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「旦那、よかったんですかい、奥方様を置き去りにして」
たき火で手を温めながらぽっちゃりが聞き、レカンは焼けた肉を咀嚼して飲み込んでから返事をした。
「置き去りにしたわけじゃない。〈浄化〉の特訓を受けるために残ったんだ」
「その特訓とやらが終わるまで待って差し上げるって選択肢はなかったんですかい?」
「お前、わかってて言ってるだろう。あの空気のなかでオレが残っても、ルビアナフェルにとってもエダにとっても、いいことはない」
エダがレカンの左目を治すために〈浄化〉を訓練しており、レカンは〈薬聖〉スカラベル導師の〈浄化〉も断り、手に入った神薬も人に譲ったと聞いて、ルビアナフェルは感動し、神殿長のもとで〈浄化〉を磨くよう、強く勧めてきた。
神殿長は自分では〈浄化〉を使えないが、ユフのライコレス神殿には古代から〈浄化〉についての知識が蓄積されている。実際、ルビアナフェルの〈浄化〉を最上級のものにまで導いたのは現神殿長である。その過程で、五個もの神薬をルビアナフェルに飲ませ、感覚をつかませたというのだから、なるほどこれはユフでなければ実行不可能な指導法だ。
今回の功績への褒賞の一部として、レカンに神薬五個を下賜するという話が出たが、断ったので、その分の神薬をエダに使うことになった。
エダはがぜんやる気を出し、神殿長に弟子入りを志願した。しばらくのあいだユフにとどまることになる。
一方、レカンはユフですることがない。
三巨人を倒したため、ユフ迷宮は百二十日間の眠りについてしまった。
迷宮騎士団の騎士たちは、治安維持に犯罪取り締まりに被疑者の監視にと、強力隊の者たちまで含め、ろくに寝る暇もないほどの忙しさで、相手をしてもらえない。
こんな状況でレカンにできたことといえば、ユフ迷宮の岩山で手に入れた大炎竜の皮を鎧に仕立ててもらうことぐらいだ。
小炎竜の革鎧はずたずたで、もう補修もきかない状態だ。その状態をみたユフ侯爵が、デュオ・バーンが身に着けているのとよく似たタイプの鎧をくれた。大炎竜の革とディラン銀鋼でできた、部分別に装着するフリーサイズの鎧だ。
非常によい鎧であるのは間違いないが、これは軽重でいえば重鎧だ。非常に頑丈ではあるが、脱着が少し面倒だし、やや重いし、体の動きを多少制限する。旅の途中に着るようなものではない。やはりレカンとしては、大炎竜の革だけで作った自分専用の軽鎧が欲しかった。
ユフ最高の職人が、鎧を仕立ててくれることになった。
それはいいのだが、レカンが大炎竜の皮を手に入れたと知ったデュオ・バーンは、烈火のごとく怒った。あの非常時に何をしていたのか、というわけである。
最短距離を通ったら、たまたま通り道に大炎竜がいたので倒したんだと釈明したが、自分でも苦しい言い訳だと思った。
そのあとデュオ・バーンは、皮の残りや牙や骨や血や内臓はどうしたんだと聞いてきた。時間がないから捨ててきたというと、なんてもったいないことをするんだと怒られた。
革鎧は、レカンの分と、エダの分と、交換用部品と補修用材を取って、それでも倍以上余るというので、下処理だけをしておいてくれるよう頼んだ。
大炎竜の肉はまずいなと文句をいったら、最高の魔法触媒なんだぞ何を言っている、とデュオに怒られた。
三巨人の宝箱からは、〈時なしの袋〉〈雷神の槍〉〈ヒッポドーラの護り〉が出たということで、ブラックが渡してくれた。
〈時なしの袋〉はなかに入れたものが新鮮なまま保たれる〈箱〉のような袋だ。容量も多い。
〈雷神の槍〉は呪文を唱えると穂先が雷撃を帯び、攻撃すると稲妻が発生する。
〈ヒッポドーラの護り〉は指輪だ。これを装着すると水のなかでも呼吸ができる。
最初は、鎧ができるまでのんびり待つつもりだった。迷宮には入れなくても、ユフ山系の奥深く踏み込めば、強力な魔獣がいるという。質のいい薬草もふんだんに自生している。それに、すでに採取した薬草の処理もしなければならない。ユフなら上等な設備がありそうだった。時間をつぶすことは、できなくはなかった。
だが、レカンにとってユフ城もユーフォニアの街中も、居心地のよい場所ではなかった。
城での居心地が悪いのは、ダンテスタ・ワイド子爵を殺したからである。ユフでは何百年にもわたって内乱もなく、外から攻め込まれたこともない。貴族が暴力によって死ぬなどという経験はしたことがなかったのだ。ユフ城のなかで子爵の頭を吹き飛ばして殺したレカンは、〈魔王〉と呼ばれ、城の人々から忌み嫌われている。
街中での居心地が悪いのは、治安騎士団の騎士を殺し、傷つけたからである。ユフの民衆にとって、治安騎士団は、魔獣から人々を守り、市井のもめごとを仲裁し、日常の暮らしに寄り添ってくれる心強い存在であったのだ。その治安騎士団を半壊に追い込んだレカンは、民衆の憎しみを受けた。なじみの騎士がレカンに殺され、あるいは右手を斬り落とされたなどと聞いて、悲憤を覚えた人は少なくない。
取り調べは今も続いているが、調べれば調べるほど、規模の大きな反乱だった。もしも加担した者すべてを処断したら、ただちにユフ全体が機能不全に陥ってしまうだろう。しかも、〈滅魂虫の守札〉によってゲイトグレインに隷属していた人々は、時がたてば正常な思考を取り戻すのだ。
北の塔に儀式魔法を撃ち込ませたのは、〈滅魂虫の守札〉を前回使って一年が過ぎたからだった。とにかく領主親子とルビアナフェル、ルッカ子爵親子と神殿長、この六人を一か所に集めて守札で支配下に置けば、あとのことはどうとでもなる、とゲイトグレインは考えたのだ。
反乱そのものをなかったことにすることは、さすがにできなかった。
ゲイトグレインとその息子のウォールグレインには、取り調べが終わったのち、名誉の死が与えられる。服毒による自死だ。
ウォールグレインの妹のアナフォール姫に婿を取って南家は存続させる。ただし長老会の議席は与えられない。財産も大幅に削られ、領主家の親族であるという以外の特権も剥奪される。
アナフォール姫はアシッドグレインの婚約者の一人だったが、その婚約関係は正式に破棄される。ちなみに、ほかの婚約者の一人の父親が、ルビアナフェル姫に刺客を送った罪を問われ、領主パルクグレインから譴責を受けたことがあったが、ゲイトグレインが陰で糸を引いていたことは明らかであり、譴責は間接的にゲイトグレインをいさめるものであったという。
レカンはこれを聞いて、胸の奥に引っかかっていたものが取れたような気がした。
なお、譴責を受けた貴族の娘も、今回正式に婚約が破棄される。これでアシッドグレインの婚約者は残り二人だ。近々側妃に迎えられることになる見込みだという。
治安騎士団は、誤った情報を与えられ、間違った指示のもと、心ならずも反乱に加担したのだと発表された。そして、冒険者レカンは迷宮騎士団をユフ迷宮から呼び戻し、迷宮騎士団が到着するまでのあいだ、治安騎士団と戦って〈癒やしの巫女〉を護ったのだと発表された。
だが、人々は次第に、真実は別のところにあるのではないかと噂するようになった。それにはいくつかの理由がある。
一つには、天空から黒くてまがまがしいものがユフ城に落下するのを、意外に多くの人がみていた。そしてそのとき北の塔が半壊した。本当の順番は逆なのだが、口から口へ伝えられるうちにそうなった。
一つには、単騎で治安騎士団を蹴散らした戦いぶりが異常すぎた。城にいた者たちは〈魔王〉のことを語り合い、それが市井にも流れた。
一つには、治安騎士団の被害が大きすぎた。最初は全員が拘束されたが、身分の低い者から解き放たれて任務にあたるようになった。そのなかで、治安騎士団の被害が知れ渡り、ユフの人々は、話し合おうとせず暴力をふるったレカンを憎むようになった。
一つには、レカンに殺されたダンテスタ・ワイド子爵の派閥が、レカンの恐ろしさと非道を言い立てた。まるで自分たちのほうが被害者であるといわんばかりに。だが、ダンテスタが心を支配されていたことを知らない人にとっては、彼は高潔な貴族なのであり、レカンが悪人にみえるのは無理もなかった。
レカンの悪評が高まっていることを知ったユフ侯爵は、レカンのルビアナフェルに対する献身とユフに対する功績を顕彰すると言い出した。だが、これはレカンが断った。ルビアナフェルの名声に傷をつける可能性のあることなど、絶対にすべきではない。
パルクグレイン侯爵は、〈滅魂虫の守札〉の存在を秘匿すると決めた。〈星辰の間〉にいた者たちには箝口令が敷かれた。〈滅魂虫の守札〉の存在を明らかにしない以上、レカンの行いの正当性を人々に納得させることはできない。
そもそも悪い噂がたったからといって実害はない。買い物や食事を楽しみにくいというだけのことだ。侯爵やその跡継ぎ、主立った人々、そして何よりルビアナフェルは、レカンが何をしたかを知っており、感謝してくれている。それで充分だった。
レカンは一人ユフを去ることにした。鎧ができたらワズロフ家に送ってくれと頼んだ。
またレカンは、ノッドレインに、関所はまだ閉まっているのかと聞いたら、まだ閉めているという返事だった。そこで、ザイドモール領主名代のエザクという騎士は通してやってくれ、と頼んでおいた。事情を聞いたノッドレインは、ソプデモアに使いをやってエザクを探し出すとまで言ってくれた。役割を果たさずに帰るわけにいかないエザクは、ソプデモアに滞在して関所が開くのを待っているだろうから、これはありがたい申し出だった。
貴殿が世話になった人物となれば決して粗略には扱わない、とノッドレインは約束してくれた。どうも今回のことについて、ひどくレカンに感謝もし、申し訳なくも思ってくれているようだ。とすれば、魔王扱いされても文句を言わなかったことは、結局よかったのだ。
ユフ侯爵は、レカンに莫大な褒賞を与えた。そのうえ、今後レカンから要請があれば、ユフはできるだけのことをする、という約束をした。エダとぽっちゃりにも大金が下賜された。
ちなみに、レカンが迷宮に潜っていたあいだとそのあと、ぽっちゃりは時間を無駄に過ごさなかった。過去数年間にゲイトグレインと付き合いが深く、その影響下にあると思われる人物、過去数年間に行動や性格に奇妙な変容がみられた人物などを調べ上げていたのだ。レカンから聞くまで〈滅魂虫の守札〉のことなど知らなかったのに、そこに注目した眼力は大したものだ。その調査結果はレカンの命によりノッドレインに届けられた。ノッドレインはぽっちゃりの調査能力に驚嘆し、ユフ侯爵家に仕える気はないかと誘いをかけたという。
「ユフに残ればよかったのに。今あそこでは、お前のような調査能力のある人材を、ひどく欲しがってるだろう」
「いえいえ。あそこはちょっと平和すぎて、長居したい場所じゃありませんね」
「変なやつだな。住み着くんなら平和な場所のほうがいいだろうに」
「お奇麗な場所。正義がまかり通る場所。人間同士がお互い仲良しのつもりでいる場所。そういう場所では、あたしは生きてゆけないんで。その点レカンの旦那のそばにいれば安心てわけで」
「どういう意味だ」
「レカンの旦那の行くところ、必ず事件が起きますからね。憎しみや恨みが噴き出し、傷つけ合い奪い合うようになる。それまで平和だったとしても、旦那が行くと争いが起きる」
「人を災厄神みたいに言うな」
「ユフは、なが~いあいだ、平和だったんです」
「うん?」
「ところが急に争いが起き、人が死に、大騒ぎになった。裏切りがあり、反乱があった。そういうときにね、平和に慣れた人間はどう考えると思います?」
「さあな」
「この悪いものは自分たちから出たんじゃない、外から持ち込まれたんだ、って考えるんですよ。だから旦那が悪者にされた。旦那のせいだと思いたかったんです」
「ふうん」
(こいつもしかして)
(オレを慰めてるのか?)
「呼び出された魔王が魔界に帰るのはいつですかって、本気で城に問い合わせてきたやつがいるそうですぜ」
(こいつ)
(オレをおちょくってるな)
「ところで、これからどこに行きやす?」
「まずはロトルだな。肉がいる」
「へえ?」
そのとき、レカンの表情が変わった。闇の奥に突然現れ、恐ろしい殺気を放っているものを凝視している。
それをみて、ぽっちゃりも、何か異常事態が起きたのだと知った。
「ぽっちゃり、逃げろ。オレはしばらく走って逃げる。絶対にオレを追うな。追えば死ぬ」
(今度こそ決着をつけてやる)
(今のオレにはトロンの剣とリィンの魔鏡がある)
(着けた火に炙られるがいい)
夜の闇のなかに、青白い炎を放ちながら、白炎狼が立っていた。
「第51話 魔王降臨」了/次回時期未定「第52話 腐肉王の迷宮」




