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〈闇鬼の呪符〉を発動させる呪文をレカンは唱えた。
この恩寵品が発動すれば、しばらくのあいだ白炎狼は動けない。
レカンは自由に攻撃できる。
ところが、呪文を唱え終わった瞬間、白炎狼の姿が消えた。
「なにっ」
転移である。
呪文を唱えているとき、独特の魔力を練る気配は感じた。
そう気づいたときには、すでに呪文を唱え終わっていた。
だがこれまで白炎狼が転移を使ったとき、必ずレカンの至近距離に現れた。
レカンは〈生命感知〉に意識を集中し、白炎狼の位置を探った。
いない。
〈生命感知〉で探れる範囲には、白炎狼がいない。
それだけ遠くに逃げたのだ。
恩寵が効き目を現して白炎狼が動けなくなっているとしても、どこにいるかわからないのでは攻撃のしようがない。探しているあいだに効果時間は終わってしまう。
一度使えば二度目からは警戒されるかもしれないと思い、せっかくここまで使わずに温存していたのだが、それも無駄になってしまった。
「ちっ。しかたない」
レカンは落胆した気持ちを切り替えた。
(貴重な時間をもらったんだ)
(有効に活用させてもらおう)
レカンは、〈インテュアドロの首飾り〉に魔力を補充した。
ほとんど空に近い状態だった。
それからパンと干し肉を食べ、水を飲んだ。
魔力回復薬と体力回復薬も飲んだ。
連続して使用したので、かなり効き目は落ちている。
(それにしても)
(鮮やかな逃げっぷりだったな)
(待てよ)
(もしかしたら)
もしかしたら、白炎狼は以前に〈闇鬼の呪符〉を持つ相手と闘ったことがあるのではないか。
そんなことをふと思いついた。
〈闇鬼の呪符〉の効果範囲は、レカンの歩幅で二十八歩ほどだ。その距離で呪文を唱えれば相手に聞こえる。その呪文に聞き覚えがあったのではないだろうか。
そうでもなければ、あの突然の撤退は説明がつかない。
そのとき、五十歩ほど前方に白炎狼が出現した。
レカンは白炎狼に向かって突進した。
そして呪文を唱えた。
「〈ティーリ・ワルダ・ロア〉」
〈不死王の指輪〉の恩寵を発動させ〈無敵〉状態となって接近するレカンを、白炎狼はじっとみつめた。
その目つきが妙に鋭い。
そして十歩ほどの距離に近づいたとき、またも白炎狼が消えた。
今度は〈生命探知〉の範囲内だ。それでも二千歩近く離れている。
(くそっ)
(切り札を二つ無駄にしたか)
レカンは巨大なくぼみの斜面を登っていった。
そして森のなかに入った。
白炎狼は、かなり距離を置いて、ゆっくりと追跡し始めた。
(さっきのダメージから立ち直れていないのか?)
(いや、違うな)
(かなり大きなダメージではあったはずだが)
(まだまだやつは力を残している)
(そうじゃなくて警戒してるんだ)
白炎狼は、全力で放った魔法をそのまま反射されたことに驚いた。
そして白炎狼は、〈リィンの魔鏡〉が、一度使うと三日たたなければ使えないということなど知らない。だから警戒せざるを得ない。
レカンは、白炎狼との距離を広げようとは思わない。広げたところで、転移一発で白炎狼はレカンの至近距離に出現できるのだから、距離を広げてもあまり意味がない。むしろ近くで白炎狼の動きをみさだめたほうが戦いやすい。
体力を回復させつつ、ゆっくり逃げていたレカンだったが、白炎狼が再び猛追を始めたので、速度を上げて逃げた。
三日目に、〈インテュアドロの首飾り〉の魔力が切れた。こうなると、あとは〈トロンの剣〉が頼みの綱だ。とはいえ、〈トロンの剣〉は魔法攻撃を完全には消滅させず、いくぶんはレカンの体を直撃する。女王蜘蛛の鎧は、ぼろぼろになってゆき、やがてみるも無残な残骸となり果てた。〈千々岩蜘蛛のベスト〉も、お気に入りのズボンもずたずたに破れている。
基本的には口から魔法を放つ白炎狼だが、時に魔法陣を繰り出し、あるときにはレカンの体を燃え上がらせ、あるときには凍らせた。
レカンは、魔力回復薬を飲みながら、自分に〈回復〉をかけ続けた。赤ポーションも飲んだ。水も飲んだ。
数限りなく魔法攻撃を受け続けるうちに、レカンは白炎狼の魔法攻撃のタイミングが予測できるようになっていった。だが、白炎狼のほうでも、レカンの動きを予測するのがうまくなっていった。だから被弾率は変わらない。強力な攻撃が来そうなときは、〈白魔の足環〉や〈突風〉を使ってその攻撃をかわした。
三日目の終わりごろになると、レカンの移動速度が目にみえて落ちた。
だが、白炎狼の攻撃も、鋭さを欠くようになってきた。
〈回復〉も立て続けにかけると効果が落ちてくるようで、レカンの全身は魔法による傷だらけだ。もう〈回復〉をかけてもあまり治らないのだ。もちろん赤ポーションも、もう効かない。
なおも逃走は続いた。
〈不死王の指輪〉と〈闇鬼の呪符〉をもう一度ずつ使ったが、白炎狼は転移で逃げた。それでも休憩の時間をかせぐことはできた。
そして四日目の昼過ぎ、ついに待ち続けた瞬間が訪れた。
白炎狼が魔法攻撃を放とうとしたとき、かしゅっ、と空気の抜けるような音がして、弱々しい火の玉しか出なかったのである。
(来た!)
(魔力切れだ!)
レカンは逃げるのをやめ、猛然と白炎狼に襲いかかった。
(くそっ)
(足元がふらつく)
いくらなんでも、もうレカンの体力は限界に近い。体力回復薬もすでにほとんど効果がなくなってきている。続けて飲むと効果は落ちるのだ。
このときレカンの右手にはトロンの剣が、左手には〈コルディシエの杖〉が握られている。
白炎狼が、身をかがめたかと思うと、レカンに向かって跳躍した。
鋭い牙がレカンをかみ砕こうとしたその瞬間、呪文が響いた。
「〈障壁〉!」




