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腐肉王が再び人さし指を上に向け、くるくると振り回した。
すると巨大な魔力の塊が五つに割れ、宙を泳いでレカンを取り囲んだ。
これでは〈リィンの魔鏡〉が使えたとしても、一つしか反射できない。しかも反射した先に敵はいない。
レカンは盾を手放した。
〈ウォルカンの盾〉が音を立てて地に落ちた。
かたかたかた、と音がした。
腐肉王が、下あごを上下に動かしている。
笑っているのだ。
強大な力を持つ冒険者が、干からびた小さな骸骨一体に手も足も出ず、なぶり殺しの目に遭おうとしている。それを笑っているのだ。レカンの無力さをあざ笑っているのだ。
レカンは左手を〈収納〉に差し入れて、〈爆裂弾〉を取り出した。
こうしているあいだにも、腐肉王がとどめの攻撃をしてきて、レカンは死ぬかもしれない。
だが、もうどうでもよかった。
やろうと思ったことをやるだけだ。その途中で死ぬのなら、そういう運命だったのだ。
安全装置を外し、スイッチを入れ、前方に放り投げた。
宙を舞った〈爆裂弾〉は、地に落ちて音を立て、転がって、腐肉王の三歩ほど前で止まった。
腐肉王は、眼下の奇妙な物体をみつめ、ちょこんと首をかしげた。
レカンは〈収納〉から〈コルディシエの杖〉を取り出した。
頭がくらくらする。
もう立っていることもむずかしい。
レカンの命の火は、いままさに消えようとしている。
(エダ)
(すまん)
心で謝って、レカンは力を振り絞り、呪文を唱えた。
「〈障壁〉」
弱々しい声だ。
それでも、杖に仕込んでおいた対物理障壁が発現した。
魔力をすべて失ってしまった今のレカンに、障壁を生成することができるかどうかはわからなかった。わからなかったが、やってみた。するとできた。杖に仕込んでおいた魔力が発動したのだ。
ただし、完全な障壁ではないかもしれない。
腐肉王は、かたかたと、一段と大きな音を立てて笑った。
そして〈爆裂弾〉が爆発した。
腐肉王が粉々に吹き飛ばされるのを、確かにレカンはみた。
ほとんど同時に爆発はレカンを襲い、障壁を破壊し、レカンを吹き飛ばした。
全身が衝撃に包まれ、レカンの意識は途絶えた。
死んだはずのレカンだったが、やがて意識を取り戻した。
ただし、体を動かすことはできない。
(なぜオレは生きている?)
(……そうか)
(自己治癒のスキルか)
ツボルト迷宮で得た金ポーションは、レカンに自己治癒の能力を与えた。ただしそれは、瀕死の状態にあるとき、わずかにレカンを生かすだけの力しかない。
(治れ!)
(治れ!)
必死で念じたが、自己治癒は働かなかった。
意識のないまま発動してしまったため、今は発動できないのだ。
レカンの体はずたずただった。
あおむけに倒れたまま動くこともできない。体中の至る所が傷つき、折れ、裂け、ちぎれているのがわかる。
今のレカンは人間の残骸のようなものだ。
〈生命感知〉に意識を集中した。
いつもならほとんど無意識に使う〈生命感知〉だが、今は意識を集中しないと情報が読み取れない。
いない。
この部屋にはレカン以外の生命は存在しない。
ということは、腐肉王は倒したのだ。
(思い知ったか)
(オレの勝ちだ)
そのとき、左手がかすかに動くのに気づいた。
レカンは意志の力を総動員して左手を〈収納〉に差し込み、青ポーションと赤ポーションをつかみ出し、長い時間をかけてそれを口に運ぶことに成功した。
赤ポーションには、ほとんど効き目がなかった。さすがに、ここまで痛めつけられた体は、赤ポーションでも治せないのだろう。それに考えてみれば、つい先ほど赤ポーションを使ったばかりだ。
青ポーションのほうは、確かに効果があった。
呪文を唱えようとして、声を発することができないのに気づいた。
それでもしばらく努力して、小さなしわがれ声を発することができた。
「〈回復〉」
この魔法は効果を現した。
ただし修復されるべき肉体はあまりにぼろぼろで、起き上がることなどできはしない。
こうしているあいだにも、命の火が弱まっているのを感じる。
このままでは、もうすぐ死ぬほかない。
何かできることはないのか。
レカンは必死で考えた。
そして、〈立体知覚〉で周りを探った。
すぐそばに折れた剣があるのがわかった。
〈妖魔斬り〉だ。結局一度も使わないまま、この剣は失われたのだ。
最初から〈不死王の指輪〉を発動させて〈爆裂弾〉を使っていたら、こちらは無傷のまま腐肉王を倒すことができていたのだろうか。
わからない。
倒せたかもしれないが、そうはいかなかったかもしれない。
こちらに戦闘力があるうちに〈爆裂弾〉を取り出しても、爆発させる前に〈爆裂弾〉を破壊されて終わったかもしれない。さっきは、こちらが圧倒的に不利で無力な状態だったから、腐肉王も油断したのだ。
こんなことを考えてもしかたがない。
戦いは終わった。
敵は滅び、こちらは生きている。だから勝ったのだ。
もうすぐこちらも死ぬけれども。