロンの剣〉もあったので拾った。
それにしても視界が広い。そして明るい。実によくみえる。
はっと気づいた。
左目が、みえている。
視力を取り戻している。
「おお」
神薬は、長らく失われていたレカンの左目を取り戻してくれたのだ。
喜びがこみ上げてきた。
そのとき、エダの顔が心に浮かんだ。
今エダは、ユフで神殿長から特訓を受けている。
〈浄化〉の技能を磨くための特訓だ。
何のためかといえば、まずもってエダが願っているのはレカンの左目を治すことだ。
(エダには悪いことをしたな)
再会したら謝ろう、とレカンは思った。
修復のしようもないほど破壊された鎧と、やはりすっかり破れてしまった服を脱ぎ捨て、〈収納〉から服を取り出して身に着けた。
その上から古ぼけた革鎧を着た。もとの世界で使っていた品で、蛇の魔獣素材だ。ずいぶん以前に奮発して購入した品だが、これもだいぶ傷んでいる。しばらく使わなかったので、固くなってもいる。
小火竜の鎧は、ユフ迷宮の探索でぼろぼろになり、修復不可能だといわれたので処分してしまった。
部屋を出て地上階層に転移し、迷宮を出た。
地上の世界はまぶしかった。
太陽が真上にあった。
雨はすっかり上がって、晴れやかな天気だ。
たき火をして、食事を取った。
炙った干し肉を噛みしめて飲み込むと、生きているという実感を、強く感じた。
(それにしても)
(腐肉王の指を撃ち込まれたあと)
(毒だか精神魔法だか呪いだかにやられたが)
(どうしてすぐに回復したんだ?)
あれはユフの魔獣が使ったのと同じような手だ。
そして、ユフの魔獣より、腐肉王のほうがはるかに格上だ。
実際、感じた悪寒はあのときの比ではなかった。
たぶんだが、あのままでは、腐肉王の意のままに動く奴隷にされていたような気がする。とにかくあれは、恐ろしい力を持った呪いか何かだった。
なのにどうして回復することができたのか。
〈ローザンの指輪〉のおかげだろうか。
いや。ユフ迷宮でも〈ローザンの指輪〉はしていた。だから多少は異常をやわらげてくれたが、結局黄色と緑のポーションを飲むまで、自由を取り戻すことはできなかった。あの魔獣と腐肉王を比べて、腐肉王のほうが格下であったとは、どうしても思えない。
だが、ほかに該当する恩寵品がない。
ふと、〈ザナの守護石〉のことを思い出した。
〈ザナの守護石〉は、昔〈覇王の守護石〉とも呼ばれていた恩寵品で、攻撃力の増加に特徴があるが、呪い無効の恩寵も付いていた。ただ、その恩寵は弱いので、今まであてにしたことはない。
(それにしても正確にはどういう恩寵だったかな)
(今のオレなら深く読み取れるだろう)
レカンは守護石を左手に持ち、右手に細杖を構え、魔力を練った。
そして丁寧に準備詠唱を行い、発動呪文を唱えた。
「〈鑑定〉」
すると、鑑定結果が浮かび上がってきた。
〈名前:巫女の守護石〉
〈品名:宝玉〉
〈出現場所:ユフ迷宮一階層〉
〈調整者:オリエ、ルビアナフェル〉
〈恩寵:物理攻撃力増大(大)、使用魔力補填(大)、巫女の祈り〉
※物理攻撃力増大(大):装着者の物理攻撃の威力を倍加する。通常状態では威力倍加の効果は(小)である。魔力を込めて使用すると効果は(大)になる。効果(大)を使用すると一日のあいだ魔力を込めることができない。
※使用魔力補填(大):物理攻撃力増大(大)の恩寵を発動させたあとしばらくのあいだ、使用者の魔力を補填する。
※巫女の祈り:呪いや毒や精神魔法などを受けない。受けてもすぐに無効化される。
※この宝玉の恩寵は、ライコレス神の祝福を受けた者にだけ発動できる。