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食後の放心したような余韻の時間をしばらくあじわったあと、アシッドグレインが椅子に座り直して口を開いた。
「レカン。あらためて礼を言う。こんなに美味な食事は生まれてはじめてだ。まるで生き返ったようだよ。小火竜の肉がこんなによいものだとは知らなかった。ユフ迷宮にも小火竜は出るから、今度肉を持って帰ってもらうことにする」
もちろん竜肉はうまい。だがたぶんアシッドグレインが味わった満足感は、今日この日にしか味わえないものだ。アシッドグレイン自身もそのことはわかっている。肉のうまさをほめることで、レカンへの感謝を表したのだ。
「さて、最初の質問に戻らせてもらう。君はどうやってここに来たのだ。どんな目的があってのことなのだ」
「それに答える前に、これを読んでもらおう」
レカンは椅子に座ったまま、丸めた書簡を〈収納〉から取り出した。
家宰のペイネがそれを銀盆で受け取り、アシッドグレインのもとに運んだ。
書簡を取り上げ、封蠟をみたアシッドグレインの目に驚きが浮かんだ。
ペイネが渡したペーパーナイフで丁寧に封蠟をはがすと、止め紐をほどいてくるくると書簡を開き、じっと読んだ。読み終わると書簡を巻き、止め紐を巻き直すと、ペイネが捧げ持つ銀盆に書簡を置いた。
そしてアシッドグレインは起立した。その目線に促されてルビアナフェル姫も起立した。後ろでは小姓二人が椅子を引いている。
アシッドグレインは、深々と腰を折った。ルビアナフェル姫がそれに合わせる。
「レカン殿。失礼の段、深くおわび申し上げる。どうぞお許しいただきたい」
「オレは、許しも得ずこの塔に踏み込んだ。失礼したのはこちらのほうだ」
「皆、聞け。異世界の貴族レカン殿は、間もなくワズロフ家ご当主の従姉妹にあたる姫と、〈北方の聖女〉と呼ばれる女性のお二人をめとられる。また、レカン殿はツボルト迷宮とパルシモ迷宮を踏破され、先ごろは王宮に招かれ、陛下より緑銀のメダルを下賜された。レカン殿は、ワズロフ家のお身内にしてご当主名代であり、王陛下にも功績を認められた冒険者である。ごあいさつせよ」
レカンを除く全員が起立し、レカンに礼容を取った。しかたがないのでレカンも立ち上がり、答礼を行ってから座った。アシッドグレインほか、一同も座った。
「オレがこの世界に落ちてきたとき、ルビアナフェル姫には世話になった。先月の二十五日だったか二十六日だったかに、オレは王都でザイドモール領の騎士エザクに会った」
「まあ、エザクに」
「オレはエザクに教えてもらった。何やらユフに不穏な気配があると。そこで様子をみにやってきて、ルビアナフェル姫が北の塔で籠城しているのを知った。何か役に立つことがあるんじゃないかと思って、ここに来た。ルビアナフェル姫、何かオレにできることはないか」
「レカン。ありがとうございます。あなたにお願いしたいことがあります。でもそれを申し上げる前に、一つだけ聞かせてください。今あなたが首にかけておられる宝玉は、何かあなたのお役に立ったでしょうか」
「立った。最初は気づかなかったが、この〈ザナの守護石〉には、とてつもない恩寵がついている。これのおかげで何度も命を拾った。これのおかげでオレはさらなる強さを得た。今やオレの冒険にとって、なくてはならない品だ」
「そうですか。よかった。……よかった」
宝石のような涙が一粒、ルビアナフェル姫の閉じたまぶたからこぼれ落ちた。
レカンはその涙に衝撃を受けた。
(どうして)
(どうして泣くんだ?)
「交換してあなたから譲り受けた赤い宝玉を、私は〈狼石〉と呼んでいます。〈狼石〉を身に着けるようになってから、私は健康になり、魔力がすぐに回復するようになりました。それで〈回復〉の魔法は上達してゆき、やがては〈浄化〉に目覚め、その極みに達することができたのです。だから、今の私があるのは、レカンのおかげなのです。ユフの豊かささえ、無関係ではありません。そんなあなたに渡した〈覇王の守護石〉は、果たしてあなたにとって価値あるものだったのか。それがずっと心にかかっていたのです」
この言葉はレカンの胸の深いところにしみ込んでいった。
(オレに渡した宝玉が)
(オレにとって価値あるものだったのかどうかを)
(この娘はずっと悩み続けてきたのか)
(ここに来てよかった)
(ルビアナフェルと話し合えてよかった)
「あなたはあの宝玉を、〈ザナの守護石〉と呼んでいるのですね」
「ああ。鑑定したらそうだった」
「私は母からあの宝玉は〈覇王の守護石〉というのだと教わりました。しかし考えてみれば、あの宝玉は、ザカ王国建国王様の覇業を影で支えた秘密の娘であるザナ姫のもの。〈ザナの守護石〉という名こそふさわしいのかもしれません。レカン」
ルビアナフェルは、目に強い光を宿してまっすぐにレカンをみた。
「この塔に閉じこもってからというもの、私は毎日〈狼石〉を握りしめ、女神ライコレス様に祈りを捧げていました。私たちを助けるため、冒険者レカンをお差し向けくださいと」
レカンは身の震えるような感動を味わっていた。窮地に陥ったルビアナフェル姫が頼ったのは、ほかの誰でもない、レカンだったのだ。しかもたぶんルビアナフェル姫は、レカンがやってくると信じていた。
「あなたは白炎狼の化身のようなかたです。そのあなたにお願いしたいことがあるのです」
白炎狼の化身とは何のことだろうと思いながらレカンは立ち上がり、ルビアナフェルに対して礼容を取った。武威と風格を備えた戦士レカンが美姫に礼を取る姿は、叙事詩の一場面のようだった。
「何なりと、わが姫」
「ユフ迷宮に入り、迷宮騎士団を呼び戻してほしいのです」