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一行は大きな部屋についた。
正面には壁があり、巨大な鏡が埋め込んである。
「あの鏡が入り口だ。なかに三巨人がいる。出入りは自由にできるが、ここからなかはみえないし、なかの音も聞こえない。巨人たちは部屋から出られない」
「そうか」
このときまで、レカンは完全に傍観者だった。
迷宮騎士団はユフ迷宮のことは知り尽くしている。レカンが口を挟むことなど何もない。のんびりと三巨人が倒されるのを待てばよい。そう考えていた。
そのとき、レカンの耳に女の声が聞こえた。
叫び声といってよい、緊張感に満ちた声だ。
何かを訴える張り詰めた声だ。
「うん?」
だが隣に立つデュオにも、居並ぶ迷宮騎士団の騎士たちにも、その声は聞こえなかったようだ。
(今、確かに聞こえた)
(助けを呼ぶ声が聞こえた)
(覚えている)
(オレはこの声を覚えている)
(この世界で最初に聞いた声だ)
(ルビーが助けを呼ぶ声だ!)
「デュオ」
「うん?」
「あの鏡の向こうには三人の巨人がいるんだな」
「ああ、そうだ」
「三人の巨人を倒すと、神殿の外に出ることができるんだな」
「ああ。三巨人の部屋の後ろにある扉が開くようになる」
「三人の巨人には、物理攻撃無効の特性があったりするか?」
「物理攻撃無効? いや、そんなことはない。おそろしく硬いがな」
「条件付き不死特性があったりはしないな」
「条件付き不死特性? 何だ、それは」
「一定の条件を満たさないと殺せないという特性だ。例えば、倒す順番だとか」
「いや、そんなことはない。どういう順番でも殺すことはできる」
「すまんが、オレに少しだけ時間をくれ。そうだな。ゆっくり三十数えるほどの時間を」
「まさか、レカン。一人で飛び込むつもりか?」
「ああ」
「死ぬだけだぞ。いったい何があった」
「ルビアナフェルが助けを求める声が聞こえた、ような気がした」
デュオが首をひねってまじまじとレカンの顔をみつめた。
「だからオレは奥の手を使ってみる気になった」
「奥の手?」
「行かせてもらう」
レカンはデュオとの会話を打ち切り、鏡に向かって歩いた。
副団長ブラック・オルモアが、五人の騎士と一緒に、騎士団長デュオ・バーンの指示を待っている。その前を通り過ぎて、鏡のなかに入った。
入る直前、デュオの声が聞こえた。
「誰も邪魔するな! レカンに時間を与える」
部屋のなかに入ると、ざわめきは消えた。ここはすでに別の空間なのだ。
三体の巨人が待ち構えていた。それぞれレカンの倍以上の身長がある。
一体は巨大な剣を持っている。
一体は巨大な盾を持っている。
一体は巨大な杖を持っている。
三巨人はレカンをじっとみている。レカンが戦いを開始させるのを待っているのだ。
「〈ティーリ・ワルダ・ロア〉」
〈不死王の指輪〉を発動させると、〈収納〉から爆裂弾を取り出し、安全装置を外して起動スイッチを入れた。爆発力の設定はいじらない。つまり最大火力だ。よほど離れた場所で爆発させるのでないかぎり最大火力にはできないのだが、〈不死王の指輪〉がそれを可能にしてくれた。
そして、呼吸を調え、タイミングをはかって、三巨人に向かって爆裂弾を投げつけた。
白い光が弾けた。
レカンは吹き飛ばされ、壁にたたき付けられ、床に落ちて転がった。しばらくして起き上がると、剣巨人と杖巨人は、ばらばらにちぎれ飛んでいた。ただし、盾巨人だけは、右足と左手は失ったものの、まだ動くことができた。盾は割れて吹き飛んでおり、右手もおかしな形に折れ曲がっているが、まだ生きており、闘争心は失っていない。
盾の残骸を投げつけてきたのでかわした。そして〈不死王の指輪〉の効果が切れた。
「〈ガスパーリオ・ラーフ〉」
〈闇鬼の呪符〉が発動し、盾巨人の動きが止まった。
レカンは、歩きながら〈彗星斬り〉を抜くと、魔法刃を現出させ、盾巨人の首に切り付けた。一度では切れず、二度でも切れず、三度目に首が落ちた。
あとには三つの宝箱が残るだけだった。
強敵三体を倒したというのに、レカンの顔に喜びはない。
レカンは自分に、あるルールを課している。迷宮探索においては、実力では勝てない相手にだけ〈始原の恩寵品〉を使うというルールだ。
〈始原の恩寵品〉は強力だ。あまりに強力だ。だからめったに使うべきでない。
ツボルト迷宮の深層では、〈不死王の指輪〉に頼り切った戦闘を続けた。あの戦闘には喜びなどなかった。ただ最下層を目指す義務感のようなものに突き動かされ、作業のように敵を倒した。
あんな戦いは、もう二度としたくない。だから、〈始原の恩寵品〉を使うのは〈これなしではオレはお前に勝てない〉と宣言するのと同じことなのだ、と心に強く刻んだ。
その〈始原の恩寵品〉を二つも使った。これは戦いなどではなかった。一刻も早く迷宮を出るために障害を取り除いただけのことなのだ。
レカンは鏡の扉に歩み寄って、広間に戻った。
デュオ・バーンをはじめ、居並ぶ者たち全員が、驚愕した顔でレカンをみた。
その驚愕は、すぐに賛嘆に変わるだろう。
その予想がうとましかったので、レカンは不機嫌な顔をした。
だがエダが満面の笑みでレカンを迎えた。その笑顔をみて、レカンの表情も和らいだ。
「三巨人は倒した。エダ。すぐに迷宮を出るぞ」
「うん」
エダを連れて三巨人の部屋に入り、急ぎ足で出口の扉に向かった。
扉を開けると目の前に赤い砂地が広がっていた。
レカンはエダの手をつかんで呪文を唱えた。
「〈階層〉〈転移〉」
迷宮の地上階層は薄暗かった。
走って出口を出た。胸騒ぎが収まらない。
外は風が吹いていた。雪の粉が舞っている。
眼下をみおろせば、ちぎれて流れてゆく雲の下に、ユーフォニアが一望できる。
ユーフォニアの北の端、ロン山との境界に建つ北の塔が、小さく、しかしくっきりとレカンの目に映った。常人離れしたレカンの視力は、はっきりと捉えていた。北の塔の先端部が崩れ堕ち、塔から煙が立ちのぼっているのを。
(煙、だと?)
(北の塔が崩れているだと?)
いつのまにかレカンのすぐ後ろにいたデュオ・バーンが、怒りを押し殺した声でつぶやいた。
「やつら! 北の塔に……儀式魔法を撃ち込みやがった!」
レカンは大きく息を吸い込んだ。息を吸い込むあいだに、自分がなすべきことを決めた。
自作の魔力回復薬を二個取り出すと、一個を口に入れ、がりがりとかじって飲み込んだ。そしてもう一個を口に入れ、同じようにかじって飲み込んだ。
怒りが全身を浸してゆく。腹が熱い。燃えるように熱い。
世界は赤い。視界のなかのすべては赤い。なぜならレカンの右目は深紅の血潮に染められているからだ。
両手を持ち上げ大きく開くと、呪文を唱えた。
「〈浮遊〉」
レカンの体がふわりと宙に浮かんだ。
風にあおられ、外套がばたばたと羽ばたく。
後ろから吹き付ける強い雪風がレカンを前方に運ぶ。斜面から浮かび上がったレカンの体が山肌から離れて大空に踊り出してゆく。
山風を背中から受けながら、レカンは魔力を練った。練って、練って、練って、さらに練った。
そして高まったすべての魔力をそそぎ込んで呪文を唱えた。
「〈風よ〉!!」
爆風に吹き飛ばされ、レカンの体は前方に飛び出し、大空を飛翔した。
「〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉!」
続けざまに〈突風〉の魔法を発動し、みずからの体を前方に運んだ。
こんな高さを飛んだことはない。
こんな距離を飛んだことはない。
こんな速さで飛んだことはない。
進行方向を必死に制御しながら、レカンはなおも〈突風〉を発動し続けた。
「〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉!」
(そうか)
(ツボルト迷宮で階段の上を飛ぶ練習をしたな)
(何度も大怪我をしながらそれでも練習した)
(自分でも何のためにこんなことをするのかと不思議だったが)
(今日のこの時のためだったんだ)
まっしぐらにレカンは北の塔に向かって滑空した。
〈貴王熊〉の外套が風にあおられ、ばたばたと音を立て、ちぎれ飛んでゆく。迷宮での闘いで消耗していて、まだ十分に修復されていなかったのだが、いよいよこれでぼろぼろだ。
地上がみえてくると、減速のために逆方向から〈突風〉を放った。
「〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉! 〈風よ〉!」
それでも落下する勢いは弱まらない。レカンは風の圧力を受けながら、〈コルディシエの杖〉を取り出した。物理障壁の魔法を込めてある。
「〈障壁〉!」
レカンの体は地表に激突し、轟音をあげた。