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〈白魔の足環〉の恩寵が発動し、レカンは腐肉王の至近距離に転移した。
レカンは〈トロンの剣〉を振りおろした。
魔法攻撃は効かない相手だが、たぶん物理攻撃は効く。
頭を砕けば、いくらなんでも倒せるだろう。
だが、腐肉王の体は消え、レカンが振りおろした剣は、むなしく虚空を斬った。
レカンは振り返った。
離れた位置に腐肉王が立っていて、その指先とレカンの胸が、魔力の線でつながっている。
(なにっ?)
いったいこの敵は何をするつもりなのか。
その答えはすぐにわかった。
(オレの魔力が抜かれている!)
(こいつは人間の持つ魔力も抜き取ることができるのか!)
レカンは左右に激しく動いたが、もちろんこんなことでは魔力のつながりは切れない。
(いかん!)
(魔力を全部抜かれたらオレの戦闘力は大幅に落ちる)
(その状態で攻撃されたらとても耐えられん!)
「〈ガスパーリオ・ラーフ〉!」
レカンは呪文を唱えた。
(効いたか?)
だが、腐肉王はちょこんと首をかしげた。
〈闇鬼の呪符〉の恩寵が発動しなかったのかと一瞬思ったが、たぶんそうではない。恩寵は発動したのだ。
〈発動の瞬間二十歩以内の距離にいたあらゆる命あるものが、心の臓が十回打つ時間動きを止める〉というのが、この品の持つ恩寵だ。
たぶんこの敵は、この恩寵品の定義でいう〈命あるもの〉には含まれないのだろう。
レカンはもう一度剣を振り上げ、突進しつつ呪文を唱えようとした。
「〈ゾルアス・クルト〉」
そこまで唱えたとき、腐肉王がレカンの目の前に転移してきた。そして開いた左手から何かを飛ばしてきた。
それは、レカンの振り上げた右手を狙っていた。そこだけは堅牢な鎧に覆われていない。
痛みが走った。飛んできたものがレカンの右手に突き刺さったのだ。
左手を開いた腐肉王の、人さし指の指先がない。
腐肉王は、指先を飛ばしてきたのだ。
少し勢いをそがれはしたが、そのままレカンは剣を振りおろした。
〈トロンの剣〉が、奇怪な頭部を砕く寸前、腐肉王は転移して逃れた。
転移した先は、再び部屋の奥だ。
だが追撃することはできなかった。
剣を振りおろした瞬間、強烈な悪寒に襲われ、全身の力が抜け、〈トロンの剣〉はレカンの手を離れて前方に落ちた。
思わず膝をついたレカンは、自分の心から闘志が失われ、恐怖と敗北感が湧き上がってくるのを感じた。思考が縛られ支配されていくのを感じた。
ところが次の瞬間、悪寒も恐怖も敗北感も思考を支配される感覚も消え去り、レカンの心には激しい闘争心がよみがえった。
何が起きたのか、レカンは直感的に理解した。
ユフ迷宮のなかで、似たような経験をした。
魔獣が飛ばしてきた粉をレカンは吸い込んだが、とたんに心が萎え、恐怖心に包まれ、体の自由が利かなくなった。その粉には、毒と精神系魔法が込められていたのだと、レカンは見当をつけた。
今もたぶん同じことを腐肉王はしたのだ。あの指先には、何かよくないものが込められていた。ただし、なぜその効果が消え去ったのかはわからない。
こうしているあいだにも、腐肉王はレカンの魔力を吸い続けている。
その魔力は巨大な塊となって腐肉王の頭上で回転している。
レカンは、素早くかがんで前に進み、落ちている〈トロンの剣〉を拾おうと右手を伸ばした。剣を拾ってそのまま〈白魔の足環〉を発動させて腐肉王を攻撃するつもりだ。
だが剣に向かって伸ばしたレカンの右手首に、腐肉王が放った黒い稲妻が着弾し、手首から先を吹き飛ばした。剣を取ることに集中するあまり、敵の攻撃をかわすことができなかったのだ。そしてその部分だけは装甲で覆われていなかったため、まともに攻撃を浴びてしまったのだ。
レカンは石になったように動きを止めた。
そして、ゆっくり顔を上げ、腐肉王をみた。
怒っている。
骸骨じみた顔は、まるで歯を剥いて笑っているようにもみえるのだが、まとう空気が先ほどまでとまるで違う。
たぶん先ほどの指を飛ばす攻撃は、腐肉王にとっても切り札のような攻撃だったのだ。
なのにレカンは平然と動いている。
そのことに驚き、怒っているのだ。
そのとき、魔力のつながりが切れ、腐肉王が右手を下ろした。
レカンの魔力のすべてを、腐肉王は抜き終えたのだ。
ひどい脱力感がレカンを襲った。
魔力がすべて抜かれたからといって、筋肉の力に直接関係はないはずだが、やはり膨大な魔力がすべて抜かれてしまうと、力が大きく奪われたような実感がある。
腐肉王が再び右手を胸の高さに上げ、人さし指を真上に突き出した。
頭上の膨大な魔力の塊が、強い力で回転し始めた。
「〈展開〉!」
レカンは再び〈ウォルカンの盾〉を展開して左手で構えた。
「〈反射〉!」
これで〈リィンの魔鏡〉が作動状態になった。
腐肉王が、真上に向けた人さし指を倒した。レカンのほうに向けて。
たちまち魔法攻撃が飛んできて、〈ウォルカンの盾〉を直撃し、反射された。
その反射攻撃を、腐肉王は、いとも簡単に人さし指で吸い取った。
今の腐肉王の魔法攻撃は、さほど威力のあるものではなかった。
たぶん、レカンが盾を構えて呪文を唱えたので、その効果を確かめるために様子をみる攻撃だったのだ。
その様子をみるための攻撃に、三日に一度しか使えない〈リィンの魔鏡〉を使ってしまった。レカンは、戦況を逆転する最後の手段を失ったのである。
それでもレカンは体の前に〈ウォルカンの盾〉を構えた。
もう反射が使えないということを、敵は知らない。だから警戒せざるを得ないはずだ。
くらっ、と立ちくらみがした。
切断された手首からは大量の血が流れ続けている。
レカンの命は遠からず失われる。
(くそ)
(オレの冒険は)
(ここで終わりか)
(だが)
(ただでは死なんぞ)