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(む)
(魔獣がいる)
(とても強力な個体だ)
〈生命感知〉の範囲ぎりぎりに、すなわち二千五百歩先に、反応があった。
進路を斜め右に取った。このまま進めば、敵の千歩ほど右を通過することになる。
次第に魔獣との距離は近づいてゆく。だが、敵に反応はない。
進路を少しだけ左に修正した。
黴のような匂いが漂ってくる。
(ふむ)
(強い個体とも一度戦ってみておいたほうがいいな)
レカンは前進速度を緩め、左に転進した。エダは何も言わずレカンに合わせた。
五百歩に近づいても、敵は動かない。
(そろそろこちらに気づいてもよさそうなものだが)
レカンはさらに速度を緩め、魔獣に近づいてゆく。
距離は二百歩を切った。
百。
〈立体知覚〉の範囲に入った。敵は身をかがめたようにして、じっとしている。
レカンは剣を抜いた。〈ラスクの剣〉だ。
左手首には〈ウォルカンの盾〉が、左の薬指には〈ローザンの指輪〉が、人さし指には〈不死王の指輪〉が装着されている。もちろん、〈ザナの守護石〉も〈ハルトの短剣〉も〈インテュアドロの首飾り〉も〈白魔の足環〉も装備している。
レカンは再び前進を始めた。
五十。
草を踏み分ける音だけが響く。
三十。
二十。
レカンは停止した。
草むらの向こうにはっきり魔獣の姿が目視できる。
頭部が異様に大きい魔獣だ。顔の周りに長い毛がたくさん生えている。髪のようであり、髭のようであり、体毛のようでもある。
目を閉じて、じっとしている。石像のようだ。
うずくまった状態でもレカンの身長に負けない体高がある。
(まさか寝ているのか?)
(あるいは仮死状態か何かか?)
深く息を吸うと、突進を開始した。
魔獣の目がかっと開いた。
巨大な口をばくりと開け、黒いもやのようなものをはき出した。
強烈なかび臭さが漂った。
敵が飛びかかってくる。
レカンは剣を振り上げ、相手の顔の中央に振りおろそうとした。だが、狙いが狂い、魔獣の左肩のあたりをたたいてしまい、長い体毛の上で剣が滑る。
魔獣は巨大な左前脚をレカンの顔にたたき付けてきた。
かわそうとしたが、うまくかわせず、左肩に痛撃を受けた。まるでバトルハンマーのように強烈な打撃だ。
(いかん!)
そのまま右前方に倒れ込む。
と同時に魔獣の巨大な顔にエダが放った魔法矢が突き刺さる。
魔獣はいったん着地し、うなりをあげてエダに襲いかかる。
レカンは起き上がろうとしたが、うまく体が動かせない。
剣を放し、〈収納〉に右手を差し入れた。
(黄色ポーション、緑ポーション、赤大ポーション)
念じると、その三つをつかみとることができた。
そのまま口に放り込む。
体が動くようになった。立ち上がって〈収納〉から〈彗星斬り〉を取り出すと魔法刃を生成した。
目の前でエダが、魔獣の攻撃から身をかわしながら〈イェルビッツの弓〉で攻撃している。
レカンは魔獣に駆け寄り、斜め後ろから胴体に魔法刃を振りおろした。
魔獣はすさまじい怒りの声をあげて振り向いた。
おそろしく醜い顔だ。
レカンは飛びかかってきた魔獣の顔に十文字に剣を振るい、左に体をかわした。
魔獣は再び振り返って、威嚇の声をあげた。
レカンは足がすくみ、気力が萎えるのを感じた。
だが気力を振り絞って足を踏み出し、魔獣の真上から魔法剣を切り下ろした。
ぐらり、と魔獣の体が傾き、倒れたと思ったら、そこに宝箱があった。
レカンはその場にへたりこんだ。
「レカン、大丈夫?」
「ああ。お前、けがはないか?」
「うん。平気。いったい、どうしたの?」
「わからん。が、お前は体がしびれたりしていないんだな」
「うん」
エダには、呪い抵抗のついた〈ギエナの髪留め〉と、毒無効のついた〈イルレントの護符〉を装備させている。そして〈睡眠〉の使い手であるエダは、精神系魔法に耐性がある。
いっぽうレカンは、呪い無効のついた〈ハルトの短剣〉と、異常耐性と毒耐性と呪い耐性のついた〈ローザンの指輪〉をしている。〈ハルトの短剣〉ほど効果は強くないが、〈ザナの守護石〉にも呪い無効がついている。
たぶん、あのかび臭い匂いが敵の攻撃だったのだ。魔力を飛ばしてくる精神系魔法なら〈インテュアドロの首飾り〉が障壁を張ったはずだ。だが、物理的な粉ははじかない。その粉のなかに、毒と精神系魔法がこもっていた。そんなことがあるのかどうかわからないが、今のところほかに考えられない。
だからエダには効かなかったが、レカンには効いた。ただし、〈ローザンの指輪〉が効果を弱めてくれたので、多少は動くことができた。
「レカン。左肩、血が出てる」
「ああ、赤ポーションを飲んだから、傷は治っている」
「外套と鎧も裂けてるよ」
「この鎧と外套を着けてなかったら、左腕をもぎ取られていたろうな。助かった」
「この魔獣、なんて魔獣なのかな」
「わからんが、獅鬼族とかいうやつだろうな」
宝箱のなかに入っていたのは、エダが持っているのと同じ〈退魔の腕輪〉だった。エダの〈退魔の腕輪〉を昨夜鑑定したときは深度が百二十もあった。この腕輪の深度も深いのだろう。
「いきなりきついのに当たったな。待てよ。今の魔獣には、〈退魔の腕輪〉が効いてたか?」
「ううん。効果なかったと思う」
「そうか。一体とか二体で出現する魔獣には効かないと思っておくべきだな。さて、もう少し進もう」
「うんっ」